寄稿◎新型コロナウイルスのPCR検査のあり方
PCR論争に寄せて─PCR検査を行っている立場から検査の飛躍的増大を求める声に

2020/04/30
西村秀一(国立病院機構仙台医療センター臨床研究部ウイルスセンター・臨床検査科)

 最近、我が国におけるCOVID-19の流行におけるPCR検査について、検査数を飛躍的に上げよとの声が多く(例えば全国医学部長病院長会議の発表)、メディアにも大きくとり上げられている。だが、やみくもに数を増やすことには否定的な専門家が多いのも事実である(関連記事:「PCR検査を行っても免罪符にはならない」「『「安心』と『安全』の危ないバーター」)。一方、素人のコメンテーター、怪しげな専門家は論外として、臨床の先生方からの要望は無視できない。議論の中で「ほかの国がああなのに、どうして日本だけこうなの」といった論調があるが、それは、幼子の親への「ねだり」と大して変わらない。日本は、少なく抑えていたポリシーを持っていたのだから、それを変えさせるためには理屈で戦うべきであろう。序盤は互いに譲らない状態が続いていたが、最近になって、うねりのような大きな声に抗することができなくなったのか、国は検査数を倍増させること目標とした。だが、この議論、実際にPCR検査を行っている人たちからの声が聞こえない。こんな中、編集部からこの問題で思うところを書くようにとのお誘いがあったので、日ごろ思っていることを述べたい。

 発言者の立ち位置で話の方向性はほぼ決まるのが普通である。筆者のそれは、PCR検査を行っている立場からである。ただし、筆者のラボのPCR検査は、一病院内の検査室として一般検査の傍らの仕事である。PCR検査の数は行政検査の方々の過労死もあらんばかりのそれに比べれば、各段に少ない。

まずは、現場の気持ちを推し量り代弁してみた

1. 検査者は機械ではない
 大量の検体を前に現場の人たちは、時間を気にしながら身を削るようにしてPCR検査をやってきた。それに耐えてきたのは、自分たちの努力が、臨床の現場あるいは感染制御に役立ててもらえているという気持ちがあったからである。この上、検査数が飛躍的に増えれば体がもたないかもしれない。それでも必要な検査ならやる。検体は選べない。だが、私たちも人間である。まるで私たちが、入れれば答えが出る機械とでも思って発言しているような人たちがいる。「熱が出たら」「とりあえず」「念のため」「コロナでないことの確認のため」ばかりでこれ以上検査の数が増えるのではたまらない。やみくもにやるのではなく、やはり対象者の絞り込みは、やってほしい。

 「四の五の言うな。だまって検査すればいいだけだ。」との声も聞こえてきそうな勢いだ。そんな気はなくとも検体を出す側(例えば医師)は強者であり、受け取り側(検査技師)は弱者という関係は暗にあるのは事実であり、後者は前者に遠慮がちである。強者は弱者にやさしくなくてはならない。手垢が付いた言葉のようだが、One teamとして両者が尊重し合う関係がほしい。

2.PCR検査の意義、限界を知ってほしい
1)まずは一番多い偽陰性について
検体採取の仕方が下手であれば、あるものも「ない」となる。

2)次は偽陽性の可能性があること。PCRの感度が高すぎることによる弊害。
例えば陰性と陽性のぎりぎりのところはある。そのぎりぎりのところを無理に読めば(図1リアルタイムPCR増幅曲線を参照)、ないものを「ある」と伝えてしまう。特に2つ同時検査で片方のみが陽性の場合でも今の陽性の判定基準では、それが起こり得る。
 例えば次のようなレベルかもしれない。
2-1)感染でなくとも不活化した空中を浮遊しているウイルスがたまたま吸われて鼻腔に張り付いていたものを採取した可能性
2-2)それこそ手指を介した環境表面からの感染を強調する人たちがいうように、そこらへんにウイルス(あるいはその残骸)が存在していて、それにたまたま触れて、それで鼻を触っただけで、感染の有無に関係なく検出されてしまう

3)たとえ疑いのない陽性であってもそれは、活性を持った(生きている)ウイルスの検出自動的に意味するわけではない。106コピー以下のウイルス量しかない検体では活性ウイルスは検出されないという論文もあるくらいである(関連記事:そのPCR検査の結果の解釈は正しい?

 こうしたことを踏まえての検査結果の適切な解釈ができないようであれば、検査は単に形式を踏むだけのものになり、私たちの努力は報われない。

図1 コピー数別のリアルタイムPCR増幅曲線
(画像をクリックすると拡大します)

3. お願い。その検査の目的をはっきりさせ、常に問いかけてください

3-1) 臨床的な意味 …診断と治療に直結
Q: それは、本当に感染を意味するデータか?本当に感染を否定するデータか?

3-2) 感染管理的な意味
Q: それは、感染管理上問題になるほどの量の活性ウイルス排出を意味するのか

3-3) 疫学調査
Q: 偽陽性、偽陰性の可能性は、織り込み済みの調査か?

4.それが今かという問題

 例えば、外科的手術前の全例陰性確認要求、産科の出産時の全例陰性確認要求、救急外来での全受け入れ患者の検査要求等、あらゆる要求が起きそうな状況であり、ガイドラインとして決めている学会もあると聞く。それは、特に院内感染のことを考えれば医療関係者の危惧には共感はする。だが、それは常にということにはならない。市中流行がインフルエンザ並みに燃え上がっているときなら仕方ない。だが、ほとんど患者が出ていない状況なら「勘弁してください」である。日本中どこもすべて流行がひっ迫しているわけではない。地域の市中流行の程度によって適切に判断していくくらいのことはあっても良くはないか。

 問題はその線引きである。市中でどれだけ感染者が出ているときか。完璧はない。どこかで要求側と受け入れ側のコンセンサスが得られる線引きが、必要である。今は、先に述べた強者たる医師を中心とする要求側の一方的な要求である。後で述べるように、PCRの資源は無限ではない。もう少しリーズナブルになれないか。そこの議論が欠けている。

議論に欠けている視点─実務的な視点…このまま検査数を増大させていったときのこと

1.PCRに必要なもの
 問題になっているPCR検査は、正確にはRT-PCR検査である。綱引きをしている双方で、実際検査を手掛けた方はほとんどいないと思われるので、ここで簡単に説明しておく。

 RT-PCR検査において、通常はPCRによるDNAの増幅の前に必ずウイルスからRNA遺伝子を抽出する操作がある。そして抽出されたRNA遺伝子をDNA遺伝子に変換する逆転写(RT)のプロセスがある。この検査をするには、まずは「RNA抽出のためのキット」が必要である(注)。それとRT反応のための酵素と最終的にDNAを増幅させる反応のためのキットが必要である。この最後の複雑な反応のための酵素や基質等の入ったキットを、ここでは「PCR反応キット」と呼ぶことにする。(ただし、キットによってはRT反応もPCR反応と分けずに一つの反応系でやることもある)。そしてこれらの抽出およびPCR反応をする機器が必要である。ただしRNA抽出は専用機器で複数検体を一気にやる場合と検体ごとに手作業でやる場合がある。DNAの増幅反応には、通常リアルタイムPCR装置が用いられるが、最近はその時間短縮をウリにするGeneSoCやLAMP法が用いられることもある。各都道府県衛生研究所には国のテコ入れによりそうした装置が次々と導入される傾向にある。

(注. RNA抽出がRTおよびDNA増幅反応と一連の反応として組み込まれたキットも存在するが、現在のところは、それらに特化した装置の購入が必要である、感度に問題がある、特異度の十分なデータがない、定量データが得られないなどの点でリアルタイムPCRを超えておらず、また開発からの時間が短く広く普及してはいない)

2.今、PCR検査数を増やせという巨大な圧力によって実際に増えているのは、検体を採取する場所と人、検査に必要な機器のみである現状
 さて、PCR検査を制限なく検査数を増やしていくとする。そこで最初に問題となるのはそれをやる人材である。検体の採取の部分ではあまり問題はなさそうである。採取のためのスキルはきちんとやれればそう難しいものではない。だからといって同じ調子でPCR検査員を増やせるわけではない。PCRは、POCTのイムノクロマトキットのように検体を入れれば、あとはほぼやることがない類のものではなく、μリットル単位で何種類もの試薬を、順番を間違えずに加えていく、技術力が求められる検査である。一つの間違いが数十件あるいは数百件の偽陽性を生じることすらある。そこまでいかなくとも、一つの入れ忘れが簡単に偽陰性を作り出す。そして、もしそれが起きてもそれをその場であるいはその後に確認する手立てはない。専門性が必要である。整形外科の先生に眼科の手術をやらせるわけにはいかない。

3.もうひとつの極めて大事な問題をここに提起する。それはRNA抽出キットとPCRキットの数である。
 RT-PCR反応に必要なプライマー、プローブそして陽性コントロールは感染研から潤沢に配布されていて問題ない。例えば当ラボでは現在PCRキットは優に2000反応分くらいの手持ちはある。だが、問題はRNA抽出キットである。RNAの抽出は、現在行われているPCR検査のほとんどで必須である。これが400反応分くらいしかない。各地方衛研ではどの程度持っているのであろうか。ここで名前は出せないが、あるところからこっそり教えてもらったところ現有量は2000検体分もないという。もう一か所では我々と同じくらいしかないという。東京のような大都市の衛生研究所など、ところによって事情は異なるとは思うが、だいたいのところではそう変わらないのではないかと思う。検査数を上げようとするのなら、これに関する現状の調査が必要であろう。

 なぜそれを問題にするかというと、実はRNA抽出キットがすべて輸入品であるからである。入手が難しくなってきている。業者の話では、現在入荷するのは注文の20%程度だという。それは、ご存じのように世界各国で膨大な数のPCR検査が行われていることと、無関係ではないと思われる。いわばマスクやPPE同様、国際的争奪戦が繰り広げられている可能性が高い。PPEやマスクで起きていることが検査キットでも起きていて、日本はその競争に完全に乗り遅れている。もしこのまま手に入らなければ、例えば先に挙げた施設でも1日100検体近く検査したら1カ月も持たない。

 今後、そうした無制限の検査が行われた時、キットは間違いなく枯渇する。が、その状況でもしこの冬流行第2波が日本で起きた時、PCR検査はできないことになるがそれで良いか。いま、無駄撃ちを賢く抑え、次に備えて節約するという発想はないのか。そこを覚悟の上での現状でのPCR検査の議論であってほしい。

 以上、長くなったが、おさらいをする。

現状でPCR検査をどんどん増やしていくとしたときの考慮すべき問題点
1.検査の精度 偽陰性と偽陽性 
2.検査結果の意義、解釈
3.検査に必要な人員の不足
4.検査キットとくにRNA抽出キットの枯渇の可能性…第2波が来た時無防備で良いか

 PCR検査をどんどん増やしていくのは、たぶんやれと言えばできないことはない。だが、それが意味を成すのは、以上の実務的な面をクリアできての話であろう。その手当てができなければ…言うだけ言ってそのあとは知らないというのであれば…無責任というものであろう。

あとがき

西村秀一氏〇1984年山形大学医学部医学科卒。米国疾病予防管理センター(CDC)客員研究員、国立感染症研究所ウイルス一部主任研究官などを経て、2000年より現職。専門は呼吸器系ウイルス感染症。

 本稿を書いているうちに、厚生労働省から自治体に向けに「新型ウイルス感染症に係るPCR検査試薬等の十分な確保について」という通知が出されていた(4月24日付)。内容的には、(上記3のように)「世界的に安定供給が難しく」なっているので、必要なPCR検査が適切に実施できるよう、「衛研等に適切な購入を要請するように」とのことである。さらに「いろんなメーカーのいろんな製品があるので自分たちでバリデーションして、いろんな製品で検査できるよう体制整備を図れ」というのである。事実上、キット不足対策が現場に丸投げされている。これで現場のこのPCR検査の危機が解決できると思う人は、どれだけいるだろうか。

 大本営は各防衛部隊に機関銃を数台と新手の見張り番を送り、そこは充足しつつある。だが機銃手はそれまでの闘いで疲労困憊。手持ちの銃弾もあと少し。補給の目途もない。かくして大本営は言う「弾は各部隊工夫して調達せよ」と。そしていま目前の闇の中には小隊程度の敵がいて、遊撃戦でこちらをかく乱しつつ本隊に合流せんと退却を始めている。だが大本営も将校連中も従軍記者もそして政治家も、みんなこぞって恐怖に駆られ、機銃手に命じて叫ぶ。「とにかく撃ちまくれ」。だが早晩弾は尽きる。闇の先では敵の本隊が静かに総攻撃の準備をしている。

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