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2020/03/30

source : 週刊文春 2012年10月11日号

genre : エンタメ, 芸能, テレビ・ラジオ

父は元軍人の小学校教諭、厳格な家庭だった

志村 俺の父親は元軍人で、戦後は小学校の教諭をやって、僕が子供の頃は教頭だったんです。厳格な家庭で、冗談言うのもはばかられるような空気。地元の友達も「志村の親父は怖い」っていうくらいの人で、柔道も師範五段の猛者なんです。本来なら文武両道で教育されるんでしょうけど、上に兄貴が2人いたせいか、末っ子の僕は「勉強しろ」って言われた記憶はないです。父親は校長に昇進する試験かなんかで、帰宅すると書斎にこもりっきり。だから父親と喋った記憶がなくて、和気あいあいなイメージはまったくない(笑)。

 父親がそんなだから家は重苦しい雰囲気なんだけど、中学時代テレビで放映していたエノケン(榎本健一)さんの「雲の上団五郎一座」が、僕大好きで、家族でそれを見てると、あの堅物な父親が笑いをこらえてんだよ。それを見て、素直にお笑いっていいなって思ったのが、お笑いを志すきっかけかな。

©文藝春秋

 志村は東京都立久留米高校に進学。同校ではサッカー部でゴールキーパーとして在籍。後輩には日本代表の中村憲剛がいる。

高校卒業間際、いかりや長介の自宅を訪ねて……

志村 高校2年くらいからまわりが全部受験勉強ばっかりやりだして、高2の最初の頃、進路相談で担任の先生に「志村、どうするの? 大学行かないの?」って聞かれたから「大学は行きません」って答えた。「じゃ、何するの?」って言うから「お笑いです」ときっぱり答えたんです。先生が「どこかあてがあんのか?」って言うから、「ないですけど」って言ったら、「由利徹さんの知り合いがいるから」って紹介されて、由利さんに会いに行ったんですね。そこで「大学へ行くべきですか」って聞いたら、「大学へ行ってる4年間、もったいないよ」って言われて。ただ、その時由利さんはお弟子さんがたくさんいらして「うちでは雇えない」って言われたんです。

 で、どうしようかなと思った時、コント55号かドリフのどちらかに弟子入りしようと考えたんです。どっちがいいかなと迷ったんだけど、子供の時から音楽が大好きで、コミックバンドをやっていたドリフにしようと。

 昔、月刊平凡にスターの住所が載っていたんですよ。それを頼りに、卒業間際の2月にいかりや(長介)さんのご自宅へ訪ねて行きました。朝から待って、寒くてね、雪が降って、夜中にいかりやさんが戻ってらして。おっかなかったんですが、「付き人になりたいんです」って直訴したんです。そしたら「バンドボーイは定員の3人いるから、今はダメだ」って断られちゃった。ところが1週間後に「すぐ後楽園ホールへ来い」って連絡があって、後楽園に行った。「一人辞めたから、使うから」って言われて、「じゃ卒業したらお願いします」って言ったら、「いやいや、いますぐ」って。で、その次の日から東北に1週間巡業に行きましたね。卒業式の日だけ何時間かもらって、卒業式だけ出たのは憶えています。