第16話 業火
1
雨が降っている。
私は雨の音に耳を傾ける。
庭の木々の葉にはねる音。
池に落ちる音。
地を打つ音。
少し遠くのあずまやの屋根に響く音。
さまざまな音に、私は耳を傾ける。
こうして雨が降る日、私は心の奥底にしまっている小さな箱のふたを開ける。
その箱のなかには炎が燃えている。
消えることのない怨念の火が燃えている。
それは、解き放たれれば私自身を、私が大切に思う人々を、この国のすべてをも燃やし尽くしてなおやまぬ滅びの炎だ。
だから私は、こうして雨が降る日にはそっとその箱のふたを開けて、消せない炎を降る雨にさらす。
しゅうしゅうと燃えさかる炎が鎮まっていく音を聞きながら、かろうじて私は、箱のなかに封じた復讐にわが身を食い尽くされるのをまぬがれる。
それでも、ときに火は不意に勢いよく燃え上がって、私のすべてを紅蓮の焔に焼きそめようとする。
そうなってもかまわないと思う私がいる。
そうなることを望んでやまない私がいる。
その火は私が五歳のときにともり、八十一歳になった今日まで燃え続けている。
2
あの少年は、知っているだろうか。
恩人と呼んでくれる私にとり、自分こそが恩人だと。
私はあの少年に助けられた。
いや、もう少年ではない。
千年ぶり二十五人目の王国守護騎士にして、直閲貴族家当主。
不敗の化け物に打ち勝って神剣を勝ち取り、首謀者の首をはねて反乱軍を敗走させ、王の御前で百人の騎士を圧倒してのけ、さらには勇猛なる北方騎士団を打ち破り、ケザの地を勝ち取った希代の英雄。
だが、王国守護騎士パンゼル・ゴランは、今でも私にとってはパンゼル少年のままだ。サザードン迷宮の前ではじめて会った、あのときと変わらず。
アレストラの腕輪を持ったパンゼル少年と会ったとき、パーシヴァル様が引き合わせてくださったのだと思った。この少年をユリウス様をお支えする人材として育てよというおぼしめしなのだと思った。
それはそうだったかもしれない。
だが、パンゼル少年の母御に会い、パンゼル少年の父御がエイシャ・ゴラン殿の孫だと教えられたとき、パンゼル少年との出会いはエイシャ殿の引き合わせでもあったと知ったのだ。
3
エイシャ殿は南方で生まれた。
おそらくは、ゴルエンザ帝国の北西部、エラ大湿原に近い辺りかと思われる。
若くして帝都で剣士として名を上げた。軍略や歴史知識にも優れ、諸侯から仕官を望まれたが、特定の主家は持たず、あちらこちらを放浪しながら剣を教えて暮らした。
南方諸国をめぐり、各地で名の高い剣士たちと技を競ううち、当代無双の剣豪と呼ばれるようになり、慕う人も増え、諸王諸侯から破格の条件で誘われたが、誰かの臣下となることはなかった。
そんな人物が、ふらりと北方のバルデモスト王国に現れた。
すでに北方においてさえその声望は高く、この放浪の剣客を自家に誘わんとする動きが、にわかに盛んとなった。そんなエイシャ殿が腰を下ろしたのが、わが父マゼル・ス・ラ・ヴァルドの屋敷だった。
当時の父は、近衛の平騎士にすぎなかったが、剣の腕は衆に抜きんでたものがあった。エイシャ殿は、父の剣の師を訪ね、その紹介で父と剣を交えたのである。
試合は、長く語りぐさとなるほどの熱戦となった。
その日、二人は腹の底が抜けるほど大いに酒を酌み交わし、親友となった。
豪放磊落なエイシャ殿と、謹厳実直な父が、なぜか非常にうまがあった。共通点といえば、剣と酒を愛したことだろうか。エイシャ殿は、北方に来た理由を聞かれるたびに、南の酒は飲み飽きた、と答えたという。
父は、エイシャ殿に兄と私の教育を預けた。
兄は正式に剣の修業を始めたが、幼い私はエイシャ殿と一緒に野山を駆けめぐるのが常だった。
力一杯走り、笑い、食べた。
草や、木や、けものについて学んだ。
水や、空や、土や、山や、天地のことわりについて学んだ。
父は用務で留守が多くなり、私にはエイシャ殿こそが父のように感じられた。
エイシャ殿は、決して父の家臣ではなかった。食客とでもいうのが近いだろうか。父が何かをエイシャ殿に命ずることはなかった。エイシャ殿が、父に対し雇い主であるかのようにへりくだることはなかった。
父はエイシャ殿に生活の資を渡していたのであろうか。
それは知らない。知る必要もない。
エイシャ殿は、父の友であり、私たちの家族だった。
4
父が吏務査察官に抜擢されたことは、驚天動地の出来事といってよい。それほどの名誉ある、また責任の重い役職なのだ。
吏務査察官は王直属の調査者であり、査察の対象は行政と司法のあらゆる分野に及ぶ。宮廷内での政務について自由に調査する権限を持ち、不正を告発し、さらには処分の具申ができる。王直轄の地方機構については、自己の判断で一定範囲の懲罰を実施することもできる。さらに、王より諸侯に委託された事項について、独自に調査し賞罰を具申できる。吏務査察官が職務に乱れや不正があると報告すれば、大臣や代官の首でも飛ぶし、諸侯は大きな利権を失う可能性がある。
当然、吏務査察官は、あらゆる方法で徹底的に懐柔される。懐柔できない人間は、この役職に就くことがないよう注意深く根回しがされる。
しかし、吏務査察官は親補官である。
王が直接任命でき、少なくとも制度上は王がみずから下問なさる場合を除いて人選を上奏できない。同時に、高位の貴族でなくても就任できる、ほぼ唯一の高等官である。
それでも近衛の平騎士、すなわち準貴族が就任するというのは、あまりに慣例をはずれていたため、側近のかたがたはよい顔はされなかったと聞く。
朝議においては、白卿、赤卿、青卿、黒卿のすべての大臣が連名で、適当な人選ではないという意見を、わざわざ文書にして奏上した。
しかし、王は意見をお変えにならなかった。
当時の王は、のちにシャナ=エラン(浄王)と諡《おくりな》された通り、不透明なこと、不公平なことがお嫌いな気質であられた。
けれども王宮と政治は不透明不公平そのものであり、公正を求めて王が試みられたいかなる努力も、砂にしみこむ水でしかなかった。
そのような王が通された唯一のわがまま。それが父を吏務査察官としてお召しになることだったのである。
それをわがままと申し上げるのは、あまりに不敬であり、お気の毒であろう。
しかし、輔弼すべき立場からの諫言をことごとく退ければ専断となる、というのも識見の一つにはちがいない。
吏務査察官という、どの派閥も喉から手が出るほどに欲しい役職をさらった父は、悪人となった。このような、あり得ざる人事が起きたということは、父があり得ざるきたない手を使ったということである。王その人をたぶらかし、政道をゆがめて。
どのような不正を父が行ったかは、彼らにとり調べる必要もなかった。吏務査察官就任という結果が父の有罪を証明しているからである。
かくして地獄への道行きが始まった。
5
父は、まず家臣を集めねばならなかった。
吏務査察にあたるとなれば、相応の能力を持った家臣たちを大勢集める必要がある。
父が頼ったのは、剣の師であり、道場の知己だった。
激しい妨害にあった。
結局、必要な人数は集めることができたものの、貴族は皆無というありさまだった。父の志に共鳴する人は多かったらしいが、剣の道場に通う貴族というのは、貴族であっても次男や三男であったり、あるいは官職も得られない末端貴族であることが多い。親や、長兄や、本家筋などから強く諫止されれば、押して父のもとに駆けつけるわけにはいかなかった。無理もないことだと思う。
このことが、王宮での父の仕事を困難にした。
役所の仕事を調査しようにも、一定の身分がなければ、そもそも王宮の敷地内に入れない。公務の助手であるから連れて入ればよいともいえるが、各役所で身分規定をたてに入室をこばまれれば、あえて押し通るわけにはいかない。押し通れるとすれば、罪があると確定したときである。
それでも父は、めぼしをつけた部署に粘り強く交渉して資料を提出させ、それを部下たちに筆写、整理させて、分析をした。
それをまとめた資料をもって、次の段階に進もうとした。
ところが、あらためてその部署を訪れると、資料はすべて書き換えられ、置き換えられ、持ち去られていた。
わずかでも父に協力した官吏は、異動あるいは解雇の対象となり、処刑された者さえいた。もちろん、表面上は父の調査とは何の関係もない理由によってである。
父は、方針を変えた。
家臣たちを率いてアンポアンに行き、王国から委託している輸出入について抜き打ち調査を行ったのである。
これは電光石火の早業だったらしい。
案の定、隠すまもなく、物資の横流しや、不正な利益供与、あるいは不公正な売買の記録が山ほどみつかった。アンポアンは、当時すでに王国最大の港街となっており、数年前に侯爵領に格上げされたところだった。父の調査により、王宮から差し向けられて外国との貿易を担当していた子爵三人が罷免され、領主であるアンポアン侯爵が、叱責および徴税権の一部剥奪という処分を受けた。
これが、当時のリガ公爵家当主クレルモの逆鱗にふれた。
子爵三人は、いずれもリガ公爵の分家の子弟だった。また、アンポアン侯爵は、古くからリガ公爵家を主家と仰いでおり、特に当時の当主はクレルモによく仕え、近々入閣するのではないかといわれていた人物だった。そうなれば、リガ公爵の派閥はますます巨大化する。
ところが、父のために、そのもくろみは狂った。アンポアンの伯爵領への格下げさえ検討されたというのだから、リガ公爵としては、長年の努力が水泡に帰した気分であっただろう。
だが、その怒りにこそ、クレルモの思い上がりがある。
そもそも、侯爵領も、伯爵領も、王のものである。それを私物であるかのように思う貴族が多い。あまつさえ、アンポアンという重要な街の国務を自家の関係者のみで独占している異様さを、クレルモはどう説明するのか。
長い歴史のなかで、制度にゆがみもできているであろう。だが、それ以上に、そのゆがみを悪用してはばからない大貴族たちが、この国の清明さに影を落とし続けてきた。
6
わが国の爵位制度は、ゴルエンザなどのそれとは、だいぶちがう。
たとえば、わがメルクリウス家の場合、直閲貴族家であるから、位階でいえば序列の最も高い侯爵位に相当するが、当時は領土を持っていなかったので、侯爵とは呼ばれなかった。
侯爵と呼ばれるのは、王から侯爵領に封じられた貴族である。
伯爵は、王から伯爵領に封じられた貴族である。
侯爵領と伯爵領のちがいは、土地の広さ、豊かさ、産業の発展ぐあい、交通や軍事上の観点などから総合的に判断される。
子爵は、実態はともかく、建前の上でいえば、侯爵領もしくは伯爵領の一部を預かる貴族、ということになる。
男爵については、これらとはまったく成立が異なる。
男爵とは、もともと領地を持っていた諸侯が、バルデモスト王に臣従することを誓い、領土を安堵されて発生した身分である。
であるから、男爵領の場合、広さも実力もさまざまだ。侯爵より金持ちで領土も広いという男爵もいる。宮廷での席次も、必ずしも男爵が侯爵や伯爵以下というわけではない。
男爵は、その成り立ちからいって移封されることがない。爵位が上がることも下がることもない。それに対して侯爵や伯爵は、格上げや格下げ、さらには移封もあり得る。実際には戦争などにより大きな領土の変更がないかぎり移封は行われないが、少なくとも制度の上ではそうなのである。
ところが、ここに、王から封じられた領地に基盤を持ちつつ、格下げや移封など人ごととばかりに、豊かな土地にのうのうとあぐらをかき続けている貴族がいる。その土地は王の物であるのに、まるでわが物のように思い、扱う。
リガ公爵である。
そもそも、リガ家は公爵家などではない。公爵家というのは、王の兄弟や子が特別な功績を挙げた場合に、王領の一部を分け与えられて出来るものである。その領土はそう大きなものではありえないが、当主が死んだのちも遺族が相続し続けることを、国法が認めている。
他国には、王位継承権の高い身内を排除するために公爵家を乱造したり、母親から領土や財産を受け継いだ王子が強力な公爵家を築いて国の乱れるもとになった例もみられる。わが国では公爵が強い権力を持ちにくいので、こうした轍は踏まずにすんでいる。
リガ公爵家の初代は、もともとは現在のタダ国西部とフェンクス諸侯国東部にまたがる広大な土地を治めていたオニス家の次期当主であった。バルデモスト王国の始祖王没後に幼い二代王に代わってバルデモスト王国の政務を執ったが、国政を私することは決してなく、その公正な態度から、王国内はもちろん諸国にも厚く信頼されたという。
しかし、オニス家の当主が没したあとも二代王に乞われてバルデモストに尽くし続けたため、オニス家の領土は分裂し周囲に吸収されて消え去った。
二代王はその働きを高く評価し、リガという枢要の地を与えるとともに、王族にもひとしい高貴な立場であるとして公爵位を贈り、しかも子孫の続く限りリガの地を治め続ける権利を認めたのである。リガ家という名もそのときにできた。
初代リガ公爵は優れた人物であったと私も思う。その業績は評価されてよい。
しかし、公爵になったのは間違いである。二代王から公爵に叙するといわれたとき、厚遇に感謝しつつ断るべきであった。
だが、受けてしまった。それがリガ家をゆがめた。
王族でない者が公爵となってはならない。王から封じられて領主となる以上、侯爵位か伯爵位でなければおかしい。初代のリガ公は、国ができたあと始祖王の威徳に引かれて歩みを共にするようになったのであるから、男爵位こそがふさわしいともいえる。さらにいえば、なるほどリガ家初代の功績は大きいが、自らの領土を顧みずに王に尽くした貴族はリガ家だけではない。
にもかかわらず、リガ家が初代の功績をひけらかし、その遺徳を享受するほどに、国には禍々しい毒がたまっていった。
のちに私が物心ついてからのことである。
リガ家の当主はクレルモからモルゾーラに代替わりしていた。
あるとき、フェンクス諸侯国の一領主とわが国の伯爵のあいだで紛争が起きた。勝てば結果としてわが国の領土が広がるのである。大臣たちから、王都から応援を出すべきだという意見が出た。
これを、当時白卿だったモルゾーラが蹴った。王都が介入すればフェンクスでも周辺諸侯が参戦する事態になる、という言い分だった。
うまいことを言うものだと思う。その裏で、やつが何をしたか。
塩の補給を止めたのだ。
塩がなければ戦えない。伯爵とその親族たちは、王都の塩を買おうとし、また塩田地帯からの塩の手配をしようとした。
だが、王都でも塩は突然高騰し、塩田地帯の塩は隣国のタダに売り尽くされていた。
結局、有利に戦を進めていたにもかかわらず、一片の領土も得られないまま停戦しなくてはならなかった。
その伯爵は王都に鎧姿のまま馬で駆けつけ、塩の売買を管理する官吏のもとに行き、長剣で机を真っ二つに斬ったという。伯爵が本当に斬りたかったのはリガ公爵である。誰がこの戦を負けにひとしい決着に導いたか、知らぬ者はなかった。
リガ家はこの国の塩と鉄を押さえている。
そもそもリガは、海岸部から国の中央部に向かう喉元にある。海からの輸送、海への輸送は、すべてリガを通るのである。
かつ、アンポアンをはじめ海沿いの諸都市はすべてリガ家の支配下ないし強い影響下にある。そのなかには製塩を行う村のすべてが含まれている。
国内の鉱山のうち主立ったものは、すべてリガ家が押さえている。
長い長い年月のあいだに、リガ家はこの国の隅々にまでその長い触手を張りめぐらしている。まるで、北の海に出没するという巨大な怪物のように。
甘言と恐喝をもって人を支配し、何もかもを飲み込んでいこうとする。そして、気にくわない者、従わない者には、どんな仕打ちでもする。派閥のちがう伯爵が領土を広げそうだというだけで、塩の補給を止めるようなことさえするのだ。
リガ家は、この国にとり毒そのものだ。
7
クレルモは、能力は高く、人間としての魅力もある人物であったように思う。
だが、リガ家の宿痾に脳の奥までが冒されていた。
領土も財も権力も地位も天与のものであり、それを侵すものは滅ぼさねばならないという狂気に取り憑かれた、哀れな男。
そんなクレルモが父を放っておくはずがなかった。
王都に戻った父は、事後処理と報告を済ませ、家臣を総動員して、アンポアンでの調査内容を遺漏なくまとめ直した。万一、王宮に収めた書類が紛失するようなことがあっても、事件の事実関係とその処理の公正さは、この資料により明らかにできる。
そして、父は、すべての作業が終わったことを確認してから、家臣を集め慰労の宴を持った。王国暦千二十四年赤の三の月の三の日のことである。
そこをリガ公の兵が襲った。
クレルモの狡さは、このとき、自家の兵だけでなく、リガ家とはむしろ対立関係にあった大臣二人の家の兵を同行させたことにある。それにより、出来事は私怨から公儀に装いを変えることができたのだから。
どうしてその二家がこの惨劇に加担しなければならなかったのか、今でもわからない。だが、何かがあったのだ。父を殺すことが二家の利益になるような。あるいは、殺さないことが不利益になるような何かが。
私にはわからないそれを、クレルモは嗅ぎ当てた。むろん当時五歳だった私が各大臣家の事情など知り得ようはずもないが、あとになって調べてもそこはわからなかった。
この日、家にいた三百四十三人が皆殺しにされた。
わが家は、王都の郊外にあり、後ろの山も敷地に入っていた。一万二千人の軍隊がそこを取り囲み、魔法を撃ちかけて焼き払い、逃げ出す者を殺した。
翌朝、参内したクレルモは、王の着座を待って謀反人の討伐を報告した。
その謀反人とは吏務査察官マゼル・ス・ラ・ヴァルドである。
王陛下は天界から冥界に突き落とされた気分になられたであろう。
自らが抜擢した吏務査察官が、他国との貿易で不正を行った官吏を発見し、それを見事に裁いた。その調査と裁きは完璧というべきであり、王都の役人たちもその見事さを認めないわけにはいかなかった。そして、懲罰の対象となったのは、専横をほしいままにする白卿の秘蔵っ子であり、もうこれで当分はあのいやらしい笑顔で、「そろそろかの者を黒卿に」などと言われることもない。
陛下は、どれほどか溜飲をお下げになったことか。
このごろの陛下のごようすは、当時のことを知る宮廷人たちにいわせれば欣快の一語に尽きる。毎夕の食事の際には、何度もそこにいない父に乾杯して杯を空けてくださったそうだ。玉座ではすでに報告を聞いておられたが、近々親しく父を招いてご慰労くださる予定で、恩賞もご準備しておられた。
その父が罪を問われて殺されたと聞かされた。
それは、陛下に対しまつり、お前を殺した、と宣言したにひとしい。
陛下は、一言も発せられず、顔を紫色にそめて、そのまま下がられた。
無理もないことであり、このうえなくおいたわしいことである。
だが。
だが、このとき。
陛下は、なおご下問なさるべきだった。
今、そのほうは、謀反人を家人郎党もろとも討ち果たしたと申し、さらに、このような大罪においては一族ことごとくを誅せねばなりませんと申したが、それはすでになされたのか、と。
ところで、このとき、クレルモがどのような根拠で父を謀反人として告発したのかが、はっきりしない。
罪状のなかに、一官吏の身分にもかかわらず諸国に知られた武人を自家に取り込み、あまつさえその弟子と称する兵あまたを養いおる罪、というのがあったことはわかっている。
だが、当時、エイシャ殿は、娘御お一人のほかは、内弟子として三人の門弟をおそばに置かれていたのみで、わが家の家臣に稽古をつけることさえ遠慮しておられた。これが謀反の主な証拠となるはずはないのだ。
しかし、いくら湯水のように金をそそいでも、この時の告発の内容は浮かび上がってこなかった。
陛下がご退出なさったあと、クレルモは、蛇のごとき舌で自分の唇をなめていたことだろう。
謀反計画があったと告発し、その首謀者はすでに誅殺したと奏上した。そして、その族人どもも誅さねばならぬ、と奏上した。
それに対し、王陛下は、何のお言葉もなく朝議を終わりになさった。それは、この運びについて勅許が得られた、ということだ。
クレルモは、すべての大臣に命じて族兵を出させた。勅命をもって。
すべての大臣が共犯者になった。
ただちに私の姉の嫁ぎ先、父の兄弟の家、母の実家、母の兄弟の家が襲われ、幼子まで含め、すべての家族郎党が殺された。まさに族滅である。二日のあいだに死者は合わせて七百二十五人となった。
陛下は、次の日になって事の顛末をお知りになったようだ。そのまま憤怒のあまり体調を崩され、そして二度と床から上がられることなくご崩御なされた。
父が行った告発は捏造であったとされた。王宮に厳重に保管されていた調査記録はどこかに消え、父がまとめた資料は灰となった。
罷免された子爵三人は復職し、アンポアン侯爵は黒卿になった。
私は、このときの死者の名簿を手に入れて以来ずっと、死者の数を不思議に思っていた。名簿に名前がありながら、私自身は死んでいないからだ。
家臣のこどもの誰かの死体が私の死体と間違われたのか。それとも七百二十五人という数が事実とちがっており、ありもしない私の死体が数に入っていたのか。
だが、そうではなかった。やはり七百二十五人だったのだ。
そのことを知ったのは、あのとき何があったのかをパンゼルの母御に聞いたときだった。
あの夜、私の想像もつかないところで、私の命を守るための凄絶な戦いがあった。
8
パンゼルの祖父殿はチャルダという名で、西の辺境の出だ。
エイシャ殿を慕って、その内弟子となった。
事件の起きた年には二十二歳だった。
あの日、エイシャ殿も宴に誘われたが、自分は留守番をしていただけなのでと断った。
その代わり、チャルダ殿の兄弟子二人は宴に出た。この二人は、師であるエイシャ殿の命を受け、アンポアンに護衛として同行していたのだ。
惨劇の始まる前、エイシャ殿は屋敷と山を取り囲む軍勢に気がついたが、まさか郊外とはいえ王都で、王直属の高官の屋敷をいきなり魔法攻撃してくるとは夢にも思わず、対処が遅れた。
だが、攻撃が始まったとき、これほどのことを行うのだから、誰一人生かして逃がさぬ覚悟であると、ただちに理解した。
このとき、私はエイシャ殿のところにいた。自分ではその理由を覚えていなかったが、チャルダ殿の伝えるところでは、父の使いとして来たのだという。
いわく、「貴殿の弟子二人の見事な働きを賞めて杯を取らそうとしたが、師の命に従っただけのわれらが、師を差し置いてその杯を干すわけにはまいらぬ、と言い張る。わしを助けると思って、宴に参席されよ」との口上を述べたらしい。
当時五歳だった私に、そのように込み入った口上を覚えられたとは思えないのだが、チャルダ殿によれば完璧な口上だったとのことだ。
父は貧乏騎士であったが、祖母から王都郊外の土地を相続していた。庭の広い、というより庭ばかり広い作りで、母屋はこじんまりとしていた。
はじめエイシャ殿は母屋の隣の小屋に住んでいたらしい。
父が吏務査察官になり、家臣のために家というより小屋をたくさん建てねばならなくなり、庭にはにわか造りの家が乱立していった。ここでは落ち着けないだろうと、父はエイシャ殿に奥の山のなかほどにある庵を提供したのである。
私は、母屋よりこの離れで過ごす時間のほうが長かったようだ。
エイシャ殿は、離れに娘のエニナ殿とチャルダ殿の三人で住んだ。当時エニナ殿は十四歳だった。私は、この優しい女性を、本当の姉のように慕っていた。エニナ殿には当然母親がいたはずだが、旅の途中で亡くなったのか、何かの理由があって別れたのか、それは知らない。
チャルダ殿の兄弟子二人は母屋に寝泊まりし、交替で父の護衛にあたっていた。
エイシャ殿の判断は早かった。
私を抱きかかえると、チャルダ殿とエニナ殿に静かについてくるよう命じ、燃えさかる母屋にみむきもせず、藪のなかに飛び込んだ。
身を低くして進むうち、川に出た。
小さな釣り舟がつないである。
私とエニナ殿を抱えて舟底に寝そべると、むしろをかぶった。そしてチャルダ殿に、舟を王都の水路に進めよ、と命じた。
舟に乗ったことは私自身も覚えている。だが、眠ってしまったので、このあとのことはみていない。
山に離れがあることは当然敵に知られている。母屋の次はこちらが襲われる。どの方向に逃げても、山からの下り口はみはられているだろう。また、どう逃げたところで山の向こう側は見通しのよい平原であり、みつからずに逃げることはできない。
そこで、逆に川に身を潜めて王都のほうに逃げることにしたのだ。
この川は王都の水路とつながっている。
夜のとばりが落ちた今なら、敵の目からのがれて王都まで行けるかもしれない。王都に逃げてそのあとどうするのか、チャルダ殿には見当もつかなかったが。
身を低くし、音を立てぬよう、そろそろと棹を操って舟を進めた。
もうすぐ王都の水路に入るというとき、敵の見回りがやってきた。
チャルダ殿は草の高く繁った位置に舟をとめ、闇の中で息を殺して近づく敵をにらみつけた。
数名の兵を指揮する男が言った。
「まさか、ここまでは来ておるまいがな」
(こいつは、コンパチだ)
チャルダ殿は気がついた。
コンパチは有力貴族の三男で、剣の腕が自慢だった。南の軟弱な武人など北の勇者の敵ではないというのが口癖で、なぜかエイシャ殿を目の仇にした。
南でさえ仕官できなかったあんな年寄りなどをありがたがるやつらは阿呆だ、と公言し、化けの皮をはいでやるとばかりに、三度エイシャ殿に挑戦した。
そして、三度ともこてんぱんにたたきのめされた。
それでエイシャ殿への態度が変わるかといえば、そうではなく、相変わらず悪口を吐き続けている。チャルダ殿は、エイシャ殿の内弟子ということで、何度もコンパチからあざけられ、嫌みを言われ、いやがらせを受けてきている。
そのコンパチが、今、円錐型の魔光器を左手に持ち、右手には槍を持って、川の岸辺に近づいて来る。
(斬るか)
とチャルダ殿は考えた。
コンパチの腕はチャルダ殿と互角だが、エイシャ殿と共になら、数名の兵士ともどもわずかな時間で斬り殺すことができる。
だが、ほんの数百歩向こうには何百という兵士がいる。その向こうには、さらに大勢の兵士がいる。声を上げられないほど素早くこの数名を倒し切るのは無理だ。
生き延びるには、みつからないことしかない。みつかれば、一人でも多く敵を倒して斬り死にするほかない。
コンパチは、川を広く魔光器で照らしながら、ぐるっと視界を回した。そして、槍で草むらをかき分け、チャルダ殿が潜む辺りに視線を向けた。
二人の目が合った。
が、一瞬でコンパチは目線をそらし、何事もなかったかのように部下たちに声をかけた。
「やはり、こちらにはおらん。上流もみておく」
兵士たちは返事を返し、一団は山のほうに歩き去った。
心臓が止まるほど驚いたチャルダ殿と舟を残して。
チャルダ殿は身がしびれたようになり、しばらく動けなかった。
安心感のあまり、はらわたが腰の下にずり落ちていくように感じる。
それにしても不思議である。
燃える母屋をみたあとに暗いところをみたので、みえなかったのだろうか。
そうも思ってみるが、確かに一度目が合ったのである。
王都に入ってから、そのことを師に問うた。
エイシャ殿は、ただ、
「うむ」
と、ひと言を発したという。
9
エイシャ殿は、舟を着ける場所をチャルダ殿に指示すると舟を降り、まっすぐに目的地に向かった。
エイシャ殿は私を抱きかかえて走り、チャルダ殿は途中からエニナ殿を抱えて走った。そして、大きな屋敷に着くと、エイシャ殿は腰の剣をはずして、応対に出た家人に渡した。その剣は、こしらえは質素だが相当の名剣であり、よく使い込まれていた。
感心したことに、この家の使用人は、こんな時間に突然訪ねた名も告げぬ怪しげな来客を、当たり前のように客間に通した。すぐに水と茶を出してくれたので、眠っていた私以外の三人は喉をうるおすことができた。
そして驚くほど短い時間で家人が戻り、当主がお会いになりますと告げ、四人を別の部屋に案内した。
このときには、エニナ殿が私を抱きかかえていた。
「当家のあるじ、バルドラン・メルクリウスといいます。まずは、この剣をお返ししましょう。よくぞおいでになられました」
その言葉を聞いて、チャルダ殿はここが誰の屋敷であるのかをはじめて知った。ではこの貴人が、かの英雄の子孫なのだ。
「エイシャ・ゴランと申す武辺者にござる。このような時間に先ぶれもなくお訪ねし、申し訳ない。わが娘の腕に眠る男児をお預かり願いたく、まかり越した。この男児は、マゼル・ス・ラ・ヴァルド殿のご次男にござる」
「吏務査察官殿に、何か変事でもおありですか」
「今、かの屋敷は、恐るべき多数の兵士に焼き討ちされており申す」
「なにっ」
優男、といってよい当主の表情が急変した。
そこには、鬼神も退ける強い覇気がこもっており、この家がもののふの魂を失っていないことを物語っていた。
わずかな時間で表情を戻すと、当主は言った。
「お会いしたことはありませんが、吏務査察官殿のことは以前より存じ上げておりました。ご活躍をお祈りしていたのです」
「お預かり願えましょうか」
尋ねるエイシャ殿の目をまっすぐにみつめ返しながら、当主は聞き返した。
「お預かりしたとして、あなたはどうなさいますか」
「なすべきことをなす所存」
当主は、瞑目して天を仰ぎ、嘆息した。
「そうか。そうでしょうね。そのままというわけにはいかない。あなたの名も顔も人柄もよく知られている、とみなければならない。吏務査察官殿のご次男を、よくみせていただけますか」
エニナ殿はエイシャ殿に促されて私を抱いたまま前に進んだ。
「ああ、よく眠っている。エイシャ殿、この子の名と年を教えていただけますか」
「名はアドル。五歳でござる」
「五歳。そうか。五歳なのか」
当主はしばらく私の顔をみつめたまま黙考していたが、やがて侍女を呼び、何事かを言いつけた。
「エイシャ殿。かのかたのご次男殿をお預かりする。娘さんと共に奥の部屋で休まれるとよい」
「かたじけない。エニナ。奥に連れて行っていただけ」
こうして、眠っている私と、私を抱えたエニナ殿が侍女に案内されて奥に消えた。
「ところでエイシャ殿。短剣をお持ちだろうか」
こういうものを持っておりますと差し出した短剣を受け取り、暫時お借りしますと言って、傍らの机に置いた。そして、腰に佩いた剣の鞘に巻き付けてある細い革の留め紐を外し、左手首と左小指をきつく縛った。
エイシャ殿の表情が硬くなる。
侍女が一人の男の子を連れて帰ってきた。
ちょうど私と同じぐらいの年格好と髪の色であったという。
そのこどもをみて、チャルダ殿は不審を覚えた。
私の服を着ていたからだ。
侍女は、すぐに部屋を出て行った。
「私の子なのですが、わけあって妻の実家の家名を名乗らせております。おいで、パン=ジャ」
眠い目をこすりながら寄ってきた年の離れた実子を、愛おしそうに当主は抱きしめ、そして短剣を取ると、心臓に突き立てた。
そのまま、殺したわが子を床にそっと横たえ、腰の長剣を抜き、机に刃を立てて置き、その下に左手の小指を差し入れると、ごとん、と音をさせて断ち切った。
左手の小指を革の紐できつく縛って止血し、袖から出した布で切り離した指を包むと、横たわるわが子の胸元に入れた。
「許しておくれ、パン=ジャ」
そう小さくつぶやいてから、立ち上がってエイシャ殿に言った。
「エイシャ殿。ここはどうしても、ご次男殿の屍体がなければ収まりません。たとえ草の根をかき分けても、焼けた死体の顔の皮を一枚一枚剥いででも、それを検めねばすまさぬ相手なのです」
エイシャ殿は、心臓に短剣を突き立てたままの少年を両手で抱き上げ、哭いた。
渾身の力を込め、喉の破れるほど泣いた。
開いた両目から流れ落ちる泣涕は滂沱として自慢のあごひげを浸し、慟哭の割れ声は、聞く者の臓腑をえぐって部屋のなかを吹き荒れた。
やがて、死んだ少年の胸に落ちる涙が、赤く染まった。みればエイシャ殿の目から落ちるものは、すでに涙ではなく、真っ赤な血そのものとなっていた。
「北のもののふの誠、かくのごとし! ザーラよ、ご照覧あれ!」
エイシャ殿は、武人らしい言い回しで精いっぱいの感謝を伝えると、すくっと立ち上がり、チャルダ殿に言った。
「お前は、一晩ここに泊めていただけ。すまんがエニナのことは、よろしく頼む。渡した金は好きに使え」
そして当主のほうに向き直ると、短く謝した。
「ご厚情は、忘れ申さん」
当主も短く答えた。
「お会いできて、よかった」
二人は、互いに礼をした。
エイシャ殿は、こどもの屍体を抱えたまま、部屋を出て入った。
それが、チャルダ殿がエイシャ殿をみた最後だった。
翌日、チャルダ殿は、エニナ殿を連れて屋敷を出た。当主は、買い出しの荷車にチャルダ殿を潜ませるという細やかな心遣いをみせた。
二人は西の辺境にのがれて、のちに結婚した。
王都を出て八年後、男の子が生まれた。
チャルダ殿は、息子に剣の技を伝えた。
チャルダ殿が亡くなって、ご子息のウェルゼア殿は、王都にのぼり、剣の道場を開いた。田舎剣法と揶揄する者もあったが、強さが圧倒的であったし、乱暴者も礼儀正しくなると評判が立ち、なかなかの盛況をみせた。
ウェルゼア殿は結婚し、パンゼルが生まれた。
しかし、ウェルゼア殿が病を得て床に就くと、生活はたちまち困窮した。
道場は、だまし取られるように人手に渡った。
死ぬ前に、ウェルゼア殿は、父御のチャルダ殿から聞いていた事件の顛末を、細君に伝えた。
母御が語った物語はここまでである。
最後に、逆に母御から質問された。
「あのあと、エイシャ・ゴラン様はどうなったのでしょうか」
この点については、かねて調べてあった。
王宮に残された調書には、次のように記してある。
母屋と周辺の叛徒と家人らを誅殺したあと、離れにいるという謀反人の次男とその用心棒である剣術使いの捜索が続けられた。
なかなか発見できないために、最後には、山を焼き、遠巻きにして、飛び出してくるのを待った。それでも賊はなかなか姿を現さなかったが、夜明けが近づくころ、次男を背負った剣術使いが発見された。
それは、包囲網の一番外側であり、あと少しで取り逃がすところだったが、優秀な兵士たちの懸命な捜索が実を結んだのである。
剣術使いは、悪鬼のごとき奮闘をみせ、捕り方の犠牲は八十人以上に及んだが、遠距離魔法攻撃が効果を上げ、敵の戦闘力を奪った。剣術使いは、抵抗を諦め、次男の胸を突いて殺し、自らの喉に剣を突き入れて自殺した。
屍体検分の結果、剣術使いは剣客エイシャ・ゴランと確認された。
次男も、年格好や衣服などから、本人に間違いがないと確認された。
これを聞いて、パンゼル少年の母御は静かに泣いた。
9
私はパンゼルを注意深く養育した。文においても武においても最高の師をつけた。なぜ使用人の少年にそのような扱いをするのかと、疑問のまなざしを私に向ける者は多かったが、そのようなことは気にしなかった。
パンゼル少年は目をみはる成長ぶりをみせた。ことに剣技の上達はすさまじく、まるでエイシャ・ゴラン殿が乗り移ったかのようだった。
うれしいことに、パンゼルに導かれるように、ユリウス様も成長なさった。特に文の領域においては驚くべき飲み込みのよさと応用力の高さを示された。
やがて騎士となったパンゼルはメルクリウス家の兵を率いて次々と武勲を挙げた。
そんなパンゼルに、リガ家当主アルカンは罠を仕掛けた。
迷宮の怪物を討伐すれば王国守護騎士になれるという罠を。
パンゼルを高位に引き上げたい王は、これを諾われた。
そのころ私は家宰の座を譲り、引退して病の床に就いていたが、この知らせを聞くなり、それがアルカンの仕掛けた罠だとわかった。そしてリガ家の監視を強化した。
すると、アルカンの長子ガレストが、ひそかに戦力を王都に移動していることがわかった。
まさか謀反をたくらんでいるのだろうか。
私は考えに考え、密偵たちが集めてくる断片的な情報をさまざまに検討し抜いて、アルカンの狙いに思い至った。
メルクリウス家だ。
やつはメルクリウス家を狙っているのだ。
メルクリウス家の武のかなめであるパンゼルを迷宮に追いやっておいて、メルクリウス家を討つつもりなのだ。もちろんパンゼルが勝つことも帰ることもできないよう、ミノタウロス討伐には厳しい条件が付加される。そして軍勢をもって王宮を囲み、王陛下に対しまつり、ご退位と第二王子への王権の委譲を迫るつもりなのだ。メルクリウス家が滅ぼされたと聞けば、王陛下のお心は折れると考えているのだ。
私は、あのとき、どんな顔をしていたろうか。
病床にあって事態が推移していく報告を受けながら、私の顔は復讐の予感にゆがんだ笑みをたたえていたかもしれない。
アルカンは決定的な誤りを犯した。
一つは、私が起き上がれないと思っていることだ。
もう一つは、パンゼルが帰って来ないと思っていることだ。
その二つの前提が覆るとき、リガは滅びる。
私はそれまで、権勢を誇るリガ家を破滅させる方途を思い描けなかった。
メルクリウスが大義を失わないやり方で、リガ家と戦える場面を作れなかった。
ところが今、あちらからその一線を越えようとしてくれている。
越えてくるがいい。
その一歩を踏み込めば、灼熱の炎がお前を焼き尽くす。
私は、リガ家を滅ぼす戦ができるなら、その炎で王都が焼かれようとかまわなかった。
そして、パンゼルはサザードン迷宮第百階層に赴き、リガ公爵の軍がメルクリウスに殺到した。豊穣祭のただなかに、王都にあるメルクリウス邸を攻めたのである。みよ、この暴挙を。この一事をもってしても、やつが日ごろ言う、国のためとか、民のためなどという建前が、いかに口先だけのものであるかがわかる。
私は、喜々として起き上がり、メルクリウスの指揮を執った。
ユリウス様は泰然としておられた。
ユリウス様もまた、パンゼルの勝利と帰還を露ほども疑っておられない。
ただし誤算もあった。パウロ男爵がリガ家に加担したことだ。
両軍が三度激突し、態勢を整えていたとき、パンゼルが帰ってきた。
聞けば、見届け役のエバート様に毒の短剣で刺され、迎えのみこめない状況となったため、なんと迷宮の百の階層を独力で踏破して帰還したのだという。
私はそれを聞いて、自分の愚かさに慄然とした。
そうだ。
その可能性があった。
エバート様の高潔は疑うまでもない。
しかし、それゆえに、国のためにと信じて、リガの企みに天秤を傾けることは、なさるかもしれない。ありそうなことであるのに、それをまったく考えてもいなかった。
そして豊穣祭のさなかでは、迷宮のなかで冒険者に出会って援助を受けることができない。まさに死の罠だったのだ。
私は、メルクリウスを滅ぼすところであった。
バルドラン様は、自らのお子であるパン=ジャ・ラバン殿を手にかけてまで私を生かしてくださり、私にパン=ジャ・ラバン殿の名と立場をお与えくださり、実の子のように慈しんでくださった。私はそのご恩に報いるため、自らを鍛え抜き、メルクリウス家五代の当主にお仕えしてきた。
そのメルクリウス家を、私は滅ぼすところであった。
何が。
何が私を誤らせた。
私が自問しているあいだに、パンゼルは報告を済ませ、ユリウス様からアレストラの腕輪を借り受けて、ただ一人敵陣に突入した。
やがて帰ってきたパンゼルは、手に持った首をユリウス様に差し出して言った。
「敵将ガレストの首にございます」
ガレスト!
私には、もはやパンゼルの声も、ユリウス様のお声すらも聞こえていなかった。
ふらふらと、その首に近づき、目の高さに持ち上げて眺めた。
確かにガレストにちがいない。
現リガ公アルカンの長男。
次期リガ家当主にして、バルデモスト王国白卿の座を約束された男。
おお!
おお!
おおおおおお!
私は泣いていただろうと思う。
とうてい手が届かないと思っていたものが、今、手のなかにある。
怨敵が最も失いたくない首。
怨敵の一族の将来を担う首。
いや、この首こそ怨敵そのものだ。
このとき、私の胸の奥にあった、どろどろとした赤黒いかたまりが、すうっと溶けて流れ落ちて消えていき、心は清明さを取り戻した。私は、今すべきことは何かを考え、すみやかに結論を出した。
「ユリウス様。たしかにガレストの首に相違ございません。爾後の手配につき申し上げることをお許しください」
「許す。申せ」
「パンゼルには、ただちに騎兵百名を率い王宮に行ってもらわねばなりません。ここの守りは、わたくしが務めます」
「そのようにせよ」
「ははっ。パンゼル。疲れておるであろう。すまん。ただちに王宮に赴き、近衛第一騎士団長か近衛第三騎士団長をみつけよ。そして、メルクリウス家が賊徒に襲われたゆえ、王宮に変事があってはと駆けつけたと申して、騎士団長の指揮下に入りたしと申し出よ。よいか。万一、王宮が叛徒どもに囲まれておっても、あるいは戦闘が始まっておっても、騎士団長の指揮下に入るまでは、決して手出ししてはならん。それから、侍従長に、メルクリウス家当主からの伝言として、第一王子のご安全に留意されたし、と伝えるのじゃ。必要ならば新たに手兵をお貸ししますとな。瞬間移動魔法が封じられた区域であるから、馬を使い、率いる兵も、騎馬のみ百名とせよ。後続にもう百名を送るから、おぬしの判断で使え。ゆけっ」
だが、それ以上、戦いが拡大することはなかった。
パンゼルがガレストの首を取ったとき、世に言うパントラムの乱は終わっていたのだ。
10
ガレストが死んだあとのアルカンの動きは、悪魔も感心するほどの手際だった。
まず、王宮を攻めるはずの手勢を、守る手勢に変じてみせた。
これをみたパウロ男爵は、素早く自領に引き揚げた。
次に、やつは廟議を開き、乱の首謀者はパウロ男爵であると言い抜き、ガレストが王都防衛官の要職にありながらパウロ男爵にたぶらかされて武力蜂起をみのがしたのは許されざる罪であるとして、ガレストの子らと側近たちの首をその場に差し出した。
詮議の済まぬうちに関係者を殺すなど証拠隠滅以外の何ものでもないが、いつもは何があってもかばう家族と郎党を処刑してみせたすごみが、追求の矛を鈍らせた。
そしてアルカンは、息子が詮議の対象者であるから自分が座を仕切るのは適当でないと言い、上席赤卿が議事を引き継いだ。
ユリウス様とガレスト軍の上級騎士が戦いの顛末を証言した。
ガレスト軍は傍観していたのではなく積極的に戦闘に参加していたことが明らかになった。だが恐ろしいことに、虚偽判定の魔法まで用いてガレスト軍の上級騎士たちを尋問したが、メルクリウス家に続いて王宮を襲う計画などは聞かされていない、と全員が言い切った。
そのあとパンゼルがミノタウロス討伐の報告をした。
枢密顧問官であるローウェル家のエバート様が、パンゼルを毒の短剣で刺したとき、リガ家が、メルクリウス家当主の殺害、第一王子の自決、王の退位、第二王子の即位をもくろんでいると言い残したことが問題になった。
アルカンは、エバート様とはこの数か月公式の場でしか顔を合わせたことはなく、パンゼルを害したのはエバート様ご自身の判断であり、また、第一王子の自決うんぬんはエバート様の推測に過ぎない、と言った。
そしてその次にやつが発したひと言が流れを変えた。
「よければ鑑定士を呼んで、パンゼル殿が得た長剣がどのようなものか鑑定させてみてはいかがか」
鑑定士を呼んで鑑定させたところ、まさに神剣と呼ぶしかない恩寵品だとわかった。すっかり満座の興味は神剣に引き寄せられてしまった。
そのあとパンゼルは近衛騎士団と戦い、陛下も群臣も神剣の圧倒的な恩寵に酔いしれたのだから、やつの手並みは魔法さながらだ。
「かの者、王国守護騎士に叙さるべき!」
やつが最初にそう叫んだと知って、私のはらわたはぐつぐつ煮えくり返ったものだった。
アルカンは、身内の不始末の責を取るとして、致仕を申し出た。白卿という臣下最高位の立場を捨てるというのだ。
そして引退前の大仕事として三つのことをした。
一つは、第一王子の立太子である。これにともない第二王子は寒村を領土として与えられ、公爵位を受け臣籍に落とされた。第二王妃は廃位となった。
一つは、パンゼルの王国守護騎士叙任である。パンゼルは、新しい直閲貴族家を立てるについて、ゴランという家名を上申した。昔名の知られた剣豪と同じ家名であると言われまいかと、私は心配したが、もう誰もが忘れ去っているようだった。
もう一つは、逆賊パウロ男爵征伐軍の編成である。パウロ男爵は召喚を断り、勅使に対しても申し開きをこばんだため、討伐軍が編成されることになったのである。アルカンは、全軍の兵糧をリガが負担するという腹の太さをみせた。
ここまでされれば、これ以上リガ家の罪を問うことはむずかしい。むしろ、本当にガレストの独断であったのではないか、という見方さえ生まれた。
そうした空気の変化をたくみに読んで、アルカンは、後任大臣の推薦を行った。これは、引退する大臣が、白、赤、青、黒の四卿のうち、自身と同じか、それ以下の大臣を推薦する慣例に基づくものである。推薦の内容は、リガ家の次男ドレイドルを青卿に、というものだった。
これほど大きな不始末の責をとって引退する人間が、後任の推薦をずうずうしく行うというのは、眉をひそめずに聞ける話ではない。しかも推挙の相手は自分の息子なのだ。いくらなんでも勅許は得られまいと誰もが思ったが、王はこれをあっさり聴許なされた。なぜかといえば、パンゼルの結婚と抱き合わせて事を進めたからだ。
リガ家は、パンゼルにエッセルレイア姫を嫁がせたい、と申し出たのである。
エッセルレイア姫はアルカンの二人目の正妻の娘であり、ドレイドルとは同腹である。アルカンが、美貌と機知の豊かさで知られるこの娘を溺愛して、他家には嫁がせないと公言していたことは、よく知られている。この掌中の玉を、ガレストの首を取ったパンゼルに嫁がせるということは、リガ家がメルクリウス家に膝を屈したとさえみえる出来事である。
翌千九十七年、エッセルレイア姫はパンゼルに嫁いだ。パンゼルの武勇を深く愛しておられる王陛下は、世に知られた美姫がパンゼルの妻となることを大いに喜ばれた。アルカンは、持参金に添えて騎士五十人をパンゼルに贈った。王女の輿入れでも、ここまでのことはしない。やつはまさしく怪物だ。
ドレイドルは青卿から赤卿へと進んだ。
その年の暮れに黒卿の一人が死去すると、ドレイドルは権謀術数の一門の後継者らしい手際をみせた。後任にユリウス様を推挙したのである。ユリウス様はまだ二十三歳の若さであったが、武門の一族として多くの功績を挙げていたので、推薦自身は不自然ではない。
ただ、それをよりにもよってリガ家が行ったということは、皆を驚かせ、ドレイドルをみる周囲の目は確かに変わった。
さらに、ドレイドルは、パウロ男爵領の攻略でユリウス様とパンゼルの武勲を大げさに評価した。みえすいた世辞だが、これを度量の表れとみる向きは、少なくなかった。
そして、パウロ男爵男爵領の平定が終わると、なんとその領地にはメルクリウス家を封じるのが適当である、と朝議で発言したのである。
これを聞いたときには、私も驚いた。
やつめ、気でも狂ったのかと。
さらにやつは、リガ家とは縁続きでなく、また王国では古い名門である一族の姫をユリウス様の妻にと、仲人を買って出た。
これをには舌を巻いた。
単に婚姻によってメルクリウスを懐柔しようとするなら、自家の姫をこそ選ぶだろう。しかし、どの姫を選んでもエッセルレイア姫より身分も美貌も劣るという事情もさることながら、リガとメルクリウスが直接婚姻を行えば、他家の不安をあおるおそれがある。
ところが、ドレイドルが選んだのは、むしろリガ家を嫌っているが、メルクリウスに対しては好意をもって接してきた一族の姫なのである。
しかも、財政は豊かで、内政に暁通した良臣を多数抱えており、突然大領を統治することになった当家に、これほど心強い縁組みはない。
このバランス感覚のよさには、うならざるを得なかった。
ユリウス様が結婚なさり、ケザ侯爵に封じられた翌年、つまり今年、ドレイドルは、三十六歳の若さで白卿の座に就いた。
11
だが、こうしたリガ家の復権をみても、私の心は前のようにざわめきはしなかった。
恨みが消えることはないが、パンゼルがいるかぎり悪いようにはなるまい。
そう思うことで私は、心に燃える怨念の炎をそれ以上大きくせずにすんだ。
そうだ、あのとき。
ガレストの首を、この手でつかみ上げたとき。
私の心は救われたのだ。
私が死ねば、この炎は消える。もう、それを受け継ぐ者はない。
憎しみは、すべてをゆがめる。私の憎しみは、私のもののみかたや判断を何度も誤まらせてきた。この炎をうっかり誰かに手渡さないことが私の最後の務めだと信じる。
不要な記憶は時のかなたに消えてしまえばいい。ちょうど、あのアレストラの腕輪の伝説のように。
あれが王家とメルクリウスの君臣のちぎりの証しだなどと、笑い話にもならない。あれは、まさに欲望の証しだ。
始祖王は、はじめカルダン神に加護を願った。カルダン神が加護を与えたとなれば、当時未開地であったこの北部中央地帯に新しい国家を作ることができる。
だが、カルダン神は、人間の思惑に振り回され続け、疲れ切っておられたので、始祖王の願いを退けられた。
そこで、始祖王は、二十四英雄とのちに呼ばれる同士あるいは部下たちに、カルダン神の討伐を命じた。ただ一人これに応じたのがメルクリウスの初代だった。
だが、実際にカルダン神にお会いして、その気高さに初代は打たれた。
始祖王に別の土地を探すよう進言したが、これには王も朋友たちも反対した。もともと、追われ追われてようやくたどり着いた地であったから。
初代は、たった一人、カルダン神に向かった。死ぬつもりで。
しかし、戦いに倦み切っておられたカルダン神は、一切の抵抗をせず死ぬ道を選ばれた。死ぬ間際に初代に五つの秘宝を授けて。
持ち帰った秘宝の恩寵のすさまじさに、始祖王は狂喜した。
なかでも、あらゆる魔法に対抗できるアレストラの腕輪は、国家創建の英雄王たる自分にふさわしい品だと考えた。そして、甘言を弄して腕輪を自分の物にしようとした。始祖王が、比類なき偉大な人物であったことは疑いないが、人の物を欲しがる悪い癖があった。
だが、それはカルダン神の心にかなうことではないと初代は考え、腕輪を献上しなかった。
朋友たちも、ただ一人神竜カルダンに立ち向かってこれを倒した初代に強く感銘を受け、腕輪は初代が持つのがふさわしい、と意見を述べた。やがて初代にしか効果を発動できないことが明らかになり、献上の話は立ち消えになった。
その後、どうなったか。
メルクリウスが代替わりするたびに、王家は新当主を呼び出し、腕輪の効果を王が発動できるようになっていないか、あるいはメルクリウスがその資格を失っていないか、確かめるようになったのだ。
いつか奪うために。
邪竜カルダンからの贈り物とは公言しにくかったので、腕輪は女神ファラからの贈り物といわれるようになった。始祖王から初代に下賜されたことになり、建国の勇ましくも美しい神話として人々に語り継がれた。
腕輪以外の四品は、カルダン神自身をはじめ、昔は知られた邪悪な竜神たちの名を冠していたからか、語られなくなり、やがて当家以外には忘れ去られた。
もう、よい。
当家も、もう、この秘伝を忘れるべきだ。
ユリウス様には、五品がカルダン神からの贈り物であることと、恩寵の効果だけをお教えした。王家のほうでも古い伝承を失っていることは間違いない。
私の死とともに、腕輪にまとわりつく欲望の炎も消える。
パンゼルが持ち帰った神剣の性能を知ったときには、腕輪と同じ歴史がまた繰り返されるのではないかと危惧せずにはいられなかった。
パンゼルは、パントラムの乱終結のあと、王の前で、サザードン迷宮第百階層で起きたことを、ありのままに伝えた。ただし、パーシヴァル様が迷宮で亡くなられたことは公言できないから、カルダンの短剣のことは伏せた。
鑑定士が呼ばれ、怪物から得た長剣の性能が明らかになった。神話にしかみられないような超絶的な恩寵である。これを怪物に差し出させたということが、まさしくパンゼルの勝利を証明するとみなされた。
諸侯の一人から、王に献上すべきだ、との意見が上がった。
パンゼルは、まったく考える時間も置かず、ただちに剣を王に献じた。
王陛下は、ひとたび剣を取ってごらんになったあと、これはなんじが得たものであり、なんじが使うべきものであると仰せになり、そのまま剣をパンゼルにお下げ渡しになられた。
まことに見事ななさりようだと思う。この一事のみをもってしても、私は陛下を名君と申し上げる。
続いて、王陛下は、それを持って戦うなんじの姿がみたいと仰せになり、近衛騎士百人との試合が組まれ、パンゼルが勝利した。近衛第一騎士団長に神剣を渡しての試合も行われたが、神剣は騎士団長には恩寵を与えず、パンゼルが勝利した。
何人もが神剣を試してみたが、パンゼルにしか本来の力を発揮できないことが、はっきりした。
「まさに、これは、神がなんじに与えた神剣である」
王陛下はそう仰せになった。
王宮での試合の日、パンゼルは戦った百人の騎士全員をわがメルクリウスに招待した。パントラムの乱の後始末に追われる家宰と私に、客に酒食を、とぬけぬけと言いおったものだ。
パンゼルは百人の騎士たちと酒を酌み交わし、友となった。
パンゼルには、戦った相手と友だちになるという妙な技能が備わっている。そのようなパンゼルの姿が私の心をどれほどなぐさめてくれたか、本人にはわかるまい。
12
雨が降っている。
どうも雨音が遠いと思ったら、雨戸が閉まっていて、カーテンがかかっている。
常夜灯の油の匂いもする。
夜になっていたようだ。
今日は、ローガンのやつは来たのだろうか。
いや、毎日来ているのだから、今日も来たはずなのだが。
どうも記憶がはっきりしない。
やつとも妙な縁だ。
考えてみれば、やつともアレストラの腕輪が引き合わせてくれたのかもしれない。
腕輪がみつかったあとしばらくして、ユリウス様が、あの冒険者ギルド長という人は、おとうさまのことをたくさん知っているのですか、とお聞きになった。
それはそうにちがいないので、そうお答えすると、話を聞きたい、と言われる。
もっともなことなので、事情を説明して当家の夕食に招いた。
やつの話は、おもしろかった。
直接パーシヴァル様とやりとりした内容も、思ったよりずっと多かったし、パーシヴァル様のいろんな逸話を知っていた。もともと知らなかったことまで調べて話してくれた。
語り口は上品とはいえないが、確かな知見に基づく話で、見方のゆがんだところがないのがありがたかった。何より、やつがパーシヴァル様のことが大好きだったということがよくわかった。
夕食に招くのは一度や二度ではすまず、六日か七日に一度は呼ぶようになった。
ユリウス様は、もっと頻繁に来てほしいと仰せだったが、何しろやつは忙しかった。
そのうちやつは、パーシヴァル様の話だけでなく、いろんな話をユリウス様に聞かせてくれるようになった。
冒険者の生活や考え方。
モンスターと戦うということの中身。
経験値やアイテムのこと。
諸国の事情、風物。
遠い異国の神霊や英雄のこと。
私も知らない知識をやつは豊富に蓄えていて、楽しい会話が続いた。事柄が全部真実だとは、とても信じられなかったが。やつとギル・リンクス殿が若き日に体験したと称するほら話など、金を払っても聞きたいほどの出来だった。
バトルハンマーの腕も見事なものだ。
どうしてやつと戦うことになったのだったか。
そうだ。
やつの主武器がバトルハンマーだと聞いて、私はユリウス様にご説明したのだった。
「技は要りませんが、威力はすさまじく、大力の戦士でなくては扱えません」
私は賞めてやったのに、やつはそれを取りちがえて、こう言った。
「技は要りませんだと。へえ。そんなら技をみせてやろうか」
長剣を持って、やつと戦った。
私は剣を三本と、あばら骨を二本へし折られ、やつに降参した。
むろん、その次のときには、しかるべき武器を準備しておいて、やつの胸を斬り裂いてやったが。
しばらく相手してやっていないので、寂しがっていることだろう。
それにしても、不公平だ。
私は、こうして老いてしまい、立ち上がることもままならない。
ところが、やつは、いつまでたっても、まるで二十代か三十代の若者のように元気だ。年齢を問いただしてびっくりし、そんな年なのに、どうして人並みにおとなしくすることができないのかと聞いた。すると、やつは答えたものだ。
「わしのおやじはドワーフじゃから、わしは完全には人ではないのう」
最初は冗談だと思っていたが、どうやら本当らしい。
ドワーフなどという生き物がまだどこかにいたなどと周りに知れたら大騒ぎになるだろう。しかし、いわれてみれば、確かに人間離れした体格と体力をしている。
ギルド長をやめることになったときは、この屋敷に来い、と勧めた。
やつも、ここの空気が肌に合っていたのだろう。
「おお、そうさせてもらうか」
そう返事し、以来メルクリウス家の食客となった。
もう、あれから十七年もたつのか。
13
パンゼルが来てくれたのは、今日だったか、昨日だったか。それとももう少し前だったか。
うれしい知らせだった。こどもが生まれたのだという。男の子だ。奥方との仲もとても良好のようだ。エッセルレイア姫は、いささか才気のありすぎるかただとも耳にしていたので、少し心配していたが、杞憂だったようだ。
ユリウス様と奥様も、この上なく睦まじい。もうすぐ、お子様がお生まれになる。パンゼルの子と同じ年ということになる。喜ばしいことだ。メルクリウスとゴランの友誼は何百年と続くだろう。
思えば、そのきずなは、あの忌まわしい夜、バルドラン様とエイシャ殿とのあいだで結ばれたのかもしれない。
名付け親になれと言われたときには驚きもしたが、パンゼルらしいなとも思った。
以前から、これならと思っていた名があったので、その場で命名した。
ベッドに横たわったままの、ひどく略式の命名式となったが、パンゼルも奥方も、満足していたようだった。
アルス、という命名を聞いて、パンゼルはただひと言、ありがとうございますと言って下がった。名前の由来など何一つ聞くこともなく。まことにパンゼルらしい振る舞いだ。
奥方は、英雄の名前をありがとうございます、と礼を述べて退出なさった。
その通りだ。アルスといえば、女神ファラに近侍してあらゆる敵から女神を守り抜いたといわれる英雄だ。
人にして神、神にして人。
人間の剣の技は、このアルスが生み出したともいわれる。
だが、アルスには、もう一つの顔がある。
争い合う神々のなかに立って、それぞれの言い分を聞き、いさかいを収めていった、神々の調停者と呼ばれる顔である。
幼き日、私はエイシャ殿から、古い神話を教わった。
昔、人々は、神を奪いあった。
地の恵みを望む者は地神ボーラを、山の恵みを望む者は山神ガーラを、海の恵みを望む者は海神エルベトを、わがものにしようと争った。
わがものにならず他の者に恵みを与える神を、人は憎んだ。やがて神々は人の思惑によって仲たがいし、相争うようになった。
神々の長兄は、今は南でもその名を伝える者は少ないが、ザーラという名だった。
ザーラは、神々の争いを哀しんだ。人と人との争いを哀しんだ。そこでザーラは、目にはみえぬ風となって天空に舞い上がり、遙かな高みから神と人の幸せをみまもることにした。
やがて、地上にアルスという英雄が現れ、神々の争いを鎮めた。人と人との争いも鎮めた。アルスとはザーラの化身にほかならない。ザーラは、人の姿を借りて地に平和をもたらしたのだ。
私は、エイシャ殿より教わったこの神話になぞらえて、パンゼルの子の行く末を言祝ごうと思ったのだ。
ああ、エイシャ殿、エイシャ殿。
私は。
私は。
あなたに頂いた命にふさわしい一生を送れたのだろうか。
エイシャ殿!
14
王国暦千百年白の三の月の一日。
メルクリウス家の前の家宰パン=ジャ・ラバンが死去した。
葬儀は、新ケザ領誕生以来最初の貴臣の葬儀となった。
ケザ公爵ユリウス・メルクリウスが喪主となり、王国守護騎士パンゼル・ゴランが執行責任者となった。
つつましやかであるが、会葬する人の胸を打たずにはおかない荘厳な儀式であったという。
特筆すべきは、勅使が遣わされたことである。
パン=ジャ・ラバン自身は子爵家の傍流にすぎないので、本来葬儀に王家が公式の使いを送ることはない。
パン=ジャ・ラバンは若き二人の英雄にとり父のような人であったから、格別の配慮がなされたのだろうと人々は言い合った。
奇妙なことに、勅使は開いた誄詞を読み上げなかった。
読み上げず無言で弔意を示し、そのまま柩に納めたのである。
そこに何が書かれていたか、誰も知らない。
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