第1巻 ミノタウロスの咆哮(後)
第5話 冒険者ギルド長の回想
1
結局、新たなパーティーを派遣できないまま夜を迎えたローガンは、翌朝になってギルドに出勤すると、ミノタウロスに関して手を打とうした。
ところがこの日は用務が立て込んで、それをこなしているうちに時間が過ぎ、夕刻となってしまった。
日帰りで浅い階層を探索していた冒険者たちが帰還し、報告が上がってくる。
今日は六階層でミノタウロスが目撃されている。人間との戦闘は発生していない。ミノタウロスがモンスターを倒していたという目撃情報はあったが。
ここ数日で、ミノタウロスの噂もだいぶ広まったようだ。ただし、こちらから攻撃しないかぎりあちらからは襲ってこないということで、この異常な出来事を深刻にとらえている者は少ないようだ。
次の日の朝、衝撃的な知らせがローガンのもとに届けられる。
死亡ドロップと思われる冒険者メダルとアイテムが受付に持ち込まれ、鑑定により、メダルの持ち主はパーシヴァル・メルクリウスと判定されたというのである。
2
ローガンは、一階に降りて受付に行った。
受付前の床に、天剣の死亡ドロップらしい品々が無造作に積み上げられている。とんでもない量だ。
ちらとみただけで、めまいのするほど希少なアイテムもあるのがわかる。
その周りを取り巻くように、二十人ほどの若い冒険者が立っている。
「あ、ギルド長。この冒険者メダルです。あのかたのものにまちがいありません」
「こいつらが拾ったのか?」
「はい」
「リーダーは?」
「こちらのモランさんです」
ギルド長はモランをみた。たしかDクラスのスカウトだ。
「リーダーってわけじゃねえ。俺がみつけたんだ。だけど持ちきれなかった。どういうわけか〈ザック〉に入らねえアイテムもあったし。だから通りがかった冒険者に手伝いを頼んだんだ」
「そうか。モラン。悪いが少しだけ待ってくれ。おい。このメダルをわしの前でもう一度鑑定してくれ」
目の前で鑑定させたが、やはりパーシヴァルのメダルに間違いなかった。
(それにしても、レベル九十八か)
(相当高いだろうとは思っていたが)
(まさかこれほどとはなあ)
迷宮で冒険者が死ねば、メダルとアイテムが残る。
メダルとアイテムを拾った者は、ギルドに届け出ることが義務づけられている。
拾ってから一か月たっても所有者本人が現れなければ、拾ったアイテムの半分は拾った人間のものとなり、もう半分はギルドのものになる。
所有者の遺族から願い出があった場合は優先的に買い戻しの権利が与えられるが、冒険者の遺族が金銭に余裕があることは、まれである。買い戻すとしても、ごく安価な物を形見として引き取るのが精一杯ということがほとんどであり、優良なアイテムが買い戻されることはあまりない。
ギルドの取り分を金銭で納めるか物納するかは拾得者に決定権があり、物納の場合でもアイテム選択の優先権は拾得者にある。
高価なアイテムには魔法による所有印が刻まれるのが普通であり、横領も横流しも調べられれば判然とする。
届け出さえすれば、まず間違いなく欲しいアイテムは合法的に手に入れられるのであるから、希少なアイテムほどちゃんと届けられるものなのである。
それにしても、ずいぶん量が多い。
レベルが上がるほどに、〈ザック〉の容量は増える。
この量は、尋常な冒険者ではとても収納しきれない量だ。
(やはり、死んだのか、天剣は)
ローガンは、モランとほかの冒険者から、メダルとアイテム発見の状況についてくわしく話を聞いた。
第一発見者がモランであるということに異議を唱える者はなかった。ほかの者は、一人金貨十枚の報酬を約束されて、アイテムの運搬を引き受けたのだ。
(金貨十枚か)
数えてみたら、モラン以外の冒険者は十八人いた。つまり金貨百八十枚という大金を支払うことを約束したわけだ。
本当にすぐれた品は、みかけが派手でないことが多い。たぶんこの若者たちは、このアイテムの数々が宝の山だと気づいていない。
モランは、早く鑑定をしてくれとせっついていた。無理もないことだ。本当に金貨百八十枚が支払えるのかどうか、気が気でないのでろう。だが鑑定と査定の結果を聞いたら、この若者たちは卒倒するかもしれない。
受付の係員に、取得者の権利について説明し規定通りに手続きを進めるよう指示をした。
また、アイテム鑑定の結果が出たら一覧表の写しを提出するよう命じた。
ギルド長の部屋に戻るべく階段に向かったが、その足は重かった。
急に老人になったように感じた。
(六階層だと?)
(あり得ん)
天剣が六階層を通ったこと自体は不思議ではない。
そもそも天剣は一度も転送サービスを使ったことがない。迷宮の深層まで走って降り、走って上ってくるのである。
しかし、天剣ほどの冒険者を倒せるモンスターが六階層にいるなど、あり得ない。
迷宮は何が起こるかわからない場所である。
迷宮深層では、天剣といえど単独では危険だ。
最下層のメタルドラゴンには、一対一ではさしもの天剣も敵わないだろう。
(だが、六階層だと?)
(ちがう)
(絶対にちがう)
モンスター相手におくれを取ったとは考えられない。ということは、相手はモンスターではないのだ。モンスター以外の何者かが天剣を殺した。おそらくは卑劣な罠や、仕掛けを使って。
まともに戦えば、何十人の敵といえど、さばけない剣士ではない。そして迷宮は、軍隊を一度に投入できる場所ではない。そこでは、一人一人の技と心が生死を決める。権力によって兵員や武器を大量投入して勝てる場所ではないのだ。
(だからこそ天剣は、迷宮を愛したのに)
(そこを唯一のすみかと定め、地上の栄華にも醜い諍《いさか》いにも背を向け)
(ただ冒険者であろうとしたのに)
(そんな天剣を殺しやがった)
(くそっ)
(どこのどいつが、どんな手で天剣をはめやがった?)
3
「ローガン! いるんじゃろう?」
はっとした。
ギルの声である。どうも何度か呼ばれていたようだ。
「す、すまん、ギル。入ってくれ」
ギル・リンクスが、扉を開けて部屋に入って来る。
ローガンは、立ち上がってギルをソファーに座らせ、自分もその向かいに座った。
「すまんな、来るのが遅くなって。王のほうでも、いろいろ、わしに用事があってな。話も長くなった。そのあと王宮に泊まり込んで、丸一日かけて、急ぐ用事だけ片づけてきたのじゃ」
しずかな声だった。聞いているうちに、激していたローガンの心も落ち着いてきた。
「そうか。あんたも大変だな。朝食は?」
「すませてきたよ。王と一緒にな。王子たちも同席した」
「たち?」
「うむ。最初は第二王子だけじゃったが、第一王子はお元気かとわしが聞いたら、王が召された」
「へえ! さすがはギルだ。王妃たちはご陪席かい?」
「第二王妃だけじゃったな。王が、第一王妃は風邪ぎみで今朝は遠慮している、と仰せられた」
「今朝も、だろう。それと、『第二王妃の申すには』ってのが抜けてるぜ」
「ふむ。おぬしの耳には、そのように届いておるのか」
「ちがうっていうのか?」
「それは知らん。ただ、第一王妃も第二王妃も心根は優しいかたじゃと思う。宮廷に、権力とその使い方をめぐって、さまざまな思いや立場があり、軋轢が生まれるのも無理からぬことではあるが、人を決めつけてみるのは、思考の放棄じゃ」
「う。同じようなことを、何十年か前に言われた記憶があるな」
「はは。人からみればあちらがモンスターだが、あちらからみれば人がモンスターだ、という話のことかの」
「それそれ。あんときは、ちょっとショックを受けたなあ。一番悪辣な盗賊より、人間がモンスターを扱うやり方のほうが非道だって、納得させられたんだからなあ」
「人が思う非道の基準からすれば、の話じゃ。モンスターにとっての幸不幸、正義と非道、善と悪、成功と失敗、獲得と喪失。それが人間と同じであるとは、わしも思わん。けれど、それでいて、人とモンスターとに共通することわりや価値も、どこかにあるとは思うておる」
「あんたは、人間以外とずいぶん付き合いがあるらしいからなあ。というか、あんたは、まだ人間なのか?」
「こりゃ、ひどいな。うむ。これを非道いというのじゃ」
二人は一緒に声を上げて笑った。いつのまにか、ローガンの気鬱も怒りも鎮まり、普段通りの明晰な思考力を取り戻していた。
「ところで、一階の受付近くで、殴り合いの喧嘩が起きておったが、あれは何じゃ?」
「は? 殴り合いの喧嘩? いや、聞いてない。今か?」
「何やら、荷物の運搬で、約束した金額では足りないから現物をよこせ、などと言っておったの」
「ああ。なるほどな。よくわかる話だ。あれはもめて当然だ」
「もめて当然とは、ギルド長の珍しい発言を聞くものじゃ」
「そうだ。そのことを聞いてもらわなくちゃならん。実は」
ローガンは事情を説明した。
そのうえで、天剣を罠にはめた卑劣な陰謀をどう暴けばいいのか、ギルに相談した。
「いや。それは順序がちがう」
「何の順序がちがう?」
「よく考えてみよ。事の発端は、妙なふるまいをするミノタウロスが目撃されたことじゃ。そのミノタウロスは確かに実在し、段々と上の階層に上ってきておる。アイゼルの娘たちのパーティや、パーシヴァル殿の行方不明も、その流れのなかで起きておる」
「それはそうだが」
「アイゼルの娘たちのパーティも、パーシヴァル殿も、ミノタウロスごときに倒されるとは思えぬが、かといって、今のところミノタウロス以外に探索すべき対象が明らかになったわけではない」
「いや、しかし」
「おぬしの言うように、パーシヴァル殿のことは人間世界の問題かもしれぬ。じゃがその場合、迷宮の外を調べることになる。おぬしの本務はどちらにあるのじゃ」
「う」
「いずれにしても、ミノタウロスが本来の活動場所を離れて移動しているのは異常なことにはちがいなく、放置できぬ。そうではないか?」
ローガンは返事をしなかった。ミノタウロスの奇妙なふるまいなど、パーシヴァルが殺されたことに比べればたいした問題とは思えなかったのだ。
「まずは、ミノタウロスを発見するのじゃ。そして、倒すのじゃ。そうしてみて、パーシヴァル殿の件との関連性がそこにみえなければ、そのときあらためて探索と検証を進めればよいのじゃ」
この言葉を消化するには、いささか時間が必要だった。長い沈黙のあと、ローガンはしっかりした声音で返事をした。
「おっしゃる通りだ。まずはミノタウロスに当たらねばならない」
「うむ。今からわしが迷宮に入る。一階層から順に十階層までを探索し、ミノタウロスを探し出して撃滅する」
ありがとうとも、申し訳ないとも、ローガンは言わなかった。この人物に対しては、逆に失礼に当たると思ったからである。
ただ深く頭を下げた。
「これを渡しておこうかの」
ギルの右手には、耳ほどの大きさの、多層殻を持つ貝殻が握られていた。
「これは……セルリア貝?」
「そうじゃ。セルリアの花によく似た色をしておるじゃろう。セルリアの花言葉は、乙女の恋心というらしい。まこと恋する乙女のような、淡く、切なく、はかない色をしておる」
「おおお? 急に詩人だな。何か、思い出でも?」
冷やかしのように尋ねるローガンに、昔な、と心のなかで返すと、ギルは、虹色に輝く貝殻を顔に寄せ、白い口ひげを揺らして、ふっと息を吹き込んだ。
すると、貝殻の内側に青紫に輝く光の球が生じた。
「今、この貝に、わしの命の波動を記憶させた。この光の球が輝くかぎり、わしは生きておる」
「おいおい。わしより早く死ぬつもりか? というか、あんた、冥界の王に恩を売って、死なない体にしてもらったんじゃないのか?」
「ははは。噂とは面白いものじゃな」
この置き土産はローガンに安堵を与えた。
安堵する自分の心をみつめて、ローガンは、自分が天剣の死に、いかに動揺していたかを知った。同時に、ギルの思いやりをかみしめた。
「ありがとう、ギル」
にっこり笑って瞬間移動を発動させかけた大魔法使いは、ふと思いついたように言った。
「幸せな死に方があるかどうかは、わしは知らん。けれども、このように生きたいという生き方をみつけることができ、死に至る最後の瞬間まで、そのように生き切ることができたとしたら、それは幸せな人生であったといえるじゃろう。人生の値段は、本人以外にはつけられぬ。他人がつける値段は、死体の値段か、さもなくばその他人にとっての思い出の値段じゃ」
まるで遺言のように言い残し、ギル・リンクスは戦いにおもむいた。
4
ローガンがギル・リンクスと出会ったのは、およそ四十年も昔のことである。
大陸南部のシェラダン辺境伯領の小さな街のギルドで、報酬をめぐってギルド職員ともめごとを起こしていたローガンに、助け船を出してくれたのがギルだった。
ギルはそのころすでにSクラスだった。冒険者としての常識を丁寧に教えてくれたので、ローガンも自分の間違いに気づき、謝罪した。
そのうえでギルは、ギルドが予定外の依頼をあとで付け加えた事実を指摘し、報酬を増額させた。ギルド職員がギルのような一介の冒険者にへりくだった態度をとるのが不思議だったが、その後Sクラス冒険者というものがどういうものかを知った。
Sクラス冒険者というのは、特別な存在なのだ。
Sクラス冒険者となるには、冒険者レベルが六十一以上か、あるいは、五十一以上で格別の功績を挙げている必要がある。レベル五十一以上ということは、戦闘力において大国の上級騎士なみの力がある、ということである。
名の通ったSクラス冒険者は、複数の国の利害がからむ問題で、使者や調停者としての役割を担うこともある。一時的に部隊の指揮を任されることもあるし、参謀のような役割を期待されることもある。
Sクラス冒険者は数が少ない。王家も諸侯もSクラス冒険者を召し抱えたいと考えることが多い。自由な立場を守りたいSクラス冒険者は、ギルドの庇護を求めることになる。
冒険者ギルドにとり、Sクラス冒険者は最大の商品であると同時に、ギルドが高い自立性を保ち、あらゆる干渉をはねのけて存立し続けるための切り札である。であるから、緊急度の高い案件については義務に近い形で依頼の斡旋をすることがあるかわり、国家に対してさえSクラス冒険者の権利を守る防波堤となるのである。
それからしばらくギルはローガンを連れ回して冒険をした。
たぶんギルには最初からローガンの正体がわかっていたのだ。
ローガンは、人間ではない。ドワーフ・ハーフなのだ。
ドワーフなどというものは古代に滅びてしまったと、人間の世界では思われている。だが実際には、大陸中央部のやや南東寄りに広がる広大な高地のなかに、ドワーフの国がある。その国に迷い込んできた人間の一家があり、一家の末娘はドワーフの国で成長し、ドワーフの夫を持った。そのこどもがローガンなのだ。
ドワーフは、人間より身長は低いが、骨格も筋肉もずっとたくましい。持久力は驚異的であり、長時間の戦闘では無類の強さを発揮する。そして、人間のおよそ三倍程度の寿命を持つ。
ローガンは放浪者気質であり、一度国を出て人間の世界に行けば戻ることができないにもかかわらず、ふらりと旅に出た。
人間の言葉は母から教わっていたが、実際に人間の文化文物にふれたことはなく、人間の慣習や価値観も充分に理解しているとはいえなかった。
そんなローガンに、ギルは人間世界の常識と、冒険者としての生き方を教えてくれた。
二年一緒に冒険したあと別れ、さらに四年後再会した。
それは、ロアル教国のとある高位神官の館に監禁されている巫女を救出するという秘密依頼での、偶然の再会だった。
行動をともにした冒険者たちは次々脱落し、最後にはギルとローガンが残った。神殿騎士四人を二人で相手するはめになったが、ギルはなんと魔法を使わず、短剣二本を両手に持って、二人の神殿騎士をあしらってみせた。
(そういえば、なぜあのとき魔法を使わなんだのか、聞きそびれたままじゃったわい)
それから五年近く一緒に冒険した。
ギルはこのころには瞬間移動の魔法を習得しており、大陸のあちこちに移動拠点を作りたいということで、この五年間は世界をめぐる旅となった。
瞬間移動といえば、この旅のなかで驚嘆した場面があった。
ある地方領主から二人は命を狙われ、騎士団に追われた。ギルは草むらにローガンを隠すと、追っ手の目に届くように迷宮に逃げ込んだ。
すると当然ながら、追っ手は迷宮の入り口を封鎖した。
ローガンはぎょっとした。
瞬間移動では迷宮から外の空間には跳べない。迷宮内を瞬間移動で移動することは可能だが、迷宮と外の世界は魔法的にはつながっておらず、迷宮の一階から外へは歩いて出るほかないのだ。
この場合、追っ手がギルが瞬間移動の能力を持っていることを知っているかどうかは関係ない。どんな能力を持っていようと、なかに入った以上、必ず入り口から出てくるのだ。
「おいおい、ギルよ。迷宮のなかで持久戦をやるつもりか? そんならわしも連れていってくれたらよかったのに」
「そんな悠長なことをする気はないね」
「ギル! いったい、どうやって?」
「はは。お待ちどう。さて、次の街に行くか」
「お、おい。迷宮のなかから外には瞬間移動はできないんじゃないか?」
「そういわれてるね」
「たしか、魔法的にはつながってないとか聞いたぞ」
「うん。つながっていない。だから、つなげてあげればいいんだよ」
「はあ?」
ギルは、旅のあいだにも次々と魔法を工夫し進化させていった。本当の意味で天才だった。
再び別れたあと、ギルはバルデモスト王国に活動の拠点を移し、王の信任を得、魔法院に招かれた。
ローガンはアルダナに腰を落ち着け、Sクラスに昇格したが、そうなると周りがやたらにローガンを拘束しようとしたし、有象無象が関係を結びたいと詰めかけてきた。
うんざりしていたところにギルが訪ねてきてくれたので、瞬間移動の魔法でバルデモスト王国に連れてきてもらった。人一人を連れてアルダナからバルデモストに一気に飛ぶというのは空前の離れ業なのだが、ローガンはもう驚きもしなかった。
ギルは当時のミケーヌ冒険者ギルド長に引き合わせてくれ、ギルド長はパーティーメンバーを斡旋してくれた。
バトルハンマーのローガン。
大剣のゾーン。
付与魔術師のサイカ。
シーフのメジアナ。
これにのちに攻撃魔術師のガーゴスと神官のゾフが加わり、パーティーは完成した。
すばらしいパーティーだった。
リーダーのローガンはSクラス。
ゾーンは最初はAクラスだったが、のちにSクラスとなった。
サイカとメジアナとガーゴスは、パーティーに加入したときにはBクラスだったが、のちにAクラスになった。ゾフはCクラスからAクラスになった。
十年近く、楽しい迷宮探索が続いた。
臨時メンバーを二人加えて最下層のメタルドラゴンも二度討伐した。
また、地上での依頼もこなした。いずれも難易度の高い依頼だった。
やがて黄金時代は過ぎ、ゾーンは死に、サイカとメジアナは引退した。ガーゴスも現場を退き後進の指導にあたるようになった。ゾフは神の啓示を受けて辺境に旅立った。
ギルド長は、あまり迷宮にもぐらなくなったローガンを副ギルド長にして仕事を教え込んだ。そして長年のあいだにため込んだ情報をローガンに渡すと、あっさりと死んでしまった。後任のギルド長にローガンを推薦して。
ローガンがミケーヌの街の冒険者ギルド長に就任して十年以上になるはずだ。細かな年限は忘れた。
この暮らしにもそろそろ飽きてきた。それに、いくらなんでも一か所にとどまりすぎた。この街に来たときローガンは壮年のたくましい戦士であったが、今も老人と呼ぶには若々しすぎる。
後任に仕事を託して、旅を再開する時期が来ているのかもしれない。
ローガンは、机の一番上の引き出しを開けた。
セルリア貝の虹色に輝く貝殻の内側に、青紫のやわらかな光の玉がともっている。
心の温かくなる光だった。
第6話 強襲
1
再び十階層から上昇をはじめたミノタウロスは、九階層、八階層、七階層、六階層をまたたくまに通り過ぎ、五階層に入った。
五階層のモンスターは、人間がコボルトと呼ぶモンスターだ。
ミノタウロスの三分の一ほどの身長しかなく、白っぽい毛に覆われていて、ちょこまかと動き回る。逃げまどうコボルトを蹴散らしながら、ミノタウロスは四階層に上がった。
四階層で上への階段を探し始めたとき、いきなり前方の闇のなかから魔法攻撃を受けた。
ちょうど心臓のあたりに着弾して、体ははじき飛ばされ、ひっくり返る。
直感が、倒れかかる体を左にひねらせた。
すぐ右を光弾が走り抜け、地面に当たって爆発した。
体をひねっていなかったら、致命傷を受けていたところである。
倒れつつ体を回転させ、ごろごろと転がり、身をよじって上半身を起こした。
起き上がる頭部を狙い澄ましたように、光の蛇をねじり合わせたような魔法が伸びてくる。
顔をひねってかわそうとする。
光の槍は、噛みつくように右頬をとらえた。
右頬は吹き飛ばされ、右目の視界は奪われる。
激しい耳鳴りがする。
だが、ミノタウロスの知能は、今が反撃の好機であると判断した。
これほど威力の高い魔法を三連続で放ったのだから、ここで空白の時間が生まれる。
そう考えて前方に駆け出した。
すかさず雷撃が飛んで来る。
胸の中央に突き刺さり、大きな火花が上がる。
巨体が吹き飛ばされる。
ミノタウロスは、全身と脳髄がしびれるのを感じながら、それでも岩陰に転がり込んだ。
胸は焼けただれ、強烈な痛みが走る。
収納庫から三本の赤ポーションを出し、一気にあおる。
傷が癒やされていく。
顔を突き出して、ようすをうかがう。
相手は、近づきも遠ざかりもせず、通路のまんなかに悠然と立っている。
全身を厚手の布の服で包んでいる。
目、鼻、口を残して、顔も頭巾で覆われている。
特殊な防御効果を持つ服であろう。
頭巾で覆われてみにくいが、顔には幾筋ものしわが刻まれ、白い口ひげと顎ひげを生やしている。人間がその姿をみたなら、相手は老人であり、しかもかなりの高齢であると判断しただろう。
ただし、迷宮のモンスターは成体として生じ、そのままで死んでゆくのだから、ミノタウロスは若さも老いも理解しない。ただそういう相手だと思っただけのことである。
指でこちらをさす。
火炎弾が飛んで来た。
呪文の詠唱もなく。
こいつは、前の魔法使いとは全然ちがう。
ミノタウロスは、そう思いながら、岩陰に頭を引っ込めた。
ところが、軌道を変えた火炎弾に腹部を直撃された。
この敵は、魔法攻撃を曲げることができるのである。
はみ出す臓物を左手で押さえながら、右手で赤ポーションをいくつかつかみ出して、容れ物ごとかみ砕いて飲み込む。
光の槍が立て続けに飛んできて、隠れていた岩を完全に破壊した。
この魔法使いの攻撃は、一撃一撃が致命的な威力を持っている。
しかも、その強力な攻撃を休みもなく続けて撃ってくる。
ミノタウロスは、何度も殺されかけながら、次々と遮蔽物を変え、勝機を探った。
何度か岩や石礫を飛ばしたが、敵の体にふれる前に、じゅっと音を立てて消滅した。
しばらくそんなことを繰り返したあと、魔法使いは両手に雷球をまとって、ふわりと飛び上がった。
飛べるのか!
すさまじい速度で洞窟内を飛行し、ミノタウロスの背後に回り込むと、右手の雷球で頭を攻撃してきた。
とっさに体をひねり、向き直りざまに右手の斧で切りつける。
だが、必死の反撃は、かすりもしない。
魔法使いの攻撃は、ミノタウロスの左角と左側頭部を削り取り、後ろの岩をえぐった。
ミノタウロスは、しゃにむに斧の攻撃を繰り返したが、魔法使いは宙に浮いたまま、距離を取りもせず、余裕を持って、すべてかわす。
魔法使いが、右手の雷球で攻撃した。
ミノタウロスの左手首の先が、斧ごと消えてなくなる。
魔法使いが、左手の雷球で攻撃した。
ミノタウロスの右手に持った斧が蒸発する。
武器をなくした魔獣は、収納庫から獲物を取り出そうとした。
何かこいつを殴れる物を。
つかんだのは、あの剣士が残した腕輪だった。
後ろの岩を蹴って飛びかかり、腕輪を魔法使いの額にたたきつけた。
だが一瞬早く、魔法使いは左手を顔の前にかざす。
雷球をまとったまま。
ミノタウロスの右手は、その雷球に吸い込まれて溶け去るほかない。
だが、そうはならなかった。
当たるとみえた瞬間、雷球が消えた。
腕輪に吸い込まれるように。
腕輪は、魔法使いの左手ごと額を打ちすえた。
手が砕け、頭が割れる音がした。
飛びかかった勢いのまま、ミノタウロスは、手首から先のない左手を大きく伸ばして旋回させ、魔法使いの胸にたたきつけた。
魔法使いの体は宙を飛んで後ろの岩にぶつかり、跳ね返って、うつぶせに岩の床に横たわった。
まだだ。
まだ、こいつは死んでいない。
両手の雷球は消えていたが、魔法使いにはまだ復活と反撃の力がある、と直感がミノタウロスに教えた。
間髪を入れず飛びかかり、腕輪で魔法使いの後頭部を打ちすえる。
魔法使いの頭はぐしゃっとつぶれ、頭巾の下で脳漿が飛び散る。
そのとき、魔法使いの右手にはめた指輪の血のように赤い宝玉が光った。
ミノタウロスは、反射的に腕輪を顔の前に引き戻す。
指輪から赤く細い光が放たれた。
そして腕輪に吸い込まれた。
何かはわからないが、自動的に発動する魔法攻撃で、しかもたぶん致命的な威力を持っていた。
ミノタウロスは、腕輪で魔法使いの心臓をたたきつぶした。
体の至る所を殴りつけた。
全身がぐじゃぐじゃにつぶれるまで、殴り続けた。
不思議なことに、どれほど打撃を加えても、魔法使いの服は破れなかった。
びちびちっ、という音がする。
振り返ったミノタウロスは、魔法使いの左足をみて、愕然とした。
つぶしたはずの足が、ふくらみを取り戻し、勢いよく痙攣している。
その次には、ぷくりと胸がふくらみ、脈動を始める。
体のあちこちが、生まれたての小さな命であるかのように、うごめき始める。
魔法使いの全身が、命を取り戻そうと、あがいているのである。
どこだ。
こいつの生命力のみなもとは、どこにある。
ミノタウロスは、ふと気づいた。
指輪をはめた右手。
ここは、たたきつけてもつぶれていない。
指輪は、まるで心臓の鼓動のように、赤く、黒く、明滅している。
ミノタウロスは、有効な武器を求めて、左肩の上の空間に右手を差し入れた。
指先にふれたものがある。
あの剣士が残した短剣だと、すぐに思い当たった。
短剣を取り出すと、魔法使いの指輪をはめた指に突き立てた。
指輪は指ごと切り離され、勢いよく飛んでいった。
同時に、体のあちこちで起きていた脈動は止まり、全身は、ぐったりとなった。
安心しかけたミノタウロスの鼻が、何やら焦げ臭い匂いをとらえた。
魔法使いの胸から、黒い煙が出ている。
不気味な生き物のような形に焦げ目が広がる。
その形は、人のようでもあり、獣のようでもある。
焦げ目から勢いよく黒煙が立ち上り、不吉で邪悪な妖魔が現れた。
すさまじい悪意と、強大な魔力を発している。
妖魔が、手とも触手ともつかぬ物を、ミノタウロスの頭部に伸ばしてくる。
ミノタウロスは、傷ついた左手で、それを防ごうとする。
あっというまに左手の肘から先が腐り落ちた。
ミノタウロスは、右手に持った短剣を妖魔の体のまんなかに突き込んだ。
右手が激しく痛み、指が溶けていくのがわかったが、かまわず短剣をねじり込んだ。
「ギシャアアアアアアアッ」
叫び声を上げ、怪物が苦しんでいる。
短剣が、淡い緑の燐光を放っている。
突然、妖魔は霧のように空気に溶けて消えた。
同時に魔法使いの体も消えた。
あとには驚くほどたくさんのアイテムが残された。
ミノタウロスは、岩の上に大の字に横たわった。
激しい痛みが体を襲う。
またも体が造り替えられている。
すさまじいまでのレベルアップが始まったのである。
痛みが治まり、すべての傷は癒やされた。
失った指も、腕も、角も、頬も、修復されている。
ミノタウロスは、自分がとてつもなく強靱になっていることを感じた。
しばらく休んだあと、起き上がった。
魔法使いが残したアイテムは、残らず収納庫に入れた。
成長にともない、収納庫の容量は飛躍的に増加していた。
今度は服も残ったので、それも拾った。
これほどの強敵を倒した証しを、ひとかけらも残すことは許されない。
それにしても、何という敵であったことか。
広い場所であれば殺されていた。
あの腕輪がなければ殺されていた。
あの短剣がなければ殺されていた。
赤ポーションがなければ殺されていた。
ここまでに力と経験を蓄えていなければ殺されていた。
人間とは、すごいものだ。
あそこまでになれるのだ。
ならば、俺も、まだまだ強くなれる。
体は疲れ切っていたが、気持ちは高ぶっていた。
2
充分に休憩を取ったあと、ミノタウロスは再び階段を探して上っていった。
武器は右手に持つ小さなナイフだけである。斧は二本とも魔法使いとの戦いで失われてしまった。左手に持つ腕輪もとても頑丈だから、武器といえなくもない。
何度か人間と出遭ったが、相手は逃げるばかりで、戦闘にはならない。
直感は、ここが最上階層だと教えている。
ここに別世界への入り口がある。
ミノタウロスは、迷宮のしくみを振り返った。
各階層は、回廊と部屋でできている。
各階層のモンスターは、その階層にしかおらず、他の階層に行くことはない。
モンスターは、回廊をうろつくこともあれば、部屋にいることもある。
モンスターによって、どちらか片方を好むようだ。
各階層には、ボスモンスターが一体だけ出現する。
ボスモンスターは決まった部屋にいる。
モンスターも、ボスモンスターも、殺されたあと、しばらくすると湧いてくる。
各階層には、階段が、それぞれ二か所ある。
一つの階段は、上の階層につながり、一つの階層は、下の階層につながっている。
上の階層ほど、モンスターは弱い。
考えながら歩いているうちに、今までになく明るい光が差し込んでいる部屋があった。
あそこだ。
あそこに、強い光があふれている。
あの向こうに、やつが目指していた世界がある。
それはたぶん、ミノタウロスの知る世界とは別の世界だ。
その部屋に、ミノタウロスは足を踏み入れた。
そのとき目に入ったのは、ちゅうちゅう鳴くちっぽけなモンスターに、ずいぶんちっぽけな人間がとどめを刺すところだった。
ほかの人間がその場にいれば、どうしてこんなこどもが迷宮にいるのかと驚いたことだろう。
その少年は、モンスターを倒したときに現れた銅貨を大事そうに拾い、腰の袋に入れた。
そして、顔を上げて、ミノタウロスに気づいた。
部屋はかなり広く、あちこちで、ちゅうちゅう鳴くちっぽけなモンスターが走り回っている。しかし、少年のほうを攻撃するようでもない。
このモンスターは、相手から敵意を向けられないかぎり自分からは攻撃しないのだ。
部屋の端には、短い横穴があり、そこから、まぶしい光が差し込んでいる。
あそこだ。
あそこが、別世界への入り口だ。
ミノタウロスは、ふと目線を下ろして、驚いた。
少年がいた。
泣きも、へたり込みもしていない。
こちらをにらみつけ、武器を構えている。
武器といっても、ごくお粗末なナイフである。
この少年からすれば、このナイフは、大きな斧のように感じられるだろう。
だがミノタウロスからみれば、それは小さなとげにすぎない。
なぜ逃げないのだろう。
弱き者は、すぐ逃げるものなのに。
お前は決して、俺に勝てないのに。
ミノタウロスは、あらためて、その小さな人間をみつめた。
傷だらけである。
顔も、むき出しの腕も、ぼろきれをくくりつけた足も。
粗末な服も、いたる所が破れ、血がにじんでいる。
ここのちっぽけなモンスターも、この少年にとっては強敵なのであろう。
顔に飛びつかれ、体にまとわりつかれ、手や足をかじられ、戦ってきたのだろう。
何のために?
おそらくは、あの小さな茶色の、丸い金属のために。
それにしても、いい目だ、とミノタウロスは考えて、突然理解した。
そうだ。
同じ目だ。
やつと同じ目だ。
あの剣士と、同じ目だ。
戦う者の目だ。
思わず、ミノタウロスは右手に握った短剣を振り上げていた。
すると、いよいよ驚いたことに、少年は走り寄って来る。
走りながら、腰だめにナイフを構えると、腰を回して武器をミノタウロスの左足に打ち込んできたのである。
あきれるほど、遅い動作だ。
信じられないほど、重さに欠ける打撃だ。
こんなもので、本当に俺と戦うつもりなのか。
だが、弱々しくはない。
その剣尖の軌跡は、美しささえ感じさせた。
ミノタウロスが、あきれながらみるうちに、少年の剣は牛頭の怪物のくるぶしのすぐ上に当たり、そして、食い込んだ。
食い込んだ、どころではない。
刃幅の半ばが、足の筋肉に食い込んだ。
残りの半分は体毛で隠され、ナイフの刃全体が巨獣の足に吸い込まれたようにみえる。
ミノタウロスは驚愕した。
自分の強靱な肉体を、この貧相な武器が傷つけるとは。
いったい何が起こったのか。
そのとき、ミノタウロスは、足に妙な気配を感じた。
みると、少年がずりずりと崩れ落ちていた。
ミノタウロスは、思考が麻痺したまま、しばらく動かなかった。
すると、すうすうという寝息が、少年から聞こえてきた。
そうか、この少年は。
先ほどの一撃で、残された気力と体力を使い果たしたのだ。
そして、気を失い、俺の左足の五本の指を寝床にして、今眠っているのだ。
ミノタウロスは、少年を抱き上げ、岩の上に寝かせた。
左足に食い込んだままのナイフを足から抜き、少年のかたわらに置いた。
この少年は、力も技も、まともな武器も持たない。
だが、先ほどは、すばらしい攻撃をみせた。
戦いを重ねれば強くなり、やがて好敵手として俺を楽しませてくれるにちがいない。
若さも老いも理解しないミノタウロスだが、成長ということはわかる。自分自身、敵を倒して成長した。この小さな人間は、成長する前の段階なのだ。これからおそるべき成長ぶりをみせるのだ。
いつか成長したこの少年と戦えると、ミノタウロスは予感した。
その日のために、自分はまだまだ強くならねばならない。
その予感は、確信に近い思いとなって、ミノタウロスの胸に降りてきた。
それにしても、今、俺は勝ったのか、負けたのか?
この少年は、勝ったのか、負けたのか?
しばらく考えたが、結論は出なかった。
間違いないのは、この少年が、よい戦いをしたということである。
よい戦いは報われねばならない。
ミノタウロスは、左手に持っていた腕輪を少年の胸の上に置いた。
それから顔を上げて、出口の明かりをみた。
あの向こうには、この少年の世界がある。
だが、あの、やたらまぶしい光をみていると、あのなかには踏み込みたくない、という思いが強くなる。
あれは、俺の住むべき世界ではない。
あそこは俺を喜ばず、俺もあそこを喜ばないだろう。
次に、今まで来たほうを振り返った。
歩いてきた道を思い出すと、頭のなかにこの階層の地図が浮かんだ。
そしてここまで歩いてきたすべての階層の地図も頭のなかに入っていることがわかった。
俺の世界は、ここから始まり、下層へと続いている。
俺が生まれた階層には、下に降りる階段もあるのではなかろうか。
その下には、さらに深い階層があるのではなかろうか。
きっと、そうだ。
下に、下に、俺の世界は続いている。
下に行くほど強い敵がいる。
強い敵こそ俺の友であり、出会うべき相手だ。
俺はすべての友を殺す。
それが世界が俺に求めることであり、俺が世界に求めることだ。
ミノタウロスは、これまでにない強烈な飢えと、暴力的なまでの歓喜を感じつつ、きびすを返して昂然と歩き始めた。
下層に向かって。
第7話 メルクリウス家の家宰
1
ギルド長ローガンは物思いに沈んでいた。
天剣がサザードン迷宮に入ってから八日目であり、天剣の冒険者メダルが発見された翌日である。
遺留品の鑑定は当日のうちには終わらず、今日の早朝から鑑定作業を再開し、ようやく先ほど暫定的なリストがギルド長のもとに届いたところだ。
リストには、すべてのアイテムが項目別に記載されている。ぱらぱらとめくってみたが、銘持ちのアイテムが多い。そして恩寵品が多い。
それにしても、暫定リストを作るだけで二日がかりだとすると、金額査定には一か月以上かかるだろう。
ローガンの机の上は書類で埋め尽くされている。ギルド長の判断や決裁が必要な案件が、目白押しなのだ。書類仕事に追われ、昼食をとる時間もなかった。
少しだけ仕事の手をとめ、〈ザック〉から保存食を取り出してかじりながら、ここ数日の出来事を頭のなかで整理していた。
昨日は天剣の死に動転して、人間の世界での陰謀が天剣を殺したのだと決めつけた。
だがそれは臆断にすぎない。
今のところ、そんな可能性を示唆するような情報は得ていないのだ。六階層のモンスターに天剣が殺されるわけがないという判断から、殺したのはモンスターではないと考えただけのことだ。
だがもし、ミノタウロスが天剣を殺したのだと仮定すると、どうなるか。
何日か前、ミノタウロスの情報が入り始めたとき、ローガンは思った。それではまるでモンスターの冒険者だと。
荒唐無稽な話だが、そんな存在が生まれたとしたらどうなるだろう。
(冒険者なら、階層を行き来できる)
(それだけか?)
それだけではない。
冒険者なら、敵を殺せばレベルアップする。
エリナとかいう女戦士を殺してレベルアップし、パジャたちを殺してレベルアップし、そして……
慄然とした。
もしもミノタウロスが天剣を殺したのだとしたら。
とてつもない不運が重なって、天剣がミノタウロスに殺されてしまったのだとしたら。
今ミノタウロスは、どれほどの強さなのだろう。
ふつう、ミノタウロスのモンスターレベルは二十とみなされている。
同じ十階層の回遊モンスターである灰色狼がレベル十なのだから、これは反則的な強さだ。
エリナ戦で一つ、パジャ戦で二つか三つレベルが上がったとして、天剣を殺したら、いったいどれほどレベルが上がったろう。
それはもう想像するのも恐ろしいほどだ。
だが、冒険者だというなら、人間の冒険者と同じくレベルアップの上限があるかもしれない。人間の冒険者の場合、どれほどの強敵を倒しても、一度のレベルアップは十までなのだ。十もレベルが上がるような強敵を倒す冒険者はめったにいないが、とにかく一度に十以上は上がらない。
それがあてはまるとすれば、今ミノタウロスは三十四か三十五程度のレベルだと、一応考えられる。
それはなかなかの強さだ。だが逆にいえば、三十四階層か三十五階層の回遊モンスターなみの強さでしかない。
その程度の強さでは、パジャたち三人にも勝つのはむずかしい。まして天剣にはとても歯が立たない。
(そもそも冒険者はモンスターを倒せばレベルが上がるが)
(人間を倒してもレベルはほとんど上がらん)
(ミノタウロスがもし冒険者になったとしたら)
(そこはどうなるんだ)
2
結論の出ない思考をめぐらせていると、事務長がわずかにドアを開いた。
いつもながら、この立て付けの悪いドアを音もさせずに開けてくる。これは何かのスキルなのだろうか。
「メルクリウス家の家宰様がおみえです。静かな場所で、ギルド長にご相談なさりたいことがあるとのことです」
ローガンの脳髄は、耳が聞いた言葉を理解するのに、少なくない時間を要した。
(メルクリウス家の家宰だと?)
(静かな場所?)
(相談?)
いやな汗が、じわっと湧いてくるのを感じた。
メルクリウス家は、大国バルデモストのなかでも格別の名家である。
その家宰というような尊貴な人物を、あまり待たせるわけにはいかない。
静かな場所ということは、人に話を聞かれないような場所ということだろう。
とすれば、この部屋以外にない。
「事務長。お客様をこの部屋にご案内してくれ」
天剣の遺留品の暫定リストと一緒に、天剣の冒険者メダルと遺留品拾得についての知らせを家族に送る、という案件が上がってきたので、実施許可のサインをした。それはつい先ほどのことだ。
つまり、まだ連絡は行ってない。
天剣が死んだと聞いて、その情報を確かめにギルドに来たというなら、まだ話はわかる。だがその情報は、まだメルクリウス家に届いていないのだ。
(しかも、呼びつけられるなら話はわかるが)
(家宰自身が直接訪ねて来るだと?)
カーン。
カーン。
カーン。
入室ベルが打ち鳴らされた。
まさか、これを実際に使うことがあろうとは思いもしなかった。
ギルド長っていうのは偉いんだぞ、という冗談で付けさせたのに。
扉の内側にドアガードはいないので、事務長は自分で外からドアを半開きにして、涼やかな声で告げる。
「メルクリウス家家宰パン=ジャ・ラバン様、ご随行ツェルガー家のユリウス様、ご入室でございます」
(待て)
(何で名前が二人分なんだ?)
(しかも、ツェルガー家だと?)
(その家名は、たしか……)
前ギルド長から譲り受けた資料のなかで、その家名をみた。
特殊な家名だった。こういう使われ方をする家名はいくつかある。
この家名を名乗るということは、そういう血筋の人物だということだ。
(何てことだ)
(いったい何が起きてるんだ?)
先に部屋に入って来たのは、老境にさしかかった男性であった。
長身である。
きちんとなでつけられた髪と、口ひげ。上品な服。
静かな足運びと、柔らかな動作。
鍛え抜いたローガンの観察眼は、この家宰なる人物が、一騎当千の戦闘力を持つ武人であるとみぬいた。
「高貴なおかたをお迎えでき、光栄に存じます。ミケーヌ冒険者ギルド長ローガンでございます」
ローガンは、机の横に出て、深く頭を下げた。
「メルクリウス家の家宰、パン=ジャ・ラバンと申す」
家宰は、その家の実務を取り仕切ると同時に、当主の名代でもある。
メルクリウス家の歴代当主は、家臣思いで有名だ。
家臣には、機会を与え、経験を積ませ、やがて一家を立てさせる。
苦労は共にし、報いは惜しみなく与える。
そのため、もとの家臣たちの家は、メルクリウス家を主家と仰ぎ、代が替わっても忠誠を失わない。
親族たちへも厚く遇してきた。
そのくせ、メルクリウス宗家自体は少しも太ろうとしない。
このような家であるから、一朝事あれば一門の家兵が参じる。
家産の低さにもかかわらず、その潜在的武力は国内有数と目されるゆえんである。
家宰は、当主が外にあるときは家の一切を差配し、当主が家にあるときは代理として諸事の実務にあたる。この二年で二度あったメルクリウス家の出兵では、家宰が指揮を執ったと聞いている。
であるから、この家宰自身、それなりの身分であるのが当然なのに、名前も家名もローガンの記憶にはなかった。
(名家の子弟であるはずなのに正体不明な人物か)
その事実と、目の前の家宰の年輪を刻んだ厳しい顔つきを思い合わせているうち、ある出来事がローガンの脳裏をよぎった。
どうしてそれを思い出したのか、自分でもわからない。
3
先々代国王の時代に、近衛の平騎士から吏務査察官に任じられるという、異数の出世を遂げた男がいた。
男は、王の知遇に感じ入り、職務に精励した。
ところが、他国との貿易で不正を行った家をいくつか摘発したとき、リガ公爵の逆鱗にふれ、男の家は族滅された。
その男と家族と親族、そして部下たちは、一夜にしてこの地上から消え失せたのである。
翌朝、参内したリガ公爵は、王と閣僚たちの前で、賊徒の殲滅を報告し、その罪科を述べ立てた。理不尽な言いがかりというべきであったが、事はすでに終わっており、いかんともしがたかった。
王は、顔を紫色にして、ひと言も発せずに席を立ったという。
だが、当時、少しちがう噂も流れた。
その男の次男である少年の屍体を検分した者が、本人のように思うが、少し面差しがちがうようにも思われる、と述べたというのである。
男の友人であった貴族が、身代わりを立てて少年を助け、かくまっているのではないか、と憶測する者もいた。
前ギルド長は、その次男なる少年が生き延びたことをほとんど確信していた。
4
この家宰こそが、その生き延びた次男ではないか。
ヴァルド家の族滅は王国歴千二十四年、つまり五十五年前のことである。この家宰の年齢とも合致する。
もちろんこれはローガンの直感にすぎず、何の根拠もない。
ただ、目の前の人物の心胆がどこに置かれているか、つかめたような気がした。
家宰に守られるように入室して来たのは、五、六歳の美童である。
(この少年が、ユリウス・ツェルガーか)
ツェルガーというのは特殊な家名で、王宮の貴族台帳には明記されているのに、実際にはそんな名の貴族は王国のどこにも住んでおらず、生活もしていない。
この少年には何か別の本来の家名があるはずだ。
栗色の髪に、水色の瞳。
派手ではないが、きわめて上質な衣服。
あどけなさと凛々しさが同居する、とてつもない美少年である。
家宰の態度は、この少年が家宰の随行なのではなく、逆であると語っている。
しばしのまを置いたが、幼い貴紳の紹介はない。
今は名乗りたくないということか、と判断して、二人にソファーを勧めた。
家宰は、少年を座らせてから、自分もその横に座った。
「ローガン殿も座られるがよい」
「は。ありがとうございます」
(本物の貴族ってやつに、久々にお目にかかったわい)
ローガンは、いささかならぬ緊張を強いられている。
事務長が二人の女性職員を連れて入室してきた。
女性職員が持っているのは、客の外套と帽子であろう。
小憎らしいほど落ち着いた所作で、事務長は手ずから外套と帽子をラックに懸けると、職員を従えて部屋を出て行こうとした。
「事務長。わしが声をかけるまで、この階には誰も来ないようにしてくれ」
事務長は、ローガンのほうに視線を送ると、了承のしるしにうなずき、無言のままドアの前で深くお辞儀をして、姿を消した。まことに礼法に適った所作である。
(くそ。お前は、どこの貴族家の執事様だ)
と心で毒づきながらも、いつもはからかいの対象でしかない事務長の育ちのよさに、ちょっぴり感謝した。
実のところ、事務長のイアドールは、かなり大きな貴族家に仕えていたし、本人ももとは貴族である。事情があって冒険者ギルドに受け入れたのだ。
人の気配が去ってから、メルクリウス家の家宰は口を開いた。
「ミケーヌ冒険者ギルド長ローガン殿。先ぶれもなく突然に訪ね、相すまぬ。相談の議があって参った。その前にユリウス様をご紹介せねばならぬ。先ほどは、母方の家名を名乗られた。かの家は、母上様よりユリウス様が相続なされたものである」
物言いが丁寧なのにとまどいながら、ローガンは家宰の言葉を聞いていた。
(あの家名を母親から受け継いだだと?)
(とすると、その母親とは、つまり……)
「しかし、ユリウス様の本来の聖なる責務は、始祖王に付き従いし二十四家の一つ、光輝あるメルクリウス家のもとにある。ユリウス様は、父君にして現当主たるパーシヴァル・コン・ド・ラ・メルクリウス・モトゥス様の、正当にして正規の後嗣であられる」
(後嗣?)
(父君?)
(ということは……)
「天剣に息子がっ? というか、結婚してたのかっっ?」
思わず叫んだあとで、自分がどれほどの不作法をしでかしたかに気づき、ローガンの顔面は蒼白になった。
「こ、これは、まことに失礼をしましたっ。ひらにご容赦をっ」
応接テーブルに頭をこすりつけるローガンに、家宰は笑顔を向けた。
「ローガン殿。かしこまるには及ばぬ。貴族には貴族の作法があるが、冒険者には冒険者の作法があろう。まして、ここは冒険者の城にもひとしい。われらは、そこに足を踏み入れた部外者に過ぎぬ。それに」
言葉を探して、家宰は話を続けた。
「冒険者ギルドは、冒険者たるパーシヴァル様にとり、庇護者にして支援者。わけてもローガン殿には、特段のご厚配を受けたと聞き及ぶ。パーシヴァル様は常々、ミケーヌのギルドは居心地がよい、と仰せであった。あれほどの放浪癖の持ち主が、ミケーヌで過ごされることが多かったのは、ここの迷宮とローガン殿のおかげと、当家では感謝いたしておる。ミケーヌで過ごすあいだは当家に戻られたゆえ」
家宰の横でユリウスが、きらきらした目でローガンをみている。
(お願いだから、そんな目でみないでくれ)
「わがあるじは、七日前に屋敷を出て、サザードン迷宮に入られた。九十四階層近辺を探索されるとうかがった。補給品は充分に準備なされたが、長くとも十日程度のご予定であった」
異常な日程である。普通なら十日では九十四階層にたどり着くのがやっとで、探索する時間も帰還する時間もない。
この異様な移動時間の短さについて聞いたとき、天剣は、姿と気配を消し去るアイテムと走行速度を飛躍的に高めるアイテムを使用しているといった。どんな恩寵品であるのかまでは教えてくれなかったが。
「パーシヴァル様は、水晶球に命の波動を記録なさっておられた。その水晶球を収めた箱の鍵をあけ、日に一度か二度水晶球をごらんになるのが、ユリウス様のご日課であった。昨日の朝は異常がなかった。だが午後には水晶球の光が失われておった」
ユリウスの顔が悲しげにゆがむ。
ローガンの胸も痛んだ。
「パーシヴァル様は、常に仰せであった。迷宮に入るからには、いつ命を落とすやもしれぬ。迷宮で死ねば亡きがらも残らぬ。この水晶球の光が失われたときには、水晶球とわが書状を証しとして、ただちに死亡を届け出よ。しかしてユリウスに家と身分を継がせよと」
ユリウスが、必死に涙をこらえている。
(昨日、水晶球をみたときは、ショックだったろうなあ)
(一日泣いて過ごしたんだろうかなあ)
「ローガン殿。わがあるじの消息につきご存じのことあらば、お教えねがいたい」
「家宰様。実は、ちょうど書状をお届けするところだったんで。少しお待ちを」
ローガンはコールチャイムを鳴らした。
チャイムの音が消える前に下の階から事務長が上がってきた。
澄ました顔をして、手に盆を捧げ持っている。
事務長の後ろには、お茶を持った事務員が続いている。
事務長が持って来たのは、メルクリウス家宛の報告書簡と、拾得アイテムのリスト、アイテムの扱いについての規則の写しだった。
ご丁寧に、受領証と、署名するためのペンまで添えられている。
(なんでこんなに準備がいいんだよっ!)
(それに、なんでそのお茶、煎れ立てなんだよっ!)
事務長は、家宰が署名した受領証を受け取り、正しい順序でお茶を並べ、すうっと部屋を出て行った。立て付けのよくないはずのドアを無音で閉めて。
家宰は、無言で書類を読み進めた。
ふと気づいたように、ユリウスにお茶を口にするよう、しぐさでうながす。
ユリウスも心得たもので、カップを口に運ぶと、くちびるにふれさせ、そのままソーサーに戻した。
これで、ほかの二人もお茶を飲むことができる。
ローガンは、ありがたく喉をうるおした。
そして、仕事机に置いてあったリストの写しを読み始めた。
家宰は、リストに何やら印を付けたあと、書類を応接テーブルに戻し、目を閉じて、しばらく考え事をしていたが、やがて目を開いてユリウスのほうをみた。
「ユリウス様。パーシヴァル様の遺品が、昨日サザードン迷宮六階層で、通りかかった冒険者に発見されました。現在は当ギルドに保管されております」
ユリウスは、うなずいた。
「ローガン殿。遺品の何点かを買い戻したい」
ローガンは、天剣の恩寵職がなぜ冒険者だったんだろう、と理不尽な怒りを覚えた。
恩寵職に騎士を選択すれば、〈ザック〉ではなく、〈ルーム〉が持てる。
〈ルーム〉なら共有や相続が可能であり、今回のようなことにはならなかった。
とはいえ、〈マップ〉をはじめ、ソロで冒険者をするのに必要なスキルを多く取得できるのは、やはり冒険者である。取り回しのよさでは、〈ザック〉は〈ルーム〉に優っている。
ユリウスと家宰を交互にみながら、申し訳なさそうに謝った。
「これが世のなか一般のことであれば、遺品というものは、一も二もなく遺族のもんです。まあ、遺言とかで、遺贈先を指定していなければですがな。ところが、迷宮ではルールがちがうんです」
乾いた喉を茶で湿して言葉を継いだ。
「迷宮で死んだ人間の遺品は、拾った者とギルドの物になります。たとえ遺言があっても、迷宮で拾われた物には適用されんのです。ですから、ふつう迷宮にはあまり高価な財産は持ち込みません。あれほどの財産が、突然他人のものになってしまうなんて、さぞお腹立ちのことでしょうが、どうかご理解ください」
「それは、よくわかっておる。国法にも認められた迷宮固有の決まりであり、なぜそのようになったかも理解しておる。財産が奪われたなどとは思わぬ。また、この程度は、当家の財政に影響は与えぬ。さらにいえば、パーシヴァル様は、武具にしても法具にしても、最上のものは、ユリウス様に取り置いておられる。貴重な品は迷宮には持ち込まれなかった。ただ、五点だけ例外がある」
家宰は、お茶を一口飲んで話を続けた。
「その五点は、いずれも恩寵品であり、パーシヴァル様の冒険に、あまりにも有用であった。その五品は、当家にとり格別の意味がある。ローガン殿」
家宰は、目に力を込めて、ローガンの目をみすえた。
「パーシヴァル様は、貴殿のことを、高い見識を持つ人格者であると仰せであった。貴殿をみこんで腹を打ち割った話をしたい」
(天剣)
(あんた、わしと誰かを間違えて伝えてないか?)
そう思いながらも、ローガンはうなずくほかなかった。
「まずは、このリストに印を付けた三点を買い戻したい」
ローガンは、家宰が印を付けたリストをみた。
ライカの指輪
エンデの盾
ボルトンの護符
いずれも聞いたことのない名であるが、リストによれば三点とも恩寵アイテムである。そして恩寵の内容は不明となっている。ギルドの鑑定師では歯が立たないほど高位の恩寵品なのだ。
「わかりました。買い戻しについてはご遺族に優先権があります。問題ありませんな。ただ値段のほうは、これから査定をせねばはっきりしません」
「費用はいくらかかってもかまわぬ。さて、問題はここからなのだ」
会話をしながら、ローガンは、あることに気がついた。
あのアイテムが、一覧表に含まれていない。
天剣が持っていたにちがいない、あの有名な腕輪が。
「パーシヴァル様が所持しておられた品で、このリストにない品があるとしたら、それはどういうことであろうか。これには、アレストラの腕輪と、カルダンの短剣が含まれておらぬ」
5
「ローガン殿。パーシヴァル様は、自分が迷宮で死んでも殺した相手を恨んではならぬ、と仰せられていた。自分は好んで迷宮に行くのであり、戦いの一つ一つは自分にとり名誉ある決闘であると。力及ばず倒れたとしても本望であり、決して恨みや憎しみをわが子に伝えてはならぬ。そう何度もそれがしに念を押された。であるからパーシヴァル様が亡くなられた原因やようすを調べようとは思わぬ」
(迷宮のモンスター討伐が〈決闘〉とは)
(いかにも天剣らしい言いぐさだな)
「だが、このままでは、ユリウス様が跡をお継ぎになることができぬ。当主就任と身分継承は問題なく認められるであろう。認められたあとが問題だ」
「ユリウス様のお母上様が、国王陛下におとりなしを願われても、かなわないようなことなんですかい?」
家宰は、少し目をむいてローガンをみた。
「これは驚いた。あの家名を知っておったか」
「先代国王陛下の第二王妃様がご実家から受け継がれた従属家名かと。第二王妃様のお母上様が、時折お忍びで外出されたときなどにお使いであったと側聞いたしております」
「ううむ。冒険者ギルド長の情報と記憶とは、すさまじいな」
実のところ、このミケーヌの冒険者ギルドが特殊なのだ。
というより前ギルド長が特殊だったのだ。
「パーシヴァル様と奥様とは、秘密婚をなされた。ご結婚そのものは正式であるが、奥様が有される尊貴な血統と特権がお子様の災いとならぬようにされたのである」
王家の姫と秘密に婚姻するというのは驚くべき話だが、ローガンは先代国王の第二王妃に関する情報からすれば無理もないことだと納得した。
「ゆえあって内分に願いたいが、聖上には、ことのほかこの結婚を寿がれてある」
世間では、現国王は先王の第二王妃をきらっていたといわれている。ところが今家宰は、先王の第二王妃の娘の結婚を現国王が喜んでいると言った。しかもそれを内緒にしてほしいと言った。理由があるにちがいない。
「されば当主就任の勅許と身分継承のご沙汰については問題ないと申した。問題は、そのあとにある。家名継承と襲爵にあたっては、参内して聖上への拝謁を乞わねばならぬ。当家当主は、その際かの腕輪を身に着ける慣例なのだ」
(そうだった!)
(メルクリウス家の当主が代替わりするときには)
(アレストラの腕輪を腕にはめて参内するんだった)
「そして、聖上は腕輪を手に取り、始祖王と初代当主の君臣の契りをお賛えになる。ただの慣例ではあるが、腕輪が紛失したということになると当家は体面を失う」
アレストラの腕輪は他国にもそれと知られた秘宝だ。しかも女神ファラから始祖王に授けられ、始祖王がメルクリウス家初代に下賜した神宝だ。紛失したなどということになれば、体面を失うどころではない。メルクリウス家の存立に関わる。
「したがって、腕輪が戻るまでは、パーシヴァル様のご逝去を届け出、ユリウス様への代替わりを願出することはできぬ。カルダンの短剣については、みつからねば、当面は諦めてまた時を待つこともできる。アレストラの腕輪については、そうはいかぬのだ」
今度は、ローガンが考え込む番だった。
ややあって、ローガンは口を開いた。
「順番に考えていきましょう。ドロップアイテムがみつかったのは、六階層の階段近くです。わりと人通りの多い場所ですが、パーシヴァル様の目撃情報はありません。だからここにパーシヴァル様が長くとどまっておられたわけではない、と考えられます。おそらくパーシヴァル様は、深い階層で探索を続け、それが終わったあと出口を目指して迷宮を上り、六階層で命を落とされたんでしょう。すると、腕輪と短剣は六階層に上がった時点ではどうなっていたか、という点がまず問題になります」
「ふむ。その通りではあるが、生きているパーシヴァル様から、あの貴重なる二品を奪うのは無理であろう。紛失するような品でもない。格別な恩寵が込められた品であるから、破損して消滅したとも考えにくい」
「わしもそう思います。一覧表をみると、高性能の回復アイテムも多数残っとります。深い階層で傷や毒を受けたとしても、それは回復できたわけです。すると、やはり六階層で、命を落とされるような出来事があったのです。そのとき、あるいは、そのあとに誰かが持ち去った、という線をまずは考えるべきでしょうな」
結論は正しかったが、ローガンの知らないこともあった。
パーシヴァルは、修業の効果を上げるため、できるだけ回復アイテムを用いない。
同じ理由で、四十九階層より上の階層を駆け抜けるときには、わざわざ体力と能力が低下するブーツを着用していた。
ミノタウロスと遭遇したときには、体力も気力も絞り尽くし、本来の能力が抑制された状態だったのである。
「そうであろうな。非礼を承知で訊ねるが、拾得者はすべての物品をギルドに提出したであろうか」
「はい。提出しとります。少なくとも本人たちはそう思っとりますな。ところで、もちろん二つのアイテムには、所有印がほどこしてありましたでしょうな?」
「然り」
「おそらく、最上級の刻印なのでしょうな?」
「然り。最上級の刻印であり、呼び戻しの魔術もかけてある。取り戻したい五品すべて、そのようにしてある。ふむ。貴殿の次の質問への答えも然りである。すでに昨日刻印術師を呼び、探索の術をほどこさせた。夕刻になり反応が出始めたが、問題の二品のみ反応がなかった。監視を続けさせたところ、物品がここに持ち込まれたようであった。そこで、出向いてきたのである」
(食えない男だ)
(あらかじめそこまでの情報は押さえてやがったのか)
(しかもそれを隠してやがった)
(それにしても、呼び戻しの魔法までけてあるとは)
アイテムと同じ重さの聖銀を使いつぶしにする術であり、効果は長くて一年ぐらいだといわれている。
(切れるたびにかけ直すんだろうなあ)
(かけ直すときには、現物はなくてもいいらしいが)
(家柄のわりには金持ちでないと聞いてるが、やはりけたがちがうわい)
「ということは、腕輪と短剣はまだサザードン迷宮のなかにあるのですな」
ローガンはそれほど刻印術にくわしくはないが、迷宮の外からなかを探査できないというのは、広く知られた事実である。
「そうとしか考えられぬ」
「なるほど。ところで、拾得物提出については、トラブルを避けるため、本人の許可を得て、虚偽判定の魔法をかけながら、いくつか所定の質問をするんです。そのなかに、拾得した品は全部提出したか、というのがあります。十九人全員について確認が取れとります。ですから、拾得者たちが、迷宮内に腕輪や短剣を隠匿しているということはありませんわい」
「ほう。なるほど」
「所定の質問のなかには、もとの持ち主の死に関与していないか、また関与した者に心当たりはないか、というのも含まれております。こちらについても、十九人全員、パーシヴァル様の死因については、まったく心当たりがないことが確認されとります」
「うむ」
「次に、通りがかりの第三者が腕輪と短剣を持ち去ったという可能性も、考慮の外に置いてよいでしょうな。もとの持ち主を害していないんなら、ギルドに堂々と持ち込んで現物か対価を得られるんですからな。まあ、現金や高価な消耗品などが残されとりますから、強盗にせよ、火事場泥棒にせよ、単なる利益目的のはずがありませんわい」
「さようか。では、残る可能性は何か」
「まず、拾得者たちがみおとしたか、途中で落としたということが考えられます。この場合、一階層から六階層までのどこかにあることになりますな。次に、拾得者たちより早く、モンスターがアイテムを持ち去ったということも、考えられなくはありません。武器や光る物に興味を示すことがありますからな」
「それは思いつかなんだ」
「この場合、アイテムは六階層にありましょう。モンスターは、階層を越えてアイテムを運ぶことはできませんからな。次に、おそれ入る申し条ではございますが、メルクリウス家に害をなさんとする者が、パーシヴァル様を罠にかけて二品を奪い、迷宮のどこかに隠したか、持ったまま今も隠れているという可能性です」
家宰の目が、厳しい光を帯びた。
「パーシヴァル様が亡くなられたことが知れ渡り、若様が跡継ぎの願いを出さないわけにはいかなくなるまで待ち、お家を窮地に追い込むなり、あるいは条件つきで腕輪を返す、というような筋書きになるかと思います。しかしこれは、どうもありそうであり得ない可能性かと思えますんです」
「ほう。貴殿の洞察に感嘆しておったのだが、その可能性があり得ないのはなぜか」
「迷宮というのは、どんなに経験豊かな冒険者がバランスのよいパーティーを組んでたっぷりの消耗品を準備したとしても、長期間潜伏できるような場所じゃありませんわい。まして人にみつからんように隠れるなど、とても無理です」
「ふむ。〈竜殺し〉を二度も成し遂げた貴殿が言うのだ。その通りなのであろうな」
「かといって、迷宮から持ち出すわけにもいかんでしょう。これほどのお品なら、最上級の刻印があることは当然です。つまり〈ザック〉に入れても隠せない。迷宮を出たとたん発見されてしまう。こちらのすきを突いて迷宮を出て、すぐにほかの迷宮に入ったとでもいうなら別ですが」
「それはない。二人の刻印術師によって常時監視しておる」
「行き届いたお手配りでいらっしゃる。地上に出たが最後、たとえ移動の魔術で大陸の端まで逃げたとしても、優秀な刻印術師なら探知できますな。そこまでは相手にもわかっとるはずです。ただし呼び戻しの術までかけてあることは知らないかもしれませんな。とすると手に入れた腕輪で何かをしでかすつもりかも……いや、それは無理でしたな」
「さよう。あの腕輪には、女神により特殊な制限がかけられておる。当家の当主か、当主が心から認めた者にしか、効果を発動できぬ」
「え? 後半部分については、はじめて聞きましたわい。まあ、いずれにしても、他人に使えないことは広く知られとりますからな。所有印の履歴は消せませんから、売ることもできん」
「うむ」
「ほかにたくさん高価で優れたアイテムがあるのを無視して、使うことも売ることもできない品だけを持って、やがて発見されるに決まっているのに、迷宮に隠れ続けているというのは、不自然すぎます。どう考えても利口なやつのすることじゃない」
まあ、お貴族様ってのは、とても利口とはいえないことを、しょっちゅうなさいますがね、と心のなかで付け加えた。家宰も同じことを考えていたと知ったら、ローガンは大声で笑ったろう。
「すると、どうなるのか」
「今回のことについて、真相はこうだったんだろうという予測は今は立たんということです。だから、いろいろの小さな可能性を念頭に置いて、一つ一つつぶしていかなくちゃならんと思います」
「そのいろいろの可能性というのを整理してみていただけるか」
「まず、パーシヴァル様が、深い階層で想定外に強力なモンスターの集団がいる所で腕輪を落としなすったが、独力では取り戻しにくいので、いったん上に上がってこられて、何か異常な出来事で命を落とされたというような可能性です。この場合、九十階層台にお品があると考えられます」
「ふむ。それから」
「誰かがお品を持って隠れている可能性です。この場合、できるだけ深い階層に逃げるでしょうな」
「なるほど。そうであろうな」
「それから、パーシヴァル様が六階層で命を落とされたあと、モンスターが持ち去ったか、拾得者たちが途中で落としたという可能性です。この場合は、一階層から六階層のあいだにお品があることになります」
「うむ」
「あと、これはほとんどないような可能性ですが、お品を持ち去った者が、ここの迷宮からよその迷宮に直接瞬間移動して、今もそちらに潜伏しているかもしれません」
「なに? 迷宮から迷宮に瞬間移動することなぞ不可能であろう」
「不可能じゃあありません。できる魔法使いを知っとります」
「なんと」
「ほかに同じことができる魔法使いがいるという話は知りません。しかし、一人目がいる以上、二人目が出てこんとはいえません」
「ううむ」
ここまで事態を整理してみて、まず何をすべきかがはっきりした。
刻印術師を連れて六階層まで降りてみるべきである。
迷宮の外から迷宮のなかを探査することはできないが、迷宮一階層に行けば一階層内の探知ができるし、二階層に行けば二階層内の探知ができる。
「その二人の刻印術師殿は、今どちらに?」
「一人は当家で休息中である。もう一人は馬車のなかで待たせておる」
「ご用意が行き届いておられる」
では、すぐに迷宮に参りましょうと言いかけて、ローガンは思い出した。
今、迷宮で起きている事態について。
「家宰様。今度はこちらの事情をご説明いたします」
ローガンは、奇妙なミノタウロスのことを話した。そして、三人の冒険者とパーシヴァルの死の謎を解くべくギル・リンクスが探索に出ていることなどを説明した。
それに続く家宰の沈黙は、かなり長いものとなった。
そして口を開いたとき発した言葉は、ローガンの予想した通りの内容だった。
「ローガン殿。ギル・リンクス師がご探索中となれば、まずはそのご帰還を待つべきとは存ずる。しかし、勝手を申すが、まずは刻印術師を伴い六階層までを調べてみたい。この点の許しと案内人の手配を頼めまいか」
「そうおっしゃると思っとりました。ギルドには、迷宮に入っていいとかいけないとか決める権利はありません。冒険者以外の人間に対してはなおさらです。案内兼護衛については、ここにちょうどよいSクラス冒険者がおりますぞ」
ローガンは、自分を指して、にやりと笑った。
第8話 下層への挑戦
1
「ローガン殿。ここで着替えさせてもらってよいかな」
「は、はあ? どうぞ」
メルクリウス家の家宰は、主君に会釈すると、その場で上着とズボンを脱ぎ、〈ザック〉から軽鎧を出して手際よく着替えた。
(〈ザック〉だと!)
(この家宰は冒険者上がりか?)
(いや。そんなはずはない)
(こいつからは骨の髄まで貴族だという匂いがただよってくる)
(つまり貴族であり騎士でありながら)
(あえて恩寵職に冒険者を選んだわけか)
(おっと)
(ぐずぐずしている場合じゃない)
「わしも失礼させてもらいますわい」
ユリウスとパン=ジャに会釈すると、ローガンも服とズボンを〈ザック〉にしまい、革鎧を出して身に着けた。
パン=ジャはラックに掛けられた外套と帽子も〈ザック〉に収納した。そしてユリウスの外套を手に取り、ユリウスを立たせた。
2
ギルドの前にメルクリウス家の馬車が止まっていた。
馬車の横には騎士が控えている。相当腕利きの騎士だ。
「ローガン殿も馬車に乗られよ」
「いや、迷宮はすぐそこですからな。わしは歩きますわい」
「そうであるか」
少年と家宰が馬車に乗ると、ローガンは先導して歩き始めた。騎士は何も言わず馬車の斜め後ろについた。
迷宮の入り口に近い場所で、人の邪魔にならない場所に馬車を誘導した。
馬車からは家宰と魔術師風の男が降りてきた。御者は御者台から動かないし、騎士は馬車のドアの前に立った。つまりユリウス少年はここで待つのだ。
「ローガン殿。この者はスカントと申す。刻印術師だが、多少は攻撃魔術も使えるし、対魔法防御魔法が使える」
「それは心強いですな」
家宰は〈ザック〉から長剣を取り出して佩いた。
(すごい風格だのう)
(Aクラス上位)
(いや、ひょっとするとSクラスなみかもしれん)
ローガンも〈ザック〉からバトルハンマーを取り出した。
「さて。行きましょうか」
「うむ」
ローガンが迷宮の入り口目指して歩き始めると、斜め後ろに家宰がつき、その後ろに刻印術師がついた。不思議なことに、三人の歩みにはある種の一体感がある。
(この三人なら)
(六階層どころか)
(九十階層でも探索できるかもしれんて)
(久しぶりに血が騒ぐわい)
「おおっ」
突然、刻印術師が声を上げた。
迷宮から誰かが出て来た。その影はひどく小さい。
(なんであんなこどもが?)
迷宮一階層には恩寵職がなくても入れる。だから食い詰め者が銅貨めあてに一階層に踏み込むことはある。
そういう者は、たいてい死ぬ。
一階層のモンスターであるとげねずみは、敵意を向ける相手に襲いかかる。よほど戦いに慣れた者でなければ、のべつまくなしに敵意を振りまいて、無数のとげねずみにたかられてかじり殺される。
ミケーヌの街では、親がこどもを叱るのに、言うことを聞かないと迷宮の一階層に放り込むぞ、と言うのである。
ローガンがいぶかるうちに、刻印術師がこどもに駆け寄る。
黒い目と黒い髪をした、七歳か八歳くらいの少年だ。顔も体も薄汚れて傷だらけである。右手にぼろぼろのナイフを、左手に腕輪を持っている。
「あった! ありましたぞっ」
こどものそばに駆け寄った刻印術師が叫ぶ。ローガンと家宰もこどものすぐそばまで歩み寄った。
(ほう)
(このこども)
(三人のこわもてに取り囲まれてるってのに)
(警戒はしていても)
(おびえがないわい)
家宰が身をかがめてこどもと目線を合わせた。
「すまんが、その腕輪をみせてもらえぬか」
少年は、すっ、と腕輪を差し出してきた。
それをひとしきり眺めた家宰は、腕輪をいったんこどもに返し、立ち上がって馬車のほうに合図をした。
騎士がユリウス少年を連れてやってくる。
家宰は若い主君に礼をした。
「この少年がアレストラの腕輪を持っておりました」
ユリウスの目が輝いた。
家宰は片膝をついてしゃがみ、目線を少年に近づけて言った。
「私はパン=ジャ・ラバンという。そなたの名は?」
「パンゼルといいます」
少しも臆するところのない、しかし礼儀正しい物腰である。
かすかに家宰の口元がゆるんだような気がした。
「そなたは迷宮でその腕輪を手に入れたのだな?」
「はい」
「どのようにして手に入れたのか、教えてもらえるかな」
「ぼくは、病気の母さんのために銅貨が欲しくて、迷宮の一階層に入っています。今日が三度目です」
(三度目だと!)
(なら偶然生きて出られたわけじゃない)
(ということはこのガキは)
(ターゲットにしたとげねずみには敵意を向けながら)
(周りにいるとげねずみは無視してのけたことになる)
「今日二匹目のとげねずみを倒すと、二枚も銅貨が落ちました。それを拾って顔を上げると、目の前にいたんです」
「何がいたのかな」
「怪物です。たくましい人間のような体を持ち、牛のような頭と角を持っていました」
「それはミノタウロスと呼ばれているモンスターではないかな」
「そうなんですか? 名前は知りません。右手に短剣を、左手にこの腕輪を持っていました」
「短剣と腕輪……か。それで、どうなったのだね」
「戦わなければ殺されると思いました。だからナイフを構えて飛びかかりました」
「ほう」
(飛びかかっただと?)
(普通のミノタウロスでも)
(一般人がみたら小便ちびる恐ろしさだ)
(しかも今回のミノタウロスはどう考えても特殊個体だ)
(それに飛びかかっていったってのか?)
「ぼくの身長では、足のこのあたりにしか届きませんでした」
こどもは、自分の足のふくらはぎを腕輪でたたいてみせた。
「力を使い果たしたぼくは、そのまま気を失ってしまいました」
「なに? それで?」
「目が覚めると、台のようになった岩の上に寝ていて、おなかの上にこの腕輪があったんです。高そうな腕輪なのでお金になるかなと思って、迷宮の外に出たら、あなたたちに話しかけられました」
こどもの話はそれで終わりのようだった。
「この腕輪はそなたが迷宮から持ち帰った物ゆえ、迷宮の習いにより、そなたの所有物となる。が、この腕輪は、これなる若様の父君ご愛用の品にして、わが家の家宝たるべき品なのだ。しかるべき値で譲り受けたいが、いかがであろうか」
パンゼルと名乗ったこどもは家宰の目をみつめ返し、次にユリウスをみた。
「この腕輪は、あなたのお父さんの物ですか?」
ユリウスは、うなずきつつ、うん、と返事をした。
ユリウスはパンゼルより少し体が大きいし、たぶん年も少し上だ。だが、パンゼルのほうがおとなびてみえる。
「では、腕輪はあなたにお返しします。お金はいりません」
パンゼルはユリウスに腕輪を差し出した。
ユリウスは、はじけるような笑顔をみせて、腕輪を受け取った。
「ありがと、パンゼル殿」
家宰がローガンに目配せをして、少し離れた場所に誘導し、小声で話しかけた。
「ローガン殿。腕輪が戻った。助力に感謝する」
「いえ。わしは何もしとりません」
「貴殿の協力でしかるべく対処をするなかでこの結果が得られたのだから、やはり貴殿の助力には価値があった。ところで、腕輪が戻ったことを取り急ぎ家に戻ってご報告せねばならぬ」
誰に報告するのかといえば、たぶん天剣の妻だろう。つまりユリウスの母親だ。王家の血を引く姫のはずである。いやす
「なるほど。ごもっともです」
「パーシヴァル様が亡くなられたことは、もう多くの冒険者が知っているのであろうな」
「いえ。アイテムを拾った冒険者たちには、落とし主の情報は与えておりません。ギルドの職員たちには箝口令を出しております。なんといってもパーシヴァル様が亡くなられたとしたら大事件です。もしまちがいだったりしたらえらいことになる」
「なんと。それはかたじけない。痛み入る」
「ただ、こういうことは隠していても段々と噂になるもんです。あのアイテムの落とし主が相当な身分のかただということは、隠しようがありません。貴族で冒険者なんてやってる人は、そうはおりませんから、推測するやつはするでしょう」
「それはかまわぬ。ただ、パーシヴァル様の死はギルドから正式には発表しないでいただけるとありがたい」
噂はどれほど広がっても噂だ。ギルドが公式に天剣の死を認め、それが王宮に知られると、メルクリウス家は困るのだろう。
「それはいいんですが、遺族からアイテム買い取りの申し出があったことは、拾得者たちに言わんわけにいかんです。名前を伏せることはできます」
「ローガン殿。当家では病死として届け出る。そして、ユリウス様が問題なく家督を継承なされるよう、多少の根回しをする」
「なるほど。わかりました。パーシヴァル様が迷宮で亡くなられたことを、うちのギルドが公式に認めることはいたしません」
「かたじけない」
家宰は深々と頭を下げたあと、言葉を継いだ。
「明日、家臣を二名差し向ける。刻印術師のスカントも一緒に。その者たちを六階層まで案内してくれる冒険者を手配してもらいたい」
「承知しました」
ローガンは天剣本人から聞いたことがあるのだが、これまで公式行事や参内をさぼるについては、病気のためと理由を届け出ており、パーシヴァルは書類上「病弱」ということになっているらしい。迷宮に籠もっていたことは、宮廷でも周知の事実であるだろうけれども。
3
家宰はパンゼルに住まいの場所を聞き、生活ぶりを聞きだしていた。そして、腕輪の礼はあらためてするがこれは約束のしるしだと言って銀貨を一枚渡していた。
それにしても、どうしてお金はいらないのかという質問に、パンゼル少年は、
「だって、お父さんの物が人の物になっていたら、悲しいです」
と答えていたが、そんな経験があるのだろうか。
いずれにしても、この家宰なら悪いようにはしないだろうとローガンは思った。
そのあといくつか打ち合わせをして一行と別れ、ギルド事務所に戻った。
ギルド長執務室の机には、これでもかとばかりに書類が積まれていた。
(俺がいなくても事務長なら)
(こんな仕事の八割は片をつけられるはずなんだがなあ)
その夜は遅くまでかかって仕事をこなした。
翌日の朝となった。
出勤したローガンを、メルクリウス家の使いが待っていた。
使いは、買い戻し品のリストを持ってきていた。
家宰は、消耗品以外のほとんどを買い戻す気になったようだ。
(あのユリウスってぼうやが)
(お父さまの遺品はみんな取り戻してください)
(か何か言ったんだろうな)
査定を待たず、金額まで書き添えてあった。普通に査定するより高い値段を付けている。めんどくさいことはいいから早く買い戻したいということだろう。
(すげえ値段を付けてるなあ)
(これなら拾得者から文句は上がらんだろう)
そのなかでもライカの指輪、エンデの盾、ボルトンの護符の三つの恩寵品には、びっくりするような高い値が付けられている。だが、ローガンは、それでも本来の価値からすればずいぶん安い値なのではないかと思った。
(エンデ)
(エンデ)
(どっかで聞いたことがあるような気がするんだがなあ)
(待てよ)
(ゴルエンザ帝国の東方で信仰されている竜神が)
(たしかそんな名じゃなかったか?)
約束の時間通りに、メルクリウス家の騎士二人と刻印術師がやってきたので、待たせておいたベテランスカウトに引き合わせた。中層なみの手間賃を払うことに家宰が同意したので、よい案内役をすぐにみつけることができたのだ。
一行を送り出したあと、書類の山に向かった。だが、いろいろなことが心をよぎって、仕事に集中できなかった。
パンゼル少年の証言からすると、アレストラの腕輪はやはりミノタウロスが持っていたと考えられる。不思議な話ではあるが、考えてみれば一番納得できる結末でもある。
もっとも、そうすると、やはりパーシヴァルを倒したのはミノタウロスなのか、ということになってくる。
ミノタウロスが持っていたという短剣がカルダンの短剣なのだろうか。
斧ではなく短剣を持つミノタウロスというのは、ひどく想像しにくい。
思いをめぐせらせていると、いつのまにか夕刻になっており、メルクリウス家の騎士があいさつに来た。
結局十一階層まで探索したが、刻印をほどこしたアイテムはみつからなかったという。
「ギル・リンクス殿から、探索のご報告はありませぬか」
「まだ何も言ってきませんわい。王宮にいろいろ用事があったようだし、こちらに顔を出す時間が取れんのでしょう。何か言ってきたら、家宰様にご報告します」
「よろしくお願いする」
ユリウスの命で、一行は六階層に花束を置いてきたという。
結局何もわかっていない。
何も解決していない。
だが、ありがたいことに、このミノタウロスは、めったに人を襲わないようだ。
何しろ、数多い目撃証言のすべてで襲ってこなかったことが確認されている。
攻撃を仕掛けたパンゼル少年さえ無事だったのだ。
人を襲わないミノタウロスというのは、それはそれで奇怪であるが。
とにかく、あせってもしかたがない。
「一杯飲るか」
棚から焼き酒を出し、椀の入った引き出しを開けた。
椀の手前に、セルリア貝が置いてある。忙しさにかまけて結局まったく確認していなかった。ギルが死ぬわけはないから、確認するといっても、むだなことなのだが。
引き出しを開けた瞬間、ローガンは凍りついた。
そこには確かにセルリア貝があった。
そして、ギルの命を映す青紫の光は失われていた。
愕然としたローガンは、震える手で貝殻を持ち上げようとした。
力加減を間違えたか、その指先で貝殻は砕け散った。
世界が崩れていくような気がした。
4
パン=ジャ・ラバンの心は喜びと期待に満ちていた。
当主パーシヴァルを失ったことは痛恨の極みではある。しかしパーシヴァルは、その思考もありようも巨大にすぎて、パン=ジャのような常識人には推し量ることさえできなかった。
戦うことしかできない無骨な貴族だとパーシヴァルをみる者は多い。その者たちは、何もわかっていない。パーシヴァルほどすぐれた洞察力と政治感覚を持った貴族は、この国にいないのではないかと思えるほどの人物だった。ただし熟慮のすえ、パーシヴァルはその能力を発揮しない道を選んだのだ。それがこの国の安寧のためだと判断したからだ。
迷宮探索はパーシヴァルの趣味であり、隠れ蓑だった。趣味に生き、趣味に死ねたのだから、本望だろう。とにかくパーシヴァルは、あれこれパン=ジャが心配して守らねばならないような存在ではなかった。
パン=ジャの最も重要な使命の一つは、ユリウスを支える家臣団の養成にある。それなりの陣容が整ってきてはいる。武芸や知力や知識にすぐれた者、何らかの技術に長じた者たちが集ってきており、全体としての連携もできるようになってきている。しかし家臣団全体をみわたしたとき、いまひとつ線の細さが不満だった。
そこに現れたのがパンゼル少年だ。
まだ幼くはある。どのような能力を開花させるか未知数ではある。しかしこの少年こそ自分が探し求めていた人物だと、パン=ジャは直感していた。
パーシヴァルが死に、その遺品のなかにアレストラの腕輪がみあたらないと知ったとき、パン=ジャは困惑を覚えた。
パーシヴァルが、そのようなことをするわけがないのだ。腕輪を紛失し、愛しいユリウスを窮地においやるようなことを、あのパーシヴァルがするわけがないのだ。
だから迷宮の入り口でアレストラの腕輪を持ったパンゼル少年と出会ったとき、ああ、これはパーシヴァル様が差し向けてくださった少年なのだ、腕輪はその証しなのだと知った。迷宮を愛したパーシヴァルが、迷宮でみつけた少年なのだと思った。
少し話をしただけで、少年の人品がすぐれたものだとわかった。そして今パン=ジャは、少年をメルクリウス家の家臣として迎えるため、少年の母に会おうとしている。
パンゼル少年は留守だった。
家には母が一人でいた。
母親はベッドから起き上がり、パン=ジャを迎え入れた。そしてパン=ジャが名乗ると、主君に対する礼をもってパン=ジャを拝したのである。
「お会いできることがあろうとは思っておりませんでした。アドル・ス・ラ・ヴァルド様」
パン=ジャは、天と地が逆さになったかと思うほど驚いた。
その名を覚えている者がいることが、まず不思議であり、まだ生きていると考える者がいることは、さらに不思議だ。
まして自分がそうだと知る者など、いるはずがなかった。
だがこの女性は知っている。
「わが夫は、エイシャ・ゴランの孫にございました」
なんということだ。では、パンゼル少年は、エイシャ・ゴランの曾孫なのだ。すべてをなげうってパン=ジャを生き延びさせてくれた、あのエイシャ・ゴランの。
さしものパン=ジャ・ラバンも言葉を失い、しばし呆然とたたずんだのである。
5
ミノタウロスは、五十階層のボス部屋にいた。
最上階層にたどりつき、下層を目指すことを決意したとき、短剣は左肩の上の収納庫にしまい、人間三人と戦ったときに得た長剣を取り出して右手に持ち、進撃を開始した。
とにかく階段を探して下に降りてきた。
いくつかの階ではボス部屋に足を踏み入れたが、ミノタウロスの飢えを癒やす強敵はおらず、やっと手応えが出てきたのは、三十階層あたりからだった。
この五十階層のボスは、巨大なリザードマンだった。
両手に曲刀を持ち、威力と速度と技巧のある連続攻撃を仕掛けてきた。すきあらば足蹴りや頭突きも飛び出すし、尻尾は恐るべき威力を秘めていた。
ミノタウロスは、ひどくこの敵が気に入った。長時間の戦いを楽しむうちに長剣が折れたので、三十階層のボスから得た巨大な棍棒で、とどめを刺した。
棍棒も悪くない。しかし、ミノタウロスの興味は、剣に向いていた。
あの剣士のわざが目に焼き付いて離れない。剣こそは高みを目指すものの武器だと得心せざるを得ないわざだった。
だが剣は、刃先がもろい。棍棒との打ち合いで相当刃こぼれが生じていた。
そして折れやすい。ミノタウロスが渾身の力を込めて振れば、普通の剣では折れるしかない。
大きく、重く、頑丈で、思いっきり振り回して相手をたたき切ることのできる剣が欲しいと思った。
リザードマンが消えたとき、持っていた二本の曲刀も一緒に消えたが、あとに、より大きく、より美しい曲刀が現れた。
ミノタウロスは、座り込んで、しげしげと戦利品を眺めた。
もう少し大きく、もう少し重ければなあ。
だが、美しい剣だ。
強い力を感じる。
ミノタウロスは、その曲刀を、当面の武器にすることに決めた。
少し考えたあと、右手に曲刀を持ったまま、地面に置いていた棍棒を左手に取った。
右手に、刀。
左手に、棍棒。
ミノタウロスは、リザードマンの二刀流の剣技を思い出しながら、この二つの武器を両手に持って戦うおのれの姿を思い描いてみた。
気配がした。
ミノタウロスが首をめぐらせて入り口のほうをみると、六人組の冒険者が部屋に入ってくるところだった。
盗賊剣士、剣士、魔法使い、アーチャー、神官戦士、魔法戦士という組み合わせである。油断なく戦闘隊形をとりながら、言葉を交わしている。
「おい。あの転送屋、五十階層と十階層を、間違えやがった」
「いや、そんなはずないって。部屋の外は確かに五十階層だったよ」
「じゃ、なんで、牛頭がいるんだよっ」
「うーん。持ち場を交換したのかなあ」
「お、なるほど。モンスターだって、同じ部屋で同じように殺され続けたら飽きるもんなあ。たまには、ちがう部屋で、ちがうレベルの冒険者に殺されたいよなあ。って、あほかっ」
「どうでもいいけど、こいつ、ミノタウロスと思えない強さだわ」
「そうだねえ。それに、くれる物くれるんなら、牛頭だろうがトカゲ野郎だろうが、どっちでもいいさね」
「いや、ミノは、ドロップしょぼいですから」
「ほっほっほ。そうでもないようじゃ。みなされや。右手には鮮血のシミターを、左手にはタートルクラッシャーを持っておる」
「恩寵品が二つですか。しかも、片方は、レアドロップ。なかなか、もてなしの心を知ったミノタウロスですね。アースバインド」
冒険者たちは、むだ口をたたきながら、じりじりとミノタウロスとの距離を詰め、最適な距離に入った瞬間、いきなり戦闘を開始した。
指示も打ち合わせもなくこうした行動が可能であるのは、このパーティーの連携が練り上げられていることを示している。
ミノタウロスは、足止めの魔法が発動する瞬間に、ごく小さく跳躍し、発動を不発に終わらせる。
魔法使いは、短く詠唱して、まず盗賊戦士に、次に剣士にヘイストをかける。
攻撃速度と移動速度を上昇させる付与魔法である。
盗賊剣士は、ミノタウロスの左側に回り込むと、左手でフラッシュ・パンチを投げ付け、右手で脇腹めがけてサーベルの小刻みな突きを仕掛ける。
神官戦士は、奉ずる神に祈りを捧げつつ、剣士に息を吹きかけた。わずかな時間、魔法防御と物理防御を大きく上昇させる魔法である。
ぱぱぱぱぱぱっ。
ミノタウロスの、顔のすぐそばでフラッシュ・パンチが発動し、続けざまに破裂音を発しつつ小さな閃光がはじける。ただそれだけのアイテムであるが、動物系のモンスターはこれをいやがる。
ところがこのミノタウロスは、閃光にも破裂音にもまったく頓着せず、左手の棍棒を振って盗賊戦士を牽制した。
同時に右手の曲刀を斜めに振り下ろし、剣士の首を斬り飛ばす。
曲刀の軌道が空中で直角に曲がり、神官戦士の左肩を切り裂く。
ミノタウロスが頭をかがめ、その頭上を魔法矢が通り過ぎる。
しゃがんだ反動で前方に飛び出す。
魔法戦士の放ったファイアー・ダガーが顔と胸に突き立つが、かわしも防ぎもせず、これを受け止める。あまりダメージも受けていない。
ずっと後方で、魔法矢が泉に着弾し、巨大な水柱が上がり、大量の蒸気を生み出した。
棍棒が石ころをはね飛ばす。
低く突進して、二本の角で魔法戦士の体をとらえる。
石ころの弾丸が、青ポーションを補給しようとしていた魔法使いの腹を直撃する。
魔法戦士を頭に縫い止めたまま、なおも前に突進する。
追いついた盗賊剣士のダガーが背中に刺さるが、すぐに抜け落ちた。
ミノタウロスは、ポーションを取り落とした魔法使いにシミターを向ける。
アーチャーが二本目の魔法矢の魔力を発動させ終わた。
ミノタウロスが、直進から右前方へと、進行方向を急転換する。
ミノタウロスの前の魔法使いと、頭にかつがれた魔法剣士が邪魔で、アーチャーは矢を発射できない。
シミターが魔法使いの胴体を上下に斬り分ける。
棍棒が唸りを上げて、アーチャー目指して投擲される。
「コール!」
後ろで、神官戦士が唱えた。
すると、アーチャー、魔法戦士、盗賊戦士が、神官戦士のもとに瞬間移動する。
近距離限定のパーティーメンバー召喚スキルである。
あっというまに二人を失ったパーティーは、この敵には勝てないと判断する。
四人は手持ちの目くらましアイテムを総動員して、戦線を離脱して逃げたのであった。
6
「何言ってるんだい! こっちは二人も仲間を殺されたんだよ! あんな危険なやつがボスになってるんなら、なんで五十階層への転送を頼んだときに教えてくれなかったんだ!」
「まことにお気の毒です。あらかじめ迷宮全般の情報を買っていただければ、当然、最近話題になっているミノタウロスのことは、お教えしました」
「なら、なおさらさ! 情報を買えって、ひと言教えてくれたらよかったじゃないか」
「今このミケーヌの街では、子どもでもミノタウロスのことは知っております。まして冒険者となれば、どんな駆け出しでも情報を持っております。あのミノタウロスは、こちらから攻撃しない限り襲ってくることはないというのは、すでに常識となっております」
「知らないよ、そんなことは! こちとら、この迷宮に入るのは二年ぶりなんだ!」
「五十階層に達していることは、当ギルドでも把握しておりませんでしたが、それもおそらく一時的なことで、順次下の階層に移動していくものと思われます。たまたまミノタウロスが五十階層のボス部屋にいたときにそこに突入なさったのは、不幸なことでした」
「そのせいで、こちらは、強敵と知らずに突っかかっていったんだよ! どうしてくれるのさっ」
「では、はっきり申し上げます。これは、久しぶりにこの街に来たのに、何の下調べもせずいきなり五十階層に挑んだ、あなたがたの油断による失敗です。ボス部屋にいたのがリザードマンではないと気づいた時点で、引き返すこともできたはずです。あなたがたが攻撃するまで、ミノタウロスからは仕掛けてこなかったでしょう? これは、あなたがたがご自分で選び取った危険です。迷宮への挑戦は自己責任で行うものなのです」
アーチャーのディーディットには、事務長に言い返す言葉がなかった。
このパーティーは、もともとこの街で腕を上げ、五十階層のボスを倒したのを機に、他の迷宮を探索しに旅に出たのだ。
迷宮探索のほか、さまざまな依頼もこなした。経験を積み、クラスを上げ、よい装備も手に入れた。
久々にこの街に帰ってきて、帰還の景気づけにと、ギルドを訪ねるなり、いきなり五十階層への転送サービスを頼んだのだ。
負けるはずがないと思い込んでいた。
自分たちは強くなったと信じていた。
だから、どこに行っても最初に行う情報収集を、今回だけ、まったく行わなかった。
五十階層のボスのことは、よく知っているから。
油断があった。
慢心があった。
そのせいで、ずっと一緒に冒険をしてきた二人の友が死んだ。
ディーディットは抗議と非難の言葉を失い、じっとこぶしを握り締めながら悔しさをかみしめるほかなかった。
7
そのころ、ミノタウロスはといえば、まだ五十階層のボス部屋にいた。
リザードマンとの戦いが気に入ったのと、もう一本シミターが欲しかったので、再出現を待っているのである。
岩壁にもたれて、先ほど戦ったパーティーのことを思い出していた。
やつらは油断していた。
こちらの力を低く考えていた。
だから戦いを有利に進められた。
しかし、油断していなかったら、どうだったろう。
一人一人はそれほどの強さでもなかったが、あの連携というものはまことにたいしたものだ。
人間は、わざの種類も多い。
新しいわざを、いろいろみせてもらった。
やはり人間は面白い敵だ。
ミノタウロスは、次の人間との対戦を楽しみに待つことにした。
相変わらず飢えは感じていたが、その飢えすらも楽しみの一部となっていた。
第9話 討伐依頼
1
結局、それから五回、ミノタウロスはリザードマンを倒した。
ドロップはいずれも、切れ味はよいが恩寵のない平凡なシミターであった。
しかしスキルドロップがあった。人間が、〈武人の守り〉と呼ぶスキルだ。意識して停止しないかぎり常に発動していて、身体の強度と魔法抵抗を強め一定の割合で体力が回復していくという、使い勝手のよいスキルである。
それ以上にミノタウロスは、剣のわざを学べたことに満足していた。人間以外で、剣の奥深さをはじめて教えてくれた敵であった。
死んだ人間からは良質な長剣と、各種のポーションなどが得られた。
それからミノタウロスは、下へ下へと階層を降りていった。
五十階層から下では、すべてのボスと闘った。
人間たちとも戦いになることが多かった。
しばらくは、鮮血のシミターとリザードマンシミターの二刀流で闘った。
リザードマンの動きを思い出しながら、さまざまなわざを工夫した。
五十二階層では三人組の人間と戦い、一人を殺し、ハルバードなどを手に入れた。
五十五階層のボスを撃破したときには、〈突進〉というスキルを手に入れた。ミノタウロスに非常に相性のよいスキルであり、突破力が格段に増大した。
また四人組の人間と戦い全員を殺して、炸裂弾などのアイテムを得た。
いささかシミターに飽きてきたころ、収納庫をあさっていて、冒険者を倒して得た恩寵付きバスタードソードが目についた。
なぜかひどくなじむ気がして、この武器を使うことにした。
なじむのも当然である。なぜなら、この恩寵付きバスタードソードは、ミノタウロスからごくまれにドロップする品なのだ。ミノタウロスはほかのミノタウロスに出会うことはないのだから、自力では決して手に入れられない武器である。
階層ボスが相手であれ、人間が相手であれ、五十階層から下ではらくな戦いなどなかった。時には死ぬ寸前まで追い詰められ、傷つき倒れながら敵を倒し、新たな力を手に入れていった。
六十二階の回遊モンスターであるワンアイド・ゴーストは倒し方がわからず苦戦した。何度も何度も敗退を繰り返し、ついに収納庫のなかから取り出した属性付きの武器で倒せることを発見した。この少し下の階層で〈砕け散る息〉というスキルを手に入れてからは、非実態系のモンスターに苦戦することはなくなった。
六十二階層で出会った人間には苦戦した。盾というものの恐ろしさ有用さを教えてくれた戦いだった。
八十階層ボスのマンティコアから恩寵付きツヴァイヘンダーがドロップしてからは、これが主武器となった。
重量感と破壊力は申し分なかったが、重心が先に寄りすぎ、また、全体の作りも大味で、微妙なコントロールがしにくいと感じた。自分に本当にふさわしい武器は、まだほかにあるような気がしていた。
鎧や小手、盾、靴を始め、冒険者たちが目の色を変えるような恩寵品をいくつも獲得したが、ミノタウロスは防具にはまったく関心がなく、無造作に収納庫に放り込むばかりだった。
首輪や指輪、腕輪などの装飾品や、剣以外の武器なども同様である。
ポーションや各種のブーストアイテムには興味を示し、使うこともあった。
防具を使わず戦い続けることで、ミノタウロス自身の物理防御力と魔法防御力は強化され続けた。
襲ってくる冒険者たちの遺品も、目についた物は収納していた。
冒険者から得たアイテムのなかでミノタウロスが長く愛用したのは、一本のベルトである。
あるパーティーと闘ったとき、魔法戦士が、ベルトのホルダーからポーションを次々に取り出して飲んでいた。どうしてあんなにたくさん入れられるのかと不思議に思ったので、相手を殺してから調べてみた。
そのベルトは、ホルダーに消耗品を入れてそれを使うと、収納庫に同じ品があった場合自動的に補給する機能を持っていたのである。
そのうえ、このベルトには、移動速度を一割、体力を二割増加させる恩寵がついていた。ミノタウロスはひどくこのベルトが気に入り、以後常用した。
ホルダーのうち二つには、炸裂弾を入れた。
投げつけたら爆発するというだけの投擲武器であるが、下層に来る人間がよく所持しているので、補給がしやすかった。これを人間相手に使用すると、相手がびっくりするのが楽しかった。乱戦の中で後衛の魔法使いにうまく当てられるように技術を磨いた。
その後九十階層のボスであるキメラと戦った。キメラの通常ドロップは爆砕剣である。要するに剣の形をした爆弾なのだが、炸裂弾より威力が強く、より遠くにより正確に投擲することができる。人間の冒険者からは〈はずれドロップ〉と呼ばれているこのアイテムを気に入って、ミノタウロスは立て続けに二十回以上キメラを殺して爆砕剣をストックした。
人間がモンスターを倒せば経験値が入るが、人間が人間を倒しても経験値は入らない。
ミノタウロスの場合、ちょうどこの逆で、人間を倒せば経験値が入ったが、モンスターを倒しても経験値は入らなかった。
しかし、レベルアップをもらたす経験値は入らなかったとしても、モンスターとの対戦は、武器やスキルの熟練度を上げ、さらに判断力などの総合能力を上げてくれた。
モンスターは、それぞれまったくありようがちがう。
相手の攻撃を受け止めて耐え、あるいはかわし、相手の特性を分析し有効な攻撃を選び、その精度や威力を研ぎ澄ます。そして、殺す。
強力な敵に出遭い、それを倒せる自分になることは、ミノタウロスの喜びであり、存在する意味そのものであった。
また、モンスターからのスキルドロップという恩寵は、ミノタウロスにも与えられた。
高熱の息を吐くスキル。
クリティカル攻撃を受ける確率を減らすスキル。
クリティカル攻撃の確率を上げるスキル。
階層内の敵の位置や種類を探知するスキル。
そのほか多くのスキルを身につけていった。
人間が習得できないスキルも多かった。
ハウリングもランクアップを重ね、別物と思えるほどの強力な攻撃になった。
人間との戦闘は、経験値の獲得という以外にも貴重な勉強の機会であった。剣の使い方はもちろん、多種多様な魔法、さまざまな武器と攻撃方法、連携のしかたなどを、ミノタウロスは人間から貪欲に吸収していった。
2
「くそっ。あの野郎」
いまいましげにつぶやきながら、ローガンは荒々しく赤ポーションを胸の傷にすりつけた。赤ポーションは迷宮の外では劇的な効果は持たないが、まったく効かないというわけではない。実のところローガンの〈ザック〉には、こんな傷はたちどころに治せるアイテムもしまってあるのだが、今は使う気にならなかった。
ことの起こりは天剣の息子と家宰がやってきた日から七日ほどのちのことだ。
メルクリウス家の夕食に招待された。
使者の口上によると、パーシヴァルの思い出話を聞かせてもらいたいということだった。
それはたぶん、ユリウス自身が望んだことなのだろう。
ローガンはこの申し出を承諾し、メルクリウス家を訪ねてパーシヴァルの若いころの活躍について語った。ユリウスは目を輝かせながら聴き入っていた。酒も料理もうまかった。
その部屋にはパンゼルもいた。やはりメルクリウス家で雇用したようだ。いや、ただの雇い人ではない。家宰はこの少年を常に手元に置いているようだ。鍛えればものになる素材だと考えたにちがいない。その点、ローガンもまったく同感だった。
招きは一度ではすまず、二度、三度と重なった。ユリウス少年は、毎日でもローガンを呼びたいようだったが、いくら王都とミケーヌが目と鼻の先の近間だといっても、ギルド長の仕事は多く、そうそう出かけてはいられない。せいぜい七日に一度か十日に一度の訪問となった。もう十回は越えているだろう。
前回の訪問のとき、ローガンの武器がバトルハンマーだと聞いたユリウスが質問した。
「バトルハンマーとは、どういう武器なのですか?」
家宰の許しを得て、ローガンは現物を出してみせた。それに家宰が解説を加えた。
「わざはいりませんが、威力はすさまじく、大力の戦士でなくては扱えません」
この言い方に、ローガンはかちんときた。
「へえ。わざはいりませんが、だと。そんならわざをみせてやろうか」
闘技場に場所を変え、ローガンはパン=ジャ・ラバンと対峙した。パン=ジャは長剣を使った。
もちろん勝負はローガンの勝ちだった。剣を三本たたき折ってやり、あばら骨を二、三本へし折ったところで、家宰は降参した。
ところが昨夜、食事のあと、家宰は性懲りもなく挑戦してきた。しかもおとなげなく、家宝だか何だか知らないが、やたら頑丈な長剣を持ち出してきた。
信じられないことに、その長剣は、ローガンのバトルハンマーとまともに打ち合わせても折れなかった。それで剣を折ることにむきになったのがいけなかった。すきを突かれて胸を大きく斬り裂かれ、今度はローガンが降参するはめになったのである。
もちろん次回はこうはいかない。バトルハンマーのわざの本当のすごみを、あのくそじじいに思い知らせてやるのだ。
「ギルド長」
「あとにしろ、事務長。今わしは機嫌が悪いんだ」
「勅使です」
「はあ?」
「国王陛下よりの密勅を携え、スティンガー子爵がご来訪なさいました」
3
スティンガー子爵は、奇怪なミノタウロスについてギルド長の知るところを聞きたいと言った。
ローガンは知っていることを話した。
子爵は、行方不明となっているギル・リンクスについて、ことさらにくわしい情報提示を求めた。そして、ギル・リンクスはミノタウロスに命を奪われたと考えるかどうか聞いた。
ローガンは今回のいきさつについて知っていることを隠さず伝え、あのミノタウロスが大魔法使いを倒したとは思えない、と意見を述べた。
ミノタウロスがいかに特殊個体の強者であっても、ギルなら遠距離からの攻撃魔法一撃で勝負をつけることができる。防ぎようがない。
アレストラの腕輪を、ちょうどそのころミノタウロスが所持していたように思われるが、あれは天剣とその息子以外の人間には使えない。ましてモンスターには仕えない。
かりに使えたとしても、直接攻撃以外にもギルにはいくらでも魔法の使い方がある。
さらにいえば、ギルは近接戦闘においても達人である。
こうしたことを述べ立てた。
「だが、ギル殿の命の波動は失われたのであろう」
「それはそうです。けれどわしには、ギルが死んだとはどうしても思えんのです。わしの目にみえないどこかに行ってるんだと思うことにしたんです」
この日は密勅の中身は明らかにならなかった。
翌日再度子爵がやってきて、王命を伝えた。ミケーヌ冒険者ギルド長の名でミノタウロス討伐依頼を出べし、という内容だ。実際に金を出すのは王であるが、王の名は出してはならない。提示された報酬は、ギルドをいくつも買い取れるような金額であった。また、ローガンが受け取る手数料もとてつもなく高額だ。
討伐の表向きの理由は、ギル・リンクスを殺害したと思われるモンスターを討伐し、その遺産を回収することとなっていたが、おそらく本当の理由はほかのところにあるとバラストは推測した。
スティンガー子爵の話だけでは情報が充分でないと考えたローガンは、ご命は承ったがその報酬は金額が高すぎて不審や不和を呼びかねないので、無理のない実施内容を考えるあいだ二日ほど待ってほしいと述べた。子爵は詳細については一任すると告げて帰っていった。
王宮のなかのことは、すぐには探りにくい。ローガンは、パン=ジャ・ラバンに質問の手紙を出した。するとただちにパン=ジャ自身がギルドを訪ねてきた。
「パーシヴァル様の命の波動が水晶球から失われて六十日ほどして、当家は死亡を届け出、家督相続を願い出た」
根回しなどにそれだけ時間がかかったのだろう。
「早ければ五日、遅ければ七日程度で、その願書は陛下のもとに届いたはずだ」
「てことは、およそ十日ぐらい前だな」
「八日ほど前であろうな」
「ふん。それで?」
「このことについて理解してもらうには、いささかいきさつを知ってもらわねばならぬ」
家宰の目つきは厳しい。他言無用だと念を押しているのだ。
ローガンは、しっかりした目つきで家宰の目をみつめかえし、うなずいた。
それから家宰は、推測を交えつつ、一つの物語を物語った。
4
先王の第二王妃は、娘を産んだあと王の勘気にふれ、謹慎を命じられた。
以後、後宮の奥まった一角に、こどもともども押し込められたが、これは実は母娘に平穏な暮らしをさせようとする先王のはからいであった。
その思いを現王も引き継いでおり、表面上はこの異母妹をうとんじる態を装いながら、実際には深い愛情を抱いていた。
後宮の奥深くでひっそりと生涯を終えるはずの異母妹が、奇跡のような出会いをして、若者と恋に落ちた。
なんと、その若者は、現王がその武勇と清廉を愛してやまぬ、メルクリウス家の若き当主であった。
若者が、恋人の正体を知らぬまま王の前に額づいて結婚の許しを懇願したとき、王は生きていることの楽しさを生まれてはじめて味わう思いがした。
王は、王家からの正式の降嫁という形を取らず、妹が有していた従属家名を使って結婚させた。王家の一族として扱わないという王の意志を示すために。
二人のあいだに男の子が生まれたと聞いたときには、喜びのあまり勅使を発しようとして、側近にいさめられた。
万一にも、その赤子が、いくつかの条件さえ整えば王位継承権第六位を主張できる立場であると、大貴族たちに思い出させてはならなかったからである。
そんな王のもとに、パーシヴァル・メルクリウスが病死したという知らせが届いた。
王は仰天して、ひそかに事情を調べさせた。
そして、パーシヴァルをミノタウロスが殺したと知った。
あの幸せそうだった妹が、未亡人となった。
今まで会うことのできなかったかわいい甥は、父のない子となった。
王にとってミノタウロスは、仇敵そのものとなった。
しかし、一貴族の仇を討つために騎士団を差し向けることはできない。
そもそも、パーシヴァルが迷宮でモンスターに殺されたなどと、公に言うことはできない。
そこで、王家に対しても王国に対しても功績のあるギル・リンクスの死に関わったと思われるという理由で、王の資産から賞金を出してミノタウロスを討伐することになったのだ。むろん、内々のこととしてである。
「なるほどねえ」
ローガンは討伐報酬をほどのよい金額に設定して、ギルド一階の依頼版に依頼票を張り付けた。
ほどのよい金額とはいっても、たった一体のモンスターを討伐する報酬としては破格であり、受注者は次々に現れた。
このときローガンは、近いうちにミノタウロスは討伐されるだろうと思い込んでいたのである。
5
下層に降りるほどに戦闘は苛烈になり、ミノタウロスは何度も死にかけた。
特に、最下層である百階層のボスと戦ったときは、無残な敗北を続けた。
それでも、鍛え直して再挑戦を続け、ついには、このメタルドラゴンを倒すことができた。
ありがたいことに、いつのころからか強い人間たちのパーティーが、立て続けにミノタウロスを襲うようになっていた。ミノタウロスは、彼らを殺し続けることでレベルを上げていくことができ、わざを学び、アイテムを充実させ消耗品を補給することができたのである。
一度倒したあとも、何度もメタルドラゴンと戦った。
強敵である、ということもさることながら、このメタルドラゴンは、倒すたびにちがう種類のすばらしい剣をドロップした。
次々と出てくる剣を楽しみに、殺して、殺して、殺し続けた。
長剣での戦い。
短剣での戦い。
スキルを多用した戦い。
長期戦。
超短期戦。
さまざまな戦い方を試した。
百回目に殺してから、メタルドラゴンは湧かなくなった。
まるで、迷宮が、メタルドラゴンに変わってミノタウロスが最下層のボス部屋の主となることを認めたかのように。
ミノタウロスは、最下層のボス部屋にとどまった。
もはや戦いたいモンスターはいない。
戦うべき相手がいるとすれば、それは人間である。
人間は、次々にやって来た。
だが、ミノタウロスの飢えは、まだ治まっていない。
本当に戦うべき敵、本当に倒すべき敵は、まだやってきていない。
その敵と戦うときのために、もっともっと強くならなくてはならない。
6
ミノタウロスが最下層のボス部屋に君臨していることが判明したのは、最初にこの怪物が出現してから二年後のことである。
高額な報酬にひかれて、ミノタウロス討伐に挑む冒険者は尽きることがなかった。
不敗のモンスターの噂は次第に広まってゆき、遠方からも挑戦者はやってきた。
ミノタウロスに敗れて死んだ冒険者が三百人を越えたとき、ギルド長の立場上、さすがに討伐依頼を取り下げざるを得なかった。
そしてこのことの責任をとるという名目で、ギルド長を引退した。後任は事務長のイアドールである。
冒険者出身でないギルド長の誕生に冒険者たちは驚いたが、ギルド職員のあいだには、この人事をあやしむ声はなかった。
ローガンはメルクリウス家に身を寄せた。冒険者ギルド長などという忙しい仕事はやめて、メルクリウス家の食客になれと、ずいぶん前からパン=ジャ・ラバンに誘われていたのである。成長著しいパンゼルに稽古をつけてやる楽しみもある。何よりメルクリウス家は居心地がいい。
新ギルド長のもと、時を置いて再び賞金が掛けられた。
いくつもの強力なパーティーが、この大いなるモンスターの討伐を志した。
倒れた者もあり、引き下がった者もある。
とりわけ執念を燃やしたのは、アイゼルという魔法使いである。
結局、彼も死んだ。
ミノタウロスは、サザードン迷宮最下層に、いまだ健在である。
第10話 約束の日
1
サザードン迷宮近くの、とある武器屋に、一人の行商人がふらりと入って来た。
「いらっしゃいませ、トルモン様」
「おお、ヴィエナちゃんじゃねえか。相変わらず、めんこいねえ」
「あら、ありがとうございます」
「トルモン」
「おお、とっつぁん。おひさ」
「帰って来ておったんか」
「たった今、着いたとこなんだけどよう。聞いたぜ。ひでえじゃねえか。王宮から、とんでもねえ人数のつぶし屋どもが出たって?」
「その話か。ちょっと奥へ行くぞ。ヴィエナ、店を頼む」
「はい、店長」
「おいおい、なんだよ。こんなとこで。表じゃ話せねえのか?」
「まあ、ここのほうが遠慮なく話ができるじゃろうな。店先で騎士団を笑いものにするのは、ちとまずいからの。ふあっはっは」
「おいおい。笑っててどうすんだよ。気取り屋どもに、われらの王が、つぶしにかけられてるんだぜ」
「なんじゃ、聞いておらんのか? 討伐とやらは失敗じゃ」
「へ? 失敗ったって、昨日入ってったばかりなんだろ?」
「そうじゃ。そして、昨日のうちに失敗した」
「むちゃ早ええっ。諦めて帰ったのかよ?」
「諦めたのじゃないわい。全滅じゃ」
「ぜ、全滅う? だって、おめえ、聞いた話じゃ五十人近い人数だとか」
「七十二人じゃな。八人編成のパーティーが八つ。転送専門が二人、回復魔法専門が二人、総合支援が二人。それに、みとどけ人が一人。総指揮官とやらが一人」
「なんじゃ、そりゃ! なんてえ力ずくだよ」
「今までもときどき、百階層のボスには、いわゆる討伐隊が出ておった」
「出てたねえ。部屋から出ねえボスを、なんで討伐する必要があんのかは、誰にもわかんねえけど。そんなひまあったら盗賊や街道のモンスターを討伐しろや」
「まあ、騎士への箔付けじゃからなあ。たとえよってたかって袋だたきでも、メタルドラゴンを倒せば、竜殺しを名乗ることができるからのう」
「いや、殺してねえだろ、全員は」
「もちろんじゃ。一パーティーの最大人数は八人じゃからな。普通は、とどめを刺したパーティー以外は竜殺しとはいわん。だからやつらは、どのパーティーが倒したかは公表せん。うまい物を食いながら、いくつものパーティーで交替で戦い、何日もかけてドラゴンを弱らせ、最後は取り囲んでめった斬りにする。疲れたり、形勢が悪くなれば、いくらでもボス部屋の外に逃げてな。そのあげく、何十人でなぶり殺しにしようが、全員が竜殺しを名乗る。倒したパーティーに属していなくてもな」
「へっ! いったん部屋を出たら日を改めて再挑戦が定法ってもんだぜっ」
「騎士や貴族どもの名誉というのは、しごく頑丈にできておるからの。その程度のことでは、びくともせんわい」
「いや、けどよう。そんな人数で、そんな卑怯なまねされたら、いくら俺たちの牛頭王でもよう」
「まず、最初に部屋に入った八人が、焼け付く息で全滅した」
「はあ? いや、意味がわかんねえ。防御魔法とか、属性対応装備とか、当然してるよな?」
「してなかったんじゃな。なぜじゃと思う? そんな攻撃があるとは思っていなかったんじゃと。ミノタウロスの特殊攻撃はハウリングだけじゃと思い込んでおったんじゃよ。じゃから、装備は物理防御特化型で、状態異常抵抗のみを準備しておったそうじゃ」
「ぶはあっっっ。あ、よごしてすまねえ。いや。いやいや。そんなあほな。こどもでも知ってるぜ。われらが陛下の特殊スキルの数々は」
「こどもなら知っとるな。じゃが、王宮のお偉いさんがたは、知らなかったんじゃ。そんなこと、今さら驚くことでもないじゃろ?」
「ばっはっはっはっは。そりゃ、そうだ。けどよ、それでも七パーティー残ってんだろう。二人といわず、四人ぐらいで王様を押さえておいて、支援魔法かけまくったら、さすがの王様も、どうにもならねえじゃねえか」
「いや、それがな。押さえは出さなかったんじゃ。総指揮官とやらは、押さえ役を出しもせず、ボス部屋のすぐ外で、次のパーティーに訓示を垂れておったんじゃそうな」
「おいおい、おいおい。そんなことしてたら、殺されるぜえ?」
「殺されたよ。まず、総指揮官殿が。それから、一番近くにいたパーティーが。なぜじゃと思う? やつら、迷宮の王がボス部屋から出られるとは知らなかったんじゃ」
「……は? おいおい、とっつぁんよ。ちょっとは理屈の通った話をしようじゃねえか。ミノ閣下が、もしもボス部屋を出られねえとしたら、どうやって十階層から百階層に行ったっていうんだよ?」
「どんなうすのろでも、まっとうな人間なら、まずそこを考えるじゃろうなあ。いと尊きかたがたが何をお考えなのか、わしらみたいな下々の者には見当もつかんよ。とにかく、ここまでで、二パーティーがつぶれた。じゃが、サザードンの王がすごいのは、ここからじゃ」
「おうおう。そのここからってやつを聞かせてくれや」
「王がどうやってその場所を知ったかはわからんが、とにかく、軍団のキャンプ場所にまっしぐらに攻め込んだのじゃ。まず瞬間移動術者を殺し、回復役を殺した。次に障壁アイテムを壊して回った。回遊モンスターであるバジリスクを隔離するための障壁アイテムをな」
「うわお」
「そして、これもどうやったのかわからんが、キャンプ場所にバジリスクどもを呼び込んだ」
「やるねえ」
「総指揮官を失い、バジリスクどもに追い散らされた騎士団は、態勢を整えるまもなく逃げまどい、ある者はヒュドラの部屋に踏み込んで殺され、ある者はわれらが大将軍閣下の餌食となった」
「みっともねえ」
「最後が傑作なのじゃが、みとどけ役の伯爵様だけが無傷で残された。夕刻になり、冒険者ギルド長のイアドールが、お抱えの瞬間移動術者とスカウトと防御系魔術師に、こっそりようすをみに行くよう指示を出して、伯爵様は保護された。半狂乱になってわめき散らす伯爵様のお世話をしながら、ギルド長は何が起きたかをすっかり聞き出してしもうたわけじゃ」
「す、すげえ。すげえじゃねえか。われらが二本角大王はよ! それにしても、どこの師団だか知らねえが、その騎士団の情けねえことったらねえな」
「なんじゃ、それも聞いておらんかったのか。近衛第四騎士団じゃ。全員な」
「なんだってえ? 近衛騎士団? しかも一つの近衛騎士団から、そんな人数を出したってえのか? それじゃあ、近衛第四騎士団は壊滅じゃねえか?」
「第二王子の、というよりリガ公爵の権威を高めるためというのは、誰がみても明らかじゃったな。近衛から討伐隊を出すのなら各騎士団から選抜するべきだという意見は当然あった。それを、最精鋭で連携も高いという理由で無理押ししての結果がこれじゃ。リガ公爵は、大いに面目を失った。近衛第四騎士団のメンバーというのは、つまるところ、リガ公爵派の貴族の次男や三男じゃからな。派閥のなかに不満や恨みも残る。どうせ誰かに責任を押しつけて立場を守るじゃろうが、この出来事の真相は国中が知ることになる」
「うんうん。俺も、知らせる手伝いをするぜ」
「くっくっく。せいぜい広めてくれ。まあ、もうイアドールのやつが、さんざん種まきしてるじゃろうがな」
「なあ、とっつぁん」
「うむ、何じゃな?」
「冗談で、サザードン迷宮の王なんて呼んでるけどよう、あのバケモンさあ」
「うむ」
「確かにバケモンにはちげえねえけど、偉えバケモンだよなあ」
「その通りじゃ」
「十階層に生まれて、どうやったか知らねえが、ボス部屋を出られるようになって。手強え敵をどんどん倒して強くなって、今までミノタウロスが身につけたことのねえ、すげえわざを習い覚えていってよう」
「確かにそうじゃ」
「だんだん下に降りながら、各階層のボスに戦いを挑んで。最後にゃメタルドラゴンを殺して百階層のボスに収まっちまった。そんだけ強えのに、自分からは決して人間を襲わねえ。突っかかってくる冒険者は殺すけどよ、逃げ出したら、手出しはしねえ」
「自分より弱い者は相手にせん。たいしたものじゃ。あのミノタウロス閣下はの。殺したいのじゃない。戦いたいのじゃ。武人として戦いたいのじゃ」
「それよ! その武人てやつよ。それに大商人でもあらあな」
「大商人じゃとな?」
「おうよ。俺の商売の師匠が、よく言ってたのよ。しっかり苦労できるやつは、やがて大きな商いができるようになるってな。牛角の大将はよう。自分から苦労をしょいこんで、見事におっきくなりやがったのよ」
「なるほどのう。あの怪物は商売する者のお手本か」
「そうよ! どえれえお宝をため込んでるにちげえねえ。お大尽様ってわけよ。よう、とっつぁん」
「何じゃ?」
「飲みにいこうぜ」
「ちょっと早すぎるが、まあええか」
「おうよ。われらが魔獣王の勝利に乾杯だあっ」
「いや、それは、ちとまずいじゃろ」
「じゃあよ。わが王の栄光に乾杯だっ。どの王とは言わねえけどよ」
「はっはっは。のう、トルモン」
「なんでえ」
「いつか英雄が現れて、サザードンのミノタウロスを倒すじゃろうな」
「一人でかい? そりゃ、いくら何でも無理ってもんだ」
「無理なんてことはないんだと、ほかならぬミノタウロス殿が教えてくださったじゃないか。いつか、たった一人で正面から、正々堂々あの迷宮の王を倒す人間が出る。案外、王はその日を楽しみにしてるんじゃないかのう」
「店長、すいません。お客様が攻撃力付加の恩寵がついた片手剣をお求めなんですが、ちょっと出ていただけませんか」
「わかった。トルモン、すまんが、しばらく待ってくれ」
あいよ、と答えた行商人トルモンは、椅子を三つ並べてごろんと横になった。
サザードン迷宮の周辺は繁栄の時を迎えていた。
上級冒険者が集まり、それに引かれて中級冒険者が集まる。
腕利きの職人が、商人が集まり、最高級の物資が集まる。
それは、初級冒険者たちにも恩恵をもたらす。
それら幅広いレベルの膨大な数の冒険者たちを受け入れる容量を、サザードン迷宮は持っていた。
迷宮からもたらされるアイテムは、その質も量も他の迷宮を圧倒していった。
冒険者から物を買う店や、それを買い取って加工する店。
冒険者に物を売る店。
食事や宿泊や、その他のサービスを提供する店。
ここの冒険者ギルドは、仕事の斡旋も各種のサポートも、実にしっかりしている。
冒険始めにここを選ぶ新米冒険者も多い。
よそから来て、ここに住み着く冒険者も多い。
彼らの最終目標は、迷宮の王の撃破だ。
それは、現代において英雄になることを意味する。
しかしそれは、遠い未来のことになるだろう。
だから当分は旅の空で、ほかのどこにもいない強大で誇り高いユニークモンスターのことを話題にして、お国自慢をすることができる。
そういえば最近ミケーヌの街では、ぼろぼろの服を着て腹を減らしてうろつく子どもをみなくなった。
「これも、われらが王の御徳の賜ってえものにちげえねえな」
うつらうつらとまどろみながら、トルモンは独りごちた。
2
「パン=ジャ。少し落ち着け」
「落ち着いていないようにみえるのか」
「ああ。高ぶりすぎじゃ」
「ふふ」
パン=ジャ・ラバンもローガンも、鎧に身を固めている。
当主ユリウスも鎧姿だ。
もうすぐリガ家が攻めてくる。
乾坤一擲の戦いが始まるのだ。
奇妙なミノタウロスが現れパーシヴァルがこの世を去った年から、十七年が過ぎた。
二十四歳となった騎士パンゼルは、今まさに王宮において、ミノタウロス討伐の王命を受けているはずだ。
そしてパンゼルが迷宮にもぐって留守をしているあいだに、リガ家の兵がメルクリウス家を襲撃する。と同時に王宮を兵で包み第二王子への譲位を迫る。
これを防ぎきれば、リガ家は滅亡するほかない。それこそがパン=ジャ・ラバンの悲願である。
「王宮から家臣が帰りました」
「通せ」
パン=ジャはすでに家宰の座を後進に譲り貴紳として尊ばれている立場であり、老齢と病のため床に就いていたが、この非常事態にあたり、褥から起き上がって現場に復帰し、家兵の総指揮を執っている。
「帰着いたしました」
「王命はくだったか」
「はい。騎士パンゼルはみとどけ人とともに、迷宮に向かいました」
「みとどけ人は誰か」
「エバート・ローウェル様です」
ほっとした空気が場に流れた。
ローウェル家は直閲貴族家であり、エバートは高潔な人物だ。枢密顧問官の要職にあり、王の信頼する相談相手である。リガ家に加担することなどあり得ない。
万一にもリガ公爵の息のかかった者がみとどけ人とならないよう最大限の働きかけを行ってきたが、この点だけが心配だったのだ。
「ということは、瞬間移動をする魔法使いも、エバート殿ゆかりの者か」
「は。ローウェル家の家臣であります。迷宮ではギルド専属の転送係が待っております」
瞬間移動の使い手は、一度行った場所にしか転移できない。だから最下層まで一度連れていってもらう必要がある。
「討伐条件は」
「は。騎士パンゼルは、回復アイテムと食料の携行が禁じられました」
「食料?」
回復アイテムが禁じられるのは予想のうちだった。千年ぶり二十五人目の王国守護騎士を誕生させようというのであるから、その武威は圧倒的なものでなくてはならない。リガ家がそういう理屈をごり押ししてくることはわかっていた。それにしても回復アイテムの禁止は厳しい条件だが、パンゼルならやり抜くだろう。
だが食料の携帯禁止という条件が理解できない。決闘の最中に食事などできるはずもないのに。
「広場に集結したガレスト軍に動きがあります!」
考えている場合ではない。敵が来る。
リガ公爵は二つ考えちがいをしている。
一つは、ミノタウロス討伐に向かったパンゼルが帰ってこないと考えていること。
二つは、病床に着いていたパン=ジャ・ラバンが起き上がれないと考えていることである。
(その考えちがいがお前を滅ぼす)
(リガ公アルカンよ)
(まずはきさまの長男ガレストが死ぬ)
(踏みにじられた者たちの恨みの深さを)
(今日こそ思い知るがよい)
3
人間が近づいてくる。
間違いなく、この部屋に向かっている。
ずいぶん久しぶりだ。
だが、待った甲斐があった。
これは、とても強い人間だ。
そうミノタウロスは思い、愛剣を手に立ち上がった。
メタルドラゴンを五十回目に倒したときドロップした剣である。
黒く、肉厚で、きわめて長大な剣で、先端部に向けてやや幅広となっている。
片刃であるが、切っ先のほうでは両刃となっている。
手に入れた武器のなかで五指に入る恩寵を備えているが、何よりその長さと重さと両手に余る握りが気に入っている。
一見無骨でありながら、刀身の隅々までが使い手の意志をくみとってくれる。
無心にふるうとき、この剣はミノタウロスと一体となってくれた。
刃には鋭さが欠けているが、しかるべき技をもってふるえば恐るべき切れ味をみせる。
この剣を手に何度も何度もメタルドラゴンを倒し、剣技の工夫を重ねた。
部屋に入って来た人間は、たった二人であった。
「異形の戦士よ、お久しぶりです。といっても、ご記憶にはないかもしれませんね。十七年前、この迷宮の一階層で、私はあなたとお会いしました。あなたは私に腕輪をくださいました。その腕輪のおかげで、私はお仕えすべきおかたにめぐり会うことができました。母の病気を治すことができ、幸せな最期を迎えてもらうことができました。お礼を言います」
ミノタウロスには、人語を解することはできない。
だが、この儀式のようなものが終わったら、こいつは最高の闘気を放ってくる。
そう知っていたミノタウロスは、騎士の言葉が終わるのを静かに待った。
「このたび、王命によりあなたを討伐いたします。あのときお借りしたものを、今日、私の武をもってお返ししたいと思います。お受け取りください。後ろの人はみとどけ人です。戦いには参加しません」
黒い目と黒い髪を持つ騎士は、白銀に輝く剣を抜いて一歩を踏み出し、後ろの男は、入り口近くにとどまった。
ミノタウロスは、自分の相手は目の前の男だけであると理解した。
互いに剣を手にして相対したとき、ミノタウロスは、目の前の若者がいよいよ格別の強者であると知った。
間違いなく、これまでに戦った最高の剣士である。
ともに近寄ってお互いの間合いに入る瞬間、ミノタウロスはようすみの攻撃を仕掛けるつもりだった。
その先を押さえて、騎士が、すっと攻撃を放ってくる。
うまいな。
こちらの呼吸を盗んだまの取り方に感心した。
騎士は長く美しい白剣を両手で持ち、右下から左上に切り上げる斬撃を繰り出してきた。ミノタウロスの側からいえば左下から胴を払う太刀筋である。
ミノタウロスは、両手で構えた剣を右下からかちあげて、騎士の攻撃をはじこうとした。
だが、おのれの黒剣と騎士の白剣がふれ合う寸前、背筋を悪寒が走り抜けた。
尋常の気迫では、この剣は受けられない。
そう直感したミノタウロスは、剣と両腕に気根を込めた。
何げなく騎士が放ったかにみえた風さえまとわぬその一太刀は、考えられないほどの重さをもってミノタウロスの剛剣を噛んだ。
その重さは一瞬で消え、騎士はミノタウロスの防御の反動を利用して剣を跳ね上げ、あざやかな曲線を描いてミノタウロスの首を刈りにきた。
まるではじめから予定されていたかのような、自然でむだのない剣の動きである。
なんたる手練れか!
このとき、ミノタウロスは、おのれの腰から熱い奔流が吹き出し、背骨を通り抜けて頭のなかではじけ回るような感覚を覚えた。
こいつだ。
こいつだ。
こいつと戦うために、俺は生きてきたのだ。
こいつを殺すために、俺は強くなったのだ。
左首筋に飛び込みかけた騎士の剣を、黒剣で強引に下からたたき上げた。
騎士がミノタウロスの首を狙える位置に踏み込んだということは、ミノタウロスが騎士の全身を間合いにとらえているということでもある。
ミノタウロスは、剣を返して左下に突き込み、すりあげるように騎士の右脇に攻撃を入れようとした。
騎士は深く踏み込みすぎており、ここは傷を浅くする方向に跳びすさるしかないはずだった。
ところが、騎士はまったく逃げようとせず、空中で剣をくるりと回してミノタウロスの右首筋を刈りにきた。
ミノタウロスは、左手を剣の握りから放して右手の肘を曲げ、剣のつかで騎士の刀身をはじいた。
軌道の変わった剣を、首をひねってかわす。
騎士の斬撃は、右角を半ばから斬り飛ばすにとどまった。
ミノタウロスは驚いた。
こいつ、今、自分の身を守ることなど何も考えず、平気でこちらの首を取りにきた。
なんというやつだ。
騎士の剣が一瞬泳いだため、ミノタウロスに攻める余地が生まれた。
ミノタウロスはすっと左手を添え戻し、剣に時計回りの円を描かせた。
美しい真円である。
ミノタウロスは、あの剣士との死闘以来、剣が描く美しい円を何度も何度も思い出した。
あのような円を、俺も剣に描かせてみたい。
そう思い、修練を積んだ。
水平の円。
垂直の円。
剣先で描く円。
刀身全体で描く円。
巻き込む円。
はじき飛ばす円。
そして、つかみ取っていった。
円の美しさ、強さ、揺るぎなさを。
今放つのは、修業によってつむぎ上げた最強の攻撃である。
騎士の頭上をよぎった円は、まもなく騎士の腹に吸い込まれる。
たとえこの騎士が万全の構えで応じたとしても、受け止めもそらしもできないほどの威力だ。この円弧のなかは、ミノタウロスの絶対制空権なのである。
騎士の腕は伸びきり剣の勢いも失なわれている。防御など不可能だ。
あのときあの人間の剣士の描く円を俺がどうしようもなかったように、お前もこの円のなかに踏み入った以上、滅びるしかない。
逃げきることは不可能だ。腹か腰か足を刈り取らずにはおかない。
戦いの終わりをなかば確信してわざをふるうミノタウロスがみたものは、剣を引き戻しつつ半歩後ろに下がろうとする騎士の動きであった。
騎士は、確然たる軌道をもって迫る死そのものである黒剣を、はじきも受け止めもせず、同じ円を描いた。
半径も軌道も瓜二つのまったく同じ円を。
黒剣と白剣の二ひらの刀身は、出会いを約束された運命の恋人のようにぴたりと寄り添ったまま、虚空に円弧を描いた。
ミノタウロスは、おのれの剣の軌道を維持しようとしたが、余分な速度を与えられた切っ先は、描くべき軌道を飛び出してはじき出された。
騎士の剣先は、本来黒剣が取るべき軌道をなぞると、そのまま騎士のもとに引き戻された。
両者は、同時に身を引き気息を調える。
わずか二呼吸のあいだのこの攻防は、その一合一合が、しびれるほどの快感を与えた。
一撃一撃その興奮は高まり、心臓が止まるかと思うほどの恍惚感が体を満たした。
同時にミノタウロスは、今のやりとりのなかで相手の弱点を知った。
それは剣である。
騎士の白剣は、それなりの業物ではある。だが、この黒剣に秘められた力を解放すれば、あの白剣は折れ、あるいは砕けるだろう。
単なる技術では、この人間は倒せない。一撃に自分のすべてを込め、最大の破壊力をもって打ちかかることを、ミノタウロスは心に決めた。
そして、攻撃力倍加、筋力強化、ダメージ軽減防止、クリティカル発生率倍加のスキルを発動させた。
ミノタウロスがスキルを発動させているあいだに、騎士のほうでも何かスキルを発動させていた。
いい勘をしている。
やつも、ありったけの攻撃力を剣に込めているのだろう。
だが剣と剣を打ち合わせたとき、白剣は折れ、お前は死ぬ。
ミノタウロスは、大きく息を吸い込みつつ、頭上に高々と黒剣を構え、最後の一絞りまで気を込め尽くすと、巨大な円弧を描いて大上段から渾身の一撃を打ち込んだ。
騎士も、雄大な円の動きで真っ向からこれに応じる。
黒と白と二つの剣が、はじめて正面から激突した。
瞬間。
すさまじい音を立てて火花を放ち、二本の剣は砕け散った。
白剣は薄く青みがかった銀のかけらとなり、黒剣は赤紫のかけらとなって、ほの暗い洞窟の空間を埋め尽くすように飛散し、煌めきながら降りそそいだ。
うつくしい。
と異形の怪物は思った。
それは、地の底に生まれ地の底に死ぬこのけだものが、生涯にただ一度みた満天の星である。
〈武器破壊〉
もちろん、このスキルは知っている。
ミノタウロス自身も使うことができる。
しかし、この黒剣を打ち砕くほどに練り込むとは。
それ以外の応じ方をしていたら、騎士は致命的なダメージを受けていたはずなのである。
さて、ここは両者いったん引いて新しい剣を出す場面であるが、騎士は予想もつかない行動に出た。
なんと、素手のまま両手を大きく広げてつかみかかってきたのである。
この俺に力比べをいどむつもりか?
ほんの少しとまどいながら、ミノタウロスもこれに合わせた。
右手は左手と、左手は右手と組み合わされ、指は相手の指を固く締め付ける。
騎士も人としては大柄であるが、ミノタウロスは頭一つ分以上高い。
上から押しつぶすようにのしかかった。
だが、つぶれない。
騎士の腕力はミノタウロスの膂力と拮抗し、少しも押されるところがない。
驚くべきことである。
騎士は、小手をつけた指でこちらの指を巧妙に締め付け、さらにこちらの筋肉が充分な力を出せない方向に、力の向きを誘導している。
つまりこれは、みた目通りの単なる力比べではない。
わざによる攻めなのである。
そうとわかっても、人間ふぜいに力比べを挑まれているという事実に、暴力の化身である魔獣は怒らずにはいられない。
ふざけるな。
小手先のわざで俺の力を受けられるつもりか。
ミノタウロスは小さく息を吸い、一気に力を込めてのしかかった
しかし、これこそ騎士の待ち望んだ瞬間であった。
そのタイミングに合わせて騎士は体をひねり、腰に乗せてミノタウロスの巨体を投げ飛ばしたのである。
ミノタウロスには、まるで自分の力で自分が飛び出していくように感じられた。
騎士は、地面にたたきつけられたミノタウロスの右手首を右手でつかみ、ぐるっと背中側に回すと、右膝で背中を押さえつつ、左腕をミノタウロスの首に巻き付けた。
そのまま、ぐいぐいと首をひねりあげる。
まずい。
このままでは殺される。
ミノタウロスは、地面に押さえつけられたまま、ばたばたと足を動かそうとしたが、うまく動かない。
後ろ手にからみ取られた右手が、どうにも全身の動きを妨げる。
左手で騎士の左手をつかみ、首から引き離そうとするが、できない。
騎士は、人間とは思えない金剛力を発揮していた。
その腕は青銅のように硬く、ミノタウロスの強い指が食い込むことを許さなかった。
しまった。
これも何かのわざだったか。
俺が剣に込めるスキルだけをいくつも準備していたあの時間に、あの一息を吸い込むだけの時間に、こいつは次々につなげて使うスキルを準備していたのか。
ミノタウロスはなんとか耐えるようとするが、騎士の筋肉は異様な強靱さをもって抵抗を押しつぶす。
やがて、ばきっとにぶい音が響いた。
やられた。
首の骨を折られた。
ミノタウロスの全身から力が失われた。
まだかろうじて生きているし、少し時間を得られれば再生スキルにより負傷を修復することができるだろう。
だが、この騎士がその時間を与えることはない。
すぐに首が斬り落とされるだろう。
すべての戦いはおわった。
悔いはない。
この人間は、身体の力と、剣の技と、素手の戦技のすべてにおいて、武人としての極みをみせてくれた。
こんな戦いを味わえる日が来るとは。
言葉を知らぬミノタウロスには、自らに加護を与えた神の名も、その約束の文言の意味もわからない。
だがあのとき二度目の命をくれたあの存在は、自分の願いをまさに今かなえてくれたのだと、その全身で理解していた。
ミノタウロスは、低く長い唸り声を洩らした。
それは、魔獣が命の終わりに大地神ボーラに捧げた感謝の祈りである。
4
首の骨の折れる音が聞こえたとき、パンゼルは賭けに勝ったことを知った。
討伐の王命が下るかもしれないと知ったときから、準備を進めてきた。
冒険者ギルド長に協力を要請し、このミノタウロスの来歴や技能、体の構造や特性を徹底的に調査し研究した。
その結果、選び取った戦法が格闘技だった。
ミノタウロスの骨格、筋肉、関節などは、驚くほど人間に近い。
普通のモンスターには通用しない関節技などが、有効である可能性が高い。
しかも、そうした攻撃を、このミノタウロスはほとんど経験したことがないと思われる。
ミノタウロスは、剣技に熟達している。
剣技では必ずしもおくれは取るまいが、肉体の強靱さは信じがたいほどで、いったいどれだけのダメージを与えれば倒せるのか見当もつかない。
一人でメタルドラゴンと一昼夜以上戦い続ける体力も持っている。
剣と剣の戦いでは倒せる道がみえず、持久戦となれば明らかに分が悪い。
だから相手の武器を破壊し、肉弾戦に持ち込み、関節技に相手が対応できないうちに、首の骨を折る。
ミノタウロスに素手で挑むという、一見愚劣極まりない方法にこそ、パンゼルは活路をみた。たまたま、ジャン=マジャル寺院の高位の武闘僧がバルデモスト王国の王都を用務で訪れていたので、ひそかに招いて格闘技の教えを受け、ごく短い時間なら飛躍的に筋力を増大させるわざなども教わったのである。
ローガンの指導のもと、武器破壊のスキルにも磨きをかけた。
そして今、確かに首の骨を折った。
まだ、完全に死んではいないが、瀕死といってよい。
ここで首を落とせば、このミノタウロスは死ぬ。
騎士が、〈ルーム〉から予備の剣を出そうとした、そのときである。
脇腹に鋭い痛みが走った。
みとどけ役の貴族が、騎士の鎧のすきまから短刀を突き刺している。
刺し傷だけではあり得ない痛みと悪寒が、毒塗りの短刀であったことを教えた。
「エバート様。なぜ?」
そのとき、ミノタウロスの全身が痙攣した。
再生スキルによりダメージの修復が始まったためである。
びくりと動いた手がエバートの足に当たった。
短刀を抜き取って騎士から身を離そうとしていたエバートは、不意を突かれて体勢を崩し、顔面から岩場に倒れ伏す。
ずるずると起き上がるその胸には毒塗りの短刀が突き立っていた。
「パンゼル殿。すまぬ」
自分ももう助からないと覚悟を決めたからか、信頼を寄せる相手を裏切ったことへの贖罪なのか、膝を突いたまま逃げようともしない。
「すべては罠であったのだ。はじめから、すべて。かのミノタウロスに勝てば王国守護騎士に任ずるという約束、そのものが」
「勝てるみこみがないと思われていることは承知しておりました」
「それでも貴公は、この討伐を受けた。受ける以外になかった。王国守護騎士に任じられれば、苦境のあるじを支える発言力が得られるからの。王直々の命であるからには断りようもないが、なんじがその気にならねば、なんじのあるじが承服せなんだ」
「私が死ねば、それでよし。万一勝てば、毒の短剣で勝利を敗北に変ずるため、みとどけ人と立たれたか。エバート様。まさか、あなたさまがリガ公の走狗となられようとは」
「パンゼル殿。なんじは正しすぎる。なんじの主君も正しすぎる。なるほどリガ家の専横はこのままでよいとはいえぬ。第一王子が登極あそばされるのが正しい道ではある。だが第一王子が至尊の冠を戴かれれば、リガ公爵派の大粛正は避けられぬ。それでは国が割れる。今のわが国は豊かすぎる。大きすぎる。ふくれ上がりすぎた体躯を無理に痩せさせては体がもたぬ」
「諸侯が心を一つにすれば、そうはなりません」
「かりに粛正をなし終えても、北伐はうまくゆかぬ。北方騎士団の精強を、なんじが知らぬわけはあるまい。民は塗炭の苦しみを味わうことになろう。そのような時代を招き寄せてはならぬ」
苦しげに顔をゆがめて、エバートは言葉を続けた。
「今ごろ、なんじのあるじの屋敷にリガ公の兵が向かっておろう」
「存じております。しかし戦にはなりません。なったとしても負けません。わがあるじのもとには、すでに族兵が集いおります。われらは数においてリガ公爵様の家兵に互し、鋭気において勝ります。それは、あなたさまこそよくご存じのはず」
「存じておるよ、メルクリウスの智勇は。今のメルクリウスには勇が欠けておる」
「わがあるじは、過ぐる南蛮諸族の侵攻において、大いに武勲を上げられました。また、ツェン家の反乱に際してはいち早く廟堂に駆けつけ、歴代聖上の墓所を守り抜かれました。さらに、街道に盤踞する賊兵らを、御みずから寡兵を率いて撃破しておられます。これをごらんになっても勇なしと仰せですか」
「メルクリウスに勇はある。それは、なんじよ。かたわらになんじがあれば、かの若き当主は比類なき勇を示す。しかして、なんじを失えば、メルクリウスは勇を失う。しばらくは先の家宰殿が病床から起き上がって指揮を執ろう。しかし長くは続かぬ。家宰殿の気根が尽きるとき、戦は終わる。ご当主の命は救えぬ。が、家は残される。なんじとなんじのあるじが死ねば第一王子もご自裁なさるほかない。陛下はご退位なさり、第二王子が登極あそばす。パンゼル殿。わがしかばねに唾するがよい。すまぬ」
そう言い残して、エバートは死に、その体は消え失せた。
パンゼルは、遺品の前にひざまずき、黙祷を捧げた。
エバートは、はじめから死を決意してここに来た。つまり、迎えは来ない。
外に出たければ、おのれの足で百の階層を駆け抜けるよりない。
凶悪な魔獣たちが徘徊する道も知らぬ迷宮のなかを。
パンゼルには、予備の武器はあっても回復アイテムの類はない。水はあるが食べ物はない。
今回の討伐の条件が、そうなっていたからである。
毒の作用は、パンゼルの抵抗力の高さに押さえられてはいるが、やがて命を奪うだろう。たとえ毒を受けていなかったとしても、食べ物なしでは体力が続かない。
途中で冒険者に出会うことができれば、ポーションや食料を借り受けることもできる。
しかし、今は豊穣祭の最中である。迷宮内で人に会える希望はないといってよい。とうてい出口にたどり着けるものではない。
まして戦いにまにあうことは望むべくもない。
それでも、パンゼルにとり、これからどうすべきかは明らかであった。
「異形の戦士よ。あなたに、おわびしなければなりません。私には、やらねばならないことができました。いつか決着をつけに帰って来ます」
ミノタウロスは、目の前の人間に自分が負けたことを知っていた。
邪魔がなければこの人間は自分の首を斬り落としていたはずなのである。
勝者には報酬が与えられねばならぬ。
ミノタウロスは起き上がり、〈ザック〉から、この人間に与え得る最高の報酬を取り出した。
一本は片手剣。
一本は短剣。
それを人間の前に置いた。
パンゼルは、しばしの逡巡のあと二振りの剣を受け取った。
もしもパンゼルが鑑定技能を持っていたら、この二振りの性能に驚愕したであろう。
片手剣は百体目のメタルドラゴンを倒したときにドロップしたものであり、〈ボーラの剣〉という銘を持つ。
込められた性能はすさまじい。
攻撃力三倍
クリティカル発生二割増加
移動速度八割増加
攻撃速度八割増加
体力吸収一割
精神力連続回復二割
全基礎能力六割増加
破損自動修復
そしてこの恩寵は迷宮の外でも有効なのだ。まさに神器と呼ぶべき宝剣である。
また、短剣は、〈カルダンの短剣〉という銘を持ち、これも迷宮の外でも有効な、最上級の恩寵品である。
状態異常全解除
解毒
聖属性付加
知力二倍
階層内地図自動取得
騎士パンゼルは、片手剣を右手に、短剣を左手に持つと、ミノタウロスに一礼して部屋を出ていった。
5
それから、二十八年が過ぎた。
ミノタウロスのもとを訪れる人間は、一時増えたが、やがて減った。
今、新たな挑戦者がミノタウロスの前に立っている。
黒い目と黒い髪をした青年騎士である。
右手には、二十八年前自分に勝った男に与えた剣を持っている。
左手には、強力な恩寵を備えた盾が構えられている。
こちら側からはみえないが、ミノタウロスの探知スキルは、盾の裏にやはり覚えのある短剣が差し込まれ、左手に昔みた腕輪が装着されていることを教えた。
指輪にも首の護符にも格別の恩寵を感じる。
何よりこの騎士は、すばらしいわざと心気の持ち主である。
ミノタウロスの全身は、激しい戦いの予感に打ち震えた。
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