第6話 強襲
1
再び十階層から上昇をはじめたミノタウロスは、九階層、八階層、七階層、六階層をまたたくまに通り過ぎ、五階層に入った。
五階層のモンスターは、人間がコボルトと呼ぶモンスターだ。
ミノタウロスの三分の一ほどの身長しかなく、白っぽい毛に覆われていて、ちょこまかと動き回る。逃げまどうコボルトを蹴散らしながら、ミノタウロスは四階層に上がった。
四階層で上への階段を探し始めたとき、いきなり前方の闇のなかから魔法攻撃を受けた。
ちょうど心臓のあたりに着弾して、体ははじき飛ばされ、ひっくり返る。
直感が、倒れかかる体を左にひねらせた。
すぐ右を光弾が走り抜け、地面に当たって爆発した。
体をひねっていなかったら、致命傷を受けていたところである。
倒れつつ体を回転させ、ごろごろと転がり、身をよじって上半身を起こした。
起き上がる頭部を狙い澄ましたように、光の蛇をねじり合わせたような魔法が伸びてくる。
顔をひねってかわそうとする。
光の槍は、噛みつくように右頬をとらえた。
右頬は吹き飛ばされ、右目の視界は奪われる。
激しい耳鳴りがする。
だが、ミノタウロスの知能は、今が反撃の好機であると判断した。
これほど威力の高い魔法を三連続で放ったのだから、ここで空白の時間が生まれる。
そう考えて前方に駆け出した。
すかさず雷撃が飛んで来る。
胸の中央に突き刺さり、大きな火花が上がる。
巨体が吹き飛ばされる。
ミノタウロスは、全身と脳髄がしびれるのを感じながら、それでも岩陰に転がり込んだ。
胸は焼けただれ、強烈な痛みが走る。
収納庫から三本の赤ポーションを出し、一気にあおる。
傷が癒やされていく。
顔を突き出して、ようすをうかがう。
相手は、近づきも遠ざかりもせず、通路のまんなかに悠然と立っている。
全身を厚手の布の服で包んでいる。
目、鼻、口を残して、顔も頭巾で覆われている。
特殊な防御効果を持つ服であろう。
頭巾で覆われてみにくいが、顔には幾筋ものしわが刻まれ、白い口ひげと顎ひげを生やしている。人間がその姿をみたなら、相手は老人であり、しかもかなりの高齢であると判断しただろう。
ただし、迷宮のモンスターは成体として生じ、そのままで死んでゆくのだから、ミノタウロスは若さも老いも理解しない。ただそういう相手だと思っただけのことである。
指でこちらをさす。
火炎弾が飛んで来た。
呪文の詠唱もなく。
こいつは、前の魔法使いとは全然ちがう。
ミノタウロスは、そう思いながら、岩陰に頭を引っ込めた。
ところが、軌道を変えた火炎弾に腹部を直撃された。
この敵は、魔法攻撃を曲げることができるのである。
はみ出す臓物を左手で押さえながら、右手で赤ポーションをいくつかつかみ出して、容れ物ごとかみ砕いて飲み込む。
光の槍が立て続けに飛んできて、隠れていた岩を完全に破壊した。
この魔法使いの攻撃は、一撃一撃が致命的な威力を持っている。
しかも、その強力な攻撃を休みもなく続けて撃ってくる。
ミノタウロスは、何度も殺されかけながら、次々と遮蔽物を変え、勝機を探った。
何度か岩や石礫を飛ばしたが、敵の体にふれる前に、じゅっと音を立てて消滅した。
しばらくそんなことを繰り返したあと、魔法使いは両手に雷球をまとって、ふわりと飛び上がった。
飛べるのか!
すさまじい速度で洞窟内を飛行し、ミノタウロスの背後に回り込むと、右手の雷球で頭を攻撃してきた。
とっさに体をひねり、向き直りざまに右手の斧で切りつける。
だが、必死の反撃は、かすりもしない。
魔法使いの攻撃は、ミノタウロスの左角と左側頭部を削り取り、後ろの岩をえぐった。
ミノタウロスは、しゃにむに斧の攻撃を繰り返したが、魔法使いは宙に浮いたまま、距離を取りもせず、余裕を持って、すべてかわす。
魔法使いが、右手の雷球で攻撃した。
ミノタウロスの左手首の先が、斧ごと消えてなくなる。
魔法使いが、左手の雷球で攻撃した。
ミノタウロスの右手に持った斧が蒸発する。
武器をなくした魔獣は、収納庫から獲物を取り出そうとした。
何かこいつを殴れる物を。
つかんだのは、あの剣士が残した腕輪だった。
後ろの岩を蹴って飛びかかり、腕輪を魔法使いの額にたたきつけた。
だが一瞬早く、魔法使いは左手を顔の前にかざす。
雷球をまとったまま。
ミノタウロスの右手は、その雷球に吸い込まれて溶け去るほかない。
だが、そうはならなかった。
当たるとみえた瞬間、雷球が消えた。
腕輪に吸い込まれるように。
腕輪は、魔法使いの左手ごと額を打ちすえた。
手が砕け、頭が割れる音がした。
飛びかかった勢いのまま、ミノタウロスは、手首から先のない左手を大きく伸ばして旋回させ、魔法使いの胸にたたきつけた。
魔法使いの体は宙を飛んで後ろの岩にぶつかり、跳ね返って、うつぶせに岩の床に横たわった。
まだだ。
まだ、こいつは死んでいない。
両手の雷球は消えていたが、魔法使いにはまだ復活と反撃の力がある、と直感がミノタウロスに教えた。
間髪を入れず飛びかかり、腕輪で魔法使いの後頭部を打ちすえる。
魔法使いの頭はぐしゃっとつぶれ、頭巾の下で脳漿が飛び散る。
そのとき、魔法使いの右手にはめた指輪の血のように赤い宝玉が光った。
ミノタウロスは、反射的に腕輪を顔の前に引き戻す。
指輪から赤く細い光が放たれた。
そして腕輪に吸い込まれた。
何かはわからないが、自動的に発動する魔法攻撃で、しかもたぶん致命的な威力を持っていた。
ミノタウロスは、腕輪で魔法使いの心臓をたたきつぶした。
体の至る所を殴りつけた。
全身がぐじゃぐじゃにつぶれるまで、殴り続けた。
不思議なことに、どれほど打撃を加えても、魔法使いの服は破れなかった。
びちびちっ、という音がする。
振り返ったミノタウロスは、魔法使いの左足をみて、愕然とした。
つぶしたはずの足が、ふくらみを取り戻し、勢いよく痙攣している。
その次には、ぷくりと胸がふくらみ、脈動を始める。
体のあちこちが、生まれたての小さな命であるかのように、うごめき始める。
魔法使いの全身が、命を取り戻そうと、あがいているのである。
どこだ。
こいつの生命力のみなもとは、どこにある。
ミノタウロスは、ふと気づいた。
指輪をはめた右手。
ここは、たたきつけてもつぶれていない。
指輪は、まるで心臓の鼓動のように、赤く、黒く、明滅している。
ミノタウロスは、有効な武器を求めて、左肩の上の空間に右手を差し入れた。
指先にふれたものがある。
あの剣士が残した短剣だと、すぐに思い当たった。
短剣を取り出すと、魔法使いの指輪をはめた指に突き立てた。
指輪は指ごと切り離され、勢いよく飛んでいった。
同時に、体のあちこちで起きていた脈動は止まり、全身は、ぐったりとなった。
安心しかけたミノタウロスの鼻が、何やら焦げ臭い匂いをとらえた。
魔法使いの胸から、黒い煙が出ている。
不気味な生き物のような形に焦げ目が広がる。
その形は、人のようでもあり、獣のようでもある。
焦げ目から勢いよく黒煙が立ち上り、不吉で邪悪な妖魔が現れた。
すさまじい悪意と、強大な魔力を発している。
妖魔が、手とも触手ともつかぬ物を、ミノタウロスの頭部に伸ばしてくる。
ミノタウロスは、傷ついた左手で、それを防ごうとする。
あっというまに左手の肘から先が腐り落ちた。
ミノタウロスは、右手に持った短剣を妖魔の体のまんなかに突き込んだ。
右手が激しく痛み、指が溶けていくのがわかったが、かまわず短剣をねじり込んだ。
「ギシャアアアアアアアッ」
叫び声を上げ、怪物が苦しんでいる。
短剣が、淡い緑の燐光を放っている。
突然、妖魔は霧のように空気に溶けて消えた。
同時に魔法使いの体も消えた。
あとには驚くほどたくさんのアイテムが残された。
ミノタウロスは、岩の上に大の字に横たわった。
激しい痛みが体を襲う。
またも体が造り替えられている。
すさまじいまでのレベルアップが始まったのである。
痛みが治まり、すべての傷は癒やされた。
失った指も、腕も、角も、頬も、修復されている。
ミノタウロスは、自分がとてつもなく強靱になっていることを感じた。
しばらく休んだあと、起き上がった。
魔法使いが残したアイテムは、残らず収納庫に入れた。
成長にともない、収納庫の容量は飛躍的に増加していた。
今度は服も残ったので、それも拾った。
これほどの強敵を倒した証しを、ひとかけらも残すことは許されない。
それにしても、何という敵であったことか。
広い場所であれば殺されていた。
あの腕輪がなければ殺されていた。
あの短剣がなければ殺されていた。
赤ポーションがなければ殺されていた。
ここまでに力と経験を蓄えていなければ殺されていた。
人間とは、すごいものだ。
あそこまでになれるのだ。
ならば、俺も、まだまだ強くなれる。
体は疲れ切っていたが、気持ちは高ぶっていた。
2
充分に休憩を取ったあと、ミノタウロスは再び階段を探して上っていった。
武器は右手に持つ小さなナイフだけである。斧は二本とも魔法使いとの戦いで失われてしまった。左手に持つ腕輪もとても頑丈だから、武器といえなくもない。
何度か人間と出遭ったが、相手は逃げるばかりで、戦闘にはならない。
直感は、ここが最上階層だと教えている。
ここに別世界への入り口がある。
ミノタウロスは、迷宮のしくみを振り返った。
各階層は、回廊と部屋でできている。
各階層のモンスターは、その階層にしかおらず、他の階層に行くことはない。
モンスターは、回廊をうろつくこともあれば、部屋にいることもある。
モンスターによって、どちらか片方を好むようだ。
各階層には、ボスモンスターが一体だけ出現する。
ボスモンスターは決まった部屋にいる。
モンスターも、ボスモンスターも、殺されたあと、しばらくすると湧いてくる。
各階層には、階段が、それぞれ二か所ある。
一つの階段は、上の階層につながり、一つの階層は、下の階層につながっている。
上の階層ほど、モンスターは弱い。
考えながら歩いているうちに、今までになく明るい光が差し込んでいる部屋があった。
あそこだ。
あそこに、強い光があふれている。
あの向こうに、やつが目指していた世界がある。
それはたぶん、ミノタウロスの知る世界とは別の世界だ。
その部屋に、ミノタウロスは足を踏み入れた。
そのとき目に入ったのは、ちゅうちゅう鳴くちっぽけなモンスターに、ずいぶんちっぽけな人間がとどめを刺すところだった。
ほかの人間がその場にいれば、どうしてこんなこどもが迷宮にいるのかと驚いたことだろう。
その少年は、モンスターを倒したときに現れた銅貨を大事そうに拾い、腰の袋に入れた。
そして、顔を上げて、ミノタウロスに気づいた。
部屋はかなり広く、あちこちで、ちゅうちゅう鳴くちっぽけなモンスターが走り回っている。しかし、少年のほうを攻撃するようでもない。
このモンスターは、相手から敵意を向けられないかぎり自分からは攻撃しないのだ。
部屋の端には、短い横穴があり、そこから、まぶしい光が差し込んでいる。
あそこだ。
あそこが、別世界への入り口だ。
ミノタウロスは、ふと目線を下ろして、驚いた。
少年がいた。
泣きも、へたり込みもしていない。
こちらをにらみつけ、武器を構えている。
武器といっても、ごくお粗末なナイフである。
この少年からすれば、このナイフは、大きな斧のように感じられるだろう。
だがミノタウロスからみれば、それは小さなとげにすぎない。
なぜ逃げないのだろう。
弱き者は、すぐ逃げるものなのに。
お前は決して、俺に勝てないのに。
ミノタウロスは、あらためて、その小さな人間をみつめた。
傷だらけである。
顔も、むき出しの腕も、ぼろきれをくくりつけた足も。
粗末な服も、いたる所が破れ、血がにじんでいる。
ここのちっぽけなモンスターも、この少年にとっては強敵なのであろう。
顔に飛びつかれ、体にまとわりつかれ、手や足をかじられ、戦ってきたのだろう。
何のために?
おそらくは、あの小さな茶色の、丸い金属のために。
それにしても、いい目だ、とミノタウロスは考えて、突然理解した。
そうだ。
同じ目だ。
やつと同じ目だ。
あの剣士と、同じ目だ。
戦う者の目だ。
思わず、ミノタウロスは右手に握った短剣を振り上げていた。
すると、いよいよ驚いたことに、少年は走り寄って来る。
走りながら、腰だめにナイフを構えると、腰を回して武器をミノタウロスの左足に打ち込んできたのである。
あきれるほど、遅い動作だ。
信じられないほど、重さに欠ける打撃だ。
こんなもので、本当に俺と戦うつもりなのか。
だが、弱々しくはない。
その剣尖の軌跡は、美しささえ感じさせた。
ミノタウロスが、あきれながらみるうちに、少年の剣は牛頭の怪物のくるぶしのすぐ上に当たり、そして、食い込んだ。
食い込んだ、どころではない。
刃幅の半ばが、足の筋肉に食い込んだ。
残りの半分は体毛で隠され、ナイフの刃全体が巨獣の足に吸い込まれたようにみえる。
ミノタウロスは驚愕した。
自分の強靱な肉体を、この貧相な武器が傷つけるとは。
いったい何が起こったのか。
そのとき、ミノタウロスは、足に妙な気配を感じた。
みると、少年がずりずりと崩れ落ちていた。
ミノタウロスは、思考が麻痺したまま、しばらく動かなかった。
すると、すうすうという寝息が、少年から聞こえてきた。
そうか、この少年は。
先ほどの一撃で、残された気力と体力を使い果たしたのだ。
そして、気を失い、俺の左足の五本の指を寝床にして、今眠っているのだ。
ミノタウロスは、少年を抱き上げ、岩の上に寝かせた。
左足に食い込んだままのナイフを足から抜き、少年のかたわらに置いた。
この少年は、力も技も、まともな武器も持たない。
だが、先ほどは、すばらしい攻撃をみせた。
戦いを重ねれば強くなり、やがて好敵手として俺を楽しませてくれるにちがいない。
若さも老いも理解しないミノタウロスだが、成長ということはわかる。自分自身、敵を倒して成長した。この小さな人間は、成長する前の段階なのだ。これからおそるべき成長ぶりをみせるのだ。
いつか成長したこの少年と戦えると、ミノタウロスは予感した。
その日のために、自分はまだまだ強くならねばならない。
その予感は、確信に近い思いとなって、ミノタウロスの胸に降りてきた。
それにしても、今、俺は勝ったのか、負けたのか?
この少年は、勝ったのか、負けたのか?
しばらく考えたが、結論は出なかった。
間違いないのは、この少年が、よい戦いをしたということである。
よい戦いは報われねばならない。
ミノタウロスは、左手に持っていた腕輪を少年の胸の上に置いた。
それから顔を上げて、出口の明かりをみた。
あの向こうには、この少年の世界がある。
だが、あの、やたらまぶしい光をみていると、あのなかには踏み込みたくない、という思いが強くなる。
あれは、俺の住むべき世界ではない。
あそこは俺を喜ばず、俺もあそこを喜ばないだろう。
次に、今まで来たほうを振り返った。
歩いてきた道を思い出すと、頭のなかにこの階層の地図が浮かんだ。
そしてここまで歩いてきたすべての階層の地図も頭のなかに入っていることがわかった。
俺の世界は、ここから始まり、下層へと続いている。
俺が生まれた階層には、下に降りる階段もあるのではなかろうか。
その下には、さらに深い階層があるのではなかろうか。
きっと、そうだ。
下に、下に、俺の世界は続いている。
下に行くほど強い敵がいる。
強い敵こそ俺の友であり、出会うべき相手だ。
俺はすべての友を殺す。
それが世界が俺に求めることであり、俺が世界に求めることだ。
ミノタウロスは、これまでにない強烈な飢えと、暴力的なまでの歓喜を感じつつ、きびすを返して昂然と歩き始めた。
下層に向かって。
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