第14話 イシュクリエラの白姫
1
がたごと。
がたごと。
昏い森のなかを馬車が走る。
御者台で手綱を握るのは、ひげ面の男である。
三十歳前後であろうか。マントの下には革の鎧を着け、傍らに大剣を置いている。口には短くなった葉巻をくわえている。
「臭いわ。何度も言うようだけど」
話しかけたのは、横に座っている女である。
こちらも三十歳前後か、あるいはもう少し若いかもしれない。つばのある帽子をかぶり、やはりマントをまとっている。
「もうすぐ終わるって。けどな、この葉巻のおかげで、ほかの匂いがごまかされてるんだぜ。つまり、葉巻を吸い終わったら、俺の素敵な体臭をじっくり味わってもらえるわけだ」
「ぼうやに味わってもらいなさいな。あたしは、ぼちぼち、なかで休ませてもらうから。プチ・フレア」
発動呪文とともに、こぶしほどの大きさの光の球が三つ、女の胸元から飛び出す。
マントの下で杖を構えていたのだ。
光の球は、木から飛び降りて馬車に飛びつこうとしていた五匹のモンスターのうち、三匹に命中する。
モンスターたちは短く悲鳴を上げて落ち、そのまま動かない。的確に急所を突いたのだろう。
残り二匹のモンスターも悲鳴を上げて墜落する。それぞれ、顔のまん中に、ナイフが突き立っている。
「戻れ」
男が命じると、手に二本のナイフが戻ってきた。
男は、手を伸ばして木の葉をもぎ取りナイフをぬぐうと、もとの通り革鎧の隠しに収める。
「それにしても、妖魔系のモンスターばっかりね。珍しいわ」
「だな。この五日間で、生まれてからみた全部よりたくさんの妖魔をみたぜ」
モンスターというのは種族の名前ではない。人間からみて脅威になる、人ではない生き物の総称である。
モンスターのなかには、生き物であるものと、生き物でないものがある。生き物でないのは、妖魔系とか悪魔系とか呼ばれるモンスターだ。みかけは生き物のようにみえるものもいるが、親から生まれて成長するのではなく、どこからともなく成体として湧き出てくる。
たいていの場合、極めて醜悪な容姿をしており、上位のものは悪質な魔法攻撃や呪いを飛ばしてくる。毒を持っている場合も多い。
だが、こうした妖魔系モンスターには、特定の迷宮にでも行かないかぎり、めったに出遭うものではない。それなのにこの三日間、一行は妖魔系モンスターにひっきりなしに襲撃されている。
ほどなく、キャンプに格好の場所に出た。
「よし。ちょっと早いが、今夜はここに泊まるぜ」
「そうね。それがいいわね」
馬車を止めると、まず少年が降りてきた。
ザーラである。
ザーラは、鉈で邪魔な低木や枝を払っていく。
次に降りたのは、古ぼけた僧衣をまとった五十歳ほどの男だ。
辺りをみまわすと、何やら呪文を唱え両手を大きく頭上に広げた。キャンプのときによく使われる簡易結界である。モンスターが近寄りにくくなり、体力回復などにも多少の効果がある。
御者をしていたひげ面の男は、馬車から馬を外して草を食べさせる。
魔法使いの女は、かまどの準備をする。
ザーラは、安定した位置に草を敷き詰めて上に毛皮を広げた。
「置き場所の準備ができました」
馬車から、箱が出てきた。
五、六歳のこどもならなかに入れるのではないかと思われる大きさだ。頑丈そうで、奇麗な装飾がほどこしてある。それが、宙に浮かんだまま、馬車から出てきたのである。
箱に続いて、白い巫女服をまとった女が馬車から出てきた。女は、両手を開いて、まるで、その箱を持っているかのように、差し伸べている。しかし箱と女のあいだにはいくばくかの距離があり、直接持っているわけではない。
〈みえざる手〉と呼ばれる特殊スキルだ。
ザーラが用意した設置場所に、静かに箱を安置すると、女は、ほっとためいきをもらした。
イシュクリエラの白姫。
高名な占い師であり、今回の冒険の依頼者である。
2
大峡谷を抜けたところに大きな街があった。
そこには冒険者ギルドさえあった。
ザーラは、ギルドでクエストを受けてみようかと思ったが、ためらいもあった。
ギルドでクエストを受けようとすれば、冒険者メダルを提示しなければならない。Sクラス冒険者である自分は、どうしても目立ってしまうだろう、と懸念したのである。
酒場で食事をしていると、ひげ面の男が、きょろきょろ辺りをみまわしながら近づいてきて、言った。
「お、あんただな。あんたに話があるんだが、食事が済んだら、上の部屋に来てくれねえか」
教えられた部屋に行くと、なかに招き入れられた。
ひげの男のほかに、白い巫女服を着た女と、魔法使いらしい女と、僧衣の男がいた。ひげ面の男が説明役を務めた。
「こっちの人が、あんたに用事がある人だ。イシュクリエラの白姫様。名前ぐらい、聞いたことあんだろ。依頼内容は、この人と、あれを」
と、傍らのテーブルに鎮座している箱を示して、
「海の神殿まで、無事送り届けること。メンバーは、俺と、あんたと、この二人。馬車があるんで、移動はらくだ。あ、海の神殿ってのは、知ってるかい? こっからまっすぐ東に行った、半島の先端にあるんだ。大陸の一番東端ってこったな」
かかる日数の見込みを聞き、報酬を確認してから、ザーラは、依頼を受諾した。
戦士の男の名は、ボランテ。
主武器は大剣だが、相手によって武器は使い分け、スローイング・ダガーなどの投擲武器も使うという。
魔法使いの女は、ヒマトラ。
攻撃魔法が専門で、炎系を得意とし、拘束魔法も多少はできるらしい。
どっしりした体格の僧侶は、ゴンドナ。
支援魔法専門で、攻撃力はないが魔力量には自信がある、と言うそのかたわらには、ごつごつした太いメイスが立てかけてある。
みているだけで、ザーラにはわかった。
三人とも一流の冒険者である。
よくも、こんな田舎でこれだけのメンバーを集められたものだと感心する。
「なぜ私に声をかけてくれたのですか?」
「あん? ああ。白姫様の占いだ。ほかも全員そうさ。なんでも、今回の旅は多数の強力なモンスターに襲われる定めなので、最高の護衛が必要なんだとさ」
占いというのはそこまで具体的で正確なものなのだろうかと不思議に思ったが、すでに依頼は受諾している。
「私の名は、ザーラ。武器は」
腰に差した剣のつかを右手で軽くたたく。
「剣です」
3
いささか世事にうといザーラでさえ、イシュクリエラの白姫の名は聞いたことがある。
王侯や大商人に招かれて占いをする、放浪の巫女。
天候、物事の吉凶、戦争の勝敗、たくらみ事、出産、人の行く末、ありとあらゆる事柄について、その占いは的確でなかったことがないという。
大金を積まれても占いを断ることもあるし、自ら進んで未来の英雄のもとを訪れ、寿言と助言を与えることもある。
命の終わりが近づくと、白姫は、才能のある娘を後継者に指名し、共に身を隠す。
数年後には、すべての技を習い終え、神々の加護を引き継いだ新たな巫女が、イシュクリエラの白姫の名と生き方を引き継いで現れる。
こうして、千年以上の昔から、白姫は、啓示をもたらしつつ、世界中を旅しているのである。
名を騙ろうとする者は絶えない。
しかし、白姫ならば、占いの力もさることながら、必ず箱を持っているはずである。ごく短い移動の際にさえ、その箱は身近から離されることはない。常にみえざる手によって、白姫の傍らに浮いて運ばれるのである。
これは、尋常では、まねできない。
みえざる手という特殊スキル自体が珍しいものであるうえ、わずかな使用さえ魔力を根こそぎ奪ってしまうものだからである。
自前の馬車で移動するあいだ、ずっとみえざる手を発動させ続けて箱を護持するというのは有名な話であり、仕掛けなしでこれがまねできるぐらいの術者なら、にせ者にならずとも大金が稼げる。
今、ザーラの前で瞑想している白姫は、間違いなく本物であろう。
名の通り、髪も肌も白い。生々しい白さではなく、透き通るような、水晶や氷を思わせる白さである。人間離れした白さといってよい。
「みとれてんのかい、ぼうや」
「ええ。不思議なかただなあと思って、みとれていました」
「あはは。うまいこと言うわね。まあ、不思議さでいうなら、ぼうやもけっこうそれなりだけどね。もう野営の準備は慣れたみたいね」
「はい。でも何か気づいたら教えてください」
「うわあ。なんて素直なの」
ザーラが森のなかでの野営に慣れていないのは、最初の日に明らかになった。
だが、それをもって、ザーラを駆け出し冒険者と侮る者はいない。
野営地に着く直前に五体のガーゴイルが襲ってきたのを、御者席の横に座っていたザーラが、すっと飛び出したかと思うと瞬く間に斬り伏せたからである。
御者をしていたヒマトラの声にボランテとゴンドナが馬車を飛び出したときには、ザーラは息も切らせず澄ました顔で剣を収めていた。
辺境では、ガーゴイルを一人で倒せるのが一流の騎士である証しといわれる。しかし実際に一人でガーゴイルを倒した騎士は、あまりいない。
ガーゴイルは、素早く、魔法耐性が強く、悪知恵も働く妖魔系モンスターである。人型だが、毛髪はなく、口には牙が生え、背中には蝙蝠のような翼がある。身体は青銅のような硬さと重さを持っており、殴られたり、爪にかけられたりすれば、相当の深手となる。そのうえ翼で自由に飛び回る。
倒しにくいモンスターなのである。
ザーラの倒したガーゴイルは、いずれも首を落とされており、尋常でない技前を示している。斬り口の鮮やかさに、ボランテが思わずうなったほどである。
それほどの手練れなのに、野営に慣れていない。
見張りの順番を決めようとしても、きょとんとしていた。
田舎にたむろして、しかも、ギルドを通さない依頼を請けるような冒険者は、すねに傷を持っているとみて間違いない。この少年もそうであるはずなのに、この物慣れなさはどうしたことか。
貴族家か上級騎士の子弟で剣技の英才教育を受けたが、家が没落して冒険者になった。それで、冒険者メダルをさらしたがらない。
そうも想像してみるが、ザーラの装備は貴族が着けるような上品な品ではない。しかも、使い込まれておりザーラによくなじんでいる。昨日今日の冒険者ではない。
気配の消し方の見事さや、くつろいでも決して油断しないたたずまいも、召使いにかしずかれるような生活とはつながらない。
そのアンバランスさが、ヒマトラには不思議なのである。
実のところ、ザーラは野営に慣れていないわけではない。
野営は、迷宮のなかで、いやというほど経験した。ただ、丁寧に野営の設営をしたことがないだけである。
迷宮での野営は、寝るときも毛布など使わず、剣を枕にマントにくるまるだけである。下草も刈らないし、たき火さえ、めったにしない。何かが近づけば自分で気づいて対処するしかない。そのため睡眠は浅く短い。
つまり、ソロでの過酷な野営に慣れているため、大がかりな設営の知識もないし、交代で見張りに立つ発想がないのだ。迷宮ではポーション一つで体力が回復できるという事情もある。
「はっはっはっ。それにしても、ほんとにおいしい燻製じゃなあ。ザーラ殿が参加してくれて、よかったわい。ワインが進む、進む」
「ゴンちゃん。あんたねえ。今日こそは見張りしなさいよ」
ゴンドナは、一行のなかで年長者であるはずだが、ヒマトラの口調には敬語の残滓もない。
「ゴンさん。あんた、つまみが何だろうが、とりあえず飲んでるじゃねえか」
ボランテも気楽な呼び方をしている。
「本当においしいお肉ですね。これは何のお肉なのですか」
と尋ねる白姫の皿には、ピンク色の肉が何枚か乗っている。
先ほど、ザーラが、よくこんな大きな肉を燻製にしたな、と思わせる肉の塊を取り出して、それを大胆に切り分け、まんなかのピンクの部分を薄くカットして、白姫の皿にサービスしたのだ。
ガーラ越えのときに作った燻製は、パーティーの一同をとても喜ばせている。
「エッテナの肉です」
「そうですか」
にこにこと微笑む白姫。
ぽかんとするボランテ。
ぶっ、とワインを吹き出すヒマトラ。
次のワインの瓶を取り出すゴンドナ。
(パーティーを組んで冒険するというのは、楽しいものだな)
そんなことをザーラは思った。
4
次の日は、雨だった。
相談の結果、とりあえずは移動せずに、ようすをみることになった。
白姫は、箱と一緒に馬車のなかで過ごす。
ザーラは、白姫の護衛ということで一緒に馬車に入った。
四人乗りの馬車だが、通常より内部は広い。たぶん、箱を置いたり出し入れがしやすいように、そう作ったのだろう。
今、箱は白姫の横に置かれ、ザーラは白姫の向かいに座っている。
若い、といえば若い。
そうでない、といえばそうでないようでもある。
ザーラは、白姫の顔をみながら、そんなことを思った。
雨は、激しいというほどではないが、途切れることなく馬車の屋根をたたいている。
馬車のなかの静かな空間は、この世でないどこかにいるかのような錯覚を起こさせる。
「ザーラ様は、不思議なかたですね」
「不思議な、というなら、あなたほど不思議なかたはおられないでしょう」
「あなたからは、ボーラ神様の祝福を感じます」
「あなたが、そうおっしゃるのなら、そうなのでしょう」
「いつも、お一人なのですか」
「ずっと一人で迷宮に潜っていました。しかし、師や先達に囲まれ教えを受けていましたから、一人ではありませんでした。一人で冒険の旅に出たのは三か月ほど前のことです」
「そうですか。私には旅の供をしてくれた者がおりました。しかし年老いて病にかかり、あの街で死んでしまったのです。でも、本当は、ずっと一人だったのかもしれません。寂しいかどうかも忘れてしまうほど長く」
「あなたは、いつ、前の白姫様とお別れされたのですか」
「ふふ。世間では、そのようにいわれていますね。いえ。いわれるように、私がしたのです。次々に別人が白姫の名と役目を継ぐと。本当は、そうではありません。ずっと私は一人でした」
「では、千年以上も、あなたは白姫様であられたのですか」
「そうです。あまり驚いておられませんね。あなたは、やはり不思議なかたです」
「ずっと秘されていた、そのような大事を、私にお教えになってよかったのですか」
「もうすぐ、私の役目も終わります。時が満ちようとしているのです」
そう言って、白姫は、箱のほうをみた。
「あなたの魔力の源泉であるといわれる箱ですね。その箱の力が失われるのですか」
「いえ、いえ。そうではありません。やっと、この箱の中身は本来の役目を果たすのです。そのときまでこの箱をみまもるのが、私があるじより与えられた役割なのです。本当に、長かった」
「お供のかたというのも、今まで何人もおられたのですか」
「ええ。人間の寿命は限られていますからね。もう何人目の従者であったか、よく覚えていません。でも、とてもよく仕えてくれました。いつもなら、ある程度年がいけば暇を出し、新しい従者を雇うのですが」
「今度は、そうはされなかったのですね」
「はい。もう終わりですから」
海の神殿にはいったい何があるのかと、白姫に尋ねようとしたが、結局その質問が発せられることはなかった。
ずいぶん前から、徐々にこの野営地を取り囲んでいた多数の敵が、急に包囲網を狭めてきたからである。
自分も戦闘に参加しなくてはと思い、馬車の扉を開きかけたが、ボランテがとめた。
「いや。手を出さないようにしてくれって、ゴンさんが言ってる。ザーラは馬車のなかにいてくれ」
ザーラは、開きかけた扉を閉じた。
この敵は、かなり厄介である。
山ほどの数が集まってきていることもさることながら、この歩き方、この気配。
敵は、おそらく。
「ターン・アンデッド!!」
ゴンドナの発動呪文が、雨の森に響き渡り、ばちばちばちばちばちばちばちっ、と光がはじける。
効果は、激烈であった。
ターン・アンデッドは聖職者固有の魔法であり、不死系のモンスターを追い払う効果がある。しかし下手をすると相手を興奮させて攻撃が激しくなることもある。不死系モンスター以外にはまったくダメージを与えられないが、注意を引くことはできる。
ある冒険者の僧侶は、雑魚を引き寄せて一気に殲滅するためのスキルだ、と言っていた。
スキルのランクが上がってくると、近くの敵なら大きなダメージを与えることもできるという。
だが、今発せられた呪文の威力はそのようなものではなかった。
馬車の小さな窓からも、はっきりとみえた。
近くのグールは、ばちっと雷光を発して一瞬にして蒸発した。
遠くのレヴェナントは、衝撃を受けたように大きく後ろに吹き飛んで起き上がってこない。
やがて、どろどろに溶けて、雨のなかに流れて消えてゆく。
百体を超えていたであろう、おぞましい不死の怪物たちは、ただ一言の呪文によって一掃されてしまったのである。
「ゴンちゃん! あんたのスキルはワイン飲みだけじゃなかったのね!」
「ゴンさん! 攻撃魔法は使えないって言ってなかったか?」
「はっはっはっ。あれは、攻撃魔法じゃないわい」
「じゃ、何なんだよ」
「聖職者のたしなみじゃ。大声を出すと腹が減るのう。ザーラ殿、燻製肉は、まだあるじゃろうか?」
5
雨は次第に小降りになり、翌朝には晴れた。
一行は移動を再開した。
いくらも行かないうちに、二十体ほどの下級妖魔を率いて豹のような妖魔が襲ってきた。
ボスはボランテが相手をした。
豹の化け物は、二足歩行して、幅の広い曲刀を武器にしていた。
ボランテの大剣としばらく競り合っていたが、ボランテが投げつけた小袋を斬ったあと、急に相手の動きが悪くなり、ボランテは遠慮なく斬り捨てた。
下級妖魔は、ヒマトラがフレイムボム三発で焼き払った。
「あの小袋は、何だったんだい?」
「野生のトウガラシを乾燥させて、粉にした物だな」
「そんな卑怯な戦い方でいいのかい?」
「お前こそ、森で火球を使うな」
「雨のあとだから、大丈夫よ」
「はっはっはっ。仲よさそうで何よりじゃ」
「あ、こらっ。ゴン。なに、昼間っから飲んでるのさ」
午後には、三十匹ほどの妖魔に襲われた。
顔つきは凶悪だが、小さなこどもほどの身長しかない。
「大して魔力も感じないわね。あたし一人でいいわ。さくっと追っ払ってくる」
ヒマトラが助手席を飛び出した後ろ姿をみながら、ゴンドナがつぶやく。
「あれは、ザファンじゃのう。火には、めっぽう強い。それと、アイテムで攻撃してくるタイプじゃから、保有魔力量はあんまり関係ないがのう」
しばらくすると、ヒマトラが、きゃあきゃあ悲鳴を上げたので、ザーラが馬車のなかから飛び出して、次々と敵の首を刈り取っていった。
敵を倒し終えて馬車に戻ったヒマトラは、ゴンドナが敵の特性を知っていたと聞き、大いに怒った。
「なんで教えてくれないのさ! 髪がちょっと燃えちゃったじゃないか! あ、また飲んでるわねっ。昼間っから飲むなって言ってるだろっ。この、酔いどれ坊主! それにしても、あのちっぽけ妖魔どもめえっ。森であんなに火魔法を使いまくるなんて!」
「お前が言うな」
この日の襲撃は、それだけだった。
翌日の襲撃は、さらに厄介な敵だった。
「もしかして、デュラハンかい?」
「そうらしいなあ。俺、はじめてみたよ」
「うむ。あれは、デュラハンじゃな」
夜明け早々に出発した一行の通り道をふさぐように、一頭の大柄な馬が立っている。
その馬にまたがっているのは、甲冑を身に着けた騎士である。
首はない。
いや、胴体の上にはない。どこにあるかというと、左手で持っている。
右手には、抜き身の大きなロングソード。
普通、片手で使うものではないが、このモンスターにとっては、そうではないのであろう。
「一回、闘ってみたかったんだ。行かせてもらうぜ」
そう言い残して、ボランテが前に出る。
ロングソードと大剣の対決が始まった。
両者とも技巧が高く、剣に重さもある。
みごたえのある決闘といえる。
「次は、私の出番のようですね」
そう口にして、ザーラが、馬車の後ろ側に向かう。
そこにも、馬にまたがったデュラハンが一体、出現していた。
こちらでも、剣と剣との対決が始まった。
二つの対決の決着は、ほぼ同時についた。
いずれも人間側の勝利である。
しかし、それで終わりではなかった。
「あっ」
「ふむ。やはりのう」
ボランテがデュラハンを倒すと同時に、その後ろに二体のデュラハンが現れた。ザーラのほうも同様である。
つまり、今、一行は四体のデュラハンに襲われているわけである。
もはや、ボランテの表情に余裕はない。しゃにむに攻め込んで、二体を倒した。ほぼ同時に、ザーラも二体を倒した。
しかし、今度は、さらに倍の敵が現れた。
つまり、ボランテの前に四体の、ザーラの前にも四体のデュラハンが現れたのである。
援護に出ようとするヒマトラに、ゴンドナが声をかけた。
「すまんがの、ヒマトラ殿。少しのあいだでいいから、前方の四体を足止めしてくれんか。そのあいだ、ボランテをここに戻らせてくれ」
「何だって? ちっ。何か考えがあんだろうね?」
そう言いつつ、ヒマトラはゴンドナの指示に従った。
ゴンドナは、馬車に戻ったボランテにナイフをありったけ出すように言うと、そのナイフに、用意してあった瓶の液体を塗り付けた。
「聖水じゃ。悪魔騎士には、なかなかの効き目があるはずじゃ」
「わかった、ゴンさん」
まさに、その通りだった。
あれほど手こずった敵は、聖水を塗ったナイフが刺さったとたん、消滅して、もう復活しなくなった。
ゴンドナは、ザーラの支援にも向かおうとしたが、こちらはいち早く相手を殲滅していた。
「ふうむ。見事じゃ。聖属性の武器をお持ちじゃったか」
うなずくザーラの肩をたたいて、ゴンドナはザーラを馬車にいざなった。
そしてボランテとザーラを馬車に入れ、自分が手綱を取り、ヒマトラを助手席に座らせた。
「あたしだって、今、戦ってたんだけどねっ! あ、こら、飲むなって言ってるだろうが。よこしなっ」
ヒマトラは、ゴンドナからワインの瓶を取り上げると、瓶に口をつけてワインをぐびぐびと豪快に飲んだ。
それからも、毎日のように妖魔の襲撃を受けたが、パーティーは、それぞれの持ち味を生かしながら、そのすべてを退けた。
「やっと、森の外に出られるねえ」
「おう。あれを倒したらだけどな」
森の出口近くに、真っ黒い大きな固まりが四つ、うずくまっている。
馬車が近づくと、固まりは立ち上がり、それぞれ三つの光る目で、一行をねめつけた。
「あれは、何?」
「バグベアじゃの」
「おお。あれがそうなのか。ヒマトラ、おい。お前、何を」
ヒマトラの準備詠唱が完了し、発動呪文が発せられた。
「サモン・コメット!」
「うわー。こんなとこで使うなーー!」
空から彗星が降ってきて、四体のバグベアを消滅させた。
密集していたのが相手の不運だった。
森の出口だったところには、巨大なクレーターができた。
そこにあった木や草や土は、一行の上に降りそそいだ。
幸い、火事にはならずにすみ、ひともんちゃくのあと、馬車は森を出た。
6
「ヒマトラ殿。よかったら、これをどうぞ」
「え? あ? これは、何だい?」
「魔力回復が速くなる薬草だそうです。煎じてもよいし、このままでも口にできると聞いています。しばらくかみしめて、草の汁を唾液と一緒に飲んでください」
「なんだか怪しげだねえ。でも、ありがと。ちょっとでも回復が速くなるなら、大歓迎さ」
「とても苦いそうです」
ヒマトラは、手のひらに乗せられた薬草を、がばっと口に含んだ。
そして、とてもいやそうな顔をしたが、吐き出しはしなかった。
森を出た直後、イナゴの妖魔と、ハエの妖魔に襲われた。
それぞれ、率いていたボスは、アドバンとナスという名らしい。
敵の数がひどく多い。
ゴンドナは、結界を張って依頼主と箱を守った。
ヒマトラは、火系の魔法を撃ちまくった。
ボランテは、炸裂弾を使ってヒマトラに近づく妖魔を倒した。
そして、ザーラが敵のボスを倒して決着をつけた。
7
海に出た。
砂浜だ。
目の前には青々とした海が広がっている。
潮風は鮮烈そのもので、一息吸うたびに生命力が増加するようだ。
ザーラは、生まれてはじめてみる海に感動していた。
視界の中央右寄りにみえるのがユトの島であると聞いて、胸が高鳴った。
ではあれが大魔法使いギル・リンクスのふるさとなのだ。
ギル・リンクスの逸話と生きざまを小さいころから聞かされ続けたザーラには、その生まれ故郷はまるで聖地の一つであるかのように感じられたのである。
一行は、海の神殿に向けて旅を続けた。
三日ほどは妖魔に襲われなかった。
一度、ゴブリンの群れに襲われている旅人の家族を助けた。
毎日、潮風の吹く場所で野営した。
ワインはおいしく、貝や魚も新鮮だった。
意外にもヒマトラが料理上手であるという事実が発覚した。
その後、何度か妖魔に襲われたが、さほど強力な敵ではなかった。このパーティーだからいえることであったが。
旅は続き、あと四、五日で海の神殿に着くというころになり、急に妖魔の襲撃が激しさを増した。食事の途中で襲われることもしばしばで、皆の心と体に疲労がたまっていった。
「みんな、聞いてくれ」
夕食が終わるころ、ボランテが、呼びかけた。
「あと二日ほどで、神殿に着く距離だ。しかし、早めに出発して、馬の尻っぺたをしっかりたたけば、一日で着かない距離でもねえ。ひとつ、ここは、明日一気にゴールといこうじゃねえか」
三人の冒険者が賛成し、白姫も賛成した。
このメンバーならそれができると、皆が思った。
8
夜明けよりだいぶ早く出発した。森のなかとちがい、海のそばでは夜中でも真っ暗にはならない。
妖魔たちの攻撃は熾烈だった。
それを、馬車の速度を緩めることなく、たたき伏せ、押しのけながら、ただただ前進していった。
「げ。前方、道のどまんなかに中型妖魔一体」
「出ます! 馬車は速度をゆるめず、そのままに願います」
ザーラが馬車のなかから飛び出し、馬車を追い抜いて走る。
素早く妖魔の足を斬り落とし、倒れるところを道の外に蹴り出す。
馬車は、倒れる妖魔をかすめるように走り抜ける。
後ろからザーラが追いついて馬車に入る。
ゴンドナが、絶妙なタイミングでドアを開いてザーラを迎えた。
「お疲れさまじゃの」
御者席では、ボランテが口笛を吹いて、ザーラをたたえた。
9
携行食糧で腹ごしらえをしながら、しゃにむに前進した。
昼をだいぶ過ぎたころ、ボランテが叫んだ。
「みえた!」
ザーラは、扉を押し開けて前方をみた。
海ぎわの道の先が切り立った岬になっている。
その上に荘厳な建物がみえる。
(あれが、海の神殿か)
ザーラは扉を閉めて言った。
「白姫様。神殿がみえました。もうすぐです」
だが、力押しをしてきただけに皆の疲労も深い。幸い、傷はゴンドナが恐るべき回復スキルで完治させてくれたが、体と心の疲れはピークに達している。特に、遠距離攻撃を続けたヒマトラは消耗がひどい。
ゴンドナが話しかけてきた。
「ザーラ殿。パーティーを組んでおきたい」
一瞬、ザーラはとまどいを感じた。
迷宮探索では、正式のパーティーを組むのは常識である。経験値の公平分配からも、戦闘のしやすさからも、それは当然だ。お互いの正確な位置を知ることや体力の管理が生命に関わる場面も多い。
だが、迷宮の外では、正式のパーティーを組むことはあまりない。組んでも意味がない場合が多いし、本名や残存体力などが丸みえになるので、嫌がられるのだ。
なぜ突然今になって、ゴンドナがそんなことを言い出したのかはわからない。
しかし何か意味があるのだろうと思い、ゴンドナに言われるまま、ザーラは自分をリーダーとしてパーティーを編成した。
そして、身を乗り出して助手席に上がり、ボランテとヒマトラにいきさつを説明して、冒険者メダルをふれ合わせてパーティーに入ってもらった。
ザーラは、馬車のなかに戻ってから、ふと思った。
(この僧侶は、迷宮探索専門であったのかも知れないな)
迷宮探索での僧侶はパーティーメンバーの体力管理を司る。だが、迷宮のなかでのような目覚ましい体力回復は外では不可能だし、外の常識では体力の管理は自己責任である。
そんなことを考えているとき、がくんっ、と馬車が傾いた。
「くそっ。体当たりされちまった。右前輪が脱輪っ。すまんっ。馬を切り離すぞっ」
馬車は勢いのまま前に進む。がががががっと音を立てながら、右に左に揺れ、そして大きく左にかしいだかと思うと、ごろんごろんと何回転かして、上下逆さまにひっくり返って止まった。
ザーラは、恐るべき反射速度をみせ、転がり始める馬車から、白姫を抱えたまま扉を蹴破って脱出した。
ボランテもうまく馬車から飛び降りたようだが、ヒマトラは放り出されて砂浜にたたきつけられた。
腕のなかの白姫はショックで気絶したようだ。ずっと緊張状態のまま、みえざる手を使い続けたあげくの横転だから無理もない。
ヒマトラがうめいている。
白姫を、そっと砂浜に横たえたとき、ゴンドナの声が響いた。
「ザーラ殿、近くの敵をしばらく食い止めてくだされ!」
その額には血が流れている。
言われるまでもなく、近寄ってくる敵の気配に注意を向けていたザーラである。
寄ってくる妖魔たちを次々斬り伏せていった。
ゴンドナは、とふとみれば、砂浜に両膝を突き、頭を下げて何事かを祈っている。手に握り込んでいるのは法具、いや聖印だろうか。
ヒマトラと、その手当をしようとしていたボランテと、ザーラの体が、柔らかい光に包まれる。
(そうか、なるほど。レベルアップか)
今さらながら、ザーラは気がついた。
ゴンドナは、〈誓言〉持ちの聖職者であったようだ。その場合、同じパーティーであるか、冒険者メダルを預かれば、本人たちに代わって神にレベルアップの請願をすることができる。ここしばらくの激しい戦闘で、レベルアップに必要な経験値がたまっていたのであろう。これで、傷も癒え、体力も精神力も回復した。
「ゴンちゃん、褒めてあげるわっ」
「ゴンさん、助かったっ」
すぐに二人が戦線復帰する。
だが、ザーラは気がついた。
ゴンドナの額の傷は、そのままである。
ゴンドナはレベルアップをしていない。
(あれだけの戦闘をこなしても、レベルアップをしないということは、この僧侶は)
「箱は? 箱は!?」
白姫の声がする。目を覚ましたのだ。
箱は、横転の衝撃で馬車から転がり出ている。
砂浜であったことが幸いしてか完全に壊れてはいないが、壊れかけて白っぽい中身が少しみえている。
急いで箱に走り寄った白姫は、ようすを確かめた。
「始まってしまった。でもこの位置なら大丈夫のはず」
箱と岬の上の神殿を交互にみながら、自分に言い聞かせるかのように、そう口にした。
そして、皆に呼びかけた。
「皆さん、この箱の中身はまもなく準備を終えます。今は動かすことができません。準備が調うまで、どうかこの箱を守ってください」
「わかりました」
「任しとけ」
「あいよ」
「ほっほっほっ。心得た」
波打ち際を埋め尽くすように半魚人が湧いている。その後ろからも、さらに後ろからも、波のなかから続々と姿を現している。
サハギンである。
最後の戦いが、始まる。
10
「サンクチュアリ!」
ゴンドナの呪文が響き、箱と、その前で祈りを捧げる白姫が、半透明の防護壁に包まれる。
(深みのある、いい声だな)
「ブレッシング!」
ヒマトラの目が、怒りに燃え上がった。
この、腐れ坊主がっ、といわんばかりの眼差しである。
無理もない、とザーラは思った。
ゴンドナが、プレッシングを自分自身にかけたからである。
ブレッシングは、確かに優れた支援魔法である。物理防御力を格段に上げる魔法なのである。だが、持続時間はごく短い。迷宮でのボス戦ならともかく、長時間続く乱戦では、あまり意味がない。
それでも、特攻する前衛や物理防御の弱い魔法職にかけるならまだわかるが、前線には出ない僧侶が自分にかけるなど、なんという臆病、身勝手か、と思われてもいたしかたないのである。そんなむだなことに魔力を使うより回復用に取っておけ、と思われて当然である。
だが、めぐらせかけた思いは直ちに破られた。
「ブレッシング! ブレッシング! ブレッシング!」
プレッシングの四連発である。
ボランテが、ザーラが、ヒマトラが、この支援魔法のしるしである青い燐光に包まれる。
三人とも、あぜんとした。
準備詠唱の時間が、まったくない。
(この人は、口で発動呪文を唱えながら心のなかで次の準備詠唱を行っているのだ)
ザーラは感動のあまり寒気を覚えた。
そういうことができる魔法使いもいるとは聞いたことがあったが、まのあたりにしたのははじめてである。だが、驚きは、そこで止まらなかった。
「リペリング・エビル! リペリング・エビル! リペリング・エビル! リペリング・エビル!」
またもゴンドナ自身を皮切りに四人全員に魔法がかけられた。
先ほどの青い燐光の外側で、かすかなオレンジの光がともった。
「これは?」
この魔法を知らないザーラが尋ねた。
「魔を退ける技じゃ。闇属性や魔属性の敵に対する物理攻撃に強い付加がつく。また、闇属性の攻撃に対する防御力が上昇する。異常抵抗も上昇する。さあ、行こうかの」
「え?」
三人が立ち尽くすのを尻目に、ゴンドナはサハギンの群れに向かって、どすどすと走っり寄り、大きなメイスを、ぶうん、と振り回した。
三体のサハギンが吹き飛ばされ、空中ではじけて消えた。
怒ってゴンドナを取り囲むサハギンたち。
当たるを幸いと、ゴンドナがメイスをふるう。
そのたびに、何体ものサハギンが宙を舞い、砕け散って消える。
サハギンというのは、Aクラスの剣士でも一撃では倒せない相手のはずである。
(今、目の前で起きている、これは、何か?)
などと考えている場合ではない。自分たちもモンスターに囲まれつつあるのである。馬たちまでは守れないので、尻を叩いて逃がしてから、三人も戦闘に突入した。
ザーラは、またも驚いていた。
軽く刀を振っただけで、すぱすぱとサハギンが斬れるのである。
そして、急所を狙わなくてもサハギンには多大なダメージを与えているようで、たいていの場合は、そのまま消滅してしまう。
技も力も要らない。ただ振るだけでよい。
また、防御力の増大は絶大で、まともに攻撃を受けても、ほんのわずかなダメージしか通らない。乱戦には、何よりありがたい支援である。
(これほど多数の敵に囲まれながら、これほど心軽く戦えるとは)
それにしても、支援が切れない。
ブレッシングと、もう一つのオレンジの支援を受けてから、もうずいぶんたつ。
とうの昔に効果を失っているはずなのである。
いくらなんでも長すぎる、と思っていると、再びゴンドナがブレッシングの呪文を四連発で唱えるのが聞こえた。
さらに、もう一つの支援魔法も続けざまに四回唱えた。
ザーラは理解した。
ゴンドナが、最初に自分に支援をかけたのは、このためだったのである。自分への支援が切れれば、メンバーへの支援も続いて切れる。そのときかけ直せばよい。つまり、全員に対し切れ目なく支援をかけ続けるために、あのようにしたのである。おそらくゴンドナは、自分の支援魔法はほんの少し先に切れるようにかけたのだ。
(待てよ)
(支援魔法というものは、相手がすぐそばにいなければかけられないのではなかったか?)
ブレッシングは、文字通り息のかかる距離でなければかからないと聞いている。また、対象とのあいだにわずかな障害物があっても発動しないはずだ。
(この乱戦のなか、何十歩という距離を隔てて、どうして支援をかけることができるのだろう)
よくわからないが、たぶんパーティーを組んだことと関係がある。
(これが支援というものか)
相変わらず白姫は箱に向かって祈っている。
箱のなかでは淡い光が明滅している。
それが次第に強く速くなってきた。
敵の数は減ったようにも思えないが、近づくものはちゃんと倒せている。
いつしか役割分担ができていた。
ザーラは前線で遊撃しつつ、敵を寄せ集める。
ボランテは、鎖付き星球と、回転しながら敵を倒して手元に戻る複刃の投擲武器を使い、スローイングナイフと炸裂弾を織り交ぜながら、広範囲に敵を制圧する。
ヒマトラは、敵の進軍を妨げるような遠距離射撃を行いつつ、時折、ザーラが集めた敵を大型魔法で片付ける。
ゴンドナは、支援を維持しつつヒマトラを守り、抜けてきた敵を粉砕する。
防御力もずいぶん上がっているが、それでも傷は受ける。
傷が重なり動きが悪くなってくると、
「ヒール!」
という呪文が響いて、傷が治る。
とんでもなく遠い位置でも呪文を成功させている。
(なるほど。これなら、わざわざパーティーを組んで情報をさらす価値は充分にある)
依然サハギンは湧き続けているが、戦線は安定している。
(いける)
とザーラが思ったそのとき、すべての希望を打ち崩すものが現れた。
波打ち際のはるかかなたで、海を割って巨大な姿が立ち上がったのだ。
ダゴンだ。
海の妖魔たちの神といわれるモンスターである。
明るかった空は、いつしか鉛色の雲に覆われ、海の色も灰色にくすんでいる。
その海と空のあいだをかき分けるように、ゆっくりと、悪魔の魚神は、陸地に向かって進み始めた。
絶望にそまる三人の耳に、ゴンドナの力強い声が響いた。
「皆、ここに集まれ!」
11
防御半径を縮めて戦いを続けながら、ゴンドナのそばに寄り、話に耳を傾けた。
「あれは悪魔神じゃ。あれによく効きそうな魔法を知っておる。倒せんかもしれんが、しばらく動けなくするぐらいはできるじゃろう。しかし、その準備詠唱にはとんでもなく長い時間がかかる。そのあいだブレッシングもヒールもできん。わしは、まったく無防備になる。サンクチュアリも途中で解けるじゃろう。守ってもらえるかの?」
起死回生の鍵となるような強力な魔法を、この僧侶は修得している。そのための時間を稼ぐために守ってくれ、と僧侶は訴えている。
それに応えたい。
だが、強力な防御魔法と回復魔法があったから、ここまで戦えたのである。そして、ここまでの戦いで疲労は限界に近い。支援魔法なしで戦えというのは、手足を失い命を失う戦いをしろというにひとしい。
(いや、待て。私にはその手段があるではないか)
「心得たっ。ボランテ殿! ヒマトラ殿! お願いがあります。アイテムを一つ出す時間を稼いでください」
ザーラが何をしようとしているのか、むろん二人にはわからない。だが返事はすぐに来た。
「わかったわ!」
「任せとけ!」
ボランテが手数を増やして、サハギンたちを押し返す。ヒマトラも、小規模な範囲魔法を連発して近くの敵を葬り去る。
長時間は続かない無理押しであるが、これでザーラに時間ができる。
ザーラはルームを出した。開いた手のひらの向こうに青い光の扉が現れ、左右に分かれる。
素早く検索をかけ、一本の剣を取り出す。
ボランテは、目の端でこれをとらえていた。
ザーラがルーム持ちであることは、気がついていた。だが、ルームの操作画面がみえる位置にいるのはこれがはじめてだ。
(あのルームの大きさ、あの操作画面の広さ、複雑さ)
(ありゃあ、王侯や大貴族家の当主が持つレベルのルームじゃねえか)
(あんなものを持っているということは、こいつは)
ザーラは、ルームを閉じて走り出し、近づいてきていたサハギンを瞬くまに一掃した。
その走る速度、剣を振る速さは、それまでのザーラとはまるで別人である。
「私が敵を退けますっ。ボランテ殿は、ヒマトラ殿とゴンドナ殿の援護を。ヒマトラ殿は、遠距離攻撃のみお願いします!」
二人は、ただ黙って従うしかなかった。
それほど、今のザーラの動きと破壊力は異常だったのである。
ザーラが取り出した剣は、ボーラの剣といい、その恩寵はすさまじい。
攻撃力三倍
クリティカル発生二割増加
移動速度八割増加
攻撃速度八割増加
体力吸収一割
精神力連続回復二割
全基礎能力六割増加
破損自動修復
このすべての恩寵が、迷宮の外でも有効なのである。
父より受け継いだこの神剣は、迷宮でこそ使ったことがあるが、迷宮の外で使うのはこれがはじめてだ。
人に過ぎた力であるから、反動も尋常ではない。
事実、この剣を使いすぎたため、ザーラの父は死んだ。
一の容量しかない革袋に百の中身を詰め込んでは使い果たし、またも百の中身を詰め込んでいけば、革袋が無事ですむわけがない。だからザーラは、この剣を外で使うことを自分に禁じていた。
その封印を、今こそザーラは解いた。
これだけ速度付加があれば、敵などとまっているにひとしい。
これだけ攻撃力付加があれば、ふれるだけですべては吹き飛ぶ。
それでも、体のあちこちが傷つくが、それをただちに治癒する効果まで持っているのである。
ザーラの活躍で、敵はみるみる殲滅されてゆく。はぐれて近づく、ごく少ない敵は、疲労の極にあるボランテとヒマトラでも余裕をもって対処できた。
そうしているあいだに、ゆっくり、ゆっくりと、しかし確実に、ダゴンは陸地に近づいてくる。
ゴンドナの準備詠唱は、まだ続いている。
ダゴンの巨体は、近づくほどに巨大さをあらわにし、いよいよ威圧感を高めていく。
ほんとうに、あれに対抗する手段などあるのか、と思わせる破壊の力をまとい、瘴気を振りまきながら、その足が、ほとんど波打ち際に届こうとしたとき、待ち望んだ発動呪文が響き渡る。
「コンヴィクション・ハンマー!!!」
遙か高き空より鉛色の雲を掻き裂いて、数条の光の帯が海に落ちる。
天空に光の渦が生まれ、瞬く間に雲を巻き込んで広がると、その中央に巨大な光のハンマーが現れた。
虹のかけらを振りまきながらハンマーは速度を次第に増し、ダゴンの頭上を目指して落ちてくる。
その全長は、ダゴンそのものより、なお大きい。
たちまち、光のハンマーはダゴンをとらえ、極彩色の破片をまき散らし、神々の国のオルガンのごとき荘厳なハーモニーを響かせて、この悪魔神を打ち据えた。
神話そのものの光景を、冒険者たちは戦いも忘れてみまもっている。
やがて、ダゴンは、ぶすぶすと煙を放ちながら、ぐらっと揺らめき、後ろ向きに倒れて、巨大な水しぶきを上げた。
砂浜を埋め尽くしていたサハギンたちも、光のハンマーの余波を受け、吹き倒されたまま、動こうともしない。
ダゴンを倒したためか、サハギンの湧出も止まったようである。
(勝ったのだ)
ボランテとヒマトラが、もつれるようにくずおれる。
肉体が、精神が、限界だったのである。
ザーラも、今にも倒れそうだ。
だが、倒れない。倒れることができない。神剣で力を引き出した揺り戻しのため、苦痛が強すぎ、気絶することもできないのである。迷宮のなかならボーションを使えば苦痛は癒せる。だが外ではそうはいかない。
(ち、父上はこれほどの苦痛に耐えてボーラの剣を駆使していたのか!)
極大魔法を放ち終えたゴンドナも、うつぶせに倒れたままである。
あのようなすさまじい魔法を、この男は、どれほどの犠牲を払って行ったのであろうか。
突然訪れた静寂。
波の音しか聞こえない。
天界より呼び寄せられた魔法により、黒雲も打ち払われたのか、空は澄み切っている。
日は傾いて、空はかすかに夕暮れの色にそまりつつある。
そのなかで白姫の声が響いた。
「生まれる!」
12
ぴきぴき、と音が響き、箱を壊してなかから現れたものは、一匹の小さな白い竜であった。
竜。
それは、古代の伝説にしか現れない神霊である。
迷宮のなかの神性のかけらもないドラゴンという名のモンスターならともかく、地上で竜をみることなど現代ではあり得ない、と誰もが思っている。
その竜が、今、目の前にいる。
天と地の青と、夕暮れに近い太陽の赤をその体に映しながら、神秘そのものである生き物が、あどけないまなざしを、まっすぐにザーラに向けている。
その体長は、人間の十二、三歳のこどもほどだ。
ぷかり、と浮かび、楽しそうに鳴いている。
「きゅいーー。きゅきゅいーー」
頭部と腹部は真珠のような輝きを放つ鱗で覆われている。
背中は、やや硬質な質感の青みがかった鱗で覆われている。
白く透き通る羽はまだ小さく、時々思いだしたようにぱたぱたと羽ばたいている。
ろくに羽ばたいてもいないのに飛んでいるということは、生まれながらにそのような特殊スキルを発動できているということだ。
どさっ、という音がする。
白姫が倒れている。
ザーラが、よたよたと走り寄る。体は痛く、重い。鉛を背負って泥沼の底を歩くようだ。
ほかの冒険者は、気を失っている。
「ありがとうございました。わたくしは、無事に使命を終えることができました。どうぞ、これを」
そう言いながら、白姫は、仰向けに倒れたまま四つの宝玉を差し出した。
約束された報酬である。
前渡しとして受け取った宝石もきわめて高価なものだったが、この宝玉にどれほどの値がつくか、想像もつかない。この報酬が、ひと癖もふた癖もある冒険者たちに命を懸けさせたのである。
「ザーラ様。お願いがございます」
「何でしょう、白姫様」
「この竜の御子の、名付け親になっていただきたいのです」
「この世に、まだ竜というものがあることを、初めて知りました」
「多くの竜は、ずっと昔に姿を消しました。おそらくこの御子が、地上で最後の竜でしょう」
「あなたは、お仕えしていたかたから、この竜の卵を託されたのですね」
「そうです。わがあるじカルダン様とそのご夫君の、最初で最後のお子であるこの御子を、カルダン様は私に託されたのです。私は、カルダン様にお仕えした水の精霊で、名をパクサリマナと申します」
「竜神カルダン様の。ではあなたはナーリリアをご存じですね」
「ナーリリア! かわいいナーリリア。なんと懐かしい名を聞くことでしょう。いったい、あなたは、どうしてその名をご存じなのですか」
ザーラは、事のあらましを伝えた。
「ああ、では、ナーリリアは愛しい人と出会い、幸せに暮らしているのですね。しかも、人に役立ち喜ばれて。なんてうれしい知らせでしょうか。こんなうれしい知らせをカルダン様にお届けできるなんて。ザーラ様、ありがとうございます」
白姫は、涙を流さなかった。
すでにその体全体が涙であった。
「女神カルダン様の夫君も、やはり神竜なのですか」
「いえ。ご夫君は人でした。人でしたが希代の魔術師で、史上有数のダンジョン・メーカーであられたのです」
ふと気がつけば、海の神殿が淡い光を発している。その光は、生まれたばかりの竜の子に降りそそいでいるようにみえる。
「神殿が、光っている?」
ザーラのつぶやきに、白姫が答えた。
「あの神殿は、今は海の神殿と申しますが、もとは竜の神殿といったのです。かつてカルダン様が庇護を与えた国々は、今のゴルエンザ帝国の帝都付近にありました。その繁栄をうらやんだ国々に攻められ、カルダン様が安住の地を探してたどり着かれたのが、ここだったのです。やがてカルダン様を奉ずる人々が集まるようになり、神殿が築かれました」
ナーリリアは、女神カルダンの美貌と人気に嫉妬した女神オルゴリアが、カルダンを邪神に仕立て上げ、周りの国をそそのかして、カルダンが守護を与えた国々を攻め滅ぼしたのだと言っていた。そのあとカルダンはここに来たようだ。
「人々の篤い信仰を受けたため、神殿には今も強い守護力が働いております。また、あの神殿には、カルダン様の父神であらせられる天空神様、母神であられる地母神様の加護が込められております。けれども、やがて、この地も安全ではなくなりました。自分とともにあってはわが子も滅びるゆえ、そなたに託すとおっしゃって、私を残してカルダン様はご夫君とともに北に去り、そこで命を終えられました」
カルダンを討つことによってバルデモスト王国は誕生した。そのバルデモストの貴族であるザーラは、パクサリマナの話を聞いて、胸の痛みを覚えずにはいられなかった。
「カルダン様は、神々のなかでも、人々を苦しめる妖魔たちを最も多く討伐なさったかたです。妖魔たちの恨みは深く、カルダン様の匂いのする竜卵は、彼らにとって仇敵そのものであったのです。ですから、私は、千年にわたり気配を漏らさぬ魔法をかけ続けました。しかし時満ちて誕生が近づくと、あふれ出す神気は隠しようもなくなり、妖魔たちが襲いかかってきたのです。それを退けるためカルダン様は、当代の英雄たるべきかたがたをお差し向けくださいました。あなたも、ほかのかたがたも、ご自身でお気づきではないとしても、カルダン様と縁をお持ちのはずです」
白姫の体は、だんだん透き通り、声は小さくなっていく。生命力を失いつつあるのだろう。
竜の子は、つぶらな瞳で白姫をみまもり、時々ザーラに物問いたげな眼差しを送ってくる。
「この地なら、竜の御子は、安全に成長なさることができます。いえ、今でも、ご誕生なさった御子の神気は、妖魔たちには滅びの光。また、ご誕生により、神殿に込められた天空神様と地母神様のご加護もよみがえりました。もう、大丈夫です。もう。今、すべての約束は果たされました」
消え入るように最後の言葉を言い終えると、白姫の体は水となって砂に吸い込まれて消えた。
その水の一部が手に触れたとき、ザーラの苦痛は癒され、同時に耐え難い疲労感に襲われて、ザーラは気を失った。
沈みかかる陽光に体を紅く染めた竜の子と、海から吹く風と波の音だけが残された。
この作品の評価
257pt