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【ドラニュース】33年×2万8000球の58歳最年長打撃投手の秘密 中日ジミーさんに彦野さんも立浪さんも最大敬意【質問に答えます最終回】2020年4月28日 9時59分
「裏方の一日を。元選手で誰がいる?」。そんな読者の問いにドラ番が答える4回連載の最終回、登場してもらうのは現在12球団で最年長となる58歳の打撃投手・清水治美さんだ。この道33年。打撃投手をクビになる危機も乗り越え、竜の打撃陣を支えてきた。 ドラゴンズには今、2人の球界最年長投手がいる。一人は現役の山井。もう一人は打撃投手の清水さんだ。中日の元投手であり、「ジミーさん」の愛称で親しまれる清水さんは、今年の誕生日が来れば59歳になる。 この年齢まで打撃投手の肩書を持っていた人は球界でも数えるほど。しかも清水さんは1軍の一線級を相手に投げ続けている。心身ともに負荷の大きな毎日を送っているのだ。 1日に投げる球数は「だいたい120球ぐらいかな」と清水さん。ホーム開催の試合前は、最近は20分間の登板が割り当てられる。そこで投げる球数が120球ほど。シーズン中は連日。オープン戦、練習日、さらには春秋のキャンプでも登板する。年間にすると、ざっと2万8000球ほどになる。 そんな生活を30年以上続けることができたのは「体が丈夫だった」というが、体の管理にも余念がない。試合の日はもちろん、5年ほど前からは休みの日にも早歩きのウオーキングを1時間半から2時間ほど行い、ビッショリ汗をかくようにしている。 「若いときは何とかなっても、年齢を重ねて衰えも出てくる。自分で維持するしかない。年をとってくると肩も早々にできないから」。オフは11月下旬のキャンプ終了後、1カ月のみ。年が明けるとともに再始動するという。「自分たちは故障したらおしまい。選手のように待ってもらえない」。重度の故障は打撃投手の引退に直結。回復するまでリハビリできるような甘い世界ではない。 最大の危機は2000年の秋。同年のシーズンは序盤に左肘を痛め、最後まで投げられなかった。迎えた秋季倉敷キャンプ。打撃投手で飯を食っていけるか否か、岐路に立たされていた。 「イップスまでとはいかないけど、フォームなども違うなというのはあった。イップスになった人を何人も見てきた。ケージの上に投げたり、ベースの5メートルほど前でワンバウンドするのも…。打撃投手を簡単に考えるかもしれないけど、けっこう難しい。これで給料をもらっていると考えると余計に(プレッシャーを)思う。選手にもやはり気を使う」 苦悩の中で、清水さんは冷静にメカニックを分析。「テークバックの時に止まるのを気にしすぎておかしくなったと思った。だからスムーズに投げられるようにした」。軌道修正に成功。「どうにか乗り切った。よく治ったと思う」。39歳だった秋、再びユニホームを着る道が開けた。 一つの大きな目標がある。「まずは還暦が目標。60歳で投げたい」。その先は体力が続く限りとなるのだろうが、清水さんにはプロとして自負がある。「緩い球なら80歳まででも投げられる。でも、1軍に行って、そこで投げられるのが打撃投手だと思う」。戦力として居続けるために、この先も自らの肉体を整え“現役”で投げる。 ▼清水治美(しみず・はるよし) 1961(昭和36)年9月25日生まれ、埼玉県川島町出身の58歳。川越商から日本通運をへて、83年のドラフト会議で中日から6位指名を受けた。84年の社会人シーズン終了後に中日入団。現役は85年から2シーズンで、86年限りで引退。1軍出場はなし。翌年から打撃投手。 ▼1年待って入団 清水さんは日本通運に在籍した1983年11月のドラフト会議で中日に6位指名された。翌84年のシーズンは日本通運に残ってプレーし、その年の11月に中日と入団契約を交わした。当初から社会人残留方針だった中での指名。ドラフト翌日、11月23日付の中日スポーツには「いずれドラフトの目玉になる大物。人気が出る前の先取りをした」という中日スカウトの選手評が掲載された。裏技の青田買いだった。 ◆◇◆◇◆◇ 本紙評論家の彦野利勝さん(55)は現役時代、清水さんの球が自分の状態を知るバロメーターだったと語る。 ■清水さんはボールの回転がよく、すごく打ちやすかった。そういう人はみんなが打ちたがるから、若いころはたまに回ってくるくらい。1991年あたりから、いつも打たせてもらうようになったと思うが、それが自分のレベルが上がった証拠だと捉えていた。調子をはかるバロメーターにもなった。チェックポイントは内角の球をどう打てるか。清水さんは左のスリークオーター気味で、角度があってピュッと来る。うまくさばけたら調子がいい、差し込まれたら良くない、と感じていた。調子が悪いと思えば、その日の試合には慎重に臨んだものだ。左腕から投げ込まれるボールのラインに合わせ、体が早く開かないように意識。制球が良く同じような球を投げ続けてくれるので、チェックしやすかった。今もいいボールを投げている。本当にすごいと思う。 ◆◇◆◇◆◇ 清水さんの思い出に残る一人は、通算2480安打を放った立浪和義さんだ。「今の選手はストレート系が多いが、立浪は若い時から『ミックスでも何でもいいです』と言ってきていた」。そしてそれを正確にジャストミート。「いい打者は何でも打つし、平気で芯に当てて打つ」と続けた。立浪さんからは感謝の印も贈られた。「2000安打を打ったときに、ゴルフのアイアンセットをもらったんだ。『To Jimmy From Tatsu』と英語で刻印してあってね。今でも使っている。引退するときには『23年間ありがとうございました』と言ってバットをくれた。立浪にはけっこう投げたし、ホントによくしてくれたよね」。かけがえのない宝物となっている。 打撃投手、懐かしい面々も
■打撃投手から現役に西さんは打撃投手から現役復帰という異例の経歴を持つ。広島で1993年に戦力外となり、翌年から横浜で打撃投手をしながら復帰を目指した。96年には1軍初登板を果たし、翌97年4月25日の中日戦(横浜)では勝利投手に。ドラフト外で85年の南海入団から13年目でのプロ初勝利となった。同年は58試合登板。オフの契約更改では推定年俸1000万円から2400万円へ大幅増となった。99年まで現役を続け、引退後は再び打撃投手になった。 ■鶴田泰さん2球団で2桁白星鶴田さんは中日で通算11勝、広島で通算10勝と2球団で2桁の白星を記録している。本格派右腕としてドラフト2位で駒大から1993年に入団。2000年オフに紀藤真琴とのトレードで広島に移籍した。03年5月1日には古巣中日戦(広島市民)で5イニング1失点と好投。延長10回サヨナラ勝ちへの流れをつくった。05年から中日に打撃投手として復帰した。 ■佐藤康幸さん用具担当と「2役」佐藤康さんは用具担当としてもこの企画に登場した。タフに2役をこなす。1997年に中日入りするまでの経歴は池新田高―帝京大―河合楽器。プロ2年目の98年には20試合に登板。9月15日のヤクルト戦では2イニング1/3を投げ、無失点で2勝目を挙げた。この試合までの防御率は1・31と、同シーズンでは安定感が光った。2001年は広島。02年から中日で打撃投手を務める。 ■永田能隆さん場内アナウンスも永田さんも打撃投手から現役復帰という経歴の持ち主だ。武豊高から名城大、北陸銀行をへて1998年オリックス入団。2000年は中日で打撃投手を務め、秋には教育リーグで登板。4試合、計6イニングを無失点と好投したことから、01年は投手として契約した。02年から再び打撃投手。キャンプでは渋い声で場内アナウンスするなど、投げること以外の才能も発揮している。 ■久本祐一さん通算15年で248試合久本さんは主にリリーフで、ロングや先発もこなすタフな左腕だった。大阪・柏原(現東大阪大柏原)高から亜大―河合楽器をへて2002年入団。13年に広島に移籍し、16年に引退するまで通算15年間で248試合に登板した。その後は中日に戻って打撃投手に。今も現役さながらの球を投げるため、実戦的な練習で投手役としてマウンドに上がることもある。 ■佐藤亮太さんデータ処理も担う佐藤亮さんは「兼記録ビデオ」の肩書も持ちデータの記録をはじめ、トラックマンなどハイテク機器を使った情報処理も担う。長野日大高から国学院大をへて2006年入団。旧広島市民球場での最後のシーズンとなった2008年、7月10日の広島戦では先発し、5イニング2失点だった。翌09年限りで現役を終え、以来打撃投手を務めている。 ■落合監督が声かけの高島祥平さん高島さんは帝京高時代、1年夏から3季連続で甲子園大会で登板している。ドラフト4位で2009年に入団し、2年目の10年6月6日の西武戦(ナゴヤドーム)で初登板。8回に登板して1イニングを5失点だったが、途中で落合監督が珍しく自ら足を運び、声をかけたことで話題になった。13年秋から打撃投手になった。 ■西川健太郎さん同期は高橋周平西川さんは、佐藤亮さんと同じく「兼記録ビデオ」の担当も担う。星稜高からドラフト2位で2012年入団。同期の1位指名は高橋周平だった。1年目の6月に1軍デビューすると、2年目には9試合に先発し、7月31日の阪神戦(甲子園)では初勝利を飾った。16年限りで引退し、打撃投手としてチームに残っている。 ■ドラ1で入団も…野村亮介さん野村さんは大きな期待をかけられた元ドラフト1位だ。静清高から三菱日立パワーシステムズ横浜をへて2015年に入団。アマチュアの日本代表チームでも大器として成長を期待されていた。プロでは力を出せず、登板は1年目の3試合に終わった。現役は2シーズンで終え、打撃投手として裏方に回った。 チームの心臓部ともいえるトレーナー元選手ではないが、裏方として重要な仕事を任されているのがトレーナー陣だ。現在はチーフの亀卦川(きけがわ)正範さん以下、1軍は永田暁弘さん、溝際和也さん、安藤武司さん、佐藤啓介さんの4人が1軍を担当、金村将典さん、竹内嘉章さん、清水頼哉さん、神田慎一郎さんの4人が2軍を担当。コンディショニング担当の北野一郎さん、理学療法士の水谷隼大さんとともに選手の体のケアに神経を注ぐ。 トレーナーは毎日、選手にマッサージなどを施す。選手より早く球場入り、試合後に球場を出るのは選手や首脳陣よりも遅い。選手の故障や体調不良は成績に直結するため、チームの心臓部とも言える部門だ。 選手とファンつなぐ広報部にも
球団の広報部にも元選手の広報担当がいる。現在「監督付」として与田監督と行動を共にする山田博士さん(46)は、日通名古屋からドラフト2位で1995年に入団した元右腕。トレード移籍した横浜でも5年プレーし、2006年から打撃投手、マネジャーなどを務めた。 「左殺し」と呼ばれた元リリーバーの小林正人さん(39)は、14年まで12年間の現役生活で通算293試合登板。その後は広報として裏方に回っている。赤坂和幸さん(30)は高校生ドラフト1巡目指名で浦和学院高から08年入団。投手から外野手に転向し、両方で1軍出場を果たしている。18年から広報に転身した。 PR情報
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