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無限地獄を突破した俺は、気付いたら最強になっていた~落第剣士の剣術無双~ 作者:月島 秀一
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落第剣士と無限地獄【一】

本日より、『毎日更新』開始!


 黒影(くろかげ)時近(ときちか)、十五歳。


 俺は今、地獄にいた。


「なんで、どうして……っ」


 目の前に広がるのは――煌々(こうこう)と燃え盛る我が家と無残にも踏み荒らされた畑。

 辺り一帯には、焼けた(すす)と濃密な血のにおいが漂っている。


「父さん、母さん、時男(ときお)時子(ときこ)……っ」


 いったいどうして、こんなことになってしまったのだろう。


 明正(めいしょう)十五年一月十日。


 忘れもしない。

 悪夢の一日だ。



 その悪夢の一日は、ゆっくりと穏やかに始まった。


 早朝五時。

 いつもの時間に目を覚ました俺は、顔を洗って歯を磨き、簡単に朝支度を済ませていく。


 鏡に映った自分の髪は、『黒影(くろかげ)』という苗字を反映したかのように真っ黒。

 この漆黒の髪は父さん譲りで、柔らかい目と口元は母さんにそっくりだ。


(うーん、ちょっと伸びてきたかな?)


 髪の先端が少し肩口にかかっている。そろそろ切ってもいい頃合かもしれない。


 身長は百六十五センチ。


(立派な剣士を目指す身としては、もうちょっとがんばりたいところだけど……)


 俺はまだ十五歳になったばかり、今後の伸びしろに期待というやつだ。


 長着(ながぎ)(はかま)についた(しわ)を伸ばし、白い菱紋(ひしもん)のあしらわれた黒い羽織を着る。


「さて、そろそろ動くか」


 最低限の身だしなみを整えた俺は、今年で五歳になる弟と三歳になったばかりの妹を起こしに向かった。


「――時男(ときお)時子(ときこ)。もう朝だぞー?」


 布団に(くる)まって、気持ちよさそうに眠る二人。

 その肩を優しく揺すってやると、


「ん、んんー……。あれ、もう朝……?」


「ふわぁ……。おはよぅ、お兄ちゃん……」


 寝ぼけまなこを擦りながら、ゆっくりと上体を起こす。


「あぁ、おはよう。母さんが朝ごはんを作ってくれているから、今のうちに顔を洗っておいで」


「「はぁい……」」


 覚束(おぼつか)ない足取りで洗面所へ向かう時男と時子を見送った後は、すぐに雪駄(せった)を履いて家の外へ出た。


 寒空の下には一面の雪が敷き詰められ、真っ白な吐息が風に乗って消えていく。


「ふぅ、今日も冷えるな……」


 美しい白雪に足跡をつけながら、家の裏手へ向かう。


 するとそこには、畑仕事に精を出す父さんの姿があった。


「――おはよう、父さん」


 俺が軽く右手をあげてそう挨拶をすれば、


「おはよう、時近。いつも、ゴホゴホ……っ。手伝ってもらってすまないな」


 彼は咳き込みながら、柔らかく微笑んだ。


「そんなことは気にしないでくれ。それよりも……体は大丈夫なのか?」


 父さんは昔からあまり体が強くない。

 特に今みたく冬の時期は、寝込んでいることが多い。


「あぁ、最近は少し調子がいいんだ。きっと『時の神様』が見てくださっているんだろうな」


 彼はそう言いながら、雪の下に眠る大きなキャベツを収穫していく。


 時の神様とは、黒影(くろかげ)家が代々(たてまつ)る神様の名前だ。

 遥か昔に交わした『時の盟約』により、うちの『守り神』となってくれているらしい。


(時の盟約については、あまり詳しく教えてもらっていないけれど……)


 なんでもいつか必ず来るという『約束の時』、そのときまで続く大切な約束だそうだ。


「ときに……どうだ時近(ときちか)抜けそうか(・・・・・)?」


 父さんは作業の手を止め、ジッとこちらを見つめた。


 その視線の先にあったのは、


「ん……? あぁ、これ(・・)のことか」


時渡(ときわたり)(かたな)』。俺が十二の誕生日を迎えたときに彼から譲り受けた家宝で、肌身離さず持ち歩くよう言われている。


「一応毎日試してはいるんだけど、全然抜けそうにないな」


 この古びた一振りは、ただの刀じゃない。

 時の神様の絶大な力が封じられた、伝説の刀だ。


(これを引き抜いた者は、その絶大な力を一身に(さず)かると言われているが……)


 千年間、誰一人として抜けた者はいないそうだ。


 実際俺も幾度となく挑戦しているけど、ピクリとも動かない。

 きっとこの刀を抜けるのは、時の神様に選ばれた剣士だけなんだろう。


「そうか……。以前にも話したと思うが、俺は(・・)駄目(・・)だった(・・・)。しかし、お前ならきっと引き抜ける。何故かそんな気がするんだ」


「あ、あはは……。まぁ頑張ってみるよ」 


 父さんのように優れた剣士でも抜けない刀。

 とてもじゃないが、俺なんかに抜ける代物には思えなかった。


 それから俺たちは、ただ黙々と冬野菜の収穫に励む。


(おっ、今年のはいつにも増していい出来映えだな……!)


 雪の下で熟成された圧倒的『甘み』と『旨み』。

 都で売れば、きっといい値が付いてくれるだろう。


 そうして朝の畑仕事を終えた後は、家族みんなで朝ごはんを囲み、その後はすぐに剣術寺へ向かう支度を始めた。


 授業で使う木刀を腰に差し、足にしっかりと脚絆(きゃはん)を巻く。


「――これでよしっと。それじゃ、行ってくるよ」


「あぁ、気を付けてな」


「時近、怪我だけはしないようにね?」


 父さんと母さんは、いつものように玄関口まで見送りにきてくれた。


「うん、ありがとう」


 俺がそう返事をすると、


「兄ちゃん……!」


「お兄ちゃん、早く帰ってきてね?」


 時男と時子がこちらへ駆け寄ってきた。


「あぁ、わかったよ。その代わり、ちゃんといい子にしておくんだぞ?」


 ワシワシと二人の頭を撫でてやると、


「「うん!」」


 時男と時子は、太陽のように眩しい笑顔を浮かべたのだった。



 姓は黒影(くろかげ)、名は時近(ときちか)――俺は五人家族の長男坊だ。

 父は時臣(ときおみ)、母は千代(ちよ)

 弟の時男(ときお)と妹の時子(ときこ)


 生活に余裕はないが、家族の仲はとてもよく、幸せな毎日を送っている。


 そんな中、ただ一つ嫌なことがあるとすれば……今向かっている『御堂(みどう)剣術寺』の環境だ。


 そこは古いお堂を改築して作られた、山のふもとにポツンと建つ小さなお寺。

 常勤の先生は二人。通っている学生は、俺を含めてわずか三十人。

 剣術を学ぶために、みんな近くの村や街から足を運んでいる。


「ふぅ……」


 御堂(みどう)剣術寺に到着した俺は、意を決して教室の扉を開いた。


 するとその瞬間、


「――おいおい、なんか急に野菜くさくなってきたな」


「ははっ、貧乏農家の時近(ときちか)が来たからじゃねぇか?」


「どうせなんの才能もないんだから、剣術の道はさっさと諦めて、得意の畑仕事に専念したらいいのになぁ」


 同級生のみんなたちから、心ない発言と嘲笑を飛ばされた。


「……」


 俺は何も聞こえていないふりをして、自分の席へ座った。

 教室の奥で書類仕事をしている先生は、ひどいいじめの現場を目にしながら――何も動いてくれない。

 いわゆる『見て見ぬふり』というやつだ。


 それから五分ほど経ったところで、ゴーンゴーンと鐘を突く音が鳴った。

 授業の始まる合図だ。


「――ようし、今日は『試合稽古』をやるぞ。みんな、外に集まってくれ」


 先生がパンパンと手を打ち鳴らし、俺たちは一斉に移動を始めた。



 御堂(みどう)剣術寺の正面に広がる平原。

 俺たちは木刀を持ってそこへ集合し、出席番号順に並ぶ。


 これから行われるのは試合稽古、生徒同士で剣を交える実戦形式の授業なんだが……。


「なぁ、先生ー。時近(ときちか)なんかとやっても、弱い者イジメにしかならないって……。誰か別の相手に変えてくれよ」


 俺と対戦することになった男子生徒――須藤久彦(すどうひさひこ)は、チラチラとこちらを見ながら、嫌味まじりにそう言った。


 こいつは御堂剣術で一番腕の立つ剣士なのだが……正直言って、好きじゃない。

 いじめの主犯格で、いつも俺に意地悪ばかりしてくるからだ。


「んー、確かにそうだな……。それじゃ一丁、俺とやるか?」


「おっ、先生が相手か! こいつは腕が鳴るぜ!」


 先生と久彦(ひさひこ)は、何やら楽しそうに話を進めていく。


「あ、あの、俺は……?」


 相手がいなくなり、手持ち無沙汰となった俺は先生の指示を仰ぐ。


「あー、時近は……。そうだな、端の方で素振りでもしててくれ。くれぐれも、みんなの邪魔にならないようにな?」


 彼は面倒くさそうに頭を()き、薄暗い木陰を指差した。


「……はい、わかりました」


 言われた通りにそこへ移動し、一人寂しく剣を振るう。


(……悔しい)


 どうしようもなく悔しいけど、この現状を受け入れるしかなかった。


 なぜなら俺には、全くと言っていいほど『剣術の才能』がないのだ。


 日向(ひなた)の方へ目を向けると――みんなは、火・水・雲など『因子(いんし)の力』を操った、高度な剣戟(けんげき)を繰り広げている。


(……いいな)


 因子とはすなわち、剣術の才能だ。

 火の因子・水の因子・雲の因子・花の因子・雷の因子などなど……。

 人はみんな、なんらしかの因子を持って生まれてくる。


 火の因子を持つ者は、火の神の力を

 水の因子を持つ者は、水の神の力を。

 雲の因子を持つ者は、雲の神の力を得る。


 俺たち剣士は、因子の力を引き出せるよう厳しい修業を行う。


 ただ――『誰がどんな因子を持つのか』、それは生まれた瞬間に決められてしまう。

 どれだけ努力しても、必死にもがいても、自分の力で手に入れることは決してできない。


 そして俺は……なんの(・・・)因子も(・・・)持たず(・・・)この世に(・・・・)生まれ(・・・)落ちた(・・・)


 都で『適性検査』を受けた際、はっきりと言われたのだ。


【まさか、なんの因子も持たない人間がいるだなんて……。とにかく、お気の毒としか申し上げられません……】


 あの日――検査員の女性に言われたその言葉を、俺は一生忘れられないだろう。


(剣術において、因子の力は絶対だ……)


 実際、因子の力を身に付けたみんなには、何度やっても勝てなかった。


 その結果、ついた渾名(あだな)が『落第剣士』。


 今では剣術寺の笑い者になっている。


「くそ、くそ、くそ……っ」


 俺は悔しい思いを噛み締めながら、ただ我武者羅に剣を振るう。


 努力は報われない。

 夢は叶わない。

 願いは成らない。


 脳裏によぎる悪い想像を斬り捨てるように、周囲の雑音をかき消すように――ただひたすら剣を振り続けた。


 そうして午前の授業が終わったところで、俺は一人帰り支度を始める。

 今日は収穫した野菜を都で売るため、早退しなければならないのだ。


「ははっ、あいつ何しに来たんだよ」


「おいおい。『本業』に戻るんだから、邪魔しちゃダメだろ?」


「ここにいられても、迷惑なだけだしねー」


 同級生の嘲笑(ちょうしょう)を無視して、俺は御堂(みどう)剣術寺を後にした。


 そうして一旦自宅に帰った後は、家の前に置かれた荷車を引き、都の『神園(かみぞの)』へ向かう。


「ふぅふぅ……っ」


 今朝収穫した野菜が、山のように積まれた荷車。

 車輪が錆び付いていることもあって、これがなかなか重たいんだ。


 父さんは「俺も引いて行く」と言ったが、病弱な彼に無茶をさせるわけにはいかない。「これも、俺が立派な剣士になるための修業だ」、そんな風に言いくるめて、家で休んでもらうことにした。


 そうして険しい上り坂と下り坂を進み、ただ黙々と歩くこと数時間――ようやく都の神園(かみぞの)へ到着した。


「さて、もうひと頑張りするか!」


 両の頬を平手でパンパンと打ち、気合を入れる。


「野菜ー! 野菜ー! 今朝採れたばかりの新鮮な野菜は、いりませんかー!」


 俺は大きな声でそう叫びながら、神園の通りを練り歩くのだった。



 太陽が西の空に傾き始めた頃、俺はようやく一息をつくことができた。


「ふぅ、今日は大繁盛だったな……」


 荷車にこれでもかと載せられていた野菜は、今やもうすっからかんだ。


 その代わり、懐には丸々と太った革袋がある。

 これだけのお金があれば、この冬もなんとか越せそうだ。


「――そうだ。せっかくここまで来たんだから、みんなにうまいものを買って帰ろう!」


 父さんはこの時期体調が優れないのに、毎朝早くから畑仕事に励んでくれている。

 母さんは日中ずっと家事をして、夜は遅くまで内職をしてくれている。


 二人には、栄養価の高くて力のつくものを食べてもらいたい。


 そして何より、時男と時子はまだまだ育ち盛りだ。

 うまいものをいっぱい食べて、健やかに大きくなってほしい。


(うまくて、力の付くものと言えば……やっぱりお肉だな!)


 グルリと周囲を見回せば、ちょうどいい露店を見つけた。


「すみません。干し肉を四枚、いただけますか?」


「あいよ、まいどありぃ!」


 今日の売り上げが詰まった革袋から――ではなく、懐から取り出したボロボロのガマ口財布から代金を支払う。


 このお金は、俺がコツコツと貯めたお小遣いだ。

 ここから出せば、家計に響くことはない。


「ほれ、干し肉四枚だ。最近はこの辺りも物騒だからな、盗られねぇように注意しろよ?」


「はい、お気遣いありがとございます」


 竹の皮に包まれた、おいしそうな干し肉。

 俺はそれを大事に懐深くにしまい込む。


(ふふっ、みんな喜ぶだろうなぁ……!)


 そんなことを考えながら、路肩の端へ止めた荷車の方へ足を向けた。


 すると次の瞬間――けたたましい馬の(いなな)きが響いた。

 それと同時に、一台の馬車が凄まじい速度で目の前を駆け抜けていく。


(な、なんだ……!?)


 周囲が騒然となる中、その馬車は突然急停止し――身なりのいい男が、客車(きゃくしゃ)から転がり落ちてきた。


「だ、誰か、今すぐ『無限隊(むげんたい)』を呼んでくれ……!」


 彼は口の端から泡を吹きながら、焦点の合ってない目で叫び散らす。

 どう見ても、尋常(じんじょう)の様子じゃない。


(いったい、何があったんだろう?)


 俺がそんなことを考えていると――馬車の近くにいた衛兵が、事情を確認しに向かった。


「あんた、大丈夫か? そんなに慌てて、どうしたんだ?」


「よ、『妖魔』が……大量の妖魔が出た……! 大国(おおくに)村のすぐ傍だ! ここにも来るかもしれない! だから早く、無限隊に連絡してくれ!」


 身なりのいい男は、とんでもないことを口にした。


「「「よ、妖魔……!?」」」


 その瞬間、蜂の巣を突いたような騒ぎが起こる。


「ど、どうして大国村に妖魔が……!? あそこはほんの一か月前、無限隊が『伐採(ばっさい)』に行ってくれたはずよ!?」


「どこかに見落としがあったんだ……。くそ、なんてこった……っ」


「と、とにかく、無限隊に連絡しろ!」


 大混乱が起きる中、俺はただ呆然と立ち竦んでいた。


(大国村って……冗談、だよな……?)


 あの村は、俺の家から歩いて十分ほどの場所にある。

 そこに妖魔の大群が押し寄せたということは……みんなが危ない。


「……っ」


 俺は荷車を放り出し、一目散に駆け出した。



「はぁはぁはぁ……っ!」


 走った。

 走って走って走り続けた。


(父さん、母さん、時男、時子……っ)


 頼む。

 頼むからみんな、無事でいてくれ。


 冷たい風が肺を冷やし、耳の奥に鋭い痛みが走る。


 だけど、そんなことは気にもならなかった。


(きっと大丈夫……いいや、絶対に大丈夫だ……っ)


 万が一、妖魔がうちを襲ったとしても、家には父さんがいる。

 彼はかつて無限隊の一員として、数多(あまた)の妖魔を斬り捨ててきた凄腕の剣士だ。


 それに母さんだって、昔はとても優れた剣士だったと聞いている。


 二人とも数年前に一線を退いてからは、長らく剣を握っていないけど……。

 それでも並一通りの妖魔ならば、軽く三枚おろしにしてくれるはずだ。


(だから、絶対に大丈夫だ……っ)


 それから数時間、祈るようにして走り続けた俺は、ようやく自宅の前に到着し――我が目を疑った。


「うそ、だろ……?」


 そこはまさに『火の海』だった。


 十五年間、みんなで一緒に暮らした我が家には煌々と火の手が上がり、みんなで一緒に耕した畑は見るも無残に踏み荒らされていた。

 周囲に漂うのは、焼けた(すす)と血のにおい。


 まるで地獄のような光景が、どこまでも広がっていた。


「なんで、どうして……っ」


 今日はいつものように、ごく平凡な一日だったはずだ。

 それなのに……いったいどうして、こんなことになってしまったんだろう。


 俺が思わず膝を突いたそのとき、


「う゛、うぅ……っ」


 崩壊した自宅から、くぐもったうめき声が聞こえた。

 よくよく目を凝らせば、血まみれの父さんが縁側(えんがわ)で倒れているのが見えた。


「と、父さん……!?」


 俺はすぐさま彼のもとへ駆け寄り、その体を抱き起こす。


「父さん、大丈夫か!? 俺だ。時近だ! いったい、何があったんだ!?」


「はぁはぁ……。と、時近か……よく戻ってきてくれた、な」


 彼は焦点の合っていない目で、こちらを見つめた。


(傷が、深い……っ)


 その胸部には大きな穴が開き、絶えず血が溢れ出していた。


「とても強い、妖魔……だ。千代(ちよ)たちは……母さんたちは、裏口から逃がし――ゴホゴホ……ッ」


 父さんは震える手で南方を指差し、大きく咳き込んだ。

 そのたびに穴の空いた胸から鮮血が溢れ出し、血の海はどんどん広がっていく。


「と、とにかく、今すぐ病院へ……!」


 俺がそう言うと、彼は静かに首を横へ振った。


「いや、いい(・・)……。俺はもう、駄目……だ……。『火の因子』が尽きかけている。それよりもお前は、みんなを……守ってくれ……」


「ば、馬鹿なことを言うなよ! もう駄目とか、そんな……そんな悲しいこと言うなよ……っ」


 口ではそう言ったが、本当はわかっていた。


 父さんが、もうどうやっても助からないことを。


「は、はは……。お前は本当に優しい子だ、な……」


 彼は血まみれの手で俺の頭を撫ぜ、青白い顔で笑みを作った。


「――時近。俺の、最期の言葉だ……。よく、聞いてくれ……」


「……っ」


 最期の言葉。

 その響きは、俺の心にずっしりとのしかかった。


「『剣』というものは、決して……『才能』で振るうものじゃない。自分自身の根源――『心』で振るうもの、なん、だ……っ。はぁはぁ……と、時近、お前は誰よりも優しく、強い心を……持っている。お前ならばきっと、『無限地獄』のその先、へ、ゴホゴホ……ッ!?」


 父さんの口から、大きな血の塊がこぼれ落ちた。


「わかった、わかったから……もう喋っちゃ駄目だ……っ」


「お前ならば、たどり着ける……いつか絶対に突破できる……ッ。だから、みんなを頼んだ、ぞ……」


 彼はそう言ったきり、ピクリとも動かなくなった。


「父、さん……?」


 まるで蝋燭(ろうそく)の火が消えるように――息が途絶えた。

 彼を守護する火の因子が、完全に尽きてしまったのだ。


「……っ」


 その瞬間――父さんとの思い出が、頭の中を駆け巡った。


 楽しかった記憶。悲しかった記憶。怒られた記憶。


 様々な感情が爆発し、一筋の涙がこぼれ落ちた。


(……今は悲しみに暮れている場合じゃない……ッ)


 母さん・時男・時子、残された家族を守らなくちゃいけない。


 俺は溢れる涙を(ぬぐ)い、母さんたちの逃げた南方へ走り出した。



 それからしばらく走ったところで、俺は驚愕に目を見開いた。


「み、牛頭鬼(ミノタウロス)……!?」


 牛頭鬼(ミノタウロス)――(いか)めしい牛の頭と屈強な人間の体を併せ持つ妖魔だ。

 五メートルを超える巨大な体。

 その右手には、まるで大木のような棍棒が握られていた。


 そんな世にも恐ろしい化物と対峙(たいじ)するのは、真紅の刀を握り締めた母さん。その後ろには、恐怖で身を縮こまらせる時男と時子の姿があった。


 母さんと牛頭鬼(ミノタウロス)は互いに睨み合い――。


「火の太刀・参式(さんしき)――火炎車ッ!」


 火の因子を(たぎ)らせた彼女が、凄まじい速度で斬り掛かった。


 烈火を(まと)いし斬撃は、化物の胴体を一閃。


 しかし、


「ギュモモモモ……ッ!」


 その強靭な筋肉を断つことはかなわず、お返しとばかりに強烈な前蹴りが放たれた。


「か、ふ……!?」


 線の細い体が天高く舞い上がり――数秒後、重力に引かれて硬い地面に叩き付けられる。


「か、母さん……?」


 両腕と体の前部を砕かれた彼女は、もはやピクリとも動かない。 


 父さんに続いて、母さんまでやられてしまった。


「くそ、くそくそくそ……くそぉ……ッ!」


 怒り・悲しみ・悔しさ――様々な感情の奔流(ほんりゅう)に呑まれた俺は、授業用の木刀を引き抜き、それをへその前に置いた。


 正眼の構え、剣術における最も基礎的な構えだ。


(俺よりも遥かに強い父さんと母さんが、全く歯の立たなかった妖魔――牛頭鬼(ミノタウロス)


 逆立ちしたって、勝てる相手じゃない。

 そんなことは、他でもない自分が一番よくわかっている。


(だけど、それでも……ッ)


 大切な家族は――残された弟と妹だけは、何があっても守らなきゃいけないと思った。


「――時男、時子! 兄ちゃんが時間を稼ぐ、お前たちは今すぐ逃げろ!」


「に、兄ちゃん……っ」


「で、でも……」


 ぐずつく二人に対し、俺は大声を張り上げる。


「いいから早く行け! 俺だって、そう長くはもたない!」


 その声に反応し、化物がゆっくりとこちらを振り向く。


 俺と牛頭鬼(ミノタウロス)、互いの視線が交錯したそのとき、


「……ギュモォッ」


 奴は醜悪な笑みを浮かべた。


「……ッ」


 心臓が鷲掴みにされたかのような錯覚を覚えた。


(こ、怖い……っ)


 目の前に立つ化物が、数秒後に訪れる激痛が、避けようのない死が――ただただ怖かった。


 カタカタと震え出す足を拳で殴り付け、


「お、俺のことはいい……だから、お前たちは早く逃げろ!」


 立ち竦む時男(ときお)時子(ときこ)へ向けて叫ぶ。 


 すると次の瞬間――目と鼻の先に牛頭鬼(ミノタウロス)の姿があった。


「なっ、あ……!?」


 巨体に見合わぬ、恐るべき移動速度。


 自らの置かれた絶望的な状況に、思わず身を固めていると――。


「ギュゥ……モッ!」


 天高く振り上げられた棍棒が、なんの躊躇もなく振り下ろされた。


(父さん、母さん、時男、時子……ごめん……っ)


 コンマ数秒後の死を覚悟したそのとき、一筋の赤光(しゃっこう)が空を駆ける。


「火の太刀・死式(ししき)――煉獄憑依(れんごくひょうい)ッ!」


 刹那、


「ぎゅ、ギュモォオオオオ……!?」


 灼熱(しゃくねつ)業火(ごうか)牛頭鬼(ミノタウロス)を包み込んだ。


「この技は……母さん……!?」


 奴の足元に目を向ければ――彼女の折れた右手が、化物の足をしっかりと握り締めていた。


 火の太刀・死式――煉獄憑依。


 体中の『火の因子』を爆発的に燃やし、自らの命(・・・・)()引き換え(・・・・)にして(・・・)相手を(・・・)道連れ(・・・)にする(・・・)禁じ手(・・・)だ。


「時近……。二人を連れて……逃げなさぃ……っ」


 母さんは灼熱の業火にその身を焼かれながら、地獄のような痛みに耐えながら――それでも俺たちの身を案じ、逃げるようにと言った。


(……っ)


 俺は溢れ出る涙を噛み殺し、時男と時子のもとへ急ぐ。


「お、お母ちゃん……っ」


「一緒に逃げようよぉ……」


 壮絶な光景を目にした二人は、ボロボロと大粒の涙を流した。


 そんな時男と時子に対し――母さんは柔らかく微笑む。


「ごめん、ね……。お母さんは……この化物を抑えなきゃ、いけないの……っ。だから、みんなとは……ここでおわかれ、よ……」


「母さん……っ」


「い、嫌だよ……。そんなの絶対嫌だ……!」


「おわかれだなんて……、言わないでよぉ……っ」


 俺たち三人は泣きながら、煌々(こうこう)と燃え盛る彼女を見つめた。


「――時近、時男、時子。あなたたちの、こと……いつまでも、ずっと愛して――」


 母さんが全てを言い切る直前、


「――ギュ、モォオオオオオオオオンッ!」


 灼熱の業火を振り払った牛頭鬼(ミノタウロス)が、彼女の体を鷲掴(わしづか)みにし――力一杯地面へ叩き付けた。


「ギュモ、ギュモギュモォオオオオ……ッ!」


 奴はその後、何度も何度も母さんの細い体を踏み付けた。


 地鳴りのような音が響くたびに鮮血が舞い――残されたのは、真紅に染まる着物だけだった。


「……ッ」


「お母ちゃ、ん……?」


「う、そ……」


 目の前の現実が受け止め切れず、時男と時子はその場でへたり込んだ。


(よくも、よくも母さんを……ッ)


 血が(にじ)むほど拳を握り締めた俺は――怒りで沸騰しそうになる頭を振り、冷静に今すべきことを実行する。


「――時男、時子。お前たちはこのまま、真っ直ぐ南へ走れ。そうしたら、天根(あまね)村に付く。あそこには無限隊の詰め所があるから、すぐにそこへ飛び込むんだ」


「に、兄ちゃんは……?」


「お兄ちゃんはどうするの……?」


 二人は不安気な瞳で、そう問い掛けてきた。


「さっきも言ったが、俺はここであいつの足止めだ」


「む、無理だよ……。絶対に殺されちゃう……!」


「お兄ちゃんも一緒に逃げようよぉ……っ」


 時男と時子は、ブンブンと首を横へ振る。


「心配するな。俺はお前たちの兄ちゃんだ。十年以上も長く生きた。こういう事態に備えて、何年も剣術を学んできた。だから――大丈夫だ。兄ちゃんを信じて、今はただ逃げてくれ」


 俺は二人の頭をくしゃっと撫ぜてから、その小さな背中をトンと押した。


「さぁ、行ってくれ」


「う、うん……」


「……わかった」


 時男と時子が走り出したのを確認した後、いよいよ牛頭鬼(ミノタウロス)と向き合う。


「いくぞ、化物! うぉおおおおおおおお……ッ!」


 奴の注意がこちらへ向くよう大声を張り上げながら、全速力で駆け出す。


「――ハァッ!」


 力いっぱい木刀を握り締め、全体重を載せた渾身の一撃をぶつけてやった。

しかし、


「く、そ……っ」


 硬い。


 牛頭鬼(ミノタウロス)の腹筋は鋼のように硬く、まるでダメージを与えることができなかった。


「ギュモ」


 奴が軽く棍棒を振るったその瞬間、


「が、は……!?」


 とんでもない衝撃が左半身を襲い、蹴鞠(けまり)のようにはね飛ばされた。


 硬い地面に何度も全身を打ち付けられた俺は、


「はぁはぁ、はぁ……っ」


 うつ伏せまま荒い息を繰り返し、なんとか体の中へ空気を取り込もうとする。


(な、なんて馬鹿力だ……)


 体中が焼けるように熱く、鈍い痛みが全身を駆け抜けた。

 このままずっと、寝ていたいぐらいの最悪な気分だ。


(だけど、そういうわけにもいかない……ッ)


 時男と時子を逃がすためには、一秒でも長く時間を稼ぐ必要がある。

 そのためには、あの化物の注意を引かなくてはならない。


 二重・三重にブレる視界を気にも留めず、俺は両の足に力を込めていく。

 木刀は根元から折れていたが、幸いにも手と足は動いてくれた。


「まだ、だ……!」


 やっとの思いで立ち上がり、顔を上げると――牛頭鬼(ミノタウロス)の姿はどこにもなかった。


「ど、どこへ……?」


 その呟きへの答えは、最悪の形で訪れる。


「た、助けて、兄ちゃん……!」


「いや、来ないで……っ!」


 背後から、逼迫(ひっぱく)した悲鳴が聞こえてきた。


 慌てて振り返った俺の目に映ったのは、恐怖で身を固めた時男と時子。そして――そこへ押し迫る化物。


 奴は(ろく)に動けなくなった俺を一旦捨て置き、逃げようとする二人へ狙いを定めたのだ。


「ま、待て……やめろ……! 頼むから、やめてくれ……っ。頼む、頼むから……!」


 俺はボロボロの足を引きずり、すがりつくように手を伸ばす。


 しかし、必死の懇願(こんがん)も虚しく、牛頭鬼(ミノタウロス)はその大きな口を開けた。


 そして――。



 がしゅがしゅ、がぎゅ、がじゅがしゅがぎゅ……。



 思わず耳を塞ぎたくなるような、名状し難い異音が響き渡る。


 それに紛れて――時男と時子の助けを求める声が聞こえた。


「あ、あ゛ぁ……。あ゛ぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……ッ!?」


 父さんと母さんは殺され、守るべき弟と妹は目の前で食われ――全てを失った俺は、その場に崩れ落ちた。


「……は、はは、あっはははは……ッ。本当に、本当にどうしようもないなぁ、俺は……!」


 もう何年も剣を振り続けているのに……。

 同級生たちにいじめられながらも、必死になって剣術を学んだのに……。

 いつかみんなを守れる立派な剣士になることを夢見て、毎日毎日頑張ってきたのに……。


 ――大切な家族を誰一人として守れなかった。


 これまでの努力は全部、全部全部全部……無駄だった。


「俺は……弱い……ッ」


 自分の弱さが、才能のなさが、どうしようもなく情けなかった。


 悔し涙が(せき)を切ったように溢れ出し、聞き苦しい嗚咽(おえつ)(むな)しく木霊(こだま)する。


 すると――ズシンズシンという、規則的な足音が聞こえてきた。


 食事を終えた牛頭鬼(ミノタウロス)が、ゆっくりとこちらへ向かって来たのだ。


 俺は四つん這いのまま、右の拳をグッと握り締める。


(……力が、欲しい……ッ)


 今この瞬間だけでいい。

 ほんの一瞬だけでいい。


「……なんだってするから。どれだけつらいことでも、苦しいことでも、なんだってするから……。誰か……あの化物を倒す力を、みんなの仇を討つ力を……俺にくれよ……ッ」


 強く歯を食いしばり、地面に思いっ切り拳を振り下ろしたその瞬間――『カチャリ』という小さな音が聞こえた。


 音のした方へ目を向けるとそこには、時渡(ときわたり)の刀があった。


 俺はおもむろに、鞘に収まったその一振りを胸元へ運ぶ。


「なぁ、時の神様……あんた、うちの守り神なんだろ? この刀には、絶大な力が秘められているんだろ? 頼むよ、今この瞬間だけでいいんだ……力を貸してくれ。あの化物を斬り殺せるだけの力を……っ。みんなの仇を討つ力を……俺に貸してくれ……っ」


 俺はそんな願いを口にしながら、右手に力を込めていく。


 しかし――時渡りの刀はビクともしなかった。


 そうこうしているうちに、牛頭鬼(ミノタウロス)が俺の前に立つ。


「……ふざけるなよ。何が時の神様だ、何が黒影家の守り神だ……何が絶大な力を秘めた伝説の剣だ……ッ」


 俺は恨み言を述べながら、時渡の刀を握り締めた。


「ギュゥ……モッ!」


 化物が凄まじい勢いで棍棒が振り下ろす。


「『時の盟約』だかなんだか知らないけど……。『約束の時』は『今』なんだよ……! 今ここで抜けなきゃ、なんの意味もないだろうが……ッ!」


 思いの丈をぶちまけたそのとき――絶大な力を秘めた伝説の刀は、透き通るように美しい刀身を晒した。


「抜け、た……?」


 俺がポツリとそう呟いた次の瞬間、時渡の刀は眩い光を放ち――。


「あ、れ……?」


 次に目を開けたとき、俺は何もかもが真っ白な世界に立っていた。


「――待ち(・・)わび(・・)たぞ(・・)時近(ときちか)。よくぞ、よくぞここ(・・)へたどり着いた」


 正面には、立派な顎鬚を蓄えた謎の老剣士。


「さぁ、これより始めようか。時の秩序・無限地獄を……!」


 彼は両手を大きく広げ、会心の笑みを浮かべたのだった。

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