今回、チャンネル桜にて水間政憲氏について語った。
 今思えば、7年前に彼が「東京裁判にて南京事件が登場したのは通州事件を隠ぺいする為に登場した…」等とユーチューブで言い出した際に、私は「その根拠は何でしょうか?…」と、書き込んだ際に、恐らく水間が指示したと思える返信には「自分だけが研究できると思っている…」等と反論して来た(2012年10月頃)事が想起される。

 当時、その姿勢に呆れると共に、水間政憲の研究に対する適当でいい加減さに不安を感じていたが、やはりその予想通り、『雑誌WiLL』や『週刊新潮』にはいい加減で適当な水間の論文が次々と掲載されて行き、水間信奉者のシェンムーⅢを持つ男(仙台出身船橋市在住警備員)や普通の主婦であるハチミツなる女性らがネットに登場し自分の独善的な妄信と妄想論を平然と主張する映像が流され続け、最近ではデマを発信する…と言った、1998年に関わった自由主義史観研究会での様相がまるでデジャヴ(既視感)の如く再び繰り返されていた。

 田中正明先生が亡くなり、亜細亜大学東中野修道の様な論文・研究パクリ人材が藤岡信勝の庇護により、より一層悪質なデマを飛ばし、己自身の保身だけを考え、更には本来真摯な研究を続ける事こそが最も重要であり、継続、努力すべきであるにも関わらずその様な事を否定し、実力を付けようとする努力する事よりも常に己の私欲を満たそうとする藤岡信勝一派(藤岡信勝、水間政憲、茂木弘道、T)がはびこるにつれ、南京事件が世界遺産へ登録され(2015年10月)、水間はデマ映像を流し続け、事の本質から遠ざかる様になった。

 これらの影響により一昔前であれば、真摯に研究を続ける人が評価されるべき研究も、それらに唾を吐き捨てる、他人の成果を盗用し、事実と異なるデマをネットへ流し、検証すら出来ない連中による思い込みをさも事実の如く思い込ませる20代後半から30代前半に歌舞伎町とススキノでの水商売時代に覚えた話術を駆使し、ホストクラブ並みの甘い囁きや自尊心をくすぐるやり方には私は一切理解も出来ないし、ましてやネット会員を増やし金を得る事だけを覚えた70のJJIの感覚は、自分の師であると広言する田中正明先生の権威を借りてやる事では決して無いし、侮辱であり怒りすら感ずる。

 田中正明先生が絶対に言いもしない様な事を、脳内妄想によって作り上げ、権威を利用し、それを信じ込ませる手法は水間政憲の常道手段である。
 だが過去にチャンネル桜でも明らかに水間に心酔していた人物もいたし、私はCH桜へ個人的に史料を渡す際に幾度も警告したが、結果、このような事に至るまでにその兆候は幾度も出ていたが気付かず結果この様な事と成った。

 思い起こせば1998年の1年間関わった自由主義史観研究会においても、新しい歴史教科書をつくる会で濤川栄太氏と藤岡信勝との対立の裏には、藤岡の裏に水間が存在し、濤川栄太氏が講演を行う事で1度の講演で5万円を受け取り私腹を増やしているとデマを流していたのが水間である事は自由主義史観研究会の理事の一部は知っていたが、私を含めて「つくる会には関わってはいけない…距離を絶対に置く」との決意を守っていたが藤岡信勝の先見性の無さと余りの頭の悪さに辟易し、私は将来必ず来るであろう藤岡信勝の致命的なミスを予測し袂を分かったが、藤岡にとって1度手に入れた南京事件の写真研究の成果による甘い汁は逃しがたく、私(松尾)を二度と表に出ない様に各方面へデマを流し続けていた。

 日本会議(東京)や、その他の歴史組織についてありもしない私を誹謗中傷するデマを流し続け、無論、チャンネル桜にも私のデマを流した。ただ…チャンネル桜だけは本宮ひろしの「国が燃える」問題の際に、私に出演を依頼を考えた際に藤岡信勝に私について聞くと藤岡が一言「彼は止めた方が良い…」と言った事に疑問を持ち出演を依頼し、実際には藤岡信勝、東中野修道、つくる会会員らによる誹謗中傷が如何に嘘であり藤岡自身が胡散臭いか理解してくれた。

 雑誌『諸君!』でも私は編集長へ直に会い、南京事件の発見をプレゼンし認めてくれた事は、藤岡信勝一派らによる「研究よりも盗用」といったテーゼに対し真摯に人と成果を見て判断してくれる冷静な人達が存在する事を知り、さらには1度、この世界から足を洗い2度と戻らない事を思ったが、『正論』のお世話になっている編集の方からまだこの世界へ留まる事をご教示頂き、今は崖先すれすれに指一本で留まっている状態だ。

 今回、水間政憲がこのような状態になったものの、彼に研究や事実に対する真摯な態度があればこうした事には至らなかったと思うし、なぜ、己の優れている点を正当に生かそうとしないのか?私には理解出来ない。水間もそうだが東中野も真実を追求する事には興味がない様である。
 偶然、水間の経歴を知った際には驚いたし、確かにこれでは見栄や虚栄を貼らなければ正常な精神を保てないのかもしれないが、だからと言ってそうなった過程において間違ったデマを流し続けなければこう至らなかったと感ずる。ただ、1点の思い違いでこうなると言う恐ろしさに恐怖を感ずる。

 なぜ、こんな脳内妄想デマを田中先生の名を使い語ったのか?これが私の今回チャンネル桜に出演を決意するトリガーとなった。
 水間政憲は田中正明先生の名を使った事で、逆に田中正明先生と実際に深い仲で無かったことが判明し、東京裁判で松井石根大将の処刑について、直接的に知る訳も無く、生前、先生は常に東京裁判の詳細については「詳細は冨士(信夫)さんに聞いてくれ…」「私は松井大将が処刑された当時は、長野に居た…」と、酒の席では常に幾度も繰り返して話してくれていたし、なぜ、こんな幾度も先生が話してくれていた内容を覚えていないのか…水間政憲が如何に田中正明先生を冒涜しているか?真摯に話をしていなかったか分かる。

 田中正明先生の話を出すのは私にとってもタブーであるし、心の底から嫌な気持ちになる。
 私の祖父は私が生まれたときには亡くなっており、田中先生のお宅へお邪魔した際には「よく来てくれたね…」と、いつも温かい笑顔で迎えてくれたし、一緒に晩酌に付き合わせて頂いていた。

 祖父というと先生に失礼かもしれないが、私は田中先生と一緒に先生の居間で一緒にコタツに入って、私が興味ある日中戦争時の話や先生が松井大将の私設秘書であった際に、毎日怒られ三原山へ身投げをしようと考えたことがある…等と昔の話をしてくれた事を思い出すし、先生の様な方でもそんな苦労をされて来たんだと…幾度もマイクロ・カセットテープに録音し、今でも先生の話が記録されているマイクロ・テープを自宅に残している。

 思い起こせば、なぜこうなる前に水間の周辺の連中は、気付かなかったのか?裸の大将に水間が陥る兆候は2012年にすでに表れていたし、あえて言えば増長させる原因は藤岡信勝や「北海道出身」であれば無条件に信ずる同郷の連中にも有る。
 こんな事を言っても彼らは絶対に反省しないだろうが、水間の話を聞いて疑問すら感じず、同じ同郷と言うだけで無条件に信じる連中の脳みそどころか脳死しているその感覚が私は全く理解出来ない。

 水間に騙される連中はこれからも2度3度と繰り返すだろう、何故ならそんな連中を山ほど見てきたからだ。藤岡の様な20年も騙されている事に気づかないバカもいるのだから、呆れて果てる…しかし私も流石にこんな事が多発する歴史研究について再考する気持ちが表れ、今、発見した未発表の史料は次世代に任せるべきだと感ずる。

 私が発見している新史料は恐らく、今後30年以上誰も注目どころか発見も出来ないだろう。
 そっと元のところへ納めて、シレっとフェード・アウトしたい気さえする、10年もせずに藤岡、東中野と水間が亡くなるのは近いだろうから、奴らの後継者は永遠に出ないだろうから後進の歴史研究者へ任せてみるのもいいかもしれない。藤岡の様な腐りきった人物に関わらない事を願う。

 正直、私はこの歴史研究(盗用世界?)の世界に吐き気がする、おぞましい藤岡信勝一派の世界には二度と関わりたくも無いし、一緒にされるのも嫌悪する。
 そう言えば水間が50代の頃に画廊での職をクビになり「就職先が無い…」とボヤいていたが、私は奴とぼやいていた当時と同じ年齢になり理解できた事は、ロクに努力も自分を鍛え磨こうとしない人間に企業が欲する訳がないし、今、私は某会社へ通っているが結論から言えば水間が就職出来なかったのでは無く、努力すらできない人間を欲するまともな企業も人物など存在する訳も無い。

 私は自身を技術者と自負しているが、自衛隊を退職後、米国へ行き、25歳の誕生日には政府の仕事を某商社からの経由で依頼された事に始まり、常に努力したし、努力しなければ…と根底に常に想いがあるが、水間の様な常に甘い汁を吸い嘘と詭弁で生き続けて来た人間や、他人を利用し続け、利用価値が無いと知るやポイと捨てる藤岡信勝一派らの話を聞き満足する様な連中は要するに脳内妄想お花畑世界で奴らと共に踊り狂っていればいい。
 私は藤岡一派らとは根本的に違う。「保守」等と軽薄な単語で表現されたくも無い。
 私は真実を知りたいだけだ。そんな私と藤岡一派は水と油であり交わえるはずも無い、吐き気すら感ずる。