押井:ああいうナレーションでダメ押しするのは東映は昔からやってるんだよね。萬屋錦之介の「柳生一族の陰謀」(78)とかも最後「こうしてなんとかかんとかの歴史が続くのであった」とか、クドいナレーションは東映の専売特許なんだけど(笑)。言わんでもわかるという。
いやいや、わからない人もいるんですよ。
押井:そう思ったからやったんだろうけどさ。
若大将シリーズの陰画
押井:「仁義なき戦い」を批評的に語るとすると、戦後の日本の経済繁栄に対するある種の反動だったんだなという気はすごくする。所得倍増で経済大国化して経済的にも絶頂期で、若者も結構リッチになりつつあったんだけど、そのときになぜアウトローな世界を描いた映画が当たったんだろうというさ。
確かに一見矛盾しますよね。
押井:僕が想像するに、経済的な繁栄の恩恵を被ってない人たちの層が早くも形成されつつあったんだなと思うしかない。さっきも言ったけど、映画青年の玩弄物というだけでヒットするはずがない。そこにはやはり「共感の構造」があったんだよ。
若者たちは「仁義なき戦い」のどこに共感してたんでしょうか。
押井:自分の居場所を求めて奮闘したんだけど、それは日本のどこにもついになかったという、そういう部分じゃないかな。「何が間違っていたんじゃろう」って。最後の「仁義なき戦い 完結編」で菅原文太と小林旭が話す長いシーンがあるんだよ。「もう殺(と)る殺(と)られるには飽いたわい」とか言ってさ。
敵役の小林旭もいいですよね。
押井:小林旭って「渡り鳥」シリーズをやってるときは、キンキン声で「大丈夫この人?」という感じだったんだけど「仁義なき戦い」のときは異様によかったんですよ、渋くなって。そのシーンで「落ち着いたら一杯飲まんかい」って小林旭が誘うんだけど、それを菅原文太が断るんだよね。「死んだもんにすまんけえのお」って。
その2人が両巨頭だったわけだけど、結局どちらも本当の覇権は取れなかった。菅原文太はアウトサイダーで、小林旭は主流派でのし上がっていって、でも結局は世の中に負けた。警察に力を削ぎ落とされ、市民感情を敵に回し、結局何もかも失うわけだよね。いろんな仲間とか若い者をさんざん死なせて、でもなぜか生き残っちゃった。そしてそういう結論になるんだよね。あれがこの作品の総括なんだよ。さすがにこれでもう終わろうとしてるなと。
その後もスピンオフっぽいものは何本も作るんだけど、「仁義なき戦い」という一連の流れの中で語った世界はこれでおしまい。多分それは当時の日本の中で、ある層の共感を呼んだんだよ。みんながみんなリッチになったわけじゃない。みんなが息子を大学に行かせてあげられるようになったわけでもない。
前に語っていただいた「若大将」シリーズの陰画みたいですね。
押井:そうそう。あっちは夢を描いたわけだけど、こっちは負けた側の話。リッチになった人間もいれば、なれなかった人間もいるわけで。当たり前だけど市場経済だからね。誰もがみんなリッチになれるという経済システムは基本的に存在しないんだから。社会主義国だって存在しない。そういう意味で言えば映画というのは大衆芸能だから、基本的に大衆の側に立つんだと。リッチになった人間は、汚い映画館で東映の映画なんて見ない。東映の映画館ってなぜか知らないけどみんな汚かったからさ(笑)。それこそ柄の悪い客たち。そういうふうに漠然と定義されてる層がいるわけだよね。場末の映画館でヤクザ映画を見るしかないと。
「立喰師列伝」に見る「戦後」
戦後史といえば、押井さんの「立喰師列伝」(2006)、あれには「仁義なき戦い」の影響はありますか。
押井:あれも基本的には、どこかしら「仁義なき戦い」の世界の延長線上にあるんだよね。キノコ雲で始まったり、テロップを多用したりとかさ。あちこち引用してるよ。
表現以外の、気持ちの部分としてはどうでしょうか。
押井:僕の戦後史も基本的にはアウトローのお話だよね。東京オリンピックの話が典型だけど、抹殺された野良犬たち。戦後から綿々と続いた立喰師の系譜はいったんここで途絶えるんだというさ。ある者は地方に下っていき、歴史の陰で生き続けた立喰師はここで終焉を迎える……みたいな。そのあと、映画の後半に出てきた立喰師たちは、ある者はテロに走り、ある者は無国籍化し……河森正治の「中辛のサブ」とかね(笑)……最後の徒花を咲かせていったという、そういう話だよ。で、月見の銀二がもう1回逆襲に来るんだというところで終わるんだけどさ。
「立喰師列伝 逆襲編」はないんですか?
押井:本当はそれもやるつもりだったんだけど、何も思いつかなかった(笑)。「月見の銀二の逆襲ってどうやったらいいんだろう?」って。
ちょっと見たかった気もします。
押井:それはともかく、僕がやりたかったのは「戦後の焼け跡から立ち上がった立喰師」みたいな話。経済繁栄と折り合いが悪い、独自の価値観、独自の美意識、独自の生き様を追求した。それは東京オリンピックを境に鈴木敏夫(が演じる「冷しタヌキの政」)が丼で殴り殺されて、そこで途絶えたんだというさ。
そういう「戦後観」を描いたと。
コメント3件
rootadm
>志穂美悦子をせめてもう少し露出の激しい衣装にすればよかったのに
確かに思った。ww
あい~だ
映像作家としては「訳わかんない」作品ばっかりの押井監督ですが解説させると判りやすいですね。(聞き手の野田真外さんが凄いのか。)
(監督の作品で一番判らなかったのは「天使のたまご」最初VHSで見たときは画面が真っ暗で何が動いているか判らず、後
にLDでやっと判った(画面だけは、だが)ストーリーはぜんぜん把握できませんでした)...続きを読む春
私は10代の反抗期に「私をスキーに連れてって」で衝撃を受けた世代なので、
【自主製作映画を5本製作したピータージャクソン】みたいな馬場康夫さんの映画経験を日経ビジネスに連載できれば嬉しいと思っています。
彼は日立製作所社員時代の1985年に
出した本でこう書いています。...続きを読む「人は理想や夢を追わずに生きていくことはできない。だが、現実の厳しい生活の中で、わたしたちは夢や理想を次々と失っていく。(中略)
豊かな感受性と想像力を持ち続ける限り、大人は純粋に夢を見、人生に歓びと輝きを見出すことが出来る」
これは35年を経た2020年のコロナ禍の今、まさに私たちが意識しなければならない考えだと思います。
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