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保阪正康
保阪正康
作家
1939年、北海道生まれ。同志社大卒。編集者を経て「死なう団事件」でデビュー。「昭和天皇 」など著書多数。2004年、一連の昭和史研究で菊池寛賞。

参謀本部は傍受する敵のラジオ放送を都合よく解釈した

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 しかし参謀本部作戦部の空気は何としてもガダルカナル奪回の方針を変えなかった。傍受しているアメリカのラジオ放送で、アメリカ軍の部隊が日本の攻撃に手を焼いていると放送しているのも理由とされた。実はこの放送はアメリカ国内に向けて、苦戦しているけれども戦っているとのキャンペーンに過ぎなかったのだ。それを日本側の参謀たちは都合よく解釈したのである。  ならばさらに兵力をつぎ込んで奪回してしまえということになった。そこで大本営は、第2師団の主力、第38師団の一部など総兵力1万8000人の兵士を送り込むことを決めた。いろいろと曲折があったにせよ、これで決着がつくだろうというのであった。どこまでも楽観論であった。 =つづく

ガダルカナル島、ホニアラのジャングルを清流沿いに行く日本兵遺骨調査団一行=派遣団員撮影、1955年(昭和30年)2月11日(C)共同通信社

 ガダルカナル戦の推移は極めてわかりやすい構図で進んだ。日本側がアメリカ軍の上陸戦力を読み違えて、対応する兵力を間に合わせのような状態で送ったのである。言い方を変えれば、アメリカ軍の上陸戦力が10なのに3と予想して3に対抗する戦力を送っては戦果を期待していたのだ。兵士たちがどれほ…

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