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 第6回の「いのちの道」議連を開きました。これまでの活動を検証し、かなりの影響を政界に与えることが出来たことには皆で達成感を感じることが出来ました。総理も予算委員会の場で「いのちの道」という言葉を用いられ、幹事長や党幹部も議連の活動を「よくやっている」といってくださいます。「いのちの道」という言葉がすっかり政界に定着したね!」「ネーミングのセンスが良いね!」などと言って私をからかう同僚議員もいます。しかしこの言葉は私が創ったものでは無く、宮崎などでは自然に使われていた心の叫びでした。野党の中にも、我々の主張がそれなりの波紋を広げているようです。本会を設立した大きな目的は、B/C(費用便益比)が道路建設を主たる判断基準としている現行制度の打破です。現行の採択基準を全否定する訳ではなく、余りに都会向に有利な内容の見直しと、補完を目指します。
いよいよ今週には予算も自然成立し、総選挙も目前となってきましたが、そこで今回の議連で自民党の政権公約に、【地域活性化や医療確保等のために不可欠な「命の道」を着実に整備するため、新たな評価の仕組みを作ります】の一文入れることを求める事で合意しました。麻生総理の言う「地方重視」姿勢をマニフェストに入れることで、はっきり国民に約束すべきです。
本日、
自由民主党四役には議連役員で提言書を改めて提出し、自由民主党選挙公約作成プロジェクトチームの先生方13名にも、それぞれ手分けして今日中に直接手渡し、その意義を訴えます。
前にも書きましたが、我々は行動する議連です。「当たって砕けろ!」の覚悟でこれからも活動を続けていきます。

「いのちの道」議員連盟が要請した政権公約の詳細はこちらです。

政経公約作成に向けた要請 
平成21年5月29日「いのちの道」議員連盟



                    


                    5月29日  江藤 拓










 北朝鮮の二度目の核実験を強行。核保有国であることを国際社会に認知する事を求めています。これまでもパキスタンなどは、結局現在核保有国として認められる事に成功しました。それを意識しての行動です。しかしこれだけは絶対に認めてはなりません。

韓国政府は大量破壊兵器拡散防止構想(PSI)への正式参加を決断したことに敬意を表します。PSIとは強制的に船舶検査や陸・空路などの積み荷検査を行うことが可能となり、核や大量破壊兵器拡散を阻止する事を目的としています。現在90カ国以上が参加していますが、これまでは南北の歴史的な背景などから不参加も止むを得ない選択だったでしょう。これに対し、北朝鮮は「宣戦布告とみなす!」と言い、朝鮮戦争休戦協定の無効まで言及するなど、これまでになく緊迫度は増しています。

国連安全保障理事会では大使級会議が始まり、新決議案も決まるでしょう。米国も追加金融制裁も検討しています。北のこれ以上の暴走を阻止するためには更に厳しい対応をするしかないのでしょう。今後、北の行動を抑制する為に、金融・経済・物流より厳しい制限がかかるでしょう。その結果、結局苦しむのは、北朝鮮人民であることを考えると気の毒でなりません。国家が国民を飢えさせることは、恥ずべきことです。特に北のエネルギー、食糧などのメインパイプである中国の対応が注目されます。

戦後60年、日本人からは遠い「自国への脅威」は、実は身近にあることを、今一度日本国民は自覚せねばなりません。




                    5月28日  江藤 拓












 新たな民主党代表が決まりました。自民党は党内の勢力争いばかりしているとよく批判されましたが、麻生総裁が誕生した最大の理由は各県の支持が圧倒的に麻生氏に集まったことでした。しかし今回の民主党の代表選では、若手は立候補することさえ小沢氏の豪腕で封じ込められた上で、凄まじい多数派工作が行われたようです。
そして、小沢氏は筆頭代表代行に就かれました。この筆頭代表代行は、選挙の公任権を仕切る役割で、限りなく総裁と同じ権限を持つことになります。
小沢氏は潜る(雲隠れ)ことをよく使う方ですが、表舞台から身を引いて院政を敷くのかと思っておりましたが、表舞台から引くことすらされなかったのは、余りにも意外でビックリいたしました。

ロッキード事件で逮捕されながら、影響力を拡大して「闇将軍」となった小沢氏の恩師・田中角栄元首相と同じ道を歩むのでしょうか。私がこのコラムで何度もコメントしたように「小沢氏は恐ろしくも凄い人」であることを皆さんも感じられたのではないでしょうか。何が何でも小沢氏自身が権力の中枢にいて、世代交代も許さず執念のようなものを感じました。民主党に民主主義はあるのでしょうか?
政党は政党支持者によって成り立っているものです。今回も民主党サポーターは蚊帳の外でした。実際に民主党福井県連は予備調査をしたようですし、民主党秋田県連は、県内約1400人を対象に、岡山県連でも約3,000人を対象に調査を行ったようですが・・・。全国遊説まで行わなくとも、インターネットを使ってサポーターの意見を反映させるアイデアも若手の中にはあったようですが、その声も党執行部には届きませんでした。
鳩山氏は「愛のあふれた、包容力のある社会をつくる」と訴えておられました。もちろん「愛」は大切な人間社会の要素です。しかしこの不景気の中で、国民の暮らしをいかに守るために、政治家としてどうすれば良いかを必死で考えて、補正予算の編成に取り組んできた私には、「お金持ち」の余裕のようなものすら感じられて、この危機の時代に対する切迫感のようなもの、必死さは感じられず違和感を感じました。岡田氏は政権交代を強く訴え、予算の組み換えや、無駄遣いを無くすことで、民主党の公約を実現すると言いながらも、「所要額が捻出できなければ、内容の変更もあり得る」と言われました。余りに選挙向けで現実性の薄い民主党のマニフェストの内容に、政権交代が実現して総理総裁になった 時の事を考えると、不安を感じているのではないかと私は推測します。それは逆に彼の真面目さを表していているもので、政治家として誠実な好印象を受けました。もし政権をとれば国民との約束は必ず果たさねばならないのですから。
両者の演説を聞いた時は、「これは岡田氏の勝ちだな」と確信しましたので予想外の結果でした。結局、西松事件への説明責任も果たされず、いつも「政策」より「政局」に終始した「小沢路線」を継承されることになるのかと思うと、うんざりする思いがします。
私は、国民は民主党に、自民党にはないクリーンさと若さに魅力を感じていたるのだと感じていました。そこに危機感を感じ、「早く自民党も変わらねば!」とあせりさえ感じていました。
それが今回の総裁選で「何だ、自民も民主も似たり寄ったりだな」という印象を与えたことでしょう。だからこそ、自民党の若手は上から押さえつけられるようなことは無く、新生自民党の創生に努力したいと思います。

土曜日に、テレビ朝日の「たけしのTVタックル」に出演しました。放送日は18日月曜 の21時です。
でも宮崎では民放では放送がないんですよね。ケーブルテレビでなら見れるようです。自民党からは西川公也代議士と私、民主党からは党を代表する若手の論客である原口一博代議士と松原仁代議士でした。道路問題について時間を大きく割くというお話で「いのちの道」議員連盟の会長として張り切って行ったのですが、 民主党の代表選の話がメインになった上に、民主党の原口代議士などはテレビ慣れしていて、頭も切れるし、まあ見事に割り込んででもしゃべるしゃべる!私は彼とは友人でもあり悪く言うつもりはありませんが、もう少し私にもしゃべらせて欲しかったなとは思います。しょせん悪いのは田舎者である私の力不足なのですが。道路問題については「これだけは主張しよう!」と用意した内容の1/10も発言できませんでした。正直、番組終了後ストレスが溜まり、秘書の三野君と川合君と自宅の近所の中華料理屋さんでけっこう飲んでしまいました。

それでも番組終了後凄く嬉しい事がありました。ビートたけしさんに「BROTHER」のDVDジャケットにサインを貰えたことです。私はたけしさんの映画のファンなので宝物になりました。たけしさんは穏やかな紳士で、やっぱり「世界の北野」のオーラがありました。


                        5月18日  江藤 拓











5月14 日(水)18:00より虎ノ門パストラル葵の間において「江藤拓希望ある未来を拓く政経セミナー」を開催させていただきました。
大変多くの方にご参加賜りました。有難うございました。


入場の様子

伊吹文明志帥会会長よりごあいさつ

野田聖子消費者行政担当大臣より
ごあいさつ

細田博之自民党幹事長よりごあいさつ

笹川尭自民党総務会長よりごあいさつ

石破茂農林水産大臣よりごあいさつ

中曽根弘文外務大臣よりごあいさつ

中川昭一志帥会会長代行よりごあいさつ

乾杯の様子


米良政美宮崎県議より
中締めのごあいさつ

ご歓談の中、みなさまと記念撮影をいたしました!












 小沢代表が辞任されました。新聞各社から感想を聞かれましたが、特別なものはありません。民主党内部の問題であり、代表を辞められても、実質オーナーは小沢氏で変わりはないと思うからです。鳩山氏か岡田氏に決まるようですが、岡田氏は私のアメリカ留学時代、一時期同じプログラムに在籍していたことがあります。物静かなまじめな方だという印象です。鳩山氏に決まれば、完全な小沢氏による院政になるのではないでしょうか。2月に延岡に来られたときにも、「不必要な道路の建設にはストップをかけなければならない!」と堂々と述べられた方ですので、宮崎にとっては決して好ましい方とは言えないと思います。
まあ、何にしても民主党が決めることですが。
せめて、初めて民主党から持ちかけてきた党首討論だけはやってほしかった。国民の皆さんも期待していたはずです。何だか民主党内が派閥間の権力抗争状態にあるように私には見えます。せめて週をまたいで、国民の皆さんや民主党の支持者の皆さんの意見を聞いたりすれば、開かれた党として国民の納得も少しは得られたのではないでしょうか。
これから補正予算案の採決が衆議院本会議で行われます。この経済危機の中、特別に大切な議案ですが、民主党は本会議をボイコットするそうです。
ため息が出る思いです。


                     5月13日  江藤 拓










 3日の朝、テレビをつけたら飛び込んできた最初のニュースが、ロックンローラー・忌野清志郎さんが、がん性リンパ管症のため逝ってしまったというニュースでした。数年前に喉頭がんが見つかったものの、日本武道館での復帰ライブで、「完全復活だぜ!帰ってきたぜ!」とファンを喜ばせたのがついこの前のことだったのに・・・。
歌い続けることにこだわった忌野さんは、治療では声帯を痛める可能性がある切開手術をせずに、放射線治療を選択したそうです。このプロ意識には、ただただ脱帽させられました。
私自身も、大切な友人やお世話になった先輩をがんで亡くしています。このがんという病気がいつの日か撲滅出来るように、国としても研究を進めて行かねばなりませんが、残念ながら現時点では治療の難しい病気であります。そのため皆様も、どうぞ定期的な検診をして下さい。 

忌野清志郎さんと言っても、全く知らない方も多いでしょう。決して模範的な学生ではなかった私は、忌野清志労郎の率いる、RCサクセションの曲をよく聞いていました。当時はまだラジカセの時代で、ラジオからRCの曲が流れると、慌てて録音ボタンを押したものです。ラジオ局にリクエストの葉書も書いた覚えもあります。2008年に行われた日本武道館での復活ライブに行けなかったのが残念です。「スローバラード」や「ぼくの好きな先生」、特に「雨あがりの夜空に」など、その当時の自分の青春時代が今思い出されます。ずいぶん社会的批判を浴びたアーティストでもありました。アルバムが発売中止になったこともあります。私も大人になると、「私の考え方とは合わないな」と思った事もありました。
しかし故人となってしまった今、私の人生に大きな影響を与えたアーティストだった事を実感します。
60歳近くになってあの尖がっていた忌野清志郎さんが、穏やかな優しい顔になっていたことが印象的です。私は忌野清志郎さんの10歳年下ですが、これからどう変わることが出来るのでしょうか・・
今はただご冥福を祈り、昔のカセットを聞くつもりです。
                       合掌



                        5月5日  江藤 拓








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