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独島

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独島(トクト・トクド・ドクド、독도、獨島)は、日本海にある島根県竹島大韓民国朝鮮民主主義人民共和国による朝鮮語における呼称。両国はそれぞれ竹島の領有権を主張しており、呼称として「独島」を用いている。

竹島を指す朝鮮語の名称

朝鮮側の近代以前の史料では、于山島がしばしば言及され、現代の大韓民国においては、これを現在の独島(=竹島)とする説が採られている[1]

現代の大韓民国では、高宗1900年10月25日大韓帝国勅令第41号で、独島を鬱陵島に付属する島と制定したとされ、これを記念するため2000年に制定された「独島の日 (독도의 날)」は、記念日として良く知られている。しかし、実際に勅令第41号の第2条で管轄区域と定められたのは「鬱陵全島」・「竹島」・「石島」であり、このうち「鬱陵全島」が鬱陵島、「竹島」が竹嶼を意味することは確認できるが、「石島」については韓国ではこれを独島(=竹島)とする説が採られているものの、池内敏はその裏付けとなる直接的な史料がないことを指摘している[2]

独島(獨島)という表現の初出は、堀和生が発掘した日本海軍防護巡洋艦新高1904年9月の日誌に残された「韓人これを獨島と書し」という鬱陵島在住朝鮮人が独島と呼んでいたという記録である[2][3]

郵便切手

大韓民国が1954年に発行した独島切手。左が額面2ファン(圜)、右が10ファン。それぞれの印面の右下に「독도 (独島)」と記されている。

1954年9月15日大韓民国は3種の独島切手3,000万枚を発行したが額面2ファン(圜)と5ファンの切手はそれぞれ500万枚、10ファンの切手は2000万枚が売れた。これに対して日本は、11月19日にこの切手を使った郵便物を取り扱わず、返送することを閣議決定[4]11月29日には外務省を通じて在日韓国代表部に抗議の口上書を出した[5]。こうした経緯から、外務省は、独島切手を付した郵便物を受けないとしたが、万国郵便連合 (UPU) の規定の中にある「郵便物中継の自由保障」条項により、最終的には日本国内への配送を許容することにした。日本は抗議を表すため、独島切手がついた韓国からの郵便物を汚して配達した。

大韓民国はこの島を図案にした切手を、その後さらに2回、2002年2004年1月にも発行した。2002年8月1日、「我が郷土特別切手シリーズ (내고향 특별우표 시리즈)」(全32種)の中の慶北編にも独島切手が含まれ、90万枚が発行された。その当時、日本政府は事態を把握しておらず、抗議はおこなわれなかった[6][7]

2004年1月、大韓民国が独島切手4種224万枚を発行した際には、日本の川口順子外務大臣が事前に趙世衡駐日大韓民国大使を呼んでこれに抗議し[6]、さらに尹永寛外交通商部長官(外務大臣に相当)に電話会談で発行中止を要請し[8]、さらに、独島の領有権を主張する日本の立場を明らかにし、韓国の切手発行が万国郵便連合憲章の精神に背くとして、UPUに回章の措置をとった[7]

2004年6月、朝鮮民主主義人民共和国で、この島が朝鮮の領土であることを示す古地図を図案にした切手が発行され、2006年8月には図案が若干修正されて、大韓民国でも販売された[9][10]。韓国での販売のために施された変更は、「조선의 섬 독도(朝鮮の島・独島)」という表記を「민족의 섬 독도-자연(民族の島・独島 - 自然)」とする変更と、北朝鮮が用いている年号である「主体」の除去であった[11][12]

クリスマス・シール

大韓結核協会朝鮮語版は、2006年クリスマス・シール英語版として、独島の自然を描いた「アイラブ独島 (아이러브 독도)」を発行した[13]

軍艦

独島LPH-6111 독도)は、大韓民国海軍独島級揚陸艦の一番艦である。 独島の名前を艦名にしたものである。 実際には、多目的強襲揚陸艦 (LDH) の機能があるが、公式にはヘリコプター揚陸艦 (LPH) とされている。 2002年10月末に韓進重工業が大韓民国海軍から受注して建造を始め、2005年7月12日に進水し、2006年5月22日から試運転を始めて、2007年7月3日に就役した。2010年3月には天安沈没事件の捜索救助作戦に投入された。

大学校・大学の組織

2007年3月27日慶尚北道慶山市慶一大学校は、独島と間島に対する「国民の共感を形成する」ことなどを目的として、「独島・間島教育センター (독도・간도교육센터)」を開設した[14]

2012年韓国福祉サイバー大学朝鮮語版に独島学科が開設され、2014年には初めての卒業生を輩出した。政治・経済・社会・文化・地理・環境・歴史学的観点により体系的に研究し、教育できる学問的基盤構築を目指して、韓国で最初に開設された学科であり、鬱陵郡郡守や、独島の警備隊長など、独島と関連して直接、間接に業務を担当している様々な人々だけでなく、教育界の専門家、独島関連の市民社会団体代表など、社会各界各層で活発な活動を展開する人々が在学中であったり、卒業している[15]

大衆文化

1982年韓国放送公社 (KBS) のプロデューサー (PD) であったパク・ムニョン朝鮮語版が、この島を主題にした歌「独島は我が領土 (독도는 우리땅)」を作り、コメディ番組『유머 일번지 (ユーモア一番地)』で発表したところ、時期適切な曲という好評を博し、まもなくチョン・グァンテの歌う正式なレコードが発売されて大人気を集めた。 この他にも、パク・ミョンスの「We Love 독도 (We Love 独島)」など、数多くの芸能人や歌手が独島に関する歌を発表してきた。

2004年に、大韓民国朝鮮民主主義人民共和国が共同開発したモバイルゲーム독도를 지켜라 (独島を守れ)』が大韓民国へ輸出された[16] 。このゲームは統一部から外交的な問題を避けるよう要請され、『섬을 지켜라 (島を守れ)』と名称を変えたが、ネチズンたちの抗議を受けて再び『独島を守れ』に変わった[17]

脚注

  1. ^ 韓国が知らない10の独島の虚偽 第2回「韓国が古くから竹島を認識していたという根拠はありません。」の正当性”. 島根県. 2020年1月23日閲覧。
  2. ^ a b 池内敏(2012)『竹島問題とは何か』名古屋大学出版会:坂本悠一「竹島/独島領有権論争の研究史的検討と課題 ―戦後日本における近現代史分野を中心に―」『社会システム研究』2014年、 176頁。
  3. ^ 池内敏(2012)『竹島問題とは何か』名古屋大学出版会:坂本悠一「竹島/独島領有権論争の研究史的検討と課題 ―戦後日本における近現代史分野を中心に―」『社会システム研究』2014年、 175頁。
  4. ^ “竹島入り韓国切手 締出し決る”. 朝日新聞・夕刊: p. 3. (1954年11月19日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  5. ^ ““竹島切手”に抗議 外務省、韓国へ口上書”. 読売新聞・朝刊: p. 2. (1954年11月30日)  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  6. ^ a b “「竹島切手」発行で日韓火花 領有権問題、かみあわぬ争点”. 朝日新聞・朝刊: p. 13. (2004年1月22日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  7. ^ a b “竹島切手問題 政府、UPU通じ不当性訴え 「回章」措置、韓国に強制力はなし”. 毎日新聞・東京朝刊: p. 5. (2004年1月17日)  - 毎索にて閲覧
  8. ^ “「竹島切手」の中止申し入れ 川口外相、韓国側に”. 朝日新聞・夕刊: p. 2. (2004年1月13日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  9. ^ 북한도 내달 독도 우표 발행 [출처: 중앙일보] 북한도 내달 독도 우표 발행” (2004年3月29日). 2020年1月23日閲覧。
  10. ^ 연합 (2006年8月18日). “북한 '독도우표' 한국판매 시작”. 2020年1月23日閲覧。
  11. ^ 北제작 독도우표 南 판매 추진”. DailyNK (2005年3月16日). 2020年1月29日閲覧。
  12. ^ 北の独島切手、韓国内での市販進める”. 中央日報 (2005年3月16日). 2020年1月29日閲覧。
  13. ^ 씰 구경하기 Archived 2008-02-24 at the Wayback Machine., 대한결핵협회.
  14. ^ 독도・간도교육센터”. 경일대학교. 2020年1月23日閲覧。
  15. ^ 이현진 기자 (2014年11月3日). “[사이버대 이색학과⑤:한국복지사이버대학 독도학과] “제대로 배워 영토주권 지키자””. 2015年8月22日閲覧。
  16. ^ 이상헌 기자 (2004年2月23日). “모바일게임 '이 섬을 지켜라' 남북공동개발”. 연합뉴스. 2020年1月23日閲覧。
  17. ^ 통일부, '독도를 지켜라' 명칭 변경 오리발?, 《오마이뉴스》, 2004.8.26.

関連項目

外部リンク