正義の弓
ゴポゴポと音を立てて、樹の入っていた試験管に満たされていた液体が抜けていき、開かれる。
鎧は樹を立たせて目隠しとギャグボールを外す。
凄い光景だ。
少し……いや、かなりドン引きしている。
姿がギャグその物なので、笑いが込み上げても来るんだけどな。
「……」
ゆっくりと目を開いた樹は眠気眼で辺りを見渡している。
「さあ! 覚醒した弓の勇者よ! 我等が正義を阻む悪がここまで乗り込んできました! その正義の力で悪を倒すのです!」
「何を言ってんだ、お前は!」
お前が乗り込んできて、返り討ちにあって逃げてきたんだろうが!
「つーかさ。お前等と樹って喧嘩したんじゃなかったのか?」
魔法使いの証言から察するに一度は絶交状態だったはず。
「知れた事。弓の勇者が更なる力に目覚める為にあえて辛いように当たったまで!」
物は言いようだな。だがボロが出ているぞ。
お前、樹の名前を呼んでいないじゃないか。
信用していないのも今までの会話で判明している。
要するに頼れる相手がもう樹しかいないからここへ逃げ込んだって事だ。
ぼんやりしていた樹が俺を見つめるなり。
ブワっと俺にも見えるくらいの黒い気が大きく噴出した。
あれはカースシリーズに浸食された勇者が放つ気。
なんだ? 樹は何のカースに浸食されているんだ?
「尚文……」
凄い殺気だ。
今まで感じた対人戦の中でも飛び切りのちりちりとした何かを感じる。
「アナタの行い! 断じて許せるものではありませんよ!」
「いきなり何を言っているんだ? 寝言なら寝ている間に言えよ」
目覚めて早々面倒臭い奴だな。
カースに侵食されているのか、それとも素なのか、微妙な線だ。
「イツキ様! マルドの言葉を信用してはいけません!」
「そうだ! そいつは犯罪者だ!」
リーシアと錬が説得を試みる。
だが、樹はその二人よりも俺の返答を優先したようで、まったく視線を向けない。
「では言いましょう。アナタは奴隷を集め、重労働に従事させ利益の全てを吸い上げているそうじゃないですか!」
「何を当たり前の事を言っているんだ?」
コイツ等……同じ事を何回も言わせやがって。
奴隷ってそう言うモノだろ?
もちろん労働には対価を支払うのは当たり前だけど、奴隷ってその対価を支払わない安い労働力だろ?
そりゃあ人を買う事に抵抗があるか無いか、と聞かれればあるが、しょうがないだろう。
極論すれば奴隷というのは元の世界でいう掃除機に似ている。
毎日ゴミ掃除をするのはかわいそう、なんて掃除機に言うか? 言わないだろう。
奴隷なんていうのは掃除機や洗濯機と同じで便利な道具なんだよ。
ふと、何かが脳裏に過ぎる。
『兄ちゃん! ご飯作ってー! クレープクレープ!』
『ごはーん!』
『クレープうめええぇぇぇぇーー!』
『美味しいご飯作ってー!』
『遊んでー!』
気にしたら負けだ!
思い出すな、俺!
「それが悪! 聞きましたよ! 病弱な妹に高価な薬を提供する代わりと称して兄に重労働を強いていると! マルティさんが助けようとした奴隷の話です!」
「ヴィッチが人助けなんかする訳ねぇだろ!」
「ヴィッチさんとは誰の事でしょうか……? さすが尚文様、私達以外にも助けた兄妹の方がいらっしゃるのですね」
「いや、お前だよ」
おそらくは俺の隣で首を傾げている奴とその兄の事を言っているんだろう。
どこで仕入れた情報かは知らないが、適当な事を言いやがって。
ヴィッチが亜人を助けるなんて、天地が引っくり返ってもありえない。
「更に金持ちの貴族に薬を売り、貧乏人には何も施しをしなかったそうじゃないですか」
「俺は聖人じゃない。商売をするなら金の無い奴に売るはず無いだろ。代価を要求するのは当たり前だ」
当たり前のように俺の所に顔を出して、薬を恵んでほしいと上から目線で言う奴等の事を言っているのだろうか?
貧乏な中でも爪に火を灯して、必死にかき集めた銅貨しか出せないような貧しい連中に薬くらいはやった覚えがあるぞ。
「やっと悪しき貴族が天命である病で死ぬと思っていたのに、盾の勇者が余計な真似をした所為で私達の恨みは晴れなかったという話を聞きました!」
「それこそお門違いだな。金を出して薬を買った連中のその後なんて俺の管理から外れるだろ。そもそも悪い事をしたからと言って薬を売らないとか、死んだ方が良いって考えの方がおかしい」
何? 金持ちに薬を売りつけるのも悪になる訳?
もしもその金持ちとやらに売らなかったら、そいつが売らなかったと俺を悪く言う。
結局何をしても恨みだと思われるだろ。ふざけんな!
「人を助ける勇者としての力がある癖に、息子を助けてくれなかったと言う話を聞いているのですからね!」
「……誰の事を言っているんだ?」
全然身に覚えがないぞ。
助けなかった? 重病なら出来る限り助けるぞ。
後で物でも何でも良いから請求するがな。
踏み倒して逃げられる事だって無い訳じゃない。
もちろん、逃すつもりはないからそいつの知り合いとかから逃亡先を割り出して捕まえさせるけどさ。
「絶対に許せないと僕に泣きついてきた女性がいるのですからね!」
それでも、俺に恨みを持つ連中がいる?
……ああ。
「その息子って奴、死んでるだろ?」
「そうです! 尚文の盾にはそんな奇跡の力があるのに使わなかったそうじゃないですか!」
樹の奴、俺の名前を呼び捨てか。
まあ良い。
「何を戯けた事を……幾ら伝説の盾であっても死者を蘇らせる力がある訳ないじゃないか」
誰か特定できた。
極稀に村や町に出没する死人を生き返らしてくれと死体を持ってくる連中の事を言っているんだ。
聖人という噂や盾の勇者という実績からそんな願いを持ってくる連中がいる。
幾ら俺だって死んだ奴を生き返す手段なんてあるはずもない。
なのにそう言う連中は、奇跡を勝手に期待して俺に懇願してくるのだ。
どうか死んだ者を生き返らしてくれ、とな。
そう言う連中に論理は適応しない。
出来ないと言うと、涙ながらに諦めるのならまだ良い。
逆切れしながら俺に殴りかかろうとする者が多い事多い事。
死体を俺の村の前に放置する奴もいたな。
そのまま埋葬してやったら切れて出てきたから兵士に引き渡す事もある。
だから町や村の入り口には死者は生き返らないと看板を立てた。
その所為で、俺が薬を使って治療するのは治療院を通さないとやらない事にしている。
「逆恨みを集めて、どうしても俺を悪と断罪したいようだが、それならお前がやれば良いだろ? 同じ勇者なんだから」
「いいえ、盾にだけある特殊な力だとマルティ王女は言いました!」
ヴィッチの奴、とんでも無い置き土産を樹に囁いて行きやがったな。
それを証明する方法なんて樹には無いんだ。
そして視野が狭くなっている樹に俺が何を言っても説得に応じるつもりはない。
「樹、それはおかしい。尚文や元康と武器の能力について統計を取ったが、効果の違いこそあるが、基本的には同系列の技能しか存在しない。尚文にそんな能力があるなら、俺の剣にもそれに匹敵する別の能力があるはずだ。それとも樹の弓には何か特別な能力があるのか?」
錬が尤もな内容で口を挟む。
確かに盾の防御と剣の攻撃という基本の差はあれど、技能系のスキルは基本的に同一規格だ。
それは錬の証言通り、元康とも話をして判明している。
この事実を知らないのは樹だけだ。
まあ、現在は判明していないが、死者蘇生の能力が存在する可能性まで否定はしない。
伝説の武器の中でそういったスキルがあるとしたら、そりゃあ盾だろうし。
だが、使えたら使っている。
それこそ高額で死者を生き返らせて、金儲けしてるわ。
「他にも数々の罪があります! 絶対に許せませんよ!」
「別にお前に許してもらう必要はない。むしろ、お前の後ろにいる鎧こそ悪だろ。俺の配下を襲うし、町を襲撃し城を攻め、必要の無い争いを起こしている。正義とは名ばかりだと思うが? しかもお前も知っている三勇教と結託して甘い汁を啜っていたようだぞ」
俺の返答にギロリと樹は鎧に目を向ける。
「盾の魔王の妄言です! 耳を傾けないでください!」
「それは僕の力で本当かどうかを判別します!」
「あ、あ、ちょっと――やめろ!」
樹が、白い……神々しいはずなのに、禍々しくも見える羽を模った装飾の施された弓を構えて、鎧に矢を放った!
「ぐは!」
殺した?
「尚文様、禍々しい気が一斉に膨れて、追っていた方を貫きました」
ばたりと前のめりに倒れる鎧。
愚かな部下を処分したと言う事か?
そう思った所で鎧がむっくりと立ち上がる。
「樹様、盾の魔王の言うとおり、私は己の欲望を叶える為に勝負を挑み、敗北しました。どうかお許しください」
……は?
明らかに鎧の様子が豹変した。
なんだ、あの弓は。
まあ、間違いなくあの短剣の大本なんだろうけど。
「良いでしょう。これからはまた仲間として世界を平和に導くのです!」
「はい! イツキサマー!」
目がおかしい。
今までの野心に満ちた自己満足の顔ではなく、洗脳された連中と同じ、病的なまでの正義面をし出した。
「樹……お前、その弓」
錬が指差すと樹は晴れやかな笑みを浮かべつつ答える。
「凄いでしょう? 僕が新たに手に入れた素晴らしい弓ですよ。その名もジャスティスボウ! まさしく僕の為にあるような弓です。この弓で相手を射抜くと洗脳が解け、みんな僕を理解してくれるんです」