元木昌彦の『週刊誌スクープ大賞』
「週刊現代」「FRIDAY」の編集長を歴任した"伝説の編集者"元木昌彦による週刊誌レビュー
これだけ音楽の素地があるならばミュージシャンを志してもよさそうだが、その道はよぎらなかったのだろうか?
「それはなかったですね。でも、音楽はやってたんですけどね。高校の頃、コント55号へ行こうか、ドリフターズに行こうか迷ったんです。付き人やるときにね。で、コント55号は動きは好きなんだけど、音がない……それが決め手になってドリフターズに付いたんですよ」
ちなみに、志村も日本の音楽を聴かないわけではない。
「日本語って、やっぱりロックに合わないんだろうねえ。でも、日本語を英語っぽく歌って成功したのは吉田拓郎じゃないかと思うんだよね。桑田佳祐よりも前ですね。それと、拓郎のほうがビートルズっぽかったですね」
志村の逝去から2日後、31日に放送された『志村でナイト』(フジテレビ系)はいつも通りに志村が作り上げたコントが次々に放送された。そして、オープニングでは番組スタッフと志村の所属事務所であるイザワオフィスからのメッセージがテロップで流された。
「志村けんは令和2年3月29日午後11時10分、新型コロナウイルスによる肺炎のため、満70歳で亡くなりました。闘病中、皆様から数多くの応援や励ましのお言葉を頂戴しており、大変感謝しております。たくさん笑って、志村けんを偲んでいただけますと幸いです」
このとき、BGMに流れたのは吉田拓郎が歌う「ファイト!」だった。