挿話3
ミノタウロスは、幅広の長剣を右手に持ち、久しぶりに第百階層のボス部屋から出た。
すぐに、バジリスクが襲ってきた。
バジリスクは、巨大な蛇である。
身をよじらせながら、高速で回廊を周回している。
菱形の頭部は恐るべき重量を持ち、かつ強靱であり、巨人の振るハンマーを思わせる。
頭頂には、とさか、あるいは背びれのようなものが突き出ており、長い胴体の半ばすぎまで続いている。
アンバランスなほどに大きな口には、鋭い歯がびっしり生え、岩をも噛み砕く。
最も恐るべきは、舌である。
獲物に伸びるその舌は、稲光のように枝分かれしながら、はるか遠方の標的をもとらえる。
ひとたび、その舌にふれたなら、石にされてしまう。迷宮内で石化すれば、死ぬしかない。
さらに、バジリスクの通ったあとには、しばらく、ぬるぬるとした体液が残る。
これは猛毒であり、生き物のすべての機能を急激に低下させ、持続的に生命力を奪う。
サザードン迷宮百階層は、同心円をつないで配置された回廊と、いくつもの石室から成る。
中央に上層からの階段があり、ボス部屋は一番外側の回廊に接している。
外側の回廊ほど、バジリスクは高速で周回しており、バジリスクそのものの数も多い。
かといって、バジリスクを避けて石室に入れば、多くの場合、さらに凶悪なモンスターが待ち受けているのだから、昔、最初にたどり着いた人間たちは、ここは地獄そのものであると報告した。
さて、ミノタウロスは、襲いかかってきたバジリスクの舌を斬り飛ばすと、分析スキルと異常抵抗を高めるスキルを発動させ、バジリスクの頭部を蹴り上げた。
バジリスクの体が地面から浮かび上がりながら、ミノタウロスの横を飛んでいく。
すかさず、分析スキルで心臓の位置をみさだめる。
バジリスクの心臓は、なぜか頭部の近くではなく、胴体の中央辺りにある。
腹から剣を突き入れ、心臓を斬り裂く。
バジリスクの背は異様に硬いが、腹は軟らかい。
着地したバジリスクは、すでに死んでいた。
巨体が消えたあとに、胸当てが残る。
バジリスクの鱗で出来ており、それ自体高い防御力を持つとともに、異常抵抗付与の効果がある。
バジリスクの落とす防具は、フルセットで装備すれば魔法および物理防御が向上し、異常系の攻撃は倍にして反射するという優良なアイテムである。
ミノタウロスにとっては、今さら拾う気にもなれない品であり、放置して歩き去る。
もう一体のバジリスクに遭遇して倒したあと、ミノタウロスは石室に足を踏み入れた。
そこにはヒュドラがいた。
地上で人の住む土地に出現すれば、災害級の対応を必要とする魔獣である。
巨象のごとき胴体に、九つの首と一本の尻尾が生えている。
全身は超硬質の鱗で覆われ、ぐねぐねとうごめく九つの首からは猛毒のブレスを吐く。
ヒュドラが厄介なのは、再生能力のためである。
手や足、首など、体のどこを斬り落としても、すぐに生えてくる。
つけられた傷は、瞬く間に修復される。
ヒュドラを倒すためには、まずは再生を阻止する必要がある。
それには、再生を司る首を落とさねばならない。
九本の首のうち二本が、体を再生する力を持っている。
個体ごとに位置がランダムであるこの二本の首を、ほぼ同時に斬り落とすことによって、ヒュドラの再生能力は激減する。
地上で、ヒュドラへの理想的な対策とされているのは、次のような方法である。
まず、魔法によって足止めをし、再生を司る首二本をやはり魔法で探知し、これを同時に落とす。
次に、残りの首を全部落とす。
あとは、バリスタや攻城槌など、強力な物理攻撃を、生命力が枯渇するまで加え続けるのである。
なにしろ、攻撃魔法に対しては既知のモンスターのなかでも最大級の抵抗を持っているうえ、あきれるほど膨大な生命力を持つため、こうした方法以外、とどめを差しにくいのである。
つまるところ、人間がヒュドラに対抗できるかどうかは、足止めがうまくいくかどうかにかかっている。
足止めは、魔法以外の方法ではむずかしい。
綱や鎖は、ぎざぎざで硬質の鱗で切れてしまうし、何百人で引っ張ろうが、人間の力ではヒュドラの体重と力には対抗できない。
落とし穴を掘るという方法も過去には試みられたが、いずれも無残な失敗に終わった。
なぜなら、ヒュドラには驚異的な跳躍力が備わっているからである。
あんな鈍重そうな足で、なぜあれほど高く跳び上がれるのか誰にもわからない。
一種の飛行能力ではないか、という見方をする者もある。
あの巨体で跳躍したあとの着地は、すさまじい破壊力を持つ。
小規模な砦なら、一撃で粉砕される。
今、ミノタウロスの前に立つヒュドラは、このちっぽけな侵入者に何を感じたのか、いきなり跳躍した。
着地点は、ミノタウロスの立つ位置である。
これが人間であれば、はじめてこの階層に来たときには、このヒュドラに勝つにもひどく苦労をしたなあ、などと感慨を覚えたかもしれない。
しかし、ミノタウロスの脳みそを満たしているのは、久しぶりに対戦する、このしぶとくてやたら首の多いやつを、いかに手早く被害を抑えて倒すか、ということだけだった。
ミノタウロスは、人間たちが考えたこともない方法でヒュドラを倒そうとしている。
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