変わる新宿二丁目
LGBTの「聖地」か、ノンケの「遊び場」か──変わりゆく新宿二丁目、その現在地
この☝記事を読んでいて思うのが
「あーあ、とうとう聖域も聖域では無くしてしまうのかぁ~
しかも、自分たちの手で」
フェミニズムにはめられた臭い感じが濃厚に漂う感じがするのはワタシだけだろうか?
女人禁制ならば女人禁制のままでいいと思うし
読んでいると、そもそもがそっとしておいてほしい人も多いんだろうなぁ~と思う
女性客がいったい何しにゲイバーに行くのかがわからなかったけど
多分、ゲイバーに通うのはフェミニズムな女たちなのだろうなぁ~と思った
そうなって来ると、その店内はフェミ女客とミソジニー店主が内心では互いを
馬鹿にして、見下し合いながらも表面上はなごやかに談笑するの図とか?
よくそんな所で酒なんか飲めるなぁと変な感心をしてしまった
まあ、今時、ゲイバーで女が酒を飲んでいても
べつに何も不思議ではない時代なのかもしれないけれど
かつてその場にゲイしか居なかった時代に女はその場に居続ける事が出来ただろうか?
うーん、なんだろ?こういうの、何て言うんだろう?
なんか男の聖域的な空気がかつてはあったんだろうなぁ
今はディズニーランドみたいな感じのwelcomeな感じ?なのだろうか
ウェルカムドリンクとか出て来るよーなねー
こういう閉鎖的で排他的な感じって
ああ、昔のレンタルビデオ屋のAVコーナーなんかの空気感がそうだったような気がする
男の聖域みたいな感じで、地続きの店内なのに女は入れない、はじくあの感じ
ああ、でも、今は女もAV見るんだっけ?
で、それが普通になって久しいんだろうけど、現代の女性はTSUTAYAとかで
AVコーナーにスタスタ入って男とすれ違いながらAVを選んで借りて帰るのだろうか?
それともネットで配信されてるのを見ているのだろうか?
ガキの頃見たエロ本で止まっているワタシにはそこの所の実態はわからない
が、多分、現代女性のAV視聴率の高さが以前イギリスで問題視されていたが
(なんか女がそういうのを見る事が問題視される時点で壮絶なほど変わらない男という生き物の保守的な価値観をまざまざと感じるのだが)
まー、しかし、もはやそこがバリアフリーになると二丁目もバリアフリー化の波が押し寄せて
そして、自分たちの居場所が無くなって全体主義的にただの街?いや
アミューズメントパーク的な認知とかテーマパークのようになって行くような気がする
そうしたら、今度はどこへ行くのだろう?
「LGBTに理解を」とかスローガンが立って、理解なんか出来ないくせに
理解したつもりやフリをする人間たちが押し寄せて、
どこにでも我が物顔で入って来る
ワタシが疑問に思うのは、彼等二丁目の住人たちは
果たして本当に世界と和解したいのか?
記事の写真を見ると、まるで戦後すぐのまま時間が止まったかのような
歴史と郷愁を感じさせる古びた軒をつらねるドロンとした小さなバー街
ワタシは二丁目には行った事がないので知らないが
そこで恋をしたり、相手を探したり、好きな恰好をして遊んだり
自由にしていられるのは、じつは他の外部は関係がなかったからなのではなかろうか?
外部が関係ないからこそ、成立していたのではなかろうか?
そこにフェミニズムの波が押し寄せて来て、うっかり門戸を開いてしまうと
まさに、軒を貸して母屋を取られる、になりそうな気がする
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