第7話 メルクリウス家の家宰
1
ギルド長ローガンは物思いに沈んでいた。
天剣がサザードン迷宮に入ってから八日目であり、天剣の冒険者メダルが発見された翌日である。
遺留品の鑑定は当日のうちには終わらず、今日の早朝から鑑定作業を再開し、ようやく先ほど暫定的なリストがギルド長のもとに届いたところだ。
リストには、すべてのアイテムが項目別に記載されている。ぱらぱらとめくってみたが、銘持ちのアイテムが多い。そして恩寵品が多い。
それにしても、暫定リストを作るだけで二日がかりだとすると、金額査定には一か月以上かかるだろう。
ローガンの机の上は書類で埋め尽くされている。ギルド長の判断や決裁が必要な案件が、目白押しなのだ。書類仕事に追われ、昼食をとる時間もなかった。
少しだけ仕事の手をとめ、〈ザック〉から保存食を取り出してかじりながら、ここ数日の出来事を頭のなかで整理していた。
昨日は天剣の死に動転して、人間の世界での陰謀が天剣を殺したのだと決めつけた。
だがそれは臆断にすぎない。
今のところ、そんな可能性を示唆するような情報は得ていないのだ。六階層のモンスターに天剣が殺されるわけがないという判断から、殺したのはモンスターではないと考えただけのことだ。
だがもし、ミノタウロスが天剣を殺したのだと仮定すると、どうなるか。
何日か前、ミノタウロスの情報が入り始めたとき、ローガンは思った。それではまるでモンスターの冒険者だと。
荒唐無稽な話だが、そんな存在が生まれたとしたらどうなるだろう。
(冒険者なら、階層を行き来できる)
(それだけか?)
それだけではない。
冒険者なら、敵を殺せばレベルアップする。
エリナとかいう女戦士を殺してレベルアップし、パジャたちを殺してレベルアップし、そして……
慄然とした。
もしもミノタウロスが天剣を殺したのだとしたら。
とてつもない不運が重なって、天剣がミノタウロスに殺されてしまったのだとしたら。
今ミノタウロスは、どれほどの強さなのだろう。
ふつう、ミノタウロスのモンスターレベルは二十とみなされている。
同じ十階層の回遊モンスターである灰色狼がレベル十なのだから、これは反則的な強さだ。
エリナ戦で一つ、パジャ戦で二つか三つレベルが上がったとして、天剣を殺したら、いったいどれほどレベルが上がったろう。
それはもう想像するのも恐ろしいほどだ。
だが、冒険者だというなら、人間の冒険者と同じくレベルアップの上限があるかもしれない。人間の冒険者の場合、どれほどの強敵を倒しても、一度のレベルアップは十までなのだ。十もレベルが上がるような強敵を倒す冒険者はめったにいないが、とにかく一度に十以上は上がらない。
それがあてはまるとすれば、今ミノタウロスは三十四か三十五程度のレベルだと、一応考えられる。
それはなかなかの強さだ。だが逆にいえば、三十四階層か三十五階層の回遊モンスターなみの強さでしかない。
その程度の強さでは、パジャたち三人にも勝つのはむずかしい。まして天剣にはとても歯が立たない。
(そもそも冒険者はモンスターを倒せばレベルが上がるが)
(人間を倒してもレベルはほとんど上がらん)
(ミノタウロスがもし冒険者になったとしたら)
(そこはどうなるんだ)
2
結論の出ない思考をめぐらせていると、事務長がわずかにドアを開いた。
いつもながら、この立て付けの悪いドアを音もさせずに開けてくる。これは何かのスキルなのだろうか。
「メルクリウス家の家宰様がおみえです。静かな場所で、ギルド長にご相談なさりたいことがあるとのことです」
ローガンの脳髄は、耳が聞いた言葉を理解するのに、少なくない時間を要した。
(メルクリウス家の家宰だと?)
(静かな場所?)
(相談?)
いやな汗が、じわっと湧いてくるのを感じた。
メルクリウス家は、大国バルデモストのなかでも格別の名家である。
その家宰というような尊貴な人物を、あまり待たせるわけにはいかない。
静かな場所ということは、人に話を聞かれないような場所ということだろう。
とすれば、この部屋以外にない。
「事務長。お客様をこの部屋にご案内してくれ」
天剣の遺留品の暫定リストと一緒に、天剣の冒険者メダルと遺留品拾得についての知らせを家族に送る、という案件が上がってきたので、実施許可のサインをした。それはつい先ほどのことだ。
つまり、まだ連絡は行ってない。
天剣が死んだと聞いて、その情報を確かめにギルドに来たというなら、まだ話はわかる。だがその情報は、まだメルクリウス家に届いていないのだ。
(しかも、呼びつけられるなら話はわかるが)
(家宰自身が直接訪ねて来るだと?)
カーン。
カーン。
カーン。
入室ベルが打ち鳴らされた。
まさか、これを実際に使うことがあろうとは思いもしなかった。
ギルド長っていうのは偉いんだぞ、という冗談で付けさせたのに。
扉の内側にドアガードはいないので、事務長は自分で外からドアを半開きにして、涼やかな声で告げる。
「メルクリウス家家宰パン=ジャ・ラバン様、ご随行ツェルガー家のユリウス様、ご入室でございます」
(待て)
(何で名前が二人分なんだ?)
(しかも、ツェルガー家だと?)
(その家名は、たしか……)
前ギルド長から譲り受けた資料のなかで、その家名をみた。
特殊な家名だった。こういう使われ方をする家名はいくつかある。
この家名を名乗るということは、そういう血筋の人物だということだ。
(何てことだ)
(いったい何が起きてるんだ?)
先に部屋に入って来たのは、老境にさしかかった男性であった。
長身である。
きちんとなでつけられた髪と、口ひげ。上品な服。
静かな足運びと、柔らかな動作。
鍛え抜いたローガンの観察眼は、この家宰なる人物が、一騎当千の戦闘力を持つ武人であるとみぬいた。
「高貴なおかたをお迎えでき、光栄に存じます。ミケーヌ冒険者ギルド長ローガンでございます」
ローガンは、机の横に出て、深く頭を下げた。
「メルクリウス家の家宰、パン=ジャ・ラバンと申す」
家宰は、その家の実務を取り仕切ると同時に、当主の名代でもある。
メルクリウス家の歴代当主は、家臣思いで有名だ。
家臣には、機会を与え、経験を積ませ、やがて一家を立てさせる。
苦労は共にし、報いは惜しみなく与える。
そのため、もとの家臣たちの家は、メルクリウス家を主家と仰ぎ、代が替わっても忠誠を失わない。
親族たちへも厚く遇してきた。
そのくせ、メルクリウス宗家自体は少しも太ろうとしない。
このような家であるから、一朝事あれば一門の家兵が参じる。
家産の低さにもかかわらず、その潜在的武力は国内有数と目されるゆえんである。
家宰は、当主が外にあるときは家の一切を差配し、当主が家にあるときは代理として諸事の実務にあたる。この二年で二度あったメルクリウス家の出兵では、家宰が指揮を執ったと聞いている。
であるから、この家宰自身、それなりの身分であるのが当然なのに、名前も家名もローガンの記憶にはなかった。
(名家の子弟であるはずなのに正体不明な人物か)
その事実と、目の前の家宰の年輪を刻んだ厳しい顔つきを思い合わせているうち、ある出来事がローガンの脳裏をよぎった。
どうしてそれを思い出したのか、自分でもわからない。
3
先々代国王の時代に、近衛の平騎士から吏務査察官に任じられるという、異数の出世を遂げた男がいた。
男は、王の知遇に感じ入り、職務に精励した。
ところが、他国との貿易で不正を行った家をいくつか摘発したとき、リガ公爵の逆鱗にふれ、男の家は族滅された。
その男と家族と親族、そして部下たちは、一夜にしてこの地上から消え失せたのである。
翌朝、参内したリガ公爵は、王と閣僚たちの前で、賊徒の殲滅を報告し、その罪科を述べ立てた。理不尽な言いがかりというべきであったが、事はすでに終わっており、いかんともしがたかった。
王は、顔を紫色にして、ひと言も発せずに席を立ったという。
だが、当時、少しちがう噂も流れた。
その男の次男である少年の屍体を検分した者が、本人のように思うが、少し面差しがちがうようにも思われる、と述べたというのである。
男の友人であった貴族が、身代わりを立てて少年を助け、かくまっているのではないか、と憶測する者もいた。
前ギルド長は、その次男なる少年が生き延びたことをほとんど確信していた。
4
この家宰こそが、その生き延びた次男ではないか。
ヴァルド家の族滅は王国歴千二十四年、つまり五十五年前のことである。この家宰の年齢とも合致する。
もちろんこれはローガンの直感にすぎず、何の根拠もない。
ただ、目の前の人物の心胆がどこに置かれているか、つかめたような気がした。
家宰に守られるように入室して来たのは、五、六歳の美童である。
(この少年が、ユリウス・ツェルガーか)
ツェルガーというのは特殊な家名で、王宮の貴族台帳には明記されているのに、実際にはそんな名の貴族は王国のどこにも住んでおらず、生活もしていない。
この少年には何か別の本来の家名があるはずだ。
栗色の髪に、水色の瞳。
派手ではないが、きわめて上質な衣服。
あどけなさと凛々しさが同居する、とてつもない美少年である。
家宰の態度は、この少年が家宰の随行なのではなく、逆であると語っている。
しばしのまを置いたが、幼い貴紳の紹介はない。
今は名乗りたくないということか、と判断して、二人にソファーを勧めた。
家宰は、少年を座らせてから、自分もその横に座った。
「ローガン殿も座られるがよい」
「は。ありがとうございます」
(本物の貴族ってやつに、久々にお目にかかったわい)
ローガンは、いささかならぬ緊張を強いられている。
事務長が二人の女性職員を連れて入室してきた。
女性職員が持っているのは、客の外套と帽子であろう。
小憎らしいほど落ち着いた所作で、事務長は手ずから外套と帽子をラックに懸けると、職員を従えて部屋を出て行こうとした。
「事務長。わしが声をかけるまで、この階には誰も来ないようにしてくれ」
事務長は、ローガンのほうに視線を送ると、了承のしるしにうなずき、無言のままドアの前で深くお辞儀をして、姿を消した。まことに礼法に適った所作である。
(くそ。お前は、どこの貴族家の執事様だ)
と心で毒づきながらも、いつもはからかいの対象でしかない事務長の育ちのよさに、ちょっぴり感謝した。
実のところ、事務長のイアドールは、かなり大きな貴族家に仕えていたし、本人ももとは貴族である。事情があって冒険者ギルドに受け入れたのだ。
人の気配が去ってから、メルクリウス家の家宰は口を開いた。
「ミケーヌ冒険者ギルド長ローガン殿。先ぶれもなく突然に訪ね、相すまぬ。相談の議があって参った。その前にユリウス様をご紹介せねばならぬ。先ほどは、母方の家名を名乗られた。かの家は、母上様よりユリウス様が相続なされたものである」
物言いが丁寧なのにとまどいながら、ローガンは家宰の言葉を聞いていた。
(あの家名を母親から受け継いだだと?)
(とすると、その母親とは、つまり……)
「しかし、ユリウス様の本来の聖なる責務は、始祖王に付き従いし二十四家の一つ、光輝あるメルクリウス家のもとにある。ユリウス様は、父君にして現当主たるパーシヴァル・コン・ド・ラ・メルクリウス・モトゥス様の、正当にして正規の後嗣であられる」
(後嗣?)
(父君?)
(ということは……)
「天剣に息子がっ? というか、結婚してたのかっっ?」
思わず叫んだあとで、自分がどれほどの不作法をしでかしたかに気づき、ローガンの顔面は蒼白になった。
「こ、これは、まことに失礼をしましたっ。ひらにご容赦をっ」
応接テーブルに頭をこすりつけるローガンに、家宰は笑顔を向けた。
「ローガン殿。かしこまるには及ばぬ。貴族には貴族の作法があるが、冒険者には冒険者の作法があろう。まして、ここは冒険者の城にもひとしい。われらは、そこに足を踏み入れた部外者に過ぎぬ。それに」
言葉を探して、家宰は話を続けた。
「冒険者ギルドは、冒険者たるパーシヴァル様にとり、庇護者にして支援者。わけてもローガン殿には、特段のご厚配を受けたと聞き及ぶ。パーシヴァル様は常々、ミケーヌのギルドは居心地がよい、と仰せであった。あれほどの放浪癖の持ち主が、ミケーヌで過ごされることが多かったのは、ここの迷宮とローガン殿のおかげと、当家では感謝いたしておる。ミケーヌで過ごすあいだは当家に戻られたゆえ」
家宰の横でユリウスが、きらきらした目でローガンをみている。
(お願いだから、そんな目でみないでくれ)
「わがあるじは、七日前に屋敷を出て、サザードン迷宮に入られた。九十四階層近辺を探索されるとうかがった。補給品は充分に準備なされたが、長くとも十日程度のご予定であった」
異常な日程である。普通なら十日では九十四階層にたどり着くのがやっとで、探索する時間も帰還する時間もない。
この異様な移動時間の短さについて聞いたとき、天剣は、姿と気配を消し去るアイテムと走行速度を飛躍的に高めるアイテムを使用しているといった。どんな恩寵品であるのかまでは教えてくれなかったが。
「パーシヴァル様は、水晶球に命の波動を記録なさっておられた。その水晶球を収めた箱の鍵をあけ、日に一度か二度水晶球をごらんになるのが、ユリウス様のご日課であった。昨日の朝は異常がなかった。だが午後には水晶球の光が失われておった」
ユリウスの顔が悲しげにゆがむ。
ローガンの胸も痛んだ。
「パーシヴァル様は、常に仰せであった。迷宮に入るからには、いつ命を落とすやもしれぬ。迷宮で死ねば亡きがらも残らぬ。この水晶球の光が失われたときには、水晶球とわが書状を証しとして、ただちに死亡を届け出よ。しかしてユリウスに家と身分を継がせよと」
ユリウスが、必死に涙をこらえている。
(昨日、水晶球をみたときは、ショックだったろうなあ)
(一日泣いて過ごしたんだろうかなあ)
「ローガン殿。わがあるじの消息につきご存じのことあらば、お教えねがいたい」
「家宰様。実は、ちょうど書状をお届けするところだったんで。少しお待ちを」
ローガンはコールチャイムを鳴らした。
チャイムの音が消える前に下の階から事務長が上がってきた。
澄ました顔をして、手に盆を捧げ持っている。
事務長の後ろには、お茶を持った事務員が続いている。
事務長が持って来たのは、メルクリウス家宛の報告書簡と、拾得アイテムのリスト、アイテムの扱いについての規則の写しだった。
ご丁寧に、受領証と、署名するためのペンまで添えられている。
(なんでこんなに準備がいいんだよっ!)
(それに、なんでそのお茶、煎れ立てなんだよっ!)
事務長は、家宰が署名した受領証を受け取り、正しい順序でお茶を並べ、すうっと部屋を出て行った。立て付けのよくないはずのドアを無音で閉めて。
家宰は、無言で書類を読み進めた。
ふと気づいたように、ユリウスにお茶を口にするよう、しぐさでうながす。
ユリウスも心得たもので、カップを口に運ぶと、くちびるにふれさせ、そのままソーサーに戻した。
これで、ほかの二人もお茶を飲むことができる。
ローガンは、ありがたく喉をうるおした。
そして、仕事机に置いてあったリストの写しを読み始めた。
家宰は、リストに何やら印を付けたあと、書類を応接テーブルに戻し、目を閉じて、しばらく考え事をしていたが、やがて目を開いてユリウスのほうをみた。
「ユリウス様。パーシヴァル様の遺品が、昨日サザードン迷宮六階層で、通りかかった冒険者に発見されました。現在は当ギルドに保管されております」
ユリウスは、うなずいた。
「ローガン殿。遺品の何点かを買い戻したい」
ローガンは、天剣の恩寵職がなぜ冒険者だったんだろう、と理不尽な怒りを覚えた。
恩寵職に騎士を選択すれば、〈ザック〉ではなく、〈ルーム〉が持てる。
〈ルーム〉なら共有や相続が可能であり、今回のようなことにはならなかった。
とはいえ、〈マップ〉をはじめ、ソロで冒険者をするのに必要なスキルを多く取得できるのは、やはり冒険者である。取り回しのよさでは、〈ザック〉は〈ルーム〉に優っている。
ユリウスと家宰を交互にみながら、申し訳なさそうに謝った。
「これが世のなか一般のことであれば、遺品というものは、一も二もなく遺族のもんです。まあ、遺言とかで、遺贈先を指定していなければですがな。ところが、迷宮ではルールがちがうんです」
乾いた喉を茶で湿して言葉を継いだ。
「迷宮で死んだ人間の遺品は、拾った者とギルドの物になります。たとえ遺言があっても、迷宮で拾われた物には適用されんのです。ですから、ふつう迷宮にはあまり高価な財産は持ち込みません。あれほどの財産が、突然他人のものになってしまうなんて、さぞお腹立ちのことでしょうが、どうかご理解ください」
「それは、よくわかっておる。国法にも認められた迷宮固有の決まりであり、なぜそのようになったかも理解しておる。財産が奪われたなどとは思わぬ。また、この程度は、当家の財政に影響は与えぬ。さらにいえば、パーシヴァル様は、武具にしても法具にしても、最上のものは、ユリウス様に取り置いておられる。貴重な品は迷宮には持ち込まれなかった。ただ、五点だけ例外がある」
家宰は、お茶を一口飲んで話を続けた。
「その五点は、いずれも恩寵品であり、パーシヴァル様の冒険に、あまりにも有用であった。その五品は、当家にとり格別の意味がある。ローガン殿」
家宰は、目に力を込めて、ローガンの目をみすえた。
「パーシヴァル様は、貴殿のことを、高い見識を持つ人格者であると仰せであった。貴殿をみこんで腹を打ち割った話をしたい」
(天剣)
(あんた、わしと誰かを間違えて伝えてないか?)
そう思いながらも、ローガンはうなずくほかなかった。
「まずは、このリストに印を付けた三点を買い戻したい」
ローガンは、家宰が印を付けたリストをみた。
ライカの指輪
エンデの盾
ボルトンの護符
いずれも聞いたことのない名であるが、リストによれば三点とも恩寵アイテムである。そして恩寵の内容は不明となっている。ギルドの鑑定師では歯が立たないほど高位の恩寵品なのだ。
「わかりました。買い戻しについてはご遺族に優先権があります。問題ありませんな。ただ値段のほうは、これから査定をせねばはっきりしません」
「費用はいくらかかってもかまわぬ。さて、問題はここからなのだ」
会話をしながら、ローガンは、あることに気がついた。
あのアイテムが、一覧表に含まれていない。
天剣が持っていたにちがいない、あの有名な腕輪が。
「パーシヴァル様が所持しておられた品で、このリストにない品があるとしたら、それはどういうことであろうか。これには、アレストラの腕輪と、カルダンの短剣が含まれておらぬ」
5
「ローガン殿。パーシヴァル様は、自分が迷宮で死んでも殺した相手を恨んではならぬ、と仰せられていた。自分は好んで迷宮に行くのであり、戦いの一つ一つは自分にとり名誉ある決闘であると。力及ばず倒れたとしても本望であり、決して恨みや憎しみをわが子に伝えてはならぬ。そう何度もそれがしに念を押された。であるからパーシヴァル様が亡くなられた原因やようすを調べようとは思わぬ」
(迷宮のモンスター討伐が〈決闘〉とは)
(いかにも天剣らしい言いぐさだな)
「だが、このままでは、ユリウス様が跡をお継ぎになることができぬ。当主就任と身分継承は問題なく認められるであろう。認められたあとが問題だ」
「ユリウス様のお母上様が、国王陛下におとりなしを願われても、かなわないようなことなんですかい?」
家宰は、少し目をむいてローガンをみた。
「これは驚いた。あの家名を知っておったか」
「先代国王陛下の第二王妃様がご実家から受け継がれた従属家名かと。第二王妃様のお母上様が、時折お忍びで外出されたときなどにお使いであったと側聞いたしております」
「ううむ。冒険者ギルド長の情報と記憶とは、すさまじいな」
実のところ、このミケーヌの冒険者ギルドが特殊なのだ。
というより前ギルド長が特殊だったのだ。
「パーシヴァル様と奥様とは、秘密婚をなされた。ご結婚そのものは正式であるが、奥様が有される尊貴な血統と特権がお子様の災いとならぬようにされたのである」
王家の姫と秘密に婚姻するというのは驚くべき話だが、ローガンは先代国王の第二王妃に関する情報からすれば無理もないことだと納得した。
「ゆえあって内分に願いたいが、聖上には、ことのほかこの結婚を寿がれてある」
世間では、現国王は先王の第二王妃をきらっていたといわれている。ところが今家宰は、先王の第二王妃の娘の結婚を現国王が喜んでいると言った。しかもそれを内緒にしてほしいと言った。理由があるにちがいない。
「されば当主就任の勅許と身分継承のご沙汰については問題ないと申した。問題は、そのあとにある。家名継承と襲爵にあたっては、参内して聖上への拝謁を乞わねばならぬ。当家当主は、その際かの腕輪を身に着ける慣例なのだ」
(そうだった!)
(メルクリウス家の当主が代替わりするときには)
(アレストラの腕輪を腕にはめて参内するんだった)
「そして、聖上は腕輪を手に取り、始祖王と初代当主の君臣の契りをお賛えになる。ただの慣例ではあるが、腕輪が紛失したということになると当家は体面を失う」
アレストラの腕輪は他国にもそれと知られた秘宝だ。しかも女神ファラから始祖王に授けられ、始祖王がメルクリウス家初代に下賜した神宝だ。紛失したなどということになれば、体面を失うどころではない。メルクリウス家の存立に関わる。
「したがって、腕輪が戻るまでは、パーシヴァル様のご逝去を届け出、ユリウス様への代替わりを願出することはできぬ。カルダンの短剣については、みつからねば、当面は諦めてまた時を待つこともできる。アレストラの腕輪については、そうはいかぬのだ」
今度は、ローガンが考え込む番だった。
ややあって、ローガンは口を開いた。
「順番に考えていきましょう。ドロップアイテムがみつかったのは、六階層の階段近くです。わりと人通りの多い場所ですが、パーシヴァル様の目撃情報はありません。だからここにパーシヴァル様が長くとどまっておられたわけではない、と考えられます。おそらくパーシヴァル様は、深い階層で探索を続け、それが終わったあと出口を目指して迷宮を上り、六階層で命を落とされたんでしょう。すると、腕輪と短剣は六階層に上がった時点ではどうなっていたか、という点がまず問題になります」
「ふむ。その通りではあるが、生きているパーシヴァル様から、あの貴重なる二品を奪うのは無理であろう。紛失するような品でもない。格別な恩寵が込められた品であるから、破損して消滅したとも考えにくい」
「わしもそう思います。一覧表をみると、高性能の回復アイテムも多数残っとります。深い階層で傷や毒を受けたとしても、それは回復できたわけです。すると、やはり六階層で、命を落とされるような出来事があったのです。そのとき、あるいは、そのあとに誰かが持ち去った、という線をまずは考えるべきでしょうな」
結論は正しかったが、ローガンの知らないこともあった。
パーシヴァルは、修業の効果を上げるため、できるだけ回復アイテムを用いない。
同じ理由で、四十九階層より上の階層を駆け抜けるときには、わざわざ体力と能力が低下するブーツを着用していた。
ミノタウロスと遭遇したときには、体力も気力も絞り尽くし、本来の能力が抑制された状態だったのである。
「そうであろうな。非礼を承知で訊ねるが、拾得者はすべての物品をギルドに提出したであろうか」
「はい。提出しとります。少なくとも本人たちはそう思っとりますな。ところで、もちろん二つのアイテムには、所有印がほどこしてありましたでしょうな?」
「然り」
「おそらく、最上級の刻印なのでしょうな?」
「然り。最上級の刻印であり、呼び戻しの魔術もかけてある。取り戻したい五品すべて、そのようにしてある。ふむ。貴殿の次の質問への答えも然りである。すでに昨日刻印術師を呼び、探索の術をほどこさせた。夕刻になり反応が出始めたが、問題の二品のみ反応がなかった。監視を続けさせたところ、物品がここに持ち込まれたようであった。そこで、出向いてきたのである」
(食えない男だ)
(あらかじめそこまでの情報は押さえてやがったのか)
(しかもそれを隠してやがった)
(それにしても、呼び戻しの魔法までけてあるとは)
アイテムと同じ重さの聖銀を使いつぶしにする術であり、効果は長くて一年ぐらいだといわれている。
(切れるたびにかけ直すんだろうなあ)
(かけ直すときには、現物はなくてもいいらしいが)
(家柄のわりには金持ちでないと聞いてるが、やはりけたがちがうわい)
「ということは、腕輪と短剣はまだサザードン迷宮のなかにあるのですな」
ローガンはそれほど刻印術にくわしくはないが、迷宮の外からなかを探査できないというのは、広く知られた事実である。
「そうとしか考えられぬ」
「なるほど。ところで、拾得物提出については、トラブルを避けるため、本人の許可を得て、虚偽判定の魔法をかけながら、いくつか所定の質問をするんです。そのなかに、拾得した品は全部提出したか、というのがあります。十九人全員について確認が取れとります。ですから、拾得者たちが、迷宮内に腕輪や短剣を隠匿しているということはありませんわい」
「ほう。なるほど」
「所定の質問のなかには、もとの持ち主の死に関与していないか、また関与した者に心当たりはないか、というのも含まれております。こちらについても、十九人全員、パーシヴァル様の死因については、まったく心当たりがないことが確認されとります」
「うむ」
「次に、通りがかりの第三者が腕輪と短剣を持ち去ったという可能性も、考慮の外に置いてよいでしょうな。もとの持ち主を害していないんなら、ギルドに堂々と持ち込んで現物か対価を得られるんですからな。まあ、現金や高価な消耗品などが残されとりますから、強盗にせよ、火事場泥棒にせよ、単なる利益目的のはずがありませんわい」
「さようか。では、残る可能性は何か」
「まず、拾得者たちがみおとしたか、途中で落としたということが考えられます。この場合、一階層から六階層までのどこかにあることになりますな。次に、拾得者たちより早く、モンスターがアイテムを持ち去ったということも、考えられなくはありません。武器や光る物に興味を示すことがありますからな」
「それは思いつかなんだ」
「この場合、アイテムは六階層にありましょう。モンスターは、階層を越えてアイテムを運ぶことはできませんからな。次に、おそれ入る申し条ではございますが、メルクリウス家に害をなさんとする者が、パーシヴァル様を罠にかけて二品を奪い、迷宮のどこかに隠したか、持ったまま今も隠れているという可能性です」
家宰の目が、厳しい光を帯びた。
「パーシヴァル様が亡くなられたことが知れ渡り、若様が跡継ぎの願いを出さないわけにはいかなくなるまで待ち、お家を窮地に追い込むなり、あるいは条件つきで腕輪を返す、というような筋書きになるかと思います。しかしこれは、どうもありそうであり得ない可能性かと思えますんです」
「ほう。貴殿の洞察に感嘆しておったのだが、その可能性があり得ないのはなぜか」
「迷宮というのは、どんなに経験豊かな冒険者がバランスのよいパーティーを組んでたっぷりの消耗品を準備したとしても、長期間潜伏できるような場所じゃありませんわい。まして人にみつからんように隠れるなど、とても無理です」
「ふむ。〈竜殺し〉を二度も成し遂げた貴殿が言うのだ。その通りなのであろうな」
「かといって、迷宮から持ち出すわけにもいかんでしょう。これほどのお品なら、最上級の刻印があることは当然です。つまり〈ザック〉に入れても隠せない。迷宮を出たとたん発見されてしまう。こちらのすきを突いて迷宮を出て、すぐにほかの迷宮に入ったとでもいうなら別ですが」
「それはない。二人の刻印術師によって常時監視しておる」
「行き届いたお手配りでいらっしゃる。地上に出たが最後、たとえ移動の魔術で大陸の端まで逃げたとしても、優秀な刻印術師なら探知できますな。そこまでは相手にもわかっとるはずです。ただし呼び戻しの術までかけてあることは知らないかもしれませんな。とすると手に入れた腕輪で何かをしでかすつもりかも……いや、それは無理でしたな」
「さよう。あの腕輪には、女神により特殊な制限がかけられておる。当家の当主か、当主が心から認めた者にしか、効果を発動できぬ」
「え? 後半部分については、はじめて聞きましたわい。まあ、いずれにしても、他人に使えないことは広く知られとりますからな。所有印の履歴は消せませんから、売ることもできん」
「うむ」
「ほかにたくさん高価で優れたアイテムがあるのを無視して、使うことも売ることもできない品だけを持って、やがて発見されるに決まっているのに、迷宮に隠れ続けているというのは、不自然すぎます。どう考えても利口なやつのすることじゃない」
まあ、お貴族様ってのは、とても利口とはいえないことを、しょっちゅうなさいますがね、と心のなかで付け加えた。家宰も同じことを考えていたと知ったら、ローガンは大声で笑ったろう。
「すると、どうなるのか」
「今回のことについて、真相はこうだったんだろうという予測は今は立たんということです。だから、いろいろの小さな可能性を念頭に置いて、一つ一つつぶしていかなくちゃならんと思います」
「そのいろいろの可能性というのを整理してみていただけるか」
「まず、パーシヴァル様が、深い階層で想定外に強力なモンスターの集団がいる所で腕輪を落としなすったが、独力では取り戻しにくいので、いったん上に上がってこられて、何か異常な出来事で命を落とされたというような可能性です。この場合、九十階層台にお品があると考えられます」
「ふむ。それから」
「誰かがお品を持って隠れている可能性です。この場合、できるだけ深い階層に逃げるでしょうな」
「なるほど。そうであろうな」
「それから、パーシヴァル様が六階層で命を落とされたあと、モンスターが持ち去ったか、拾得者たちが途中で落としたという可能性です。この場合は、一階層から六階層のあいだにお品があることになります」
「うむ」
「あと、これはほとんどないような可能性ですが、お品を持ち去った者が、ここの迷宮からよその迷宮に直接瞬間移動して、今もそちらに潜伏しているかもしれません」
「なに? 迷宮から迷宮に瞬間移動することなぞ不可能であろう」
「不可能じゃあありません。できる魔法使いを知っとります」
「なんと」
「ほかに同じことができる魔法使いがいるという話は知りません。しかし、一人目がいる以上、二人目が出てこんとはいえません」
「ううむ」
ここまで事態を整理してみて、まず何をすべきかがはっきりした。
刻印術師を連れて六階層まで降りてみるべきである。
迷宮の外から迷宮のなかを探査することはできないが、迷宮一階層に行けば一階層内の探知ができるし、二階層に行けば二階層内の探知ができる。
「その二人の刻印術師殿は、今どちらに?」
「一人は当家で休息中である。もう一人は馬車のなかで待たせておる」
「ご用意が行き届いておられる」
では、すぐに迷宮に参りましょうと言いかけて、ローガンは思い出した。
今、迷宮で起きている事態について。
「家宰様。今度はこちらの事情をご説明いたします」
ローガンは、奇妙なミノタウロスのことを話した。そして、三人の冒険者とパーシヴァルの死の謎を解くべくギル・リンクスが探索に出ていることなどを説明した。
それに続く家宰の沈黙は、かなり長いものとなった。
そして口を開いたとき発した言葉は、ローガンの予想した通りの内容だった。
「ローガン殿。ギル・リンクス師がご探索中となれば、まずはそのご帰還を待つべきとは存ずる。しかし、勝手を申すが、まずは刻印術師を伴い六階層までを調べてみたい。この点の許しと案内人の手配を頼めまいか」
「そうおっしゃると思っとりました。ギルドには、迷宮に入っていいとかいけないとか決める権利はありません。冒険者以外の人間に対してはなおさらです。案内兼護衛については、ここにちょうどよいSクラス冒険者がおりますぞ」
ローガンは、自分を指して、にやりと笑った。
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