100年以上前から宮城の人々は、野球をこよなく愛し続けてきた。仙台市在住の会社員、伊藤正浩さん(47)が1年間にわたって連載した「みやぎ野球史再発掘」。書き尽くせなかったこと、そして自由に野球ができない今、思うことを尋ねた。
――そもそも研究を始めたきっかけは?
「大学では日本近代史専攻でしたが、もとは少しだけ歴史にうるさい野球好き。7年ほど前に野球同人誌に寄稿することになり、どうせなら郷土の野球史を書こうと。県図書館の古書を見て、新聞のマイクロフィルムで裏取りすることから始めました」
――何が見えてきたんでしょう。
「明治の中期、お雇い外国人ハーレルが宮城に伝えた野球は、旧制二高を起点に広まりました。大正時代には町という町、職場という職場にチームがあり、盛んに試合を組み、それを地元の実業家たちが支えた。これは宮城だけの話ではなく、近代日本の人々の暮らしはまさに野球とともにあったんです。執筆では、野球を通じて社会背景、時代の息づかいまで伝えられたらと考えていました」
「プロ野球や高校野球、東京六大学野球以外の歴史は研究が進んでいない。地方の野球史に光を当てたのは珍しいとの反響もありました」
――伊藤さんが、高校野球でおなじみの「試合前挨拶(あい・さつ)」が仙台発祥だと確かめたと、2年前に記事にしました。それが連載につながりましたね。
「日本的な野球文化のルーツがわが郷土にあることを、もっと知ってほしいですね」
「調べると、群馬県桐生市が、全国大会の実績や市内5校が甲子園に出場していることから『球都』を名乗り、徳島県阿南市は野球でまちおこしをしている。それならば昔から野球が盛んで、今でもプロ球団や大学、高校の強豪校が活躍する宮城、仙台こそ『野球県』『球都』と称していい。甲子園優勝がないのは泣きどころですが……」
――連載の中で「みやぎ野球殿堂を」と、提案されていました。
「石巻球界の父・毛利理惣治のように、郷土の野球の普及・発展に貢献した人物は、もっと知られるべきです。東京の野球殿堂博物館のように展示スペースを設け、顕彰する。野球少年たちが学びにくるようになれば、郷土の歴史を受け継ぎ、未来をつくっていく動機づけにもなる」
「東日本大震災以降、ふるさとの歴史文化を心のよりどころにし、魅力を発見・発信する動きが強まっていると思います。いつも人々とともにあった野球は、そのひとつになり得る」
――新型コロナの感染拡大で、春の選抜高校野球が中止され、五輪は延期、プロ野球も開幕できません。
「明治末の『野球害毒論』や昭和の戦争、平成では阪神・淡路や東日本の大震災など、野球人はこれまで何度もピンチを乗り越えてきた。今回も野球の力、スポーツの力が人々を励ます時がきっと来ると信じています」
(聞き手・石橋英昭)
いとう・まさひろ 野球郷土史家。岩手県釜石市生まれ、子どもの頃仙台に移る。東北学院大文学部卒。朝日新聞紙上でのデビューは2018年4月、両チームが向かい合って並び、一礼をする「試合前挨拶」についての記事だ。1911年、仙台で旧制二高が主催した旧制中学の野球大会で最初に行われたと、史料をもとに確かめた。
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