第3話 冒険者ギルド長の困惑
1
ミノタウロスが目を覚まし、湖の水を飲んでいると、ボス部屋に人間が現れた。
「いたぜ」
身軽そうな装備をしている。小柄な背中から短弓がのぞいている。男はスカウトであった。
ミノタウロスは振り向いて立ち上がった。両手に斧を持って。
「いて当然よね。階層ボスがボス部屋を出て歩き回ってるなんて、冗談じゃないわ」
答えたのは、後ろから現れた若い女である。
右手には短い杖が握られている。
魔法発動の依り代だ。
「ええ。それはそうですね。でも、九階への階段付近でミノタウロスをみかけたと報告しているのは、マルコですからね。いいかげんなことを言う人じゃない。それに、十階のあちこちで放置された銀貨やポーションがみつかってるのはまちがいないですよ。現にぼくたちも拾ってきたじゃないですか」
三人目は、がっしりした大柄な青年で、幅広の長剣を持っている。
胸、肩、額、腕などは金属板に覆われており、防御力の高そうな剣士である。
「で、どうする? このまま帰るか? 倒しておくかあ?」
スカウトの軽口に、魔法使いの女が答える。
「このミノタウロス、気にくわないわ」
眉間にはしわが寄っている。口調ははき出すようである。
「なんでこいつ、あたしらをみても吠えないの? 突っかかってこないの? なんでこいつ、偉そうに立ったまま値踏みするようにこっちをみてるの? こいつ、やっぱり変よ」
「そういや、そうだな。ミノタウロスとは一回しか戦ったことないけど、あんときとはずいぶんちがう感じがするぜ」
「倒しましょう。恩寵付きのバスタードソードが出たら、下さいね。そのほかの物なら、お二人でどうぞ」
「いや、そりゃ出ねえだろう。相当なレアドロップだぜ。恩寵バスタードソード狙いで、五十体以上ミノタウロス狩り続けたけど、結局ドロップしなかったってやつの話を聞いたことあるぜ」
「それ、ぼくです。あと、まだ四十九体なんです。次こそ出そうな気がします」
「お前だったのか。それにしても、そんだけの数、一人で倒したのか? すげえな。ていうかボスを独り占めすんな。今日も一人でやれ」
「だめよ! あたしも、普段ならミノタウロスは一人で狩るわ。でも、こいつはだめ。悪い予感がするの。全員でかかるのよ。パジャ、指揮お願い」
「へいへい。じゃ、戦闘隊形」
すっと、三人はフォーメーションを組み替えた。
先ほどまでは、探索用のフォーメーションであったが、これは戦闘用のフォーメーションである。剣士が前に立ち、距離を置いて魔法使いが、その斜め後ろにスカウトが立つ。
臨時パーティーではあるが、お互いの特性やスキルは確認済みである。
「シャル、足止め準備。レイ、そのままの速度で前進。接敵したら防御主体で敵を引きつけてくれ。シャル、足止め発動後、詠唱の速い攻撃呪文を連発。俺がアイカロスを射ったら、威力の大きい魔法を準備」
そのまま三人は、奇怪な生き物のほうに進んでゆく。
(やっぱりでかいなあ)
そうレイストランドは思った。
三人のなかではずば抜けて大きいレイストランドの背丈が、このミノタウロスの肩までしかないのである。
(今まで遭ったなかで一番大きいミノタウロスだな)
(威圧感、すごいや)
だが、これを足止めするのが前衛たるレイストランドの役目である。
それに、すぐ魔法が来るだろう。
「アースバインド」
シャルリアが発動呪文を唱える。
レイストランドを攻撃の間合いにとらえようとした怪物の歩みが、突然止められた。
地面から黒い木の根のような物が出て、足にからみついている。
怪物が足元に気を取られたすきをのがさず、レイストランドは左足を大きく踏み込み、剣を右後ろに引いてから、たっぷり加速を付けて両手剣をミノタウロスの脇腹にたたき込む。
強靱な筋肉の鎧に覆われたミノタウロスであるが、ここは刃が通りやすいのである。
驚いたことに刃は筋肉にはじき返されたが、確かに傷はつけた。
これでミノタウロスは自分を標的にしたはずだと思いながら、レイストランドは小刻みな攻撃を仕掛けようとした。
そこに左手の斧が横から切り込んで来た。
重量のある攻撃なので、カッティングではそらしきれないと判断し、両手剣を下からかち上げて手斧の軌道をそらす。
上から右手の斧が唸りをあげて降ってきた。
左手の斧をそらすために両手剣に力を込めた瞬間に攻撃されたので、迎撃できない。
身をそらしながらのバックステップで、かろうじてかわした。
「うわっ。あ、危なかった」
今まで戦ったミノタウロスとはちがう、とレイストランドは思った。
パジャは、自分の目を疑った。
(今、このミノタウロス、フェイントを使わなかったか?)
(いや、何をばかな)
(気のせいだ)
だが、優れたスカウトであるパジャは、一目みたときからこれが尋常なミノタウロスでないと気づいていた。軽口をたたきながらも、胸中には悪寒がふくれあがってきていたのである。いきなりアイカロスなどという高価な毒矢の使用を作戦に組み込んだのも、スカウトとしての嗅覚がなせるわざであった。
「アイス・ナイフ」
シャルリアの放つ氷のくさびがミノタウロスを襲う。
「アイス・ナイフ」
「アイス・ナイフ」
「アイス・ナイフ」
「アイス・ナイフ」
立て続けに魔法が撃ち出される。
この魔法は、比較的短時間の準備詠唱のあと魔力と技術に応じて複数の発動ができる点に強みがある。それにしても、これほど短い間隔で五本の連続発動ができるのは、この女魔法使いの技量の高さを示している。
一本目のアイス・ナイフは顔を狙った。
続く四本は胸を狙った。
ミノタウロスは、左手の斧を顔前に掲げて一本目を防いだ。
こしゃくなまねを、とシャルリアは思った。
(だけど、これでこちらの勝ちよ)
どんなモンスターも、顔を攻撃されるのはいやがる。
そして顔に注意を集中した次の瞬間に胸を襲う四本もの氷のくさびはかわせない。
胸を襲った攻撃魔法の痛みに驚いているあいだに、パジャの短弓から毒矢が飛ぶ。矢に気づいてかわそうとするかもしれないが、足は地に縫い付けられているので大きくは動けない。
アイカロスの矢は、強力な麻痺毒を持つうえに、狙いがはずれにくい祝福がかけられている。すぐにこの矢が怪物に突き刺さり、勝負は一方的なものになるだろう。
音もなくパジャが矢を放った。
ミノタウロスは、四本のアイス・ナイフに目もくれず、毒矢だけを左斧ではじいた。
四本のアイス・ナイフのうち三本は、ミノタウロスの腹と胸に刺さり、一本は左腕に刺さった。
しかしミノタウロスはひるまない。右手の斧で剣士を攻撃し続けた。剣士に攻撃の余裕を与えないように。
パジャは、あぜんとした。
(ひょっとして、意識して毒矢だけを防いだのか?)
(いや、んなばかな)
偶然にせよ、毒矢が不発に終わったのは痛手である。
アイカロスの矢は、神殿での儀式で作られる。高価なのである。一度撃てば魔力は消費され、二度と使えない。
今回の依頼は、ギルドに貸しを作るつもりで安い報酬に目をつぶって受けた。
消耗品の経費は、三人で均等に分担する約束だ。
(こんちくしょうめ)
(こうなったら、高めのアイテムをドロップしやがれ!)
シャルリアもレイストランドも同じことを考えていた。
2
ミノタウロスは、いらいらしていた。
足止めの魔法がかけ直され、剣士は右側に、スカウトは左側に回り、攻撃角度を広げたうえで、絶え間なく剣戟と攪乱射撃を繰り返してくる。
魔法使いが撃ってくる氷のナイフは一撃の威力はそれほどではないが、確実に傷を増やしていく。ミノタウロスが流した血は足下の岩場に血だまりを作っている。
うっとおしい。
うっとおしい。
うっとおしい。
一人一人は、さして強力な敵とは思えない。だが三人で連携されると、どうにも戦いにくい。こんな相手に翻弄されているおのれが、あまりにはがゆく、許せなかった。
3
三人の冒険者は、あせりを覚えはじめていた。
こんなはずではなかった。
確かにミノタウロスは、このあたりの階層では強力なボスモンスターであり、Dクラス冒険者がソロで討伐すれば無条件にCクラスにクラスアップできる。
しかし、しょせんは馬鹿力とタフさだけが持ち味の近接攻撃特化型モンスターであり、Cクラスでも上位にある三人がパーティーを組めば、らくに倒せる相手のはずなのである。
それなのに、攻めきれない。
毒矢ははじかれ、スカウトの矢玉はことごとく退けられた。
アイス・ナイフで着実に傷を増やしているが、ミノタウロスは、巧妙に体の中心線は守り続け、急所への被弾はない。血は流しながらも動きは少しもにぶくならない。まるで無限の体力を持っているかのようである。
アースバインドが効いているから何とか互角に戦えているが、どこまでねばれば倒せるのか見当もつかない。
レイストランドは、いつもであれば、相手を怒らせてからすきをついて手足を切り落としてゆき、最後に首を落としてミノタウロスを倒す。だが、このミノタウロスは、手足を切り落とせるすきをまったくみせない。
シャルリアは、いつもであれば、足止めしたうえで小刻みな攻撃を続け、相手が武器を取り落としてからフレイムボールでとどめをさす。しかし、このミノタウロスは、斧を取り落とす気配をみせない。フレイムボールの詠唱でじっとしているところに斧を投げつけられる危険は冒せない。
パジャは、ソロではミノタウロスと戦わない。相性がよくないからだ。それでも、シャルリアとレイストランドが一緒なら、万一にも負ける心配はないはずだった。
冒険者たちは、体力回復の赤ポーションと、精神力回復の青ポーションを断続的に摂取することで、かろうじて戦闘力を保っていた。
だが、物資には限りがある。
特に、シャルリアはアースバインドを放つたびに青ポーションを飲み、残数が少ないので、もうあまり長くは戦えない。
パジャの使う短弓は、二十階層のボスモンスターからドロップしたレアアイテムで、通常攻撃であれば矢の補給が必要ないが、そのぶん精神力を消費する。こちらも青ポーションの残量は多くない。
そして、いくらポーションを飲んでも、集中力は回復しない。心の疲労はたまっていくのである。やがて均衡は崩れるだろう。
どれほど攻防を繰り返したか。
ミノタウロスのいらだちは頂点に達した。
突然、防御の構えを解くと、顔をしかめて息を吸い込み始めた。
「いかん。黄ポ準備っ。ハウリングが来るぞ!」
三人はベルトのホルダーや小物入れから黄ポーションを取り出し、口に含んだ。
ブオォォォォォォォォォォォォォォォーーーーー!!
ハウリングが三人をとらえる。
冒険者たちは、すかさず口腔内のポーションを飲み込む。
効果はすぐに現れた。黄ポーションには、状態異常を解除する効果があるのである。
「やむを得ん。もう一本アイカロスを使うぞっ」
パジャの叫びに、シャルリアもレイストランドも、安堵感が腹の底から湧いてくるのを感じた。
二本目の毒矢を使うことで赤字はふくらむが、このつらい膠着状態を終わらせてくれるなら、もうそれでよかった。
だが、そのとき。
ブオォォォォォォォォォォォォォォォーーーーー!!
「えっ?」
「うわっ」
「ばかなっ」
二度目のハウリングが三人を襲った。
三人は、この攻撃を予期していなかった。
ミノタウロスのハウリングは、一度使用すると次に使用できるまで長いブランクタイムがある。事実上、一度の戦闘では一度しか使えない。
だから、これはあり得ない攻撃なのである。
まさか、このミノタウロスがレベルアップしたために、スキルもランクアップしていたとは、想像もできなかった。
三人は、何とか黄ポーションを取り出そうとするが、体の自由は利かない。
シャルリアは、杖の根本を口に押し込んで、かみしめた。
父から譲られたこの杖は、エルフがトネリコの木で作った物であるといわれている。魔除けの効果があり、また精神力を高める効果がある。もうエルフなど地上にいないのだから、これは本当に希少なアイテムなのである。
杖は状態異常にも効いた。体が動くようになったシャルリアは、一か八かフレイムボールの準備詠唱を開始した。
(いくらこいつでも、フレイムボールが直撃すれば、ただではすまないはず)
だが、シャルリアが何かを謀んでぶつぶつと呪文を唱えていることを、ミノタウロスはみのがさなかった。
ミノタウロスは、右手の斧をくるりと回すと身をかがめ、鋼鉄の斧頭で足下の岩を打った。岩は飛礫となってシャルリアに襲いかかり、顔に、胸に、腹に、足に、いくつもの穴をうがった。
詠唱は中断された。
冒険者たちは、さらに信じられない光景を目にする。
ミノタウロスは、ひときわ高く怒りの唸り声を上げると、アースバインドを引きちぎったのである。
魔法が砕け散る音が響き、束縛の効果は完全に消滅した。
シャルリアは、痛みでもうろうとしながら恐怖の目で怪物をみた。
ミノタウロスが、いったん発動したアースバインドを自力で脱することなど、あり得ない。
だが、現にミノタウロスは自由を取り戻し、自分たちは動くこともままならない。
まずレイストランドの首が飛んだ。
次にパジャが唐竹割にされた。
最後にシャルリアがくしゃりとつぶされた。
こうして戦闘は終わった。
三人の死体は消え、あとには所持していたアイテムが残った。
4
ミノタウロスは、ある機能に気がついた。
きっかけは、三人の冒険者との戦いのあと、剣士の使っていた両手剣に興味を持ったことである。斧を置いて、剣を拾い上げようとした。そのとき、どういう意識の働きか、右手の斧を、ひょいと左肩の上に納めたのである。
手斧は、何もない空間に消えた。
斧が消えたことに驚き、そんなことをした自分に驚いた。いろいろ試してみて、左肩の上に、いわばみえない収納庫があって、物品をしまっておけるのだとわかった。
剣でも、杖でも、ポーションでも、銀貨でも、そのほか、試した物は何でも収納できた。
収納できる数や量には限りがあるようだが、今のミノタウロスにとっては充分な収納力だった。
取り出すときには、その物品を思い出しながら左肩の上をまさぐる。すると、その物品がつかめる。そのまま引き出せばよいのである。
それは〈ザック〉と呼ばれる機能だった。神殿で冒険者の恩寵職を授かると得られる能力の一つで、迷宮の外でも使える。騎士は〈ルーム〉と呼ばれる収納機能を、商人は〈カーゴ〉と呼ばれる収納機能を授かるが、〈ザック〉は取り回しのよさに特徴がある。そのぶん容量は少ないのだが、レベルの上昇にともなって増大する。そして冒険者はレベルの上がりやすい恩寵職だ。
そのみえざる収納庫を、戦利品置き場として使うことにした。
よい戦いから生まれた戦利品はおのれとともにあればよいと考えたのである。
この戦いで、ミノタウロスは再びレベルアップをした。
だが、戦いの記憶は苦い。自分はまだ戦い方を知らないと思い知らされたのである。
階段を上ってみよう。新たな敵に出遭うために。
そう思った。
階段に足を踏み入れようとすると、何ともいえない奇妙な感覚が身をつつんだ。その奇妙さを我慢して階段を上った。
九階層に上がると、剣戟の音が耳に入った。
階段の近くに横穴がある。音はその横穴から聞こえる。
穴をくぐると、なかは広い部屋になっていた。
豚のような顔をしたモンスターと、五人の人間が戦っていた。
モンスターの数も五匹で、長剣、槍、短剣、鉄棒、太い棍棒を持っている。人間がオークと呼んでいるモンスターだ。
対する人間は、剣を持った男が三人、杖を持ってローブをまとった女が一人、祈祷書を両手で広げて持っている女が一人である。
人間たちは、後ろに現れたミノタウロスに、気づいていない。
前衛の剣士三人は、よい動きをみせて、五匹のオークをふせいでいる。
杖を持った女は、ぶつぶつと呪文を唱え、「ライトニング」と叫んで杖でオークを指した。
すると杖から光弾が飛び出してオークを直撃し、オークの腕が吹き飛んだ。
すかさず、右側の剣士がそのオークの胸に剣を突き入れる。
オークが血を吐いて倒れ込む。
魔法使いは、またもぶつぶつ呪文を唱えている。
「ライトニング!」
今度は、中央の剣士ともみあっていたオークの腹をえぐった。
左側で二匹のオークを相手にしていた剣士が一匹の持つ短剣をたたき落としたが、もう一匹のオークが振り下ろした太い棍棒をよけそこねて、したたかに右肩を打たれた。
「回復よろしくっ」
負傷した剣士が叫ぶ。
神官の女が、「キュア!」と呪文を唱える。
祈祷書が、ぼわっと緑色に光る。
淡い緑の光が、一瞬、傷ついた剣士を包み込み、消える。
「ありがとっ」
中央の剣士は、横腹をえぐられたオークの下腹部に剣を突き入れると、ブーツでそのオークを蹴り飛ばした。蹴り飛ばされた先には、棍棒を振りかざして左側の剣士に襲いかかろうとしているオークがいた。
モンスター同士がぶつかって態勢が崩れるあいだに、中央の剣士が飛び込んで、棍棒を持ったオークの首を薙ぐ。傷の癒えた左側の剣士が、中央の剣士と位置を入れ替え、突っ込んで来たオークの槍を、剣でたたいた。
オークの槍が落ちる。
剣士の脇をかすめて、ライトニングがオークに突き刺さり、致命傷を与えた。
「おいおい、危ねえって、今のライトニング。かすったぞっ」
「大丈夫だって。ちゃんと狙ってるから、あんたを」
「俺を狙って、どうすんのっ」
「そこを、あんたがさっとかわせばオークを直撃できるってわけよ」
戦闘に決着がつき余裕が生まれたのか、冗談の応酬をしながら剣士が魔法使いを振り返った。
そして後ろの怪物に気づく。
かくん、と剣士のあごが落ち、目は驚愕にみひらかれる。
「み、み、み、み」
「水が欲しいんなら、三べん回ってわんって言いなさい。私はもう水持ってないけど」
「み、み、み、み」
「今日は一段と、カレンのロルフいじりが好調だね」
「うん。いい感じに絶好調だね」
残ったオークにとどめをさした二人の剣士が、笑顔で振り返る。
ともに、ミノタウロスに気づき、真っ青になる。
それをみて、魔法使いの女と後ろの女も振り返る。
魔法使いのカレンが、失神して倒れかかる。
剣士のロルフが素早く駆け寄って、抱き留める。
その隣では、神官のジョナが、へなへなと崩れ落ちる。
残りの二人の剣士は、剣を構える気力も失せたのか、ほうけたように怪物をみている。
この若い五人パーティーは、数日前に、Eクラスに昇格したばかりである。
Eクラスは、適正な職種で一対一なら六階層のモンスターに勝てるという程度の強さである。
連携のよさで、九階層で同数のモンスター相手に危なげなく戦ってはいるが、彼らのほとんどはミノタウロスの一撃で死ぬ。
しかも今は、みた目ほどは余裕のない戦いを終えたばかりなのであり、後ろに立つミノタウロスの姿は死神にみえたはずである。
ミノタウロスのほうでは、よい動きと連携をする者たちであるから戦ってみるのも面白いかと思っていた。
だが、人間たちにみなぎっていた闘気は、すうっとしぼんでしまった。
戦闘になりそうもないので、興味を失い、振り向いて部屋を出た。
九階層は、オークの出現する階層であった。
オークは、単体では十階層の灰色狼より弱いと思われたが、その代わり、必ず群れで行動していた。
いろいろな武器を持っていた。
刃物の扱いは不器用であったが、膂力〈りよりよく〉があるため、棍棒などの鈍器には、意外なほどの破壊力が込められていることがあった。
十匹ほどの集団であれば、そこそこ戦いを楽しむことができたが、それもすぐに飽きた。
オークには、およそ連携というものがない。動きは単調で、攻撃は力任せである。その力さえ、今のミノタウロスに傷をつけるには及ばない。
フロアボスの部屋にも行き当たった。
この階のボスは巨大なオークであるが、ミノタウロスに比べれば小柄である。剣筋は粗雑で、何のひねりもない。
あっさり首をはねた。
長剣と銀貨がドロップしたが、拾おうともせずボス部屋を出て、階段を探した。
5
ミケーヌの街の冒険者ギルド長ローガンは、困惑していた。
事の起こりは、サザードン迷宮九階層と十階層をつなぐ階段付近でミノタウロスをみた、というDクラス冒険者の報告であった。
いうまでもなく、ミノタウロスは十階層のボスモンスターである。
ボスモンスターというものはボス部屋の中にいるものであり、その部屋を出ることはない。
これは初心者講習で冒険者の卵に最初にレクチャーする基礎知識の一環であり、サザードン迷宮にかぎらず、あらゆる迷宮に共通する常識である。
だから、最初に報告を聞いた受付の職員は、みまちがいか記憶の混乱であろうという所見を添えて、緊急度の低い案件として処理した。
それから三日ほどのうちに、十階層のあちこちで銀貨やポーションが放置されていたという噂話が広がった。
もともと十階層は人気の低いエリアである。迷宮にもぐらず、護衛や討伐や採取その他の依頼で生活する冒険者にとっては、ミノタウロスを倒すだけでCクラスが取れ、依頼請負の幅が広がるというのは魅力的であるが、その場合、狼は必ず回避する。
それなのに、十階層で狼を倒して回っている物好きがいる。
ドロップ品を放置したままで。
ローガンは、ギルド職員たちに、十階層に関する情報を集めるよう命じた。
するとまず、エリナという女戦士の冒険者メダルと残留アイテムが、十階層のボス部屋の前で回収された、という記録が出てきた。
ボスモンスターに戦いを挑んで敗北しボス部屋の付近で力尽きて死ぬ、というのは時々は起こることであり、これ自体は異常な出来事ではない。
しかし、マルコという剣士がミノタウロスをボス部屋の外でみかけたという報告は、事実であるとすれば異常な出来事である。
「ミノタウロスが灰色狼を倒してるのか?」
どうやったらボス部屋の外に出せるのかは思いつかないが、強力な支配呪文などを使えば、ミノタウロスに狼を攻撃させることは可能かもしれない。そんなミノタウロスが徘徊しているとすれば看過できない。
(とにかく調査してみるか)
ローガンは探索依頼書を書いた。
依頼者は、ギルド長ローガン。
請負資格はCクラス以上。
依頼内容は、十階層を調査しミノタウロスの所在とようすを確認するとともに、不審を感じたら討伐すること。
冒険者たちがたむろする一階に降りる。
依頼掲示板の前に多くの冒険者がいる。
そのなかにパジャの姿があった。
優秀なスカウトであり、この任務には、まさにうってつけである。
「パジャ」
「お、ギルド長様じゃねえか」
「ちょうどいい。この依頼を受けてくれんか」
「どれどれ。ほう? なんでまた牛頭なんぞを調べるんだ?」
ローガンは、事情を説明した。
「なるほど。事情はわかったけど、この報酬、ちと安すぎじゃねえか?」
「ミノタウロスがボス部屋にいて、異常が何もなければ、それを報告するだけでいいんだ。今のところ明らかな問題が確認されとるわけではないから、これ以上の報酬は設定できん。わしに貸しを作ってみんか」
「ほう。あんたに貸しかい。悪くねえな。わかったぜ。請けさせてもらう」
「その話、あたしたちも、かませてもらえないかしら」
横から割り込んできたのは、魔法使いのシャルリアだ。
その後ろに剣士のレイストランドがいる。
ともに、まもなくBクラスに上がるであろうCクラス冒険者である。
「うげっ? シャルじゃねえか。冗談よせよ。この報酬、二人で分けた日にゃ、赤字になっちまう」
「三人よ。レイも行くわ。依頼報酬は、あんたが一人で取ればいい。ドロップ品は山分けで。あたしたちは、ギルド長への貸しができればそれでいい。その代わり、報告はあんた一人でしてね。牛頭を倒したら、あたしたち二人は下に行くから」
「あ、そういうことかよ。お前ら、はなから下で狩りするつもりだったな? 行きがけの駄賃てわけかい」
「ええ。レイと三十二階層で狩りをするの。転送サービスを使うか、悩んでたのよ。高いからね。十階層に寄って以来を済ませて、あとは走って降りることにするわ。ギルド長、それでいいわね?」
いいも何もない。
シャルリアとレイストランドなら、それぞれ一人でもミノタウロスを撃破できる。
この二人がいれば、パジャは毒矢を節約できるだろう。
そういえば、レイストランドはミノタウロスのレアドロップを狙っていると聞いた覚えがある。もしかして、最初からミノタウロス討伐は予定のうちだったのかもしれない。
シャルリアとレイストランドだけでは調査の精度に不安が残る。この三人で行ってもらえれば言うことはない。
「むろんだ。よろしく頼む」
「だって。パジャ、よろしくね。あ、あと、消耗品は割り勘ってことで」
三人は、迷宮に入って行った。
6
半日が過ぎてもバジャは帰らず、ローガンがいやな予感を募らせていたころ、ギル・リンクスが訪ねてきた。
大魔法使いギル・リンクス。
辺境の孤島に生まれ、数々の冒険で名を上げ、ついにはバルデモスト王国の魔法院に招かれ魔法院元老にまで上りつめた男。
悪魔を封印したとか、古竜を使役するとか、天界の反逆者を殲滅したとか、尾ひれのついた武勇伝が、まことしやかに語られている。
大陸北部に広くその名を知られ、バルデモストのこどものおとぎ話では、大魔法使いといえばギルを指す。
そんな伝説級の人物でありながら、少しも驕るところがない。
思うままに贅沢のできる立場であるのに、財や権力にはみむきもせず、世界の平和と人々の幸福のために尽くし続けている。
物静かで思慮深い性格をしており、基本的には研究中心の生活をしているが、事あればどんな困難にも平然と立ち向かう胆力と行動力の持ち主である。
ローガンにとっては、若き日に冒険をともにした盟友であり、冒険者としての心得を一から教えてくれた良き先輩でもある。
なぜかギルはバルデモストの王に厚く信頼されている。
それもあって、ギルドの顧問に就いてもらっている。
「ギル、久しぶりだな」
「うむ。王宮からの依頼で、マズルーの魔道研究所の手伝いに行っておったのじゃ。帰国報告に参内したが、王が夕食をしながら話を聞きたいということなのでな。いったんこちらにあいさつに来たのじゃ。おぬしも元気そうで何より、と言いたいが、何か心配事かの?」
「顔に出とったか。いや、実はな」
事の次第を説明した。
「シャルリアというのは、アイゼルの縁者であったかの?」
「娘だ。ああ、そうか。アイゼルはあんたの弟子だったか」
「そうじゃ。ふむ。では、一度、十階層に降りてみるわい」
そう言うと、ギルは消えた。
瞬間移動の魔法である。
適性の問題で、習得できる魔法使いは少ない。
たいていの場合、この魔法を使う魔法使いは、ほかの魔法がほぼ習得できない。このギルドでは、瞬間移動の魔法で冒険者たちを送り迎えする専門の魔法使いを二人雇っているが、いずれも戦闘力は皆無である。
ところが、ギルは、強大な攻撃魔法と、パーティー戦で役立つ付与魔法に加え、多層範囲探知や瞬間移動や、各種の高等補助魔法も使いこなす。範囲瞬間全回復魔法さえ習得しているらしい。
(まさに大魔法使いだな)
(それにしても、相変わらず身軽だわい)
ギルが消えたとき、ローガンの胸のつかえも消えていた。
だが、その安心は、ほんの短い時間しか続かなかった。
お茶一杯を飲む時間もなくギルが帰還し、三人の冒険者メダルをローガンに差し出したのである。
パジャと、シャルリアと、レイストランドの冒険者メダルを。
7
「十階層のボス部屋に、三人のメダルとアイテムが残されておった。ミノタウロスはおらなんだ」
どう考えても、三人は死んだとみるべきである。
しかし、ではミノタウロスはどこに行ったのか。三人と相打ちになったのだろうか。それならば時間がたてば再び現れるはずだ。
「アイゼルは、今この街におるのか?」
ザックから三人の遺品を出しながら、ギルは聞いた。
「さあ、どうかな。今、調べさせる」
事務員に調べさせたところ、依頼を受けてパダネル湿原に行っているということがわかった。帰還は何週間か先になるらしい。
「わしはそろそろ王宮に行かねばならん。この件には慎重に対応するのがよかろうの」
「わかった。ありがとう」
「うむ。ではの」
8
ギルが去ったあと、ローガンは物思いに沈んだ。
(とにかく情報だ。情報がいる)
(調査依頼を出そう)
そんなことを考えていると、事務長が入ってきた。
「ギルド長、九階層でのミノタウロス目撃情報があります」
「なにっ」
「若手の冒険者五人組です。今、一階に来ています」
「会ってみよう」
一階に降りてみると、目撃者というのは顔みしりの若者たちだった。
全員今年冒険者となったばかりだが、バランスもよくチームワークも高いチームである。覇気と向上心を持ち合わせており、ローガンは密かに将来を楽しみにしている。
五人は、せっかく重要な情報を提供したのに、まともに取り合ってもらえないのでふてくされていた。だが、ギルド長みずからが興味を示して話を聞いたので、すっかり機嫌を直した。
わかったことは、五人を簡単に殲滅できたはずなのに、ミノタウロスが攻撃を仕掛けなかったということである。
(それにしても、九階層だと?)
何かのまちがいではといいたいところであるが、この五人がそろって勘違いしているとは考えにくい。記憶も話しぶりもしっかりしている。
とすれば、このミノタウロスは明らかに異常である。階層を越えて移動するモンスターなど、あり得ない。
そもそも、迷宮のモンスターは、上の階層も下の階層も認識できない。移動できるという発想もないし、実際にもできない。
人間にとっての天界や冥界のようなものなのだろうか。
階段自体みることはできず、目の前で冒険者が階段に移動すると、消えたように思うという。無理に移動させようとしても、階段に踏み込んだモンスターは死んでしまう。
実は、迷宮の階段というものは基本的には人間にもみえないのである。
一階層には誰でも入れるが、二階層はみえない。騎士や冒険者などの恩寵職を得たときはじめて、階段をみることも足を踏み入れることもできるようになる。
(もしも、モンスターが階層を越えて移動できるようになったとすれば)
(それじゃ、まるでモンスターの冒険者じゃないか)
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