今回はエンジョイ勢とガチ勢がなんで分かれているのかについてです。
筆者がガチ勢よりなので、そっち目線で書きますね。
とつぜんですが皆さん。
実は好奇心には三種類あります。
まず拡散的好奇心
これはようするにtwitterです。色んな情報に対して知りたいと思う感覚です。赤子が周囲のものに対して湧くのはこのタイプになります。
次に知的好奇心
これは研究者です。色んな情報ではなく、自分の興味関心のある分野をより深く、勉強したい、極めたいと思う感覚です。これは大人になってから手に入るタイプというよりかは、知識が前提となって初めて手に入る好奇心です。つまり馬鹿はこの好奇心を覚えません。
最後に共感的好奇心
これは人間やペット、動物園や水族館にいる生き物へ、どんなことを思っているんだろう、どんなことを考えているんだろう、と知りたくなる感覚です。この共感的好奇心において勘違いをしてはいけないのが、例えば、その人の好きなものはなにかなあ、と思うのは拡散的好奇心であって、相手の気持ちについて考えなければ共感的にはならないのです。
さてさて、ガチ勢が知的好奇心を満たそうとしているのは説明するまでもないでしょう。
ではエンジョイ勢と呼ばれる方々は一体どういう刺激を求めてゲームをしているのでしょうか。
そもそも趣味をするのはなぜでしょう?
→楽しいからです。
なぜ楽しいんでしょう?
→脳へ刺激を与えてくれるからです。
ガチ勢の人への考察はすごく簡単です。ゲームがうまくなりたい……このように書くと曖昧な表現になってしまうので、やはり好奇心の三種類のなかでも、知的好奇心が高いと表現しましょう。これはなぜという説明はできませんね、あくまで感覚なので。
彼らは元々の知識を前提に、その先の奥深い知識を求めてゲームをプレイしたり練習したりしています。ただ新しい知識や経験を手に入れるのが楽しいのです。
ではエンジョイ勢の方々は……?
そう、これが難しいのですよ。
彼らは知的好奇心がないわけではありませんが、それに快感を覚えているわけではないようです。うまくなりたいという気持ちがゼロではないのですが、新しい技術や経験を手に入れなくても、楽しみを覚えられるようです。
となれば、残ってる二種類から好奇心を得ていることになります。
拡散的好奇心と共感的好奇心――――。つまり、こう推察できますね。
例えば
・ボイスチャットをつなげて、友人や見知らぬ人とコミュニケーションを取ることが楽しい→拡散的+共感的
・いろんなゲームを転々とプレイする→拡散的
・ゲームが終わった後のクールタイムで、身内と深い話をするのが好き→共感的
(ガチ勢の方が共感的好奇心に欠けているというわけではないですよ)
このように、そもそも満たしている好奇心の種類の差がエンジョイ勢とガチ勢に別れさせている原因なんですねー。
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『なんで別れているのか』について書き終えたところで、ちょっとおまけでガチ勢が見下しガチな理由について書きます。(ガチ勢なだけに見下しガチ)
そもそもなんですけど、知的好奇心ってのは拡散的好奇心の上位に位置づけられています。上位と言っても、偉いとかそういう意味じゃないですよ。
だって、拡散的好奇心で得た表層的な情報を、より詳しく深めたいと思うのが知的好奇心なんですよ。
拡散が前提→知的が高度で間違いないでしょう。
それで、世間一般ではtwitterにドハマリしてる人と研究者だと後者のほうが偉いって言われがちですよね。
好奇心の種類の差でしかないのにもかかわらず、ただの順番の流れでしかないのにもかかわらず。
拡散的好奇心が前提、その後に来るのが知的好奇心っていうだけで、ガチ勢はエンジョイ勢を見下すのです。
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さらにおまけ。どうやってガチ勢が生まれるのか、についてです。
んー、しかし適切な表現ではないな。
どうやったら拡散的好奇心が知的好奇心に進化しやすいのか? です。
これは、つまりどうやったら勉強が好きになれますか?ってことです。
拡散的好奇心が進化したら知的好奇心になるわけなんですけど、進化させるにはコツがあるんですよ。
例をあげるなら自分の子供へ勉強をさせる、勉強を好きにさせるコツってことです。
ひとつ、無知と有知のバランス
ふたつ、現実と想像の違い、そのバランス
まず皆さんに質問です。
知らなさ過ぎることに興味ありますか?
知りすぎていることに興味ありますか?
例えば
自分は車に興味ないです。軽トラックとフェラーリの違いが分かりません。見た目は違いますけど格好良さの区別はほぼつきません。どっちも変わらん。
ラグビーとアメフトの違いとか知りません。ルールの違いについて興味もありません。
youtubeで化粧の動画とか見ようと思いません。男なんで関係ないんすよ。
残念ながら自分は最強に知見を得ていることがないので数学者を例えに出します。
「数学得意です。代数学はマジ得意、正直極めすぎて問題とかあんま解く気にならん。え? 確率論? そっちはまだまだかな、勉強してえ」
ってことなんですよ。
知らなさ過ぎること、自分の持っている情報が少なすぎる。こうなると人間は怯え、恐怖、怠惰な感情になっちゃうんです。
唯一、愛情を与えられた赤子だけですね、あれだけ未知の世界でも拡散的好奇心に長けているのは。あれは特別です。
逆に知りすぎていることって、共感的好奇心とかにはなりやすくても今更学ぶこともないんで好奇心もクソもないんですよね。
これが無知と有知のバランスです。
物事を好きになるには、中途半端に知っていることが大切なんです。
だから勉強が好きじゃないやつはとりあえず勉強をしてみればいいと思います。そんでちょっと良い結果が一回でも出たら勉強への嫌悪感自体は減ってます。
親目線で言うなら、マジでちびっこのときから勉強を教えておけば、勉強への嫌悪感はないはずです。中学生ぐらいから塾にぶちこむほうが勉強嫌いになりやすい。
次、現実と想像の違い、そのバランスについてですね。
人間って、想像通りに事が行くとつまらんのです。
想像通りに事が進むと、それはすべて作業になっちゃうんですよね。
自分が想像した世界と、現実で起こることが違うと好奇心が生まれるんですよ。
「んー、ここまで予想通り。でもここからは違う。どこで仮定を間違えた?」
それを追求したくなるのが知的好奇心ってことです。
逆に、想像と現実が違いすぎると人間は諦めちゃうんですよね。自己防衛機能なのかなにか知りませんけど、おそらく人間に備わった機能なんだと思います。生命の本能に直結してることなんじゃないかな。
まあそんなこんなで、好奇心のお話でした。
エンジョイ勢とガチ勢がなんで分かれているのかとか、もはや脱線してる。