我が家でも、今現在のような日曜日の昼などに、食事をカップラーメンだけで済まそうとすることがある。
しかし、父親がカップラーメンにお湯を入れてからフタを開けるまでの時間にこだわるのを見るのがとてもイヤで、父親以外はいつもレトルトカレーか残り物を食べて済ましている。
父親の時間へのこだわり方はこうだ。ヤカンをコンロに仕掛けるとその足で、台所にあるキッチンタイマーをダイニングに持ってきて、時間をセットする。
そして、ヤカンから沸いたお湯を注ぎ終わるか否かに、熱いヤカンを片手に持ったまま、真っ先にタイマーのスタートを押すのだ。
熱いヤカンを片手にして、よくそんな危ないことするなぁとは思うが、まあここまでは別に良い。
しかし、私が家族分のカップラーメンにまとめてお湯を入れるときがある。
お湯を注ぐ→ヤカンをコンロに戻す→台所にあるキッチンタイマーを持ってくる→時間をセットする→スタートを押す
の順番になることがある。つまり、お湯を注いでからキッチンタイマーをスタートするまでタイムラグが発生することがある。
すると、父親から「お前のせいで、ラーメンが美味しくなくなった」と、時間が厳密でなかったことに対して怒られる。これが意味不明ですごくイヤなのだ。
だって、タイムラグなんて高々30秒程度だ。スタートを押すまでけっこう時間経ったかなと思えば、それを加味してタイマーを短くしたりもしているのに、この扱いなのだ。
カップラーメンを食うという、安寧な家族生活に比べたら鼻糞ほどどうでもいいイベントで発生したこの理不尽な怒りに対し、私も当然反抗したことがある。
まずは、①「個人的には、麺は柔らかい方が好きなんだから、放っておいてくれ」だ。本当はそこまでこだわりは無いが、とりあえず言ってみた。
すると、これには「それはお前の好みであって、俺には関係ない」といった旨の回答があった。まあお前がそう言えば、お前の中ではそうなんだろう。
次は、②「スタートを押すのが遅いと思うのなら、少し早めに食べればいいのに」だ。何も、私がタイマーで調整しなくても、お前が好きに調整すれば良い。
すると、これにも「どれだけ早く食べればいいかわからん」といった旨の回答があった。どうしても、お湯を入れる時間は厳密に扱いたいらしい。
そこでクリティカルに、③「カップラーメンには『約3分』などと記載されている。『約』なのだから、そこまでこだわる必要があるか」と聞いてみた。
しかしこれには、「『約3分』ということは、たしかに、3分周辺は許容範囲なのだろう。しかし、3分がベストであることには変わりがない」といった回答が得られた。
推察するに、彼の頭の中には、3分をピークとする正規分布みたいな吊り鐘型の「美味しさ曲線」が描かれているのだろう。
しかし彼の解釈は正しいと言い切れない。今回は、私の主張が正しいことを言いたいのではなく、彼の主張に議論の余地が残ることを示せればいい。
なので更問として、④「『約』の解釈が間違っているのではないか。一番美味しくなる時間がもし仮に存在するとしたら、許容範囲ではなく、まさにその時間が『約3分』ではないのか。
つまり、一番美味しくなる時間は『2分50秒』かもしれないし、『3分20秒』かもしれないということだ。厳密に『3分』を追い求めることで却って、一番美味しくなる時間を外している可能性があるのではないか」
という疑問を呈した。煩雑さを回避するために、パッケージには時間をわざと荒く表記している、というのは有り得る解釈だろう。
これには我ながら「やったか!」という印象を得たが、結局回答は得られなかった。すなわち、「食べ物のことで何でそんなムキななってんの?」と煽られただけだったからだ。
「ムキになってるのはお前だ!」と指弾してもよかったが、ここからは水掛け論になるので辞めておいた。さまざまな事柄に延焼しかねない。
増田のレスバだったら、ここで「詭弁のガイドライン乙」とか言ってクローズすれば気持ちも治まるのだが、対面ではその苦々しさを顔から消すことはできなかった。
そして、インターネットと異なるのは、その後の行動変容が目に入ってしまうことだ。つまり、相手が議論に納得しているかが分かってしまうのだ。
結果、そんな反抗の甲斐もむなしく、結局父親の行動は変わっていない。今日もキッチンタイマーは手元にあった。だから、私は今日の昼飯もレトルトカレーを食べた。
それに、普段は「お前は大学出てるから、ログ?とかサイン?とか分かって偉いな」とか言う感じで、数値的な厳密さを求めるような仕事に明るいという訳でもない。
だからこそ、ラーメンの時間感覚にだけ見せるその熱意が理解できない。鍋奉行もそうだが、それが客観的に正しいかもわからない「美味しさ」のために、コミュニケーションをも犠牲にするのって何なんだろう。
その正しさは、美味しく食べてほしい我らに対してでなければ、何に向かって発揮されているのだろう。食材自身への贖罪ってこと?
あと、そばを茹でる時間にも同様の厳密さを求めるので、我が家では、年越しそばも憤慨を伴う廃止したいイベントの一つになっている。(それでも、父親がそば好きなので買わざるを得ない。)
うんち
今日も女は毒親叩き
今日もどこかでデビルマン
今日もポリポリかりあげ暮らし
この一家怖すぎ
大学出たんなら教養や受講しなくともパンフで色々な障害とか人間の趣向とか学んだだろ
「何かに強迫的にこだわる」というのは、発達障害の典型的な例です。そういう人は、「自分がこうあるべき」と定めたことや、「~ということに決まっている」ということに対して逆...
食べ始めがぴったり3分0秒だったとして食べ終わる頃には3分過ぎてるけどどうなんだろ