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【追悼】志村けんが語った笑いと人生「笑ってるとさ、また頑張ろうって思えるじゃない」

2012年のロングインタビュー公開

2020/03/30

source : 週刊文春 2012年10月11日号

genre : エンタメ, 芸能, テレビ・ラジオ

 新型コロナウイルスによる重度の肺炎を患い入院中だった志村けんが、3月29日に逝去したことが分かった。70歳だった。

 自分のことはあまり語りたがらない志村だが、芸能界40周年という節目にその半生を語った「週刊文春」2012年10月11号掲載のロングインタビューを再編集の上、公開する。なお、記事中の年齢、日付、肩書などは掲載時のまま。

(出典:「週刊文春」2012年10月11日号 取材・構成:中村竜太郎)

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「8時だョ! 全員集合」で活躍し、その後は自らの番組で「バカ殿」をはじめ様々な人気キャラやギャグを生み出してきた志村けん。実は私生活では寡黙で、マスコミに自らについて語ることも少ないが、芸能生活40周年を機に、その半生を秘話を交えて振り返った。

志村けんさん ©文藝春秋

苦く切ない小1の時の運動会

志村 俺、東村山出身でしょう。俺の子供の頃は本当に田舎で、小学校4年までは分校に通ってたんだ。小1の時の運動会でね、徒競走のスタートラインで並んで待ってたら、緊張で胸がドキドキしてさ、スタートのピストルがパーンと鳴った瞬間、ブリブリッと、うんちを漏らしちゃったのよ(笑)。パンツがじっとり重くなって、やっぱ、なんだかにおうんだよねえ(笑)。

 他のみんなは夢中でトラックを走っていくじゃない? けど俺はその背中を一瞬目で追って、その場にしゃがみこんじゃって、恥ずかしいやらなにやらで、今でもよくわかんないんだけど、誰かに声を出して、何かを訴えるわけでもなく、左腕で両目を押さえてそのまま号泣したのよ(笑)。まわりの大人に「志村くん、志村くん」って体を支えられて、たぶんトイレに連れて行かれたのかなあ、その後のことはあんまり憶えてないんだよね。応援していた家族も心配しただろうね、けど、後で真相を知って「困った子だね」と笑ったんだろうね。

 青く澄んだ秋空に万国旗がはためく晴れの運動会は、苦く切ない思い出。しかし、今ではそれも人を笑わせるための小話だ。

 志村けん、職業コメディアン。1950年2月20日生まれの62歳。あの北野武が「天才」と絶賛するお笑いの才能を持ち、ザ・ドリフターズの一員としてはもちろん、「バカ殿」「変なおじさん」「ひとみばあさん」などのキャラクターや「アイーン」などのギャグで、日本中を笑いの渦に巻き込んできた。

お笑い以外の仕事はほとんど断ってきた「コント職人」

 お笑い一筋で、「コント職人」とも称される。お笑い以外の仕事はほとんど断り、これまで映画に出たのは高倉健に直接頼まれて断れなかった「鉄道員(ぽっぽや)」だけだった。それだけに、2012年、アメリカのアニメ映画「ロラックスおじさんの秘密の種」(10月6日公開)で、初めて主人公の声優(日本語吹き替え版)に挑戦したことは話題になった。

志村 慣れないから、意外と苦戦しましたね。タイミングの取り方とか、声の抑揚とか、アニメの動きに合わせるのって簡単じゃないですよ。普段やってるおじさんはちょっと下ネタ関係が多いけど(笑)、この映画の主人公はすごくいいおじさん。いい経験をさせてもらいました。

 そんな志村を周囲は「もともとは極度の照れ屋」と評する。そのため自分のお笑い人生を語ることもほとんどなかった。そんな志村が芸能生活40年を機に、第一線を走り続けてきた足跡を語った。