2019年01月14日
ローレンス・ブリット博士のファシズム研究<本澤二郎の「日本の風景」(3214)
ローレンス・ブリット博士のファシズム研究<本澤二郎の「日本の風景」(3214)
<米国より日本会議の安倍・自公内閣にぴったり>
無知の知を心得ている不勉強ジャーナリストを自認しているが、それでも2003年に執筆したという米国のファシズム研究の第一人者の鋭い分析には、脱帽である。しかも、そのことを米ワシントンDCのホロコースト記念館で見つけたと思われる日本の弁護士が、講演までしていた。日本の政治家はどうだろうか。心配なので、壊れかけているネットで調べると、伊藤真弁護士の活動をネットで探すことが出来たので、貼り付けることにした。
<伊藤真弁護士が詳しく紹介>
2019年の日本人にとって、これからの運命を決するかもしれない最も大事な事柄なので、弁護士の記述した講演録を細大漏らさずに読破して、生活に生かしてほしいものである。
ローレンス・ブリット博士のファシズム研究のことを教えてくれたのは、小沢一郎支持者のAさんである。彼がメール送信してくれて目に留まった。推測するに、彼は戦争屋・ブッシュを警戒しながら、ナチス・ヒトラーの手口を整理、分析したものであろうが、神社神道の日本会議自民党と創価学会公明党の過去6年間をなぞっいくと、アメリカよりも改憲軍拡の日本の現在に符合して、平和軍縮派に勇気をくれている。
<梅原猛さん、93歳で逝く>
日本の知性を代表する人物というと、哲学者の梅原猛さんであろう。昨日、93歳で亡くなった。彼は、同じく93歳で亡くなった平和軍縮派の戦闘的リベラリストの宇都宮徳馬さんの後輩だ。
ごく当たり前の護憲派だから、2004年に設立した九条の会の呼びかけ人。2019年の日本を見たくなかったのかもしれない。ことほど2019年危機は、戦後最悪の危機といっていい。
この恐ろしい流れに棹差している信濃町の無知な人々と、戦前の国家神道の洗礼を受けて、いまも神棚として飾って、それをかすかに信仰している無数の氏子の子羊に、自ら声を掛けられなかった無念を想像できる。
平和天皇を引きずりおろし、第二の明治維新を敢行しようとして、自公で衆参同日選圧勝を夢見る安倍・日本会議のファシズム路線に怒っていた様子も見てとれそうだ。
人間は同じ愚を繰り返してはならない。
2018年1月14日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)
<伊藤真弁護士の日本女子大学の公開講座での講演>
憲法から男女共同参画を考える、日本女子大学の公開講座で、講師の伊藤真弁護士は「ファシズムの初期の兆候」14項目を掲げた。これが70年前のものとは思えないほど現実的なのだ。(「改憲論者が13条と24条を攻撃する理由」「戦争末期、米軍が撒いたビラが示す憲法の真の意味」)
ファシズムの兆候14項目がなんか当てはまってないか?
「日本国憲法は、権力者から国民の“権利”を守るものです(「「納税」の“義務”を“権利”と誤解している人が47%も」)。しかしまた、“権利”は主張し続けないと、奪われて消えていくものでもあります。それを教えてくれるのが、アメリカの政治学者ローレンス・ブリット博士による『ファシズムの初期の兆候(Early Warning Signs of Fascism)』です。ワシントンD.C.のホロコースト記念博物館に掲げられています」(伊藤弁護士。以下「 」内同)
ファシズム研究で知られるブリット博士は、ドイツのヒトラーなど20世紀を代表するファシストたちの研究から、ファシズムの初期の兆候として、次の14項目の共通点を見出したという。
ファシズムの初期の兆候
・強力で継続的なナショナリズム
・人権の軽視
・団結の目的のため敵国を設定
・軍事優先(軍隊の優越性)
・はびこる性差別
・マスメディアのコントロール
・安全保障強化への異常な執着
・宗教と政治の一体化
・企業の力の保護
・抑圧される労働者
・知性や芸術の軽視
・刑罰強化への執着
・身びいきの蔓延や腐敗(汚職)
・詐欺的な選挙
「人権軽視、女性蔑視からファシズムは始まります。『〇〇が攻めてくるぞ』からファシズムは始まります。身びいきからファシズムは始まります……これらは70年以上前のナチスの教訓から学んだことなのに、今のアメリカにぴったり当てはまるんじゃないかということで大きな話題になりました。しかもこれらが当てはまる国はほかにもあるんじゃないのか、しかも14項目全部あてはまっちゃんじゃないのか、と思えてくる内容です」
「大衆の理解力は小さいが、忘却力は大きい」
70年以上前のナチスの発言に学ぶことは大きいと、伊藤弁護士は言う。なかでも大衆操作に長けたヒトラーと、ゲシュタポを作ったゲーリングの発言は、今読んでも70年前のものとは思えないほどの現実性を持っているという。
ヒトラーの発言(『わが闘争』より)
『大衆の理解力は小さいが、忘却力は大きい』
『効果的な宣伝は重点をうんと制限して、これをスローガンのように利用し』
『最後の1人まで思い浮かべることができるように継続的に行わなければならない』
『民衆の圧倒的多数は冷静な熟慮よりむしろ感情的な感じで考え方や行動を決める』
『肯定か否定か、愛か憎しみか、正か不正か、真か偽りか』
『何千回も繰り返すこと』
ゲーリングの発言(敗戦後、獄中での発言)
『一般人は戦争を望みません。ソ連でも、イギリスでも、アメリカでも、そしてその点ではドイツも同じことです。ですが、政策を決めるのはその国の指導者です。それに人々を従わせるのはどんな政治体制であろうと、常に簡単なことです』
『国民に向かって、われわれは攻撃されかかっているのだと煽り、平和主義者に対しては、愛国心が欠けているし、国を危険に晒していると非難すればよいのです。この方法はどんな国でもうまくいきますよ』
「〇〇からミサイルが飛んでくるぞ、と愛国心を煽る。そうやって大衆に動揺を誘う。このヒトラーとゲーリングの発言を読んだ後、冒頭の『ファシズムの初期の兆候』を読めば、何に注意しなければいけないか、わかると思います。
日本国憲法が大切にしている〈個人の尊厳〉、これを戦争は苦しめます。個人の生命・身体・財産等を侵害し、人の内面から優しさと心を奪い、学問・科学・医療などが本来の目的から逸脱し、信仰心や内心を破壊し、人を人でなくしてしまう。そしてとりわけ、女性の尊厳を奪うものであることは、現在のイスラム国の性奴隷などの例を見ても明らかです。
しかし、ゲーリングも言っているように、政治が大衆を操作するのは簡単なのです。だから、ちょっとした兆候にでも気づいたら、声を上げることが大事です。
ドイツの神学者、マルチン・ニーメラーは次のような言葉を残しています。
『ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった。私は社会民主主義ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき、私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった』
いま私たちに問われているのは、国は私たちが創り上げるものだということを自覚すること、熱気に流されない冷静さを保つこと、憲法を学び自立した市民として主体的に行動すること、おかしいことにはおかしいと気づいた者から声をあげること、です。
憲法の理想に現実を近づけることこそ、今必要なことなのです」
(続く)
伊藤真
いとう・まこと 弁護士・伊藤塾塾長・法学館法律事務所所長
1958年生まれ。1981年に司法試験に合格、1982年東京大学法学部卒業。法学館法律事務所を設立し、所長を務める。憲法や法律を使って社会に貢献できる人材の育成を目指し、1995年伊藤塾を開塾。また、書籍・講演・テレビ出演などを通して憲法価値の実現に努めている。NHK「日曜討論」「仕事学のすすめ」、テレビ朝日「朝まで生テレビ」などテレビ出演多数。『あなたは、今の仕事をするためだけに生まれてきたのですか―48歳からはじめるセカンドキャリア読本』『私たちは戦争を許
アメリカ:闇の支配構造と略奪戦争
237926 「天皇の金塊」高橋五郎の紹介。 天皇の金塊、金の百合とは?
chiben ( 32 滋賀 製造業 ) 10/09/15 PM08 【印刷用へ】
【天皇の金塊とは】
天皇の金塊とは、「金の百合」といわれているものである。
「金の百合」とは、金塊と財宝は天皇家所有の財産である、として1937年に名づけられた。
宮中の歌会始めのお題をあてた名前だった。
1945年(昭和20年)6月1日深夜、日本陸軍がアジア12カ国から奪った巨万の財宝をフィリピン各地の175ヶ所のトンネル地下サイトに隠し終えた。
最後に爆破した、地下倉庫8号サイト一ヶ所に蓄えられた金塊の量だけでも、たとえば3~4世紀前に西欧に開設された全銀行が保管した金塊の総量と、第一次世界大戦時に世界一の金塊保有量(公称3千数百トン)を誇ったアメリカの全量の10倍を上回る勘定(数万トン?)であった。
つまり残る174箇所の地下サイトに保管された金塊財宝の総量は計り知れなかった。
175箇所のサイトに秘蔵された推定金塊総量は未確認だが、現地の信頼できる筋からの情報では、アメリカのCIAとイギリスの情報機関MI-6が15年間に推定した全サイトの金塊埋蔵量は合計14万1000トン。その内訳は、バチカンの名義分が1万4000トン、日本皇室の名義分2万4000トン、残りの10万トン余りは名義が特定出来ない(強奪先が不明)とのこと。
財宝を隠すのを現地で指揮していたのは、キムスと呼ばれた竹田宮恒徳(つねのり)(皇族)であった。
【天皇の金塊がどうやって集めら(強奪さ)れたか】
日本陸軍の高級官僚たちは、天皇の名のもとに、日本将兵と日本から呼び寄せた愛国者団体の黒龍会や玄洋社のリーダーや手下の荒くれ者たち、中国の地下組織の構成員たちを使って、アジア12カ国から金銀財宝を強奪した。
12カ国とは、
朝鮮半島、満州、中国、インドシナ半島、インドネシア、フィリピンなど。
各国の政府の金庫や民族の祖先を祭る場所、銀行、博物館、華僑の会社金庫、個人住宅の裏庭など、ありとあらゆる場所にある金銀財宝(「金の百合」)を漁って強奪した。
強奪した金塊財宝類は、朝鮮半島から船と飛行機で日本に運ばれた。
これを軍人や政府官僚たちは「戦利接収品」と呼んだ。
これらの金塊財宝は、日本銀行の本支店、横浜正金銀行や第一銀行、三和銀行、それに何箇所かの博物館などに保管された。
金塊の一部は金貨やインゴッドに鋳造して流通された。
その他の金塊財宝は陸海両軍の倉庫に保管された。
戦後、隅田川の運河に面した東京月島の倉庫からは数十億円規模の金塊を詰めた木箱が、日銀の地下室からは数百億円を優に超えるダイヤモンドがアメリカ兵に押収されている。
占領軍の将校が、「これほど豊富な資金を持ちながら、なぜ日本が戦争に敗れたのか。。。」とつぶやいた、というエピソードが残っている。
【フィリピンの地下に隠された天皇の金塊(の一部)】
アジア諸国から強奪してきた金塊財宝はフィリピンにも集められた。
しかし1943年ごろからフィリピンと日本を結ぶ洋上航路は連合軍の潜水艦に封鎖され、日本に送れなくなった。
そこでやむなくフィリピン各地の地下(175ヶ所のトンネルサイト)に分散退蔵することとなった。
分散退蔵に従事した人々の様子をベン・バルモス・ハーミン(将校の世話係 兼 現地案内)は語っている。
サン・フェルナンドの前線本部では軍人将兵より多い数の民間の専門家たちがいた。
・天然洞穴の空間や地面を掘削してトンネルを通したり、そのトンネルを繋いで地下構造物を拡大新設する民間人。
・鉱山技師、地質学者、建築家など。
・セラミック塗料で加工して地盤や地肌を偽装する職人、地下施設の随所に爆薬を装置して侵入者を防ぐ破壊専門家、同様に有毒化学物質とシアン化合物が自然粉砕するガラス類と化学薬品の科学者など。
・作品の年代や作者、歴史価値を判定する陶磁器専門の人。
・金の含有量の検査や鋳造、鉱物資源を分析する人。
・青銅製品や書画骨董類、それに歴史遺産に精通する大学教授や博物館の学芸員。
・仏像仏具の価値に審美眼を持つ日本の著名な寺院の仏僧。
・アジア全域の地形や地理に通じた専門家。
・日銀、三井、三菱、住友、第一銀行や横浜正金銀行から出向して、アジア12カ国政府と銀行所有の膨大な数の債権類や紙貨幣、それに財務資料や帳簿類を調べる行員たち。
彼らは、地下構造物とその空間に退蔵する金塊財宝の鑑定と保存をするために働いていた。
奴隷として作業させられていたのは、朝鮮人・中国人・フィリピン人、それにイギリスやオランダの捕虜たち。
管理していたのは”日本人ヤクザ”たちであった。
各サイトは地中で繋がっており、メインとなる8号サイトの出入り口を爆破してしまえば、他の空間も連鎖的に破壊できる構造になっていた。
1945年6月1日、その8号サイトを爆発処理したのは、昭和天皇の従兄弟、陸軍中佐 竹田宮恒徳(つねのり)と、フィリピン防衛を指揮した陸軍大将 山下奉文(ともゆき)とベン・バルモス・ハーミン。
地下で繋がったトンネルサイトの所在を示す精密な地図(暗号で示された)は、キムスこと竹田が潜水艦で日本に持ち帰った。
【そして、中盤へ。】
そんな風にして集めた金塊だが、そもそも戦争事業者である世界金融資本家たちの、さらに上位にあるロイヤル・ファミリーの私有物である、と言う。
そして、この構造が明らかにされたのは、「金の百合」資金で大統領の座を買い取った、フェルディナンド・マルコス、の裁判が行われたためである、と言う。
少しだけ書く。
マルコスは地下から天皇の金塊の一部を、地下から掘り出し(これも巨大な量)、換金していた。
そしてマルコス裁判では、その換金の過程が解る、金融世界の大物たちの関わった証拠となる資料が公表された。
jlj001 at 10:02