イカには遺伝暗号を自ら編集する“特殊能力”があり、人間の遺伝子治療を進化させる可能性がある:研究結果

ある種のイカは、細胞核の外でメッセンジャーRNAを編集する能力をもつことがわかった。RNA編集はDNA編集よりも簡便で安全性が高いとされることから、この発見はヒトの疾患の遺伝子治療を進展させるきっかけになるかもしれない。

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イカのRNA編集はとてつもない規模で実施されており、60,000個以上の脳細胞が再コーディングのプロセスを担う。ヒトではたった数百にすぎない。PHOTOGRAPH BY ROGER HANLON/THE MARINE BIOLOGICAL LABORATORY

遺伝子編集技術によってDNAの遺伝暗号を改変することで、ヒトの遺伝性疾患の治療を目指す研究が進んでいる。地球上のほぼすべての動物において、DNAに加えられた変化は細胞核の中からメッセンジャーRNA(伝令RNA)を介して細胞質に持ち出され、そこでたんぱく質へと翻訳される。

しかし、ヒトよりずっと前から遺伝暗号を編集する方法を知っている“動物”が、少なくとも1種いる。釣りのエサに使われ、大型の海生生物の餌食になる軟体動物・イカの一種だ。その遺伝暗号の編集方法は、遺伝子編集をベースにした薬剤や治療法を開発する研究者たちにとって、ヒントになるかもしれない。

桁違いのRNA編集能力をもつ生物

マサチューセッツ州ウッズホールにある海洋生物学研究所などの研究グループは、アメリカケンサキイカ(Doryteuthis pealeii)が細胞核の外でメッセンジャーRNAを編集する能力をもつと報告する論文を、学術誌『Nucleic Acids Research』に2020年3月24日付けで掲載した。動物としては初めての発見だ。

論文の著者のひとりである海洋生物学研究所の上席研究員のジョシュア・ローゼンタールは、この特異な方法によるメッセンジャーRNAの編集は、イカの海中での行動と関係があると考えている。「神経系に大幅な改変を加えることで(RNA編集を)実現しています。まったく新しい様式の生命活動です」と、ローゼンタールは言う。

すべての生物は、何らかのかたちでRNAを編集している。ヒトではRNA編集の機能不全と、いくつかの疾患の関連が知られている。散発性の筋萎縮性側索硬化症(ALS)が、その一例だ。RNA編集は免疫系においても重要であり、ショウジョウバエを対象としたいくつかの研究では、気温の変化への適応に役立っている可能性が示されている。

しかし、イカのRNA編集は規模が桁違いだ。イカの場合は60,000個以上の脳細胞がこの再コーディングプロセスを実行しているが、ヒトではせいぜい数百個にすぎない。

RNAを核の外で編集する能力の理由

ローゼンタールは、テルアヴィヴ大学やコロラド大学デンヴァー校の共同研究者とともに、RNA編集がイカの軸索、つまり脳細胞のなかで電気的シグナルを伝える細長く伸びた部分で起きていることを明らかにした。

これが重要な発見である理由のひとつに、イカの神経細胞が巨大で、ときには軸索が数十センチメートルの長さになる点が挙げられる。つまり、RNAを核の外で編集する能力のおかげで、イカはたんぱく質の機能を、それを必要とする体のパーツにより近い位置で変化させることができるのだ。

イカがRNA編集を行う機構を細胞内に備えていることがわかったいま、ローゼンタールはそれが「なぜ」進化したのかを解明する段階へと進もうとしている。水温などの変化に富んだ環境条件に適応するうえで役立っているのではないかと、彼は考えているからだ。「RNA編集機能を操作したら、どんな行動を示すのか。そこに注目していきたいと思います」と、彼は言う。

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PHOTOGRAPH BY ROGER HANLON/THE MARINE BIOLOGICAL LABORATORY

注目すべきはメッセンジャーRNAの編集

一方、ヒトの遺伝子編集に関心を抱く研究者たちは、イカがDNAではなくメッセンジャーRNAを編集している事実に注目している。CRISPRを応用した医学研究で行われるようなDNAコードの改変は、不可逆的だ。一方、使われなかったメッセンジャーRNAはすぐに分解されるので、治療によって導入された変異にもしエラーがあっても、患者の体内に生涯残ることはなく、やがて消滅する。

核内のDNAに恒久的な変化を加えることなく、細胞内で間違った情報を書き換えるこの能力は、医学研究にきわめて有用だとローゼンタールは考えている。「ゲノムのどこかに有害な配列がある場合、例えば両親から受け継いだある箇所のヌクレオチドが、通常はG(グアニン)のところでA(アデニン)になっているようなときには、RNAを編集して元通りにできる可能性があります」と、ローゼンタールは言う。グアニンとアデニンは、いずれもDNAおよびRNAの構成要素だ。

「RNA編集は、DNA編集よりずっと安全です。何かを間違っても、RNAは代謝され消滅します」と、ローゼンタールは言う。

インディアナ大学の生化学・分子生物学教授のヘザー・ハンドリーは、「エキサイティングな論文です」と評価する(ハンドリーは今回の研究には参加していない)。「遺伝子編集について、わたしたちが知っていることのほとんどは細胞核で起きています。通常のプロセスとしてはそれでいいのですが、個別化医療を考えるなら、患者の遺伝子変異に手を加えるプロセスは細胞質のなかで実行する必要があるでしょう」

ゲノム編集療法は、細胞膜と核膜の2つを超えてDNAを改変する必要がある。だが、RNA編集によってメッセンジャーRNAの塩基配列を改変する治療法は、細胞内に侵入して細胞質のなかで作用するだけでいい。ローゼンタールらの論文で示されたイカの軸索におけるRNA編集は、ヒトの遺伝子治療で必要な「細胞質のなかでのRNA編集」に相当するものとみなせる。

Squids

PHOTOGRAPH BY ELAINE BEARER

イカが人間の命を救う日

ハンドリーは、イカがRNA編集に使っている酵素が、ヒトにおいてもメッセンジャーRNAの改変に使えるかもしれないと考えている。「多くの人々がこの技術を模索していました。問題は、どの酵素が治療に使えるかです」と、ハンドリーは言う。「イカの酵素が細胞質のなかで作用するなら、治療法として真っ先に検討すべきものでしょう」

RNA編集は急成長中の研究分野であり、研究しているのはウッズホールの海洋生物学研究所にとどまらない。米国食品医薬品局(FDA)は18年、RNA干渉を利用した初の治療法に認可を与えた。これはRNAの小さな断片を細胞に挿入し、細胞本来のメッセンジャーRNAと結合させて、分解を促進する技術だ。

この治療法は、遺伝性トランスサイレチンアミロイドーシスと呼ばれるまれな遺伝性疾患において、神経損傷を引き起こすたんぱく質の生産を阻害するためのものだ。この病気を抱える患者は、やがて多臓器不全に陥り、死に至る。

19年に刊行されたRNA編集に関する学術論文は400本を超えている。ローゼンタールが共同創業者を務める企業も含め、いくつものバイオテクノロジースタートアップがRNA編集システムを利用し、筋ジストロフィーなどの遺伝性疾患の治療法や、依存性の高いオピオイドに代わる鎮痛治療の開発を目指している。

イカは実に興味深い生物であり、今後も生物学研究によってますます驚きの秘密が明かされるだろうと、ローゼンタールは言う。その一部がいずれ、イカをただのおつまみとしか思っていない人々の命を救うかもしれない。

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米国防総省が公開した「UFOの映像」は、結局のところ“本物”なのか(動画あり)

米国防総省が、海軍のパイロットが「未確認の空中現象」に遭遇した様子を映した3本の動画を公開した。いわゆる“UFO”(未確認飛行物体)とされる動画だが、国防総省はついに宇宙人の存在を認めたのだろうか?

TEXT BY DANIEL OBERHAUS

WIRED(US)

PHOTOGRAPH BY U.S. DEPARTMENT OF DEFENSE

米海軍のパイロットが「未確認の空中現象」に遭遇した様子を映した3本の動画を、米国防総省が4月27日(米国時間)に正式公開した。これらは2004年と15年に撮影されたものだが、『ニューヨーク・タイムズ』が17年に国防総省の「謎のUFOプログラム」に関するトップ記事で紹介するまでは、これらの映像が一般の目に触れることはなかった。

このときの動画が本物であることを海軍はすでに認めていたものの、国防総省は公開を許可していなかった。それが今回、ようやく公開が許可されたかたちである。

海軍のパイロットが撮影した3本の動画は、いずれも奇妙な楕円形の物体が空中や海上を素早く移動する映像を含んでいる。「ジンバル(Gimbal)」と呼ばれる15年の動画では、ラムネ菓子「TicTac」のような形状の飛行物体が雲の中を素早く横切ってから速度を落とし、回転し始める。この遭遇を撮影したパイロットは、無線で「とんでもないドローンだ」と形容している。

やはり15年に撮影され、「ゴー・ファスト(Go Fast)」と呼ばれているもう1本の動画では、低い高度で海上を飛ぶ小さな白い点をジェット機の赤外線カメラが追っている。いちばん古い動画「FLIR1」もジェット機の赤外線カメラによるもので、楕円形の物体が急激に速度を上げる様子が映っている。

「Gimbal」と呼ばれる15年の動画。VIDEO BY U.S. DEPARTMENT OF DEFENSE

「機密の漏洩にはつながらない」と国防総省

これらの動画は元々は『ニューヨーク・タイムズ』と、ポップパンクバンド「ブリンク 182」の元リーダーであるトム・デロングがUFOなどの説明のつかない現象の研究を目的として設立した企業To the Stars Academy of Arts and Sciencesによって公表された。To the Starsのスタッフは17年に動画を公開した際に、これらの映像は「正式な機密解除の審査過程を経て一般公開を許可された」と主張していた。

「動画はすべて、監査権をもつ国防総省の機関によって“1910プロセス”の下で審査され、国防総省の公表前審査によって『無制限の公表』を許可されたもの」であると、To the Starsで政府プログラムとサーヴィス部門のディレクターを務めるルイス・エリゾンドは言う。エリゾンドは国防総省の元職員で、『ニューヨーク・タイムズ』が「謎のUFOプログラム」と呼んだ「先進的航空宇宙脅威識別プログラム」を率いていたのだという。ここでいう「1910プロセス」とは、国防総省の情報の一般公開を求める際に使用される「国防総省書式1910」のことだ。

ところが、国防総省高官は今回の声明のなかで、17年の公開は「許可されたものではなかった」と述べている。3年が経ったいま、すでに数千万人が観たあとではあるものの、国防総省はついに動画を承認する気になったわけだ。

「徹底的な検証の結果、国防総省はこれらの非機密動画の一般公開を承認することは、機密性の高い機能やシステムの漏洩につながらず、未確認空中現象による軍事空域侵犯に関するその後の調査に影響を及ぼすこともないと判断した」と、国防総省高官はプレスリリースで説明している。なお、米国海軍の広報担当者にコメントを求めたが、回答が得られていない。

UFO

ジェット機の赤外線カメラによる「FLIR」という動画。楕円形の物体が急激に速度を上げる様子が映っている。VIDEO BY U.S. DEPARTMENT OF DEFENSE

ついに宇宙人の存在を認めた?

これらの動画を公式に認めたということは、国防総省はついに宇宙人の存在を認めたのだろうか?

いや、そうではない。そもそも、軍部が「未確認」と分類した物体が、必ずしも地球外の物体とは限らない。それは単に、軍人が説明することのできない空中の物体にすぎず、民間のパイロットも軍のパイロットも未確認の飛行物体をしょっちゅう目撃しているのだ。

そうした物体は緑色の小さな宇宙人が操縦しているのだろうか? もちろん、想像力豊かな人ならそう思うだろう。しかし、未確認の飛行物体はたいていの場合、大気がつくり出す幻や未公表の軍事演習、衛星、あるいは疲れたパイロットの脳が引き起こした幻影といった、よりありふれた物であることが多い。

今回の動画のケースでは、映っている物が何なのかは、まだはっきりしない。国防総省がプレスリリースで述べているように、「動画のなかで観察された空中現象は、いまだに『未確認』のまま」なのだ。

動画の飛行物体は航空機かもしれない。だが、もしそうだとすれば、わたしたちが知っているどんな航空機とも異なる動きをしている。15年の動画の音声を聴くと、撮影したパイロットですら、自分たちが目撃している物が何であるのか理解できなかったことがわかる。「あれはいったい何なんだ」と、パイロットのひとりは無線で尋ねている。

動画が「非機密」であることの意味

これらの動画が、もし地球外生物の活動の証拠だったなら、あるいは他国が製造した高度な軍用機にすぎなかったとしても、国防総省はあなたが「情報自由法」という言葉を言い終える前に動画を機密扱いにするはずだ。ところが注目すべきは、国防総省は今週公開した動画を「非機密」であると表現したことだ。

「非機密」と「機密解除」は同じではない。非機密ということは、軍はそもそもこれを国家安全保障上の制約を課さねばならないほどの機密情報だとは、一度たりとも思わなかったわけだ。国防総省はプレスリリースで、「出回っている映像が本物なのかどうか、映像にはまだ何かあるのかどうかについての国民の誤解を解くために動画を公開する」と説明している。

結局のところ動画の公開は、国防総省が動画を公的に承認したというだけの意味しかもたない。しかし、だからといって謎が解決したことにはならない。

「国防総省が認めたという歴史的な出来事によって、こうした事例についてまわる態度や烙印に劇的な変化が起きます。そして、より評価の高い研究機関が信頼できるデータを、研究のためにオープンに共有できるようになるでしょう」と、To the Starsのエリゾンドは言う。「今回のことはこれから何年も、人々の信頼を勝ち取る第一歩だったとみなされることでしょう」

あなたが誰も信用しないのでなければ、もちろんそうなることだろう。

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