「スターへの道は細くて長い」――。厳しい審査を突破し、10週勝ち抜ける芸人は一握り。今や大御所となった芸人たちが、若さと勢いでぶつかりあっていた。
中尾 漫才ブームに火をつけたと言われる『THE MANZAI』とほぼ同時期に始まったのが、私が司会を務めた『お笑いスター誕生!!』でした。
コロッケ そうでしたね。どちらも'80年4月に始まってます。当時はお笑い番組が少なくて若手、ましてやアマチュアが出られるコンテスト番組なんてほとんどありませんでした。
当時僕は上京したばかりで、よくショーパブに出させてもらっていたのですが、なんとかしてこの番組に出たいと思っていました。そもそも『お笑いスタ誕』はどんなきっかけで始めることになったんですか?
赤尾 番組タイトル通りだけど、歌番組の『スター誕生!』をお笑いの世界でやってみたら面白いんじゃないか、と思ったのが最初のきっかけだね。
中尾 本当にそのまんま(笑)。
赤尾 それ以前に、似た番組があるにはあったんだ。ただ、面白くないとネタの途中で、強制的に終わらせるような容赦のない番組ばかりだった。
俺は日テレから独立後、制作会社を設立して『金曜10時!うわさのチャンネル!!』なんかを手掛けてたんだけど、そこでまだ無名だったタモリさんを起用したりしていた。その頃から地位を確立している芸能人を使って番組を作るのがあまり好きじゃなかったんだ。
中尾 赤尾さんは元々、若い才能を発掘してスターに育てる、まさに『お笑いスタ誕』的な番組作りをしていたんですね。
赤尾 「あの人は俺が育てた」なんて意識は全くないよ。ただ、一貫して番組と演者が一緒に成長していくような番組を目指してた。出演者が輝いてくると、そのエネルギーがブラウン管を通して視聴者に伝わる。その結果、番組が当たるんだよ。
コロッケ まさに、『お笑いスタ誕』のことですね。素人同然の僕としては大変ありがたかったですが、ネタを最後までやらせることにもこだわりがあったんですね。
赤尾 とにかく俺は芸人さんにスターになってほしかった。それなのに、途中で止めさせるなんて残酷じゃない? 本気のネタを全て披露してもらって、それを厳正にジャッジしてもらう。
単純な話だよ。面白ければ合格するんだもん。そのほうが、芸人もやりがいがあるだろうしね。