糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの

04月26日の「今日のダーリン」

・スポーツというスポーツが中止になっていて、
 もともとスポーツを熱心に見ていた身としては、
 大きななにかが欠けてしまったような気持ちでいる。
 録画だとか再放送をたのしめばいいとも言えそうだが、
 それがそうはいかないんだなぁ。
 スポーツ中継では、いま、じぶんたちと同じ時間に、
 どこかでがんばっている人たちのことを見ていたのだ。
 観客席やテレビの前にいて、無力で熱心なじぶんの前で、
 いまあのチームが、あの選手ががんばっている。
 そういう「ナマモノ」の活動が見たくて、
 ぼくらは声援を送ったり感動したりしていたのだ。

 のっぺりとしたぼくらの日常に、
 全身全霊でなにかしている姿を見せてくれる。
 これが観戦スポーツのおもしろさの真髄だったと思う。

・そう考えてみると、ひとつの極端なプランだけれど、
 いま、ほとんどが自粛であり停滞であるような日々に、
 全身全霊ではたらいてくれている人びとがいる。
 ちょっと想像するだけで、たくさんの人たちがいる。
 医療関係の皆さん、保育に関わる皆さん、
 インフラを守ってくれている皆さん、
 ぼくらが感謝を伝えたいたくさんのはたらく人びとは、
 いまも、生命の危険や過労の渦のなかにいる。
 批判されてばかりだけど行政に関わる人たちだって、
 この状況のなかで必死でやっていると思う。
 この人たちは、ライブな行動を禁じられたぼくらにとって
 「全身全霊でなにかしてくれている」選手なんだと思う。

 テレビ局の皆さん、人を減らしたスタジオで
 限られた情報を元に床屋政談をしているより、
 「いま懸命にはたらいている前線」のようすを、
 ステイホームしている人たちに、伝えてくれないか。
 都庁だって、病院だって保育園だってマスク工場だって、
 運送会社だって農園だって水道局だって…ぼくは見たい。
 取材が邪魔になる場所については、うまく話し合って
 最小限の人数で、その現場の人たち以上の衛生管理でね。
 「今日、いまも、こんなふうにはたらいています」
 という「警察24時」的な方法で、番組つくれないかな。
 ライブではたらいている人たちへの、さらなる敬意にも
 きっと繋がってくれると思うんだ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
席を離すだけでなく、行くべき場所に行く報道番組を求む。