コロッケ なるほど。それで、合格を10週積み重ねてグランプリを目指すという過酷なコンセプトが生まれたんですね。
中尾 「過酷」とか「厳しさ」っていうのは、この番組を語る上で、欠かせませんよね。現場では、いつも赤尾さんの「バカヤロー」という怒号が響き渡ってましたから(笑)。オーディションも相当厳しかったみたいね。
コロッケ はい。ふざけなきゃいけないんだけど、ふざけちゃいけないような、ただならぬ空気が漂ってましたね。オーディション会場だった日テレの四番町別館に初めて行った時のことははっきり覚えてますよ。
僕は化粧してラメのパンツにヒールという出で立ちで、部屋に入ったんです。そしたら赤尾さんが僕をちらっと見て、「誰だよ、あれ入れたのは」ってボソッと呟いたんですよ。
赤尾 そんなこと言った記憶ないな(笑)。ただやけに目立つ奴が来てるな、とは思ってたけどね。
中尾 当時のコロッケはかなり派手でしたし、ソッチ系の雰囲気もあったのよね。
赤尾 そうそう。こう言っては失礼だけど得体のしれない奴って感じだった。ただ、オーディションのときは、順番が来ると、コロッケが俺の前で突然顔を変えたんだ
いや、あの時は嬉しかったよ。というのも、この番組を始めるときに書いた企画書のなかに、漫才、落語、コントの他に「百面相」って書いてたんだよ。
まあ、あらゆる芸を持った芸人を登場させるという意味合いで書いただけで、本当に百面相が出てくるなんてこれっぽっちも思ってなかった。それが、突然目の前に現れたんだから驚いたよ。
コロッケ そうだったんですか。あの時はネタのときに流すカセットデッキのボタンをうまく押せなくなるぐらい緊張してたんですが、ネタが終わったら、褒めていただいたのは覚えてます。
赤尾 とにかく面白かったからね。特に山口百恵が印象的だった。顔がパッと変わるのではなく、徐々に変わっていくんだよ。見てると、いつから百恵になったのか分からなくなる。夢を見てるんじゃないかって感覚は初めてだったよ。
本番でやった時は、審査員のタモリさんも絶賛してたよね。ただ、一つ一つのネタは面白いんだけどまだショーパブ用の見せ方をしてたから、テレビサイズのネタになるようにオーディションで若干アドバイスはしたね。
コロッケ テレビではあまりタラタラやらず、もうちょっと観たいなってところで止めたほうが飽きられないという赤尾さんの助言は、今でも大事にしてます。
中尾 いろんなジャンルの芸人さんが出てましたけど、オーディションを通過するかどうかの判断基準は何だったんですか?
赤尾 俺が面白いと思うか、ただそれだけ。当時はそれだけ自分の感覚に自信を持ってたんだ。常に大衆の一人であろうと努めていたからね。
つまらなければ、ベテランだろうが学生だろうが出場できない。面白ければ誰だって出られる。面白いんだけど、もう少しの場合はアドバイスして、次回のオーディションまでに改善させた。
コロッケ それで、OKのネタが3週分溜まったら、出演できることになってたんですよね。
中尾 出演するだけでも、すごく大変なのね。私はリハもなしで本番に出るだけだったから、その辺の事情はよく知らないのよ。
赤尾 司会のミエちゃんと山田康雄さんには、本番で初めてネタを見て、素のリアクションをしてもらいたかったからね。
コロッケ 司会のお二人にはずいぶん救っていただきました。ネタがウケなかった時に「大丈夫、面白かったよ」って必ずフォローしてくれたんですよね。
東京に出てきたばかりで、芸能界の知り合いなんていませんでしたから。大先輩がかけてくださった言葉が嬉しかったですね。そういえば、歌手のイメージが強かったミエさんをどうして司会に抜擢したんですか?
赤尾 司会にただのアシスタントではなく、自分を持ってる人をキャスティングしたかったんだ。ミエちゃんはズバズバ発言するタイプだから、山田さんとの組み合わせでハプニング的に面白いトークが生まれるかもしれないと思ったんだよね。
だけど、ミエちゃんは期待以上だったね。ときに厳しいお母さんのような役割を果たしてくれて本当にありがたかった。