劇作家の平田オリザ氏は「演劇の表現手法を用いたコミュニケーション教育」に取り組んできた。2002年度からは、中学校の国語教科書に独自の方法論が掲載され、演劇は教育プログラムの1つとして着実に浸透してきている。「社会のグローバル化が進んだ今の時代には、多様な価値観を持つ人たちと人間関係を形成できる力が求められている」と語る平田氏。知られざる演劇の有効性について語っていただいた。
取材・文/木村光一 撮影/公家勇人
演劇は子どもたちに競争させるのではなく
居場所を与えてあげられる
みんなの介護 まず、なぜ演劇はコミュニケーション教育に有効なのでしょう。
平田 いくつかありますが、対象が子どもの場合、注目されている効果は“役割分担”です。僕は小学校の先生方にはよくこう言ってます。
「声の小さい子がいたら、無理に大きくするようにしないでください。その子には“声の小さい子という役”をやらせればいいんです。そして“声の小さい役うまいね”と褒めてあげてください。自信がついて声も大きくなります」(笑)。
音楽教育や美術教育も素晴らしいですが、どうしても技術を競うことになってしまいがちです。それに対して演劇は、どんな子にも居場所をつくりやすい。ここが一番だと思います。
みんなの介護 自己表現の前に、まずは居場所を与えてあげるのですね。
平田 はい。それが組織の中においても「自分はかけがえのない人間である」と思える自己肯定感や自己効力感につながります。かつては、表現力を身に着けるために演劇が活用されていました。でも、今はそんなふうに優先順位が変わってきています。
次に有効なのが“フィクション(虚構)の力”。アクティブラーニング(体験学習、グループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワークなどの能動的な学びの授業)で話し合いをさせても、同調圧力が非常に強い社会の中で育ってきた日本の子どもたちは、先生にウケのいい落としどころを想定してしまいます。
しかし、それでは意味がありませんから、議論せざるを得ない、対話せざるを得ないような設定をしてあげるのが大事になってきます。そういうときにフィクション性が必要になってくるんです。
シンパシー(同調)からエンパシー(共感)へ
平田 具体例をあげましょう。福島第1原発から南に25km、放射線量の低い広野町に新設された「福島県立ふたば未来学園高校」で、僕は地域の課題を発見してそれを演劇にするという授業を1学年全体でやっています。
何が正しいとか正しくないかとかではなく、今、自分たちが暮らしている街がどういう状況になっているのかを演劇にする。例えば、震災後の仮設住宅には、原発事故で家を失って多額の賠償金を受け取った人もいれば、津波で家を失ってわずかな見舞金しか支給されなかった人もいました。普通なら堪えられない理不尽さを言葉や形にして、まずは何が今の福島の課題なのかを意識化していく。そういうことをやろうとするとき、演劇は非常に力を発揮するんです。
さらに、いろんな価値観や意見や異なる文化的背景を持つ人々を描くことは、他者理解にもつながります。他者と同化するのではなく、なぜ他者はそう思い、行動したのかについて思いを馳せる。これは最近の教育の世界で“シンパシー(同調)からエンパシー(共感)へ”という言い方をされているんですが、この「エンパシー」を持つということが大事なんです。
認知症の治療に演劇を取り入れる
みんなの介護 演劇を交えた独自の介護のワークショップというものがあると聞きました。青年団の劇団員である菅原秀樹さんも行っていて注目を集めているそうですが、どういう方法論なのでしょう。
平田 東北大学の藤井昌彦先生が認知症の治療に演劇を取り入れた「演劇情動療法」を実践されているのですが、菅原くんのワークショップも基本的には同じ考え方です。
認知症というのは、計算や記憶をつかさどる「大脳新皮質」が衰えることで発症する一方で、感情や情動をつかさどる「大脳辺縁系」が活性化して制御できなくなっている状態です。だから認知症の人は喜怒哀楽の感情の起伏が激しくなる。ならば、それを理解して対応すればいいという考え方です。
例えば、認知症のおばあちゃんから「財布がない。あなた盗んだでしょう」と言われたとしましょう。そのとき、「盗んだなんてとんでもない。おばあちゃんがどこに置いたか忘れたんでしょう」と、まともに受け答えしてしまうから問題行動がひどくなる。
そうではなくて「お財布がないの?それは大変!」と演劇的に驚いて、一緒に探してあげればいい。一生懸命探している演技を15分もしていれば、そのうちおばあちゃんも疲れてきて、お茶でも飲んで一息ついた頃には財布のことも忘れてしまう。こういった演劇的なスキルを身に着ければ、介護をする側もストレスが軽減される。
みんなの介護 なるほど!それはこれから必要不可欠なスキルかもしれません。
平田 「演劇情動療法」を行っている仙台の病院では認知症患者に処方されている薬の使用量も減っています。介護の現場で服用される薬の多くは精神安定系のものですから、気分が安定すれば必要もなくなっていくわけです。
藤井先生は「認知症の方というのは忘れる力が強い方です。人間はつらいことを忘れたほうがいい」とおっしゃっています。認知症それ自体をまったく否定的に捉えていない。認知症の診断テストで行われる「100-13」というような問題からして、意味がないというお考えなんです。
実際、そういうことを考えなくてもいいと言われた瞬間から、認知症の人たちは計算が必要なときは電卓を使うようになり、かえって自分でできることが増える。結果として気分が落ち着き、薬の使用量や徘徊や突然怒りだすといった問題行動も減少するんです。
北欧で行われている演劇を用いた職業訓練
根本的なマインドの変革を起こす
みんなの介護 聞くところによれば、北欧では演劇を新しい仕事に就くための職業訓練として取り入れているのだとか。どういった取り組みなのでしょう。
平田 デンマークなどでは、延長して最長で雇用保険の給付を2年から3年受けられます。その間、演劇やダンスのワークショップ、ボランティア体験などを含む職業訓練プログラムへの参加が義務づけられているんです。
そこで、とくに製造業に従事していた人たちに、人の笑顔が自分の幸福になるという体験をたくさんさせる。そうすることでマインドを変えていくわけです。
日本ではどういうことが行われているかというと、いまだに高度成長期の工業立国の頃の名残で手に職をつけさせようと、コンピュータの使い方とかを教えています。まるで刑務所の受刑者に木彫を教えて「おまえはこれで一生食っていけ」とやっているみたいなイメージです。
みんなの介護 職業訓練の概念が根本から違うんですね。
平田 今の世の中では手に職ではなく、転職する力、職を見つけられる力、面接に強くなるコミュニケーション能力のほうが大事。仕事自体はそれほど高度化しているわけでもないんです。
みんなの介護 日本では製造業などから介護業界への人材シフトが叫ばれていますが、現状、まったくといっていいほどうまくいっていません。
平田 霞が関は製造業がだめになったのなら、人手が足りない介護業界に移動させればいいじゃないか、と簡単に考えているのでしょうがそうはいきません。少子化対策と同じで、これもマインドの問題なんです。
僕は2001年に『芸術立国論』という本を書きました。構造改革のさなか、もはや工業立国ではなくなった日本の再生のカギは芸術文化にあるというビジョンを示した内容でした。しかし、それからずいぶん時間が経ちましたが、僕の思い描いたような形にはなりませんでした。
なぜ、そうならなかったのか?歳を重ねて、今ではその理由がわかります。
つまり、少なくなったとはいえ国民の3割が従事している製造業の人たち─変わりたくても変われない人たち、あるいは変わりたくない人たちへの眼差しが欠けていた。彼らが第3次産業に転換していく際に伴う痛みや寂しさやノスタルジーと、まだその時点ではきちんと対峙できていなかったんです。
いずれにせよ、人材を製造業から介護業界へ推し進めようとするなら、まずは、もともとコミュニケーションが不得手な人たちにコミュニケーション能力を身に着けさせる取り組みが不可欠です。そういった視点が欠落しているかぎり、いくらお金を使って就労支援を行ったところで効果は上がらないと思います。