「かならず、一軍で勝利に貢献する」。そんな気持ちを決して絶やすことなかった中田に、突如、最大の試練が襲いかかる。それは、現役最後のシーズンとなる19年の4月のことだった。
「夜、家で食事をしているときに視界に違和感を覚えたんです。右目と左目で色が違う。すぐにチームのトレーナーに電話をしました」
右目の視界だけが、まるで黄色のサングラスをしているようにくぐもっている。しかも、中心部に黒い大きな点が現れ、それは次第に大きくなっていった。
病院で医師から告げられた病名は「右眼球中心性漿液(しょうえき)性脈絡網膜症」。視力に関わる網膜黄斑部に水膨れが起こり軽い網膜剥離が生じる病気で、30~50代の働き盛りの男性に多く見られるもので、主な原因として挙げられるのはストレスだという。
「ストレスを溜めるタイプではないと思っていたので、まったく自覚はありませんでした。でも、野球におけるプレッシャーだったり、銀仁朗さんが巨人に移籍されて一軍の捕手枠に入っていかないといけないのにそれができなかったり、いま考えると、そういうモヤモヤが積もっていたのかもしれません」
「野球を続けること自体がストレスになるから、球団に申し出て少し休みをもらったほうがいい」。周囲には中田の身体を心配し、アドバイスする人もいた。自分自身も悩んだ。それでも選んだのは、練習を続ける道だった。
「再発のリスクもある病気なので、野球から離れて治っても、復帰したらまた発症する。その繰り返しになるのは嫌だったので、なるべく離れずにやろうと思いました。トレーナーさんやコーチの方には、やりたいことをやって自分の判断で帰っていいようなメニューも組んでもいただきました」