迷宮の王 | 第2章 勇者誕生
shienbis

13話 岩の男

1

ザーラは、岩の小径こみちを早足で上っていた。手にはバトルハンマーが握られている。柄は細く、頭部も小振りである。

ひゅっ。

岩の影から、またも岩蛇が飛びかかってくる。

ぴゅんっ。

風切り音をさせてバトルハンマーがうなり、正確に蛇の頭を捉える。

ぐしゃっ。

音を立てて蛇の頭がつぶれる。

空中で蛇の頭をたたきつぶす威力も、重心が極端に先寄りであるためコントロールのむずかしい長柄ハンマーを使いこなす技量も、みる人がみれば感嘆するほどのレベルである。

しかし、当人は自分の技量に満足していない。

(伯父御がみたら、お前それがハンマーの音かよと嘆くだろうな)

餞別だと渡された重厚なバトルハンマーはルームに入れてある。あんな重い物を振り回していたら、あっというまに体力が尽きてしまう。今使っているのは、もともとルームに入っていた小振りなバトルハンマーだ。

左右から岩蛇が飛びかかってくる。

位置を調整し、一振りで二匹の頭をつぶした。飛び散る毒液を浴びないよう計算して。

最初は、いつも通り片手剣を使っていたのである。しかし、雑魚ではあるが岩蛇は硬い。そして、ひっきりなしに襲ってくる。だからみるみる剣が損耗していく。三本目の片手剣をルームにしまったあとは、このバトルハンマーで戦うようにした。

(パーシヴァル様であれば、うまく斬れば剣は傷まぬ、とおっしゃるのだろうか)

そんな境地もあるのではないかと思う。いずれそんな境地に立ちたいと強く思う。

(いや、むしろパーシヴァル様なら、剣も抜かず、すべての蛇をかわして、さっさと走り抜けてしまわれるかもしれないな)

そんなことを思っているうちに、前方に砂漠オークの集団が出現する。

ザーラは、ハンマーを左手に持ち替え、右手で剣を抜くと、速度を一気に上げて、オークの群れに突入した。

(少なくとも、モンスターが多数出現する道であるというのは本当であったな)

そんなことを考えながら。

2

大峡谷は、地の裂け目である。

巨大神ボーホーが、おのれの力を示すために、高地とガーラ大山脈に手をかけ二つを割り裂いたためにできた、という伝説がある。

また、別の伝説では、水の神チャクラポッカが、強欲な人間たちもろとも削り取ったのだともいう。

大峡谷の両側は、かたやガーラ大山脈、かたや高地に続く山岳地帯であり、人の行き来には困難が大きい。一方大峡谷のなかは、時折強風や大雨にみまわれるが、概して気候も温暖であり、行き来もしやすい。川も流れている。

そのため、大峡谷のなかにはいくつも人の集落があるし、東西を行き来する隊商などの通り道ともなっている。

大峡谷のなかには草地や森林もあるが、今ザーラが走っているのは切り立った崖と岩ばかりの道である。

シャリエザーラと別れたあと、ザーラは一人東に向かった。

三日野宿し、四日目に村があった。宿屋に入って食事をしていたところ、村人が三人、ザーラのところにやってきた。

一人が村長だと自己紹介した。

「あなたは冒険者ですかのう」

「はい」

「依頼を受けていただけませんかのう」

「依頼 ギルドを通さずにということですか」

「この近くには冒険者ギルドなんぞ、ありはしませんわい。ギルドを通さない依頼は受けていただけんじゃろうか」

「いえ。そんなことはありません。まずは話をお聞きかせいただきたい。話をお聞きしてから、受けるかどうかお答えします」

「実は、ふた月ほど前から、この村の外れの谷に、岩でできた巨人が住み着いたんじゃ」

「岩の巨人

それはザーラの知識にはない存在である。やはりモンスターのたぐいなのだろうか。

「そうじゃ。身の丈が人の三倍、いや五倍ほどもあってのう。その怪物は、時折不気味な大声を出すんじゃ。そりゃあもう恐ろしい声で、村の端まで届くんじゃ。もう村人は怖がってしもうて、仕事も手につかんありさまでしてのう」

その声には、何か人の心をむしばむような呪いでもかかっているのだろうか。

「それだけなら、ほっておいてもよかったんじゃが、このふた月のあいだに、村人が三人、行方不明になったんじゃ。まさかと思うて、谷に近づいてみおろしてみると、怪物がいつもおるところに、いなくなってしもうた村人の服や持ち物が落ちておったんです」

「ほう。それはほっておけませんね」

「そうなんですじゃ。しかもそれだけじゃないんじゃ。落ちている服は、村人の物だけではなかったんじゃ。どうも何人もの旅人が犠牲になっておるようでしての」

「その怪物は谷から出てくるのですか

「谷から出てくるのをみたもんはおらんのです。けど、あの気持ちの悪い声が、いけにえを呼び寄せる呪いの声なんじゃないかと言うもんもおりましてのう」

「呪いの声ですか」

「なんとか怪物を退治しなけりゃ犠牲は増えるばかりじゃいうことで、村人がお金を出し合うたんです。それでこの前通りかかった冒険者に退治を依頼したんじゃけど、実際に怪物をみると、その金額では無理だと言われてしもうたんです」

その金額というのを聞かされたが、確かにその金額では命をかける気にはならないだろう。

「それで、わしら、ナーリリアさんに相談したんですじゃ」

「ナーリリアさん

「薬師の夫婦で、四年ほど前に村に移り住んできたんです。その奥さんがナーリリアさんといいまして、そりゃあもういろんなことを知っとる人なんで」

「ああ、なるほど」

「ナーリリアさんは、手持ちの毒をいくつか試してみるちゅうて言うてくれたんですけどなあ。あいにく効き目がのうて」

(毒

(岩の巨人に効く毒

(岩石系のモンスターには毒は効きにくい)

(そして巨人系のモンスターにも毒は効きにくい)

(岩の巨人に効くような毒となると非常に強力なものだろうに)

(そんな強力な毒をこんな田舎の薬師がたまたま持っていたりするものだろうか)

「それで、何か方法はないじゃろうかとナーリリアさんに相談してみると、一つないこともない、という話になったんですじゃ」

「ほう。それはどいういう方法ですか」

「こっから先は、ナーリリアさんに説明してもろうたほうがええのう」

村長は後ろにいた男の一人に言った。

「ジャガ。ナーリリアさんに来てもらろうてくれ」

うなずいたジャガが出ていった。

しばらくして帰ってきたとき、後ろに女性がついてきた。

この女性が薬師のナーリリアなのだろう。

豊かな黒髪は幾筋もに分かれて波打ち、今水浴を終えたばかりであるかのように、ぬれた光彩を放っている。

翡翠の瞳と、黒く太く鮮やかな眉毛。つんと突きだした形のよい鼻。みずみずしい真っ赤な唇。少し筋張ってくっきりとした輪郭の顎。

田舎風の赤茶けたブラウスと、色あせた紺のスカートをはいていてさえ、その存在感は圧倒的である。しかるべき衣装をまとえば、貴族夫人であるといっても通るだろう。

「あら。冒険者さんて、ずいぶんかわいらしい人なのね」

「薬師のナーリリアさんですじゃ。ナーリリアさん。ザーラさんに、怪物を倒す方法について説明してもらえんじゃろうか」

「いいわよ。ザーラさんていうのね。岩男を倒すには、ある毒薬を作らなくちゃならないの。その毒薬を作るにはある特殊な材料が必要なんだけどね。その材料というのは、ケツァルパの毒袋なのよ」

(ケツァルパだって

「この村から北に少し上った所に洞窟があって、そこにケツァルパがいるというの」

村長が言葉を足した。

「ああ、それは間違いない。昔から、あそこにはケツァルパというのがいる。村では知らない者はない」

「鉱物系のモンスターには毒が効きにくいけれど、ケツァルパの毒なら、まず間違いなく効くわ。精製はちょっとむずしいんだけど、ちゃんと処理すればストーンゴーレムでも殺せる毒が作れるのよ」

その場所までは、歩いて往復しても一日かからないという。

ほぼ一本道であり、地図は渡すが、まず迷う心配はないとのことである。

ただ、途中やたらモンスターが多いため、冒険者でなければ採りに行けないのだという。

「でも、お若い冒険者様には、ちょっと荷が勝ちすぎるお願いかもね。無理はしないでね、ザーラさん」

「何を言うんだ、ナーリリアさん あの岩男は、あんたの旦那のかたきじゃないかっ」

ジャガが口を挟んだ。

「あら、うちの亭主は死んでないと思うわ。遺品だって発見されてないし。珍しい薬草でもみつけて、どっかでふらふらしてるのよ」

にこやかにそう言い放つナーリリアを、三人は何とも気の毒そうな目でみている。

「ふむ。つまり、その洞窟にたどり着くまでが大変だというのですね。たどり着ければ、あとはケツァルパの毒袋を採ってくればいい、ということですね」

三人の男たちは、そうだとばかりにうなずく。

ナーリリアは、少しあわてたようなようすをみせた。

「そ、そうだけど、ザーラさん。ケツァルパをご存じ

「ええ、冒険者ですからね」

そのとき、どこか遠い所から声が響いてきた。

のあ〜〜〜うぃ〜〜〜ら〜〜〜〜

「あ、こ、これが、その怪物の呪いの声です」

「そうですか」

村長はひどく怖がっているが、ザーラには、その声は恐ろしいというより物悲しく聞こえた。何の呪いも感じはしなかった。

「わかりました。この依頼、お受けします」

「おお 受けてくださるか」

「ええっ 無理しちゃだめよ、ザーラさん」

「はい。無理はしません」

3

洞窟に着いた。

確かにわかりやすい道だった。

ザーラは、ルームを開いて一本の短剣を取り出した。ベルトの腰の横の部分には鞘ごと短剣を格納できるようになっており、そこに短剣を収めた。この短剣を持っていなければ、今回の依頼を受けることはなかったかもしれない。

ケツァルパは、モンスターレベル六十の魔獣で、巨大なムカデのような姿をしている。

攻撃力自体はそれほど高くないが、暗い洞窟に複数で生息し、鋏と尻尾に即死級の猛毒を備えている。また、体から毒の霧を放出しているので、ケツァルパの住む洞窟は、それ自体が死の罠であるといってよい。S級指定のモンスターであり、討伐するとなればS級の冒険者でパーティーを組む。

ケツァルパの毒袋は心臓の後ろにあり、殺さなくては採れない。

ザーラは、片手剣を右手に、カイトシールドを左手に構えた。

(片手剣はもう少し強力な物に替えるべきだろうか)

(いや)

(恩寵付きの武器に頼らずに強敵と戦えるようになること)

(それこそが大きな目的ではないか)

(この短剣だけでも、私には過分だ)

心を決め、洞窟に入ってゆく。

暗視のスキルを発動させ、二百歩ほど進んだときに、敵は現れた。

天井から、ひらりと落ちてきたのである。

ケツァルパは、くるりと身をひねって、頭部の巨大な鋏で攻撃してくる。

ザーラは身をかわし、敵が着地するのを待って、がちんとかみ合わされた鋏の片方を根元から断ち切る。一瞬痛みにひるんだケツァルパの、もう一方の鋏も落とす。

左から別のケツァルパが飛び込んでくる。体をひねって鋏をかわすと、尻尾で攻撃してきた。頭の上から降ってくるような角度だ。

尻尾の切っ先をカイトシールドで受けながら、片方の鋏の根元に近い部分に斬撃を入れるが、角度が悪かったのか、ダメージを与えられたようすはない。

一匹目のケツァルパが、ぶわっと浮かび上がって、押しつぶすような形で攻撃してくる。

その柔らかい腹を縦に大きく斬り裂いてから、ぱっと後ろに飛び退く。

体液をまき散らしながら落ちてくるケツァルパの左から、二匹目のケツァルパが、鋏で攻撃してくるが、ザーラがするりとかわしたため、一匹目のケツァルパと衝突して体勢を崩す。そこを狙って、二匹目のケツァルパの鋏を一本落とす。

このとき、探知スキルにより、三匹目が近づいていることを知る。

(そろそろ頃合いか)

そうザーラは判断し、くるっと向きを変え、入り口のほうに走る。

傷を受けた二匹は追ってくるが、三匹目は追ってこない。三匹目は、まだザーラを敵として認定するほどの距離までは近づいていなかったのだ。

ぼんやりと入り口から光が入る辺りまで走ると、反転して、追いすがってくる二匹に向かっていく。

ケツァルパが高速で移動するときは、体躯はほとんど一直線に伸びる。

この状態のケツァルパは、技術と速度さえあれば、非常に狙いやすい獲物といえる。

(毒袋は一匹分でいいだろうな)

そう決めて、先行していたほうのケツァルパの上空に、ふわりと跳び上がって宙返りする。

そして、ちょうど頭が真下を向いた状態のまま、縦一文字にケツァルパを斬り裂いていった。

ケツァルパは、自身の突進力によって斬り裂かれる。

当心臓も毒袋も真っ二つになった。

遅れてやってきたもう一匹のケツァルパが横を通り過ぎていき、最後にぐっと背中を曲げ、尻尾で攻撃をしてきた。

空中で身をひねってかわしたが、かすかに左足の膝の下を削られた。

着地して体勢を整える。

だいぶ向こうまで走っていったケツァルパが、向きを変えて、またもや突進してくる。

倒したばかりのケツァルパが、大きく背を斬り裂かれた状態で、毒液をまき散らして激しくうごめいているのが邪魔なので、後ろに飛んで距離を取る。

今、向かってくるのは、両方とも鋏を落としたほうのケツァルパである。

もだえている仲間の死骸をはね飛ばしながら突進してくる。

ザーラは、すっと身をかわし、胴体の中程の、甲殻のつなぎ目で、怪物を前後に斬り分けた。

そのあとは、単なる作業だった。

ばたばたと跳ね回る尻尾部分を、何か所か輪切りにし、ほとんど動きがなくなるまで待って毒袋を切り取り、あらかじめ預かっていた容器をルームから出して収納する。

左足を調べたが、服は破れていない。軽い打ち身ですんだようだ。

(無傷といかなかったのは、痛恨だったな)

師匠であるローガンの怒り顔を思い浮かべながら、ザーラは反省した。

4

戸をたたく。

「は〜い。どなた〜

なかから声がして、扉が開く。

ザーラの姿をみたナーリリアは、美しい翡翠の目を大きくみひらいた。

「う、う、う、うそっ。か、帰ってきたの

「はい。無事に、ケツァルパの毒袋を採ってきました。確かめてください」

「うそっ あ、いえ。と、とにかく、なかに入って」

ザーラを招き入れ、ナーリリアは毒袋を確認した。

「間違いないわ。ケツァルパの毒袋だわ。ほんとに取ってきたんだ」

「はい」

「そ、そう。あ。あなた、お昼ご飯は食べた

「いえ、まだです」

「じゃあ、すぐ用意するから、ちょっと待ってね」

食事は、たっぷりの肉を使った豪華なもので、とても即席で準備したとは思えなかった。

貴族であれ、平民であれ、よその家で食事をするときには、自分のナイフを使うことが多い。ザーラも自分の短剣で肉を切って食べた。

「本当においしいです。毒を入れてこの味が出せるとは、あなたは貴族家の料理人も務まるかたですね」

その言葉を聞いたナーリリアは、仮面を脱ぎ捨てた。

陽気さや親しげなようすは消え去り、その美貌は冷たく尊大な光を放つ。

「いつ、気がついたの

「あなたにお会いしたときです。私は、十四歳の年から二年間、ほとんど毎日、迷宮に潜っていました。モンスターの気配には敏感なのです」

「なぜ、死なないの

「迷宮で使える毒消しのポーションなどは、外ではまったく効果がありません。また、毒抵抗の恩寵を持つアイテムも、外では役に立たないのが普通です。しかし、例外のアイテムもあるのです」

「そうなの。ケツァルパの毒袋を採ってこれたということは、あなたのレベルは高いのね

「六十八です」

「ろくじゅーはちーーっ なんでそんな英雄級の冒険者が、こんなとこにいるのよっ」

なぜか急に、村女に戻ったような表情と言い回しである。

案外、こちらが本性なのかもしれない。

「そっかー。六十八かあ」

しばし目を閉じて、何かを想うナーリリア。

かっとみひらいた目の虹彩は、縦に裂けていた。

「なら、死ね

ナーリリアの全身が、服を破り裂いて、激しく変化する。

瞬くまに人の背丈の倍ほどに伸び上がった、その上半身は美しい女性のままだが、下半身は鱗に覆われた太い蛇そのものである。

(ラミアか

美女の顔を持ち、邪法で人を惑わし破滅させる地獄の毒蛇。

魔の眷属であり、神々の恩恵を受ける人間を憎む女怪。

そうと知った瞬間、ザーラは短剣を投擲していた。

ナーリリアの変身が完了したときには、短剣はその心臓を貫いていた。

「いたたたたっ。何、これ これ、何

今度は、ザーラが驚く番だった。

(なぜ

(なぜ、魔性そのものであるラミアが、聖属性であるカルダンの短剣を受けて無事なのだ

「あ、でも、なんか、懐かしい感じ。なんか、これ、安らぐわあ」

心臓に刺さった短剣を、そっと両手で包んでつぶやくラミア。

ザーラは、事態がまったく理解できない。

そのとき、戸をたたく音がした。

5

「ナーリリアさん、いるんだろう 開けてくれ。俺だ。ジャガだよ」

人が近づいているのは、察知していた。そのうえで、この女の正体をみせるのもよいと判断していたのだが、今は、まずい。何が起きているのかはっきりするまでは、この女怪の正体が知られないほうがよい。

「ナーリリアさん。私がここにいることは秘密にしてください」

ザーラは素早く短剣を回収して、音もなく奥の寝室に隠れた。

「えっ えっ えっ ど、ど、ど。えっ

独り取り残されたラミアは、正体を現してしまっている自分の体と、床に落ちた服の残骸、テーブルの上の料理、扉などを、順番にみまわしている。

「ナーリリアさん、どうかしたのか 何やら大きな声が、さっき聞こえたが、妙なことでもあったのか

「あ、ジャガさん、こ、こんにちは。あの、あのね。今、食事してたんだけど、服を脱いでるの。入ってこないで」

「食事してたのに、なんで服を脱いでるんだ

「つ、つまりね。食事してたの。そしたら、髪、そう、髪に料理の汁がついちゃって。で、髪を洗い始めたの。そ、そしたらね。服と体にもよごれがついてたの。それで、全身を拭いてるの。い、今、裸だから、入ってこないで。ちょ、ちょっとだけ待って

「そうだったのか。そりゃ、大変だったね。わかった。いくらでも待つよ」

ナーリリアは人の姿に戻り、髪に水を掛け、破れた服を片付け、扉を開けようとして裸なのに気づき、寝室に入って服を着てからジャガを迎え入れた。

寝室にいたザーラと目が合ったとき、思いっきり顔をしかめて、ふしゅーっとザーラを威嚇するのを忘れずに。

「作りすぎちゃったの。ジャガさん、よかったら、一緒に食べて」

「な、なんだって。もちろん、いいとも。やあ、うれしいなあ、ナーリリアさん」

手料理を勧められて、ジャガはすっかり舞い上がっている。

ごまかすにはもう一押しだと思ったのか、ナーリリアは酒を勧めた。

形だけ断ったジャガだが、すぐに酒に手を伸ばし、わずかな時間ですっかり出来上がってしまった。

そして、ナーリリアを口説きはじめた。

「ナーリリア。なあ、俺の気持ちはわかってるんだろう。もう、あんたの亭主は死んじまったんだ。俺と一緒にならないか」

「いえ、うちの亭主は、きっと帰って来るわ。あたしには、わかってるの」

「そこまで操立てるような相手じゃないだろう。あいつ、ほかに好きな女ができて、あんたを捨てていったのかもしれないぜ」

「いえ、うちの亭主は、今でも毎日、私のことを想ってるわ。あたしには、わかってるの」

「あんたのような女に、こんな小汚い生活しかさせられない甲斐性なしじゃないか。俺なら、うんと奇麗な服を着せてやれるぜ」

「あら、ジャガさんは羽振りがよくなったの

「ほら、これみろよ。これも、これも。みんな、あんたにやるぜ」

「あ、奇麗ね。あれ これ、行方不明になったミーナさんが着けてた指輪じゃ……」

「あ え ああ、まあ、よく似てるかもな」

「こっちは、ザンドさんの娘さんに、あたしがあげたブレスレット。あんたがっ、あんたがみんなを殺したのね

「あ、く、くそ。静かにしやがれ。お前も殺すぞっ」

「そこまでです」

なぜか寝室のほうから突然現れたザーラに、ジャガは顔面蒼白となる。

「お、おめえ。洞窟に行ったんじゃ。くそっ。はめやがったな」

逃げようとするジャガを、ザーラは取り押さえた。

「く、くそう。最初から俺を疑ってやがったな。それで、冒険者を隠して、俺を色仕掛けで引きずり込んで、おためごかしで指輪とブレスレットをだまし取りやがった。そ、そうか。村長も抱き込んでたんだな。き、きたねえ。おめえは、なんて恐ろしい女だ。魔物だ。悪魔だ。これからは、ラミアって名乗りやがれっ」

「そ、それは、どうも、あ、ありがとう

6

村長の家に引っ張っていた。ジャガは、おのれの所業を白状した。

ジャガの家を調べたところ、山ほどの証拠も出てきた。

とすると、岩男は村の金をさらえてまで倒す相手ではなくなるので、依頼は取り消しになった。すでに毒袋は採ってきている、とは言わなかった。

「あんた、依頼料もらえなくなっちゃったね。せめてケツァルパの毒袋を持っていって。正直、依頼料なんかよりずっといい値で売れるわ」

「私の一番欲しい報酬は情報です。あなたのことを教えていただけませんか」

「そうね。当然よね。もう一度うちに来てくれるかな」

二人はナーリリアの家に戻り、ナーリリアは香りのよい茶を出してくれた。

「何から話したらいいかな。あ、その前に、あの短剣、貸して」

ザーラが渡した短剣を、ナーリリアは両手で胸に抱きしめた。

「やっぱり、そうだ。これ、カルダン様の匂いがする」

幸せそうな顔で、ナーリリアが言う。

「それは、カルダンの短剣という恩寵品で、解毒や異常状態の全解除などの効果があります。あなたは、邪竜カルダンを知っているのですか

「邪竜なんかじゃない カルダン様は、ほんとに、ほんとに優しい女神様だったんだ」

驚いたことに、ナーリリアは、千歳を超える年齢であり、人として生きていたころは、女神カルダンに仕える侍女の一人であったという。

しかし、カルダンの美貌と人気に嫉妬した女神オルゴリアが、周りの国をけしかけて、カルダンを悪者に仕立て上げたうえ、カルダンが恩恵を与えていた国々を滅ぼしたのだという。

侍女のなかで最後までカルダンに付き従おうとしたナーリリアは、直接オルゴリアの手によりラミアにされてしまった。

カルダンはこれを解呪できず、泣いてナーリリアに謝り、少しでも幸せをみつけて生きるよう言い残して、夫君と使い魔の精霊と共に世界の果てに消えたのだという。

ザーラは驚きをもってこの話を聞いた。

女神オルゴリアといえば知恵と契約の神であり、バルデモストなど大陸北部では六大神の一柱として篤く信仰されている。バルデモストの常識からすれば、ナーリリアの言い分は荒唐無稽というほかない。

しかし、ザーラは、ナーリリアの言い分にも聞くべき点があるのではないか、と思った。

それは、旅立ちの前に、バルデモストで広く信じられている伝説の裏側を、わずかながら聞かされたからである。

7

この旅に出る前に、ザーラはユリウスにあいさつに行った。

両家は今や同格の直閲貴族家であり、ともに領地持ちの侯爵家であるけれども、ゴラン家があるのはメルクリウス家あってこそのことだ。パンゼルを臣下として引き立ててくれたユリウスのおかげで、今のすべてはあるのである。

それだけではない。ザーラを受け入れ、ここまで育て上げてくれたのは、メルクリウスである。わが忠誠は、永遠に王家とメルクリウスのもとにある、とザーラはいつも思っている。

ユリウスは、途方もないプレゼントを用意していた。

メルクリウス家が誇る五つの恩寵品である。

魔法を任意に消去するアレストラの腕輪

状態異常や毒から身を守るカルダンの短剣

攻撃魔法を撃てるライカの指輪

物理攻撃を相手に反射するエンデの盾

魔力吸収と隠形の力を与えてくれるボルトンの護符

五つの秘宝は、メルクリウス家の前当主パーシヴァルが、迷宮探索に携えていたが、このうちアレストラの腕輪とカルダンの短剣は、ミノタウロスが所持していた。パーシヴァルを殺して手に入れたのだと思われる。

そして、アレストラの腕輪は、少年の日の父パンゼルがミノタウロスから譲り受けてユリウスに返却し、メルクリウス家に仕えるきっかけとなった。パントラムの乱以後死ぬまで、父パンゼルはこの腕輪を借り受けて装着していた。

また、カルダンの短剣は、騎士となった父パンゼルがミノタウロスに勝利して譲り受け、その恩寵によってサザードン迷宮の最下層から地上まで無事でたどり着くことができたという、格別の思い出がある品だ。地上に戻ったパンゼルは、この短剣をユリウスに返却した。

そして五つの恩寵品すべてを、ザーラは使うことができる。十四歳になり、サザードン迷宮に挑むこととなったとき、ユリウスはザーラに五つの恩寵品を使わせてみたのである。そうしたところ、ザーラは五つすべての恩寵を発動させることができた。

ユリウスは、アレストラの腕輪とカルダンの短剣をザーラに貸し与えた。ザーラが驚異的な短時間でSクラス冒険者になれるほどレベルを上げられたのは、この二つの恩寵品と、そして父パンゼルが残したボーラの剣のおかげだ。

「その修業の旅に、この五つの品を持ってゆくがよい」

刻印術を専門とするお抱え魔法使いが呼ばれ、ライカの指輪エンデの盾ボルトンの護符にザーラの使用印が刻まれた。アレストラの腕輪カルダンの短剣にはすでに刻んである。これによりザーラは五つの秘宝を自分のルームに収納することができる。

そのあと、ユリウスは人払いをして、声を潜めてザーラに語った。

「これは当家の秘伝だが、聞いておくがよい」

広く一般には、アレストラの腕輪は、女神ファラから始祖王に下賜され、始祖王からメルクリウス家初代に下賜されたと伝えられているが、メルクリウス家の伝承では、アレストラの腕輪をはじめとする五点すべて、初代が倒した竜神カルダンから、初代の武勇とけがれなき忠誠をたたえて贈られたものとなっているという。また、この五点すべて、メルクリウス家の当主か、当主が心から認めた者しか効果を発動できない。

バルデモスト王国は、女神ファラの加護のもと、人民を苦しめた邪竜カルダンを倒した始祖王と英雄たちが打ち立てた国である。この秘伝は、国の成り立ちそのものに疑義を投げかける怪しげな伝説といえる。別の言い方をするなら、この秘伝が外に漏れれば、メルクリウス家は消滅させられかねない。

それほどの秘事を明かしてくれたユリウスの信頼に、ザーラは胸が震える思いがした。

「のう、アルス殿。いや、ザーラ殿と呼ぶべきか。私は亡き父に憧れた。わが国が世界に誇る英雄であったパンゼル殿にも憧れた。自分の力で、かの怪物にとどめを刺したいと思った。だが、私の戦いの場は迷宮ではなかった。今、私は、自分の最大の戦いに向けて牙を研いでおるのじゃ」

現在四十二歳であるユリウスは、四卿の第三位である青卿の地位にあり、まもなく赤卿に昇るだろうといわれている。そのとき、バルデモスト王国の政治をほしいままにするリガ家との戦いが始まる。

「ザーラ殿。かの怪物を打ち倒す日まで、五つの恩寵品は貴殿に貸し与える。旅に持ってゆき、使い方を習得せよ。しかして、強大な恩寵の力に頼らぬおのれを築き上げるがよい」

8

「あなたの夫君は、どのようなかたなのですか

「亭主 西の辺境で知り合ったの。そのころはまだぼうやでね」

ナーリリアが十年ほど身を寄せた家族が、盗賊に殺されてしまった。

一人残った少年を連れて旅するうち、年を取らないナーリリアとの関係が、母と息子では不自然になったので、ここ何年かは夫婦ということにしている。

かつてカルダンから教えられた薬師としての知識を生かして人々を助けながら、ひっそりと暮らしていたのだという。

「夫君は、まだ生きているのですか」

「生きてるってば。毎日、声を聞いてるでしょ」

「あの岩男が、夫殿ですか」

「そうなの。呪いを……受けちゃって」

「なぜ夫君を呪ったのですか」

「呪うわけないでしょ ただ、あの人が、どうしても、どうしても」

「どうしても

「どうしても、どうしても、ほんとの夫婦になりたいって言うから。あたし、ラミアだから、床を共にすると呪いがうつっちゃうって言ったのに…………ううっ」

「……涙は止まりましたか

「泣いてないわ。あたしを愛してしまった男は、蛇の鱗で全身が覆われて、毒と呪いで苦しむの」

「蛇の鱗 そのような姿とは聞いていませんが」

「少しでも早く呪いが解けるように、解呪と解毒と体力回復の効果がある土で、全身を覆ってあげたの。それに、普通の人間の大きさじゃ、毒に耐えられないでしょ。だから、おおっきくして。土が落ちないように、硬質化の呪文をかけて。あの谷なら、川も流れてるし、木の実も、食べられる野草もあるし。静かにしてなさいって言っておいたのに」

なんと、岩男の正体とは、治療中のただの人間だったのである。

あと二、三週間で、もとに戻るのだということであった。

9

ザーラは、旅館にもう一泊して、翌朝早く旅立った。

不思議なことに、レベルが七十一に上がっていた。

律義にもナーリリアはみおくりに来て、自作だという各種の薬を大量にくれた。

なかには妙に怪しげな効能の薬もあったが。

礼を述べて、いよいよ立ち去ろうとしたとき、また、あの声が聞こえた。

のあ〜〜〜うぃ〜〜〜ら〜〜〜〜

ザーラは、振り返って聞いた。

「あれは、夫君の声なのですね

「そ、そうよ」

「何を叫んでいるのでしょう」

「何度も聞いたんだから、わかるでしょ

「すいませんが、わかりません」

ナーリリアは、横を向いて、小さな声で言った。

「あたしの名を呼んでるの。ナーリリア、って言ってるのよ」

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