「ストーリー音MAD」と「音MADユニバース」
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「ストーリー音MAD」と「音MADユニバース」

2020-04-22 20:45

    こんにちは芋タルトです。先日下記の放送で喋ったことをまとめたいと思います。


     まず簡潔に言いますと、「音MADユニバース」という単語、あまりよろしくないのでは?というのが僕の意見です。正確に言うと、「音MADユニバース」という単語しか存在しない現状がよろしくない、でしょうか。そこで、「ストーリー音MAD」という単語を設定したい、と考えています。

    ○そもそも「音MADユニバース」とは?
     「音MADユニバース」というタグが登場したのは2018年6月末~7月初頭あたりだと思われます。Twitterで「音MADユニバース」に言及され始めたのがこの時期のようです。


     このタグですが、おそらく「シェアード・ユニバース」から借用したものと思われます。

     シェアード・ユニバースとは、文字通り“シェア(共有)された世界観”の意味。バラバラに見えていた物語や主人公が、実は同じ世界観の中にあった、つまり「世界観=ユニバース」を「共有=シェアードしていた」というコンセプトの元、物語を設計しているのです。
                          - ユニバース化は映画をどう変えるか?(https://imidas.jp/jijikaitai/l-40-241-17-11-g701
     
     シェアード・ユニバースは「異なる作品のキャラクターが一つの世界観に落とし込まれた作品」を意味します。最も有名な例としては『アベンジャーズ』のようなマーベル・シネマティック・ユニバースが挙げられます。
     つまり「音MADユニバース」という単語本来の意図としては、「様々な素材たちが集まり、一つのストーリーを紡ぎあげている音MAD」だったのではないかと予測できます。
     これの最たる例が『ハラニシクエスト』でしょう。

     原西を主軸に様々な素材が登場し、一つのストーリーを作り上げています。タグが登場し始めたのが2018年7月、この動画が2018年5月ということも考慮すると、「音MADユニバース」は『ハラニシクエスト』を受けて作られたものかもしれません。

     このようにして「音MADユニバース」タグが誕生したわけですが、一つ問題が発生します。それは「音MADユニバース」タグの意味が説明されなかったこと。ともなればこのタグがどういった意味か各々解釈をせねばならず、結果として「音MADユニバース」という単語の不明瞭さに繋がっていったのです。
    ・「ユニバース(=宇宙)」という単語の響きから、「壮大なストーリーを軸にした音MAD」と連想した人
    「音MADユニバース」=「独自のストーリーを主軸とした音MAD全般」と認識した人(僕もこれでした)
    といった風に、人によって「音MADユニバース」タグの捉え方に大きく差がある状況に陥っていきます。放送内でもアンケートを取ったところ、やはり解釈が割れているようです。

     
     かくして、「音MADユニバース」タグが本来の意図と異なる動画にも付いていき、解釈の揺れは更に加速しました。

     
     つまり「音MADユニバース」とは、結局「クロスオーバーストーリーもの」なのか、「壮大なストーリー」なのか、「ストーリー全般」なのかよく分からない単語、という位置に成立してしまったのです。

    ○では何が問題か?
     たかが一単語フラついてるだけで何の問題があるの?と思うかもしれませんが、これは作り手に無意識的に影響していると僕は考えています。
     単語の軸が不明瞭であるがゆえに、「音MADユニバース」という単語は漠然としか捉えられません。ほぼすべての人には未知の単語として機能します。となると、これを理解する手がかりが「このタグが付いた既にある動画」になる。そうなったとき、例えば「字幕の出し方はこうだ」とか、「ストーリーはこうだ」とかいった、別の要素まで「音MADユニバース」という単語の雰囲気に(無意識に)組み込んでしまう、そうした現象が起こっているのではないでしょうか。実際「音MADユニバース」と聞いて、特定の表現方法やストーリーの傾向について何となくイメージを持つ方は少なくないはずです。
     人間の思考は単語によって整理されます。ストーリーものの音MADを作ろう、と考えるとき、作り手の思考は自然と「音MADユニバース」という単語に寄せられます(特に、音MADユニバース=ストーリーもの全般と捉えている人にとって)。しかし前述のとおり「音MADユニバース」という単語は不明瞭であるがゆえに様々な要素が付随した特有の存在になっている。そのため、「ストーリーもの全般」という視野からいつの間にか「特定の様式である音MADユニバース」に狭窄化している、ということが起こりうるのです。
     つまり、「音MADユニバース」という未知の単語が思考の拠り所になることで結果的に既存の動画が拠り所になり、作り手の幅を狭めているのではないかというのが僕の考えです。








     一応ですが図解してみました。(ニュアンスが正しく伝わるか不安なんでちゃんと文章も読んでね)
     これらの行程がすべて「無意識に」行われることを危惧しています。


    「ストーリー音MAD」
     「音MADユニバース」の問題は軸の不明瞭さ、それによる意味の偏りでしょう。本来もっとあるはずの手法や構成が語の偏りによって潰えてしまうのは勿体ないことです。視野を広げるためには、やはりフラットで包括的な単語が望ましいです。
     となるとシンプルに、「ストーリー音MAD」が良いのかなと考えています。語の大枠としては、元コンテンツ(原曲が流れる作品/素材)の物語をなぞっている"だけ"でない、オリジナルストーリーの要素を含む音MAD」として広く設定したいところです。視野の広い単語が望ましいので。
     こう設定することで先述の問題がどう解消するかというと、作る際に「特定の方向に寄らない」。「ストーリー」という単語は当然誰もが知る単語であり、イメージや連想も多岐にわたります。青春もの、ミステリー、童話風、etc...。様々なジャンルを総合する既知の単語であることで、その選択肢が思考段階で潰えないというのは大きいと思っています。
     またタグを探す、見る側にとっても、それが一目で分かりやすいというメリットもあります(如何せん「音MADユニバース」は初見で分かりづらい)。

    総括
     簡潔に言うなれば、「音MADユニバース」は「ストーリー音MAD」の中の一ジャンル、子ジャンルとして成長した(にもかかわらず、それしか単語が存在しなくなってしまった)ということです。改めて視野を広げるべく、ストーリー音MADという単語で整理したいというのが僕の考えです。

     放送内で触れたその他の話題については、また別の記事で紹介したいなあと考えています。


    ※タグを不特定でない人物が設定すると運用がその人主体になる、という懸念の声を聞きましたが、あくまで「ストーリー音MAD」は大枠であり、その境目は「タグ」という機能上きちんと各々に委ねられると思っています。少なくとも僕はこの単語の境界線を厳格化したいという気持ちはありませんし私物化して運用するつもりもありません。


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