この宗教は概念です。
教祖や施設などは存在しません。
カメラのレンズを通して相手から見られるということは、自分の知りえない範疇で自分を解釈されるということです。
そこには自己の権限が及ばず、自分の意図しない形で自己が解釈されるというリスクを伴います。
この宗教は、そういったリスクから距離を置きたい人たちのための心の拠り所となる宗教です。
この宗教には縛りもないし、気が向いたら被写体となっても構いません。身分証明書用の写真など、拒否すれば社会生活に支障をきたす場合もあるでしょう。
しかし忘れてはいけないことは、写真や動画に撮られる回数が減るほど、リスクも減り、心に平穏が訪れるということです。
この宗教は営利目的でもなければ、人と人の交流を目的としたものでもないため、布教が意味を成しません。
この宗教は、同じ通念を持つ人々が社会的に認められるように宗教としての体勢を整えたものに過ぎません。これは「撮影されない」という多様性を世間に認知させるためのWebページです。