ごごナマ おしゃべり日和「大和田伸也」 朝ドラ「藍より青く」や「水戸黄門」などで… 川村エミコ、船越英一郎、美保純…


出典:『ごごナマ おしゃべり日和「大和田伸也」』の番組情報(EPGから引用)


ごごナマ おしゃべり日和「大和田伸也」[字]


ゲストは大和田伸也さん。朝ドラ「藍より青く」や「水戸黄門」などで人気を博した実力派俳優だが、最近はバラエティ番組でも大人気。そのユニークな素顔に迫る。


詳細情報

番組内容

ゲストは大和田伸也さん。連続テレビ小説「藍より青く」や「水戸黄門」などで人気を博した実力派俳優だが、最近はバラエティ番組でも大人気。そのユニークな素顔に迫る。▽「周一カット」が大人気!朝ドラ「藍より青く」が大フィーバー!▽「水戸黄門」格さんの名ゼリフが生まれた秘密とは?▽3か月に3回?なぜか親父狩りの被害に!

出演者

【MC】船越英一郎,美保純,阿部渉,【ゲスト】大和田伸也,【出演】川村エミコ



『ごごナマ おしゃべり日和「大和田伸也」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数BEST10)

ごごナマ おしゃべり日和「大和田伸也」
  1. 大和田
  2. 船越
  3. 阿部
  4. 美保
  5. 川村
  6. 思って
  7. 格さん
  8. 当時
  9. 映画
  10. 皆さん


『ごごナマ おしゃべり日和「大和田伸也」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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船越≫突然ですが
大和田伸也さんに質問です。

大和田≫ドキドキしています。

生放送でしょ、しかも真昼間。

何しろ、私の名前が
真夜中のしんや…。

誠実に生きる。

人に迷惑をかけたりしている
人を見ると

どうしても黙っていられない。

生まれて初めて
オペラに出演したということです。

夢と情熱。

ではニュースをお伝えします。

全国のATM・
現金自動預け払い機などで

システム障害が起きていた
大手信託銀行の

三菱UFJ信託銀行は、
きょう昼前に個人向けの

ネットバンキングの利用を除いて
システムが復旧したと

発表しました。

日ソ共同宣言から4年後の

1960年に外務省が作成した
資料に

北方領土交渉を巡って歯舞群島と
色丹島の返還を先行して行う

いわゆる二島先行返還論が一部に
見られると明記されていたことが

きょう公開された外交文書で
明らかになりました。

1960年1月に作成された
当時の岸総理大臣のアメリカ訪問

に向けた準備資料には
領土問題について

行き詰まり状態になっていると
記されています。

その一方で

最近わが国に歯舞、色丹

プラスアルファをもって本問題を
解決し

平和条約を締結すべきであるとの
議論が一部に見られると

いわゆる二島先行返還論が一部に
見られると明記されています。

具体的な例として
日本国民が是認しうる最小限度の

条件で速やかに平和条約を締結
するよう、努力すべしという

水産関連団体の要望が紹介されて
います。

そして
この要望について

真意は国後島と択捉島に対する
日本の主権を認めさせたうえで

歯舞群島と色丹島の返還によって
平和条約を締結しようという

ことだと分析しています。
また資料にはソビエト側において

従来の基本的態度を変化した兆候
はなく目下のところ解決に見通し

が立たないとも記されています。
資料が作成された4年前、

1956年には
日ソ両国が平和条約締結後に

歯舞群島と色丹島を日本に

引き渡すことなどを明記した
日ソ共同宣言に署名しています。

餃子の王将を展開する会社の社長
が京都市の本社前で拳銃で

撃たれて殺害された事件は

未解決のまま、
きょうで5年となりました。

現場では遺族が花を手向け
犯人が早く捕まってほしいと、

事件の解決を訴えました。

京都市山科区の現場では、

けさ6時過ぎ次女の秋山真弓さん
が花を手向け、黙とうをささげ

ました。

5年前の平成25年12月19日、

京都市山科区にある餃子の王将を

展開する会社の本社前で

当時の社長、大東隆行さんが

拳銃4発を撃たれて殺害され
ました。

警察は、5年間で
延べ16万5000人を動員して

捜査を続けていますが犯人の特定
には至っていません。

現場近くのJR山科駅前では
警察官と会社の社員たちが、

ティッシュを配って情報提供を
呼びかけました。

政府に批判的だった
サウジアラビア人の

ジャーナリストが殺害されたのを
はじめ、ことしは世界で63人の

ジャーナリストが
命を落としました。

報告書をまとめた国境なき記者団

は、

政治家などがジャーナリストに

向ける憎悪の感情やことばが
悲劇的な結果につながっていると

現状に懸念を示しています。

阿部≫今日のゲストは
俳優の大和田伸也さん。

大和田さんといえば

「この紋所が目に入らぬか!」で
おなじみ、格さん役。

実はこのセリフを生み出したのは
大和田さんだったのです。

大和田さんといえば
誠実でまじめなイメージですが

そんな性格がゆえに

とんでもない事態に巻き込まれた。

今日は、大和田さんの
真っすぐすぎる人生に迫ります。

ところで、大和田さんといえば
弟の獏さんはじめ

芸能一家の
大和田ファミリーとして

有名ですが、皆さん
仲はよろしいんでしょうか?

船越≫皆さん、大変仲よしで
いらっしゃいますよね。

大和田≫はい。仲よしですね。

船越≫獏さんともよく
ご一緒になったり。

大和田≫獏も最初

私の影響でこの世界に
入ってきたから、心配で

責任があるから。
引っ張り込んだ兄としては。

でも、今は完全に
逆転いたしまして

私が獏を頼りにしております。

阿部≫ファミリーの皆さん
ご紹介しましょう。

大和田伸也さんがこちら。
奥様が女優の五大路子さん。

そして、ご長男の悠太さん
次男の健介さん

俳優でいらっしゃいますね。
そして、弟の獏さんの

ファミリーですが
奥様は岡江久美子さん。

そして、娘さんの美帆さん
女優でいらっしゃいますね。

芸能一家なんですよね。

船越≫このファミリーで
よく集まったりとか

例えば
どこか旅行に行かれたりとか

そういうこともあるんですか。

大和田≫ちょっと前までは
うちの両親が健在のときは

必ず、うち、兄も姉も
いるんですが全部が集まって

お正月にどこかに行くとか
していたんですよ。

借り切っちゃってペンションとか。

おやじが亡くなってから
おふくろも、今は名古屋で

1人でおりますので
なかなか一緒っていうのは

ないですけど
でも、たまにはありますよ。

美保≫遊び方とか
みんな、似てるんですか?

大和田≫どうなんだろうね。
それは、集まればなんとなく

みんなに合わせてると思うけど
僕はとにかく映画を見たり

そういうのが好きですけど

獏さん夫婦はおいしいものを
食べるのが好きだとか。

阿部≫すてきですよね。
今日のお客様

大和田伸也さんへのご質問
メッセージ

どしどしお寄せください。

ホームページからのメール
ご覧の番号のFAXで

お待ちをしております。

今日のトークテーマは
「曲がったことが大嫌い!

大和田伸也さんの
真っすぐすぎる人生」と題して

お届けします。

とにかく真っすぐな俳優として
知られているのは

この役のイメージが
あるからではないでしょうか。

「格さんが明かす!
水戸黄門の名ゼリフ誕生秘話」。

こちらから
お話進めてまいりましょう。

大和田さんは31歳のときに
渥美格之進こと

格さん役に抜てきされました。
1978年から83年の5年間

2代目格さんを演じられました。

格さんとご自身のイメージが
重なる部分って

おありでしたか?

大和田≫とにかくそれまでは
NHKの大河とか

シリアスな時代劇が
多かったでしょ。

こういう、ヒーローものというか
そういう時代劇は

初めてだったものですから
非常に不安でしたけどね。

重なる部分は
真っすぐなところというか

四角い性格というか。

阿部≫演じやすかった
というところでもないですか。

大和田≫それはそうですよ。
くそまじめですからね。

そのころ、特にまじめでしたから
今と違って。

阿部≫改めて共演の皆さん
ご紹介しましょう。

ご存じ、水戸黄門役は
東野英治郎さん。

助さん役が里見浩太朗さん。
うっかり八兵衛は高橋元太郎さん。

船越≫皆さん、大和田さんより
先輩でいらっしゃいますよね。

大和田≫助さんの里見さんなんか
10上ですからね。

この中で一番僕が
しっかり者なんですよ、格さん。

リーダー格なんですよ。

だから異常に最初は
戸惑いましたね。

船越≫プレッシャーとかは?
大和田≫ものすごいありました。

でも、東野さんがそういうことを
最初のころ

相談したら
君は見るからに格さんだと。

風格というか、そういう感じと声
まさしく格さんそのものだから

十分におやりなさいと
おっしゃられたんです。

阿部≫東野英治郎さんのお言葉が

「大丈夫。声といい風格といい
君は格さんそのものだ。

自信を持ってやりなさい」。
はっはっは!と。

美保≫つえが出てね。

阿部≫これは
うれしい言葉ですよね。

大和田≫それで心おきなく
やっつけい!と

助さんに命令したりとか
することもできましたよね。

船越≫でも、失礼ながら

31歳でいらっしゃったんですね。

僕、もっと年上のイメージでした。
大和田≫やり始めたのは29です。

いまだにずっと再放送なんかも
やっていましたからね。

だから、今の僕と
だぶらないみたいなところが

あるみたいです。
もっと年上かと思ったって。

船越≫あのころの印象で

今、大和田さんだと
大和田さんは

もう80過ぎてなきゃ
いけないくらいになりますからね。

阿部≫そして
あの名ゼリフを生み出したのは

実は、大和田さん
ということなんですが改めて

そのセリフが
「この紋所が目に入らぬか!」。

これは、もともと
こういうものでは

なかったんですよね。

大和田≫先の副将軍云々が
ありますよね。

いろいろ
先の副将軍なんとかとか

毎回、台本が違ったんです。
それで当時のプロデューサーに

僕が格さんをやるときに
これ、1つに統一したほうが

いいんじゃないかと言ったら
それはいいねということで

僕がやったセリフを
ずっと通してやって。

いまだに同じ言い回しですよね。

船越≫決めゼリフですよね。
いってみれば、「水戸黄門」の。

この決めゼリフの生みの親は
大和田さんということですね。

大和田≫生みの親というか
セリフとして言ったというか

完成系としてはね。

阿部≫そして印籠を出すのも

前は助さんだったりしたことも
ありましたよね。

大和田≫それは分かりませんが
僕になってからは格さんです。

阿部≫実はこちらに印籠を
ご用意させていただきました。

お渡しさせていただいて

あの名ゼリフを。

美保≫町の女は
まだ気が付いてないんですよね。

船越≫純ちゃん
まだ気付いておりませんからね。

阿部≫格さんの名ゼリフ
お願いできますでしょうか。

大和田≫ええい、静まれ静まれ!

この紋所が目に入らぬか!
こちらにおわすお方を

どなたと心得る?
恐れ多くも先の副将軍

水戸光圀公にあらせられるぞ。
頭が高い!控えおろう!

船越≫ははあ…。
ありがとうございます。

阿部≫ありがとうございました。

まさに本物ですね。

船越≫久しぶりに
拝聴させていただいて。

大和田≫久しぶりでした。
声出てた?

美保≫出てました。
びしっと決まってます。

船越≫印籠の出し方にも
大和田さん流のこだわりが?

大和田≫懐から出すタイミングと

あとは、なるべく
手が見えないようにして

印籠全体が見えるように。
握ったりするといけないので。

そういうことを試みました。

あとは反対にしたりとか。

あとね、皆さんが
ははあ…って言ってくださるので

あのセリフ言うと
気持ちいいでしょって

言われるけど
でも実際には、今と同じように

カメラに向かっていますから
実際は

ちっとも気持ちよくない。

船越≫でもこれで一気に
格さんのイメージで

全国に広がっていくわけですけど

それで変わられたことって
大和田さん自身おありでしたか。

大和田≫変わりませんけども
例えば、東野英治郎さんなんかは

よく、いろいろなところ
連れて行ったり

してくれたんですよ。
野球を見に行ったり

中国旅行に一緒に行ったりとか。
それで、水戸黄門って言うと

皆さん、ははあ…ってなるから
私たちもいい思いしましたよね。

船越≫でも、どちらへ行かれても

格さん、格さんとそのころはね。

大和田≫そうですね。
その当時、高橋元太郎さんが

非常にお世話になりまして
撮影が終わると

必ず一緒に飲みに
連れて行ってくれてたんです。

ですから、それで
詳しくなったんですけど

元太郎さんのおかげでね。

だから、そういうことで
発散していたというか。

やっぱり、悪いことはできない
というところもありますから。

船越≫「水戸黄門」へのご出演で

それが俳優人生に、どんなふうに
影響していったんでしょうか。

大和田≫どうなんですかね。

イメージが定着しちゃった
よくも悪くもね。

船越≫5年ですもんね
おやりになられていたの。

大和田≫だから
いいか悪いかは分かりません。

ただ、それまで
周ちゃんって呼ばれてたのが

格さん、格さんって
言われるようになって

これがよかったかどうかは
ちょっと分かりません。

船越≫俳優にとって、なかなか
代名詞になる役を

いただくっていうのは、実は
ありそうでないことですもんね。

大和田≫そういう意味では
よかったのかもしれませんね。

美保≫いいと思いますよ。

芸能人って、あんまり

ずっと続かないもの
みたいな感じとか

家とか、賃貸とかで借りるときに
貸してくれなかったですもん、私。

女優ですって言っても。

そういうところは

信頼度300%でしょ。

大和田≫信用は
あったかもしれませんね。

阿部≫格さんですからね。
ここからは

役者人生の始まりについて
伺ってまいりたいと思います。

「大学3年のとき勝手に中退
役者を目指す!!」。

どういう経緯が
あったんでしょうか。

大和田≫当時
早稲田の自由舞台という

学生劇団でやっていまして

そのころ、劇団四季が
日生劇場というのを作って

日生劇場で
芝居を見たりして

いいなと思って。

男らしい芝居を
やっていましたからね。

それで入ろうかなと
思ったんですが

まだ大学生ですけど。

当時、早稲田の中退組というのが
非常にクローズアップを

されていたというか。
早稲田は中退じゃないと

だめだとかって言われて。
船越≫例えば、どんな方が?

大和田≫野坂昭如さんでしょ
五木寛之さん

矢崎泰久さんや永六輔さんと
皆さん、中退組なんです。

だからそれでもいいかと思って

親に黙って
中退しちゃったんです。

阿部≫劇団四季に
進まれてということですが

ご両親には相談されました?
大和田≫心配しますし

それから大学生としての
仕送りをいただいている間に

自分で自立しなきゃ
いけないと思って

それで4年生
卒業するまでにということで

辞めたもんで

親には黙っていたんです。

それで、劇団四季に入って

大抜擢されて
そのときに国立劇場ができて

その芝居を見においで。

こういうのやっているからねって。

いい席で見せてもらって
新しいすばらしい劇場を。

きれいな楽屋に呼んで
実はこういうことを

始めちゃったんだと。
許してくださいって言ったんです。

おふくろは
いい芝居を見たあとだし

きれいな楽屋に来て
ニコニコ、大体明るい母親で

きょうこさんは
すごく明るい人なので

助かるんですけど

よかったんですが
おやじが黙っちゃって

どうなるかなと思っていたら
何週間かあとに

巻紙の手紙をくれまして。
阿部≫その手紙の内容

ご紹介いたします。

「自分の一生だから
思った通り生きろ。

ただ男として誠実に生きろ」と。

船越≫今日のテーマでもある
誠実という言葉は

お父様からいただいた
お言葉だったんですね。

大和田≫しかも筆字でね。

人間として誠実に生きるならば

許すという。

その言葉があったので
後に役者苦労して、なかなか

食えない時代もありましたけど
真っすぐに誠実にこれたのは

おやじの手紙のおかげだなと
思っています。

船越≫そもそもお父様って
どういう

お父様だったんでしょうか。

大和田≫とにかく厳格で
超まじめで。

だけど、家族のイベントなんかを
大事にするような人だったんです。

子どもが間違っていると

何か、がんと
注意するんじゃなくて

自分が身を持って教えてくれる

とにかくジェントルマンでした。

紳士。

今から思うとあんな紳士は
いないと思うぐらい

ジェントルマンでしたね。

船越≫あまり多くを語らずとも
少ない言葉で的確なことを

伝えていただけるような
そんなお父様だったんですね。

美保≫芸能界に入ってしまうと
チャラいところも

あるじゃないですか。
そういうところがないようにって。

ハンサムだったから
おごらないようにという

意味もあったと思いますよ。

大和田≫おきれいでしたもんね
昔。

美保≫私はいいです!

船越≫このお父様の手紙は
大和田さんの人生に

どういうような影響を?

大和田≫やっぱり
1本自分の中に

筋を通したというか
このことを子どもたちにも

伝えたいなとは思うんですけど
なかなか、難しいですね。

でも、なるべく父親の生き方に
沿うようにと

思ってやってきました。

船越≫息子さんの2人とも

この道に進まれましたからね。
同じ思いをね。

阿部≫この言葉を胸に
大和田伸也さん

役者人生を歩み始めるわけですが
24歳のときに

このドラマへの出演が決まります。

NHK連続テレビ小説
「藍より青く」です。

ヒロインが真木洋子さんでした。

その夫・周一役として
ご出演されました。

妻とおなかにいる子を残して
戦地に赴く青年役。

大ブレーク、大人気に

なりましたね、大和田さん。

船越≫大ヒットでした。
映画にもなりましたよね。

阿部≫出演が決まったきっかけも

また真っすぐすぎる
ご自身の行動からと

伺っていますが。

大和田≫とにかく芝居を
やっていましたから。

自分で劇団作ったりして。

船越≫四季を退団されたあと
ご自身で

劇団お作りになるんですよね。

大和田≫昔の映画も
ありましたので

演出してたんですけど
全く食えなくて

どうしようかというんで
早稲田の先輩がNHKで

ADをやってらっしゃる方がいて
大道具でもいいから

役者じゃなくていいから
バイトさせてほしいと。

それで、相談に来たんですよ。
そしたら、5階の食堂で

おなかすいてるだろ?って
ラーメンをごちそうになって。

そしたら
そこにたまたま朝ドラの

プロデューサーが
通りかかりまして

紹介されたわけです。
じっと僕の顔を見て

お前、坊主頭になれるか?って
言われたんです。

当時、長かったんです。

ようするにヒッピーとか
グループサウンドが

はやってましたけど

現実は床屋さんに行く
お金がなかった。

当然、坊主でも
なんにでもなりますって

言ったんですね。

この周一の役を
ずっとオーディションしてきて

最後のオーディションが
あるということで

3人くらい残っていらして

最終的に、そこに
ぽんと入りまして

決まったんですけど。

その坊主頭を
周一カットって、その役名で。

阿部≫こちらですね。

美保≫チョコレートのCMに
出ていたのも

私、なんて
男らしい人なんだろうと思って。

阿部≫表彰されたんですって?

大和田≫理容組合から表彰されて
全国に私のポスターが

貼られていました。

阿部≫それから人気ぶりが
大変だったということで

いろんなエピソードが
おありだそうですね。

婚姻届が届いたとか。

大和田≫はがきの中に
そういう婚姻届のあれが

入っていたりとか
いろんなことありまして

新橋演舞場で芝居を見ていたら
お客様に見つかっちゃって

騒ぎになっちゃったんです。
それで、芝居やってる最中だから

係りの方に、すみません
こっち来てくださいって

追い出されちゃったんです。

船越≫それぐらい
すごい人気だったんですね。

でも、あれだけ
ブームになってしまうと

その周一という役のイメージに
縛られたりということも

あったんじゃないですか。
大和田≫それが悩みの種でしたね。

青春ものの爽やかな青年
日本男児の役ばかりだったですね。

それで、変わった役に挑戦したり
いろいろやってました。

船越≫例えばどんなことを
試みられたんですか?

大和田≫ちょっと
恥ずかしいですが、オネエ風の

百恵ちゃんとか
桜田淳子ちゃんとか

郷ひろみさんとかあの辺の
若い方たちとやるときに

お兄さん分の役だったんですが
お姉さんになっちゃって。

ちょっと変わったことをやって
お姉さんで出たりして。

船越≫もともとの設定は
お姉さん風の役ではなく?

大和田≫お兄さんですよ。
店長ですから。

船越≫大和田さんが
ご自身の味付けで?

大和田≫今をときめく
若い歌手の方が

いっぱい出ていらっしゃって

ちょっと変わったこと
やりたいと思って。

そうしたら、お手紙を
いっぱいいただきまして

気持ち悪いからやめろって。

阿部≫そうした悩みを乗り越える
きっかけになった方が

いらっしゃるんです。
高倉健さん。

まだ面識はなかったと
お聞きしていますが

高倉さんのことが大好きだった
大和田さんは

好きすぎるあまり
こんな行動に出ます。

「「役をください」と頼み込む」。
船越≫頼み込むというのは?

大和田≫とにかく
健さんの大ファンで

東映をやめられてフリーになって
映画に出るということで

絶対会いたいと思って

プロデューサーのところに
行きまして、健さんと

お仕事したいので
どうしても出してくださいと。

監督たちもいらして
そうか、それほど言うならって

台本を探してくださって
健さんをずっと

追いかける刑事
原田芳雄さんがいて

それにいつもくっついている
老刑事というのがいたんです。

その老を消して
若い刑事を入れたんです。

原作では老刑事なんです。

船越≫「君よ憤怒の河を渉れ」
ですね。

大和田≫最近、中国でも
リメークされましたね。

それに出まして、健さんに合間に
よくお話をさせていただいて

実は、こう悩んでいるんだと。

これから、僕は役者だから
1つの役じゃなくて

いろんな役を
やりたいんだと言ったら

健さんが
いろんな役で枝を張るよりも

1つの大きな幹になりなさいと。

その大きな幹になればこの枝葉も

全部それに含まれると。

大きな大和田伸也という役者に
ドンとなれば、それから

いろんな役ができるということを
言っていただいて。

阿部≫どう受け止められましたか。

大和田≫さすが健さんというか

いろんな役を
やろうっていうんじゃなくて

自分自身を磨いて
どんとした役になろうと。

だから、それまでは
若い日本男児の

爽やかな青年だったのが

爽やかな日本男児の
大人の男っていうので

それまでは

いろんなテレビを
断っちゃったんです。

途中で逃げちゃったりして。

全部フリーにしちゃったんです。
いろんなの降りちゃったんです。

映画には参加したんですけど
安い給料で。

それが終わりましたら
「水戸黄門」も。

要するに誠実な日本男児の
大人の男。

それから、映画の主演をしたり。

すごいなと思いましたね
健さんの言葉は。

船越≫人生の岐路と
言っていいような

出会いだったんですね。

大和田≫健さんから
こういうお言葉を

いただけなければ
今、こうやって

役者をやってられないかも
しれないですね。

美保≫いろんなこと
考えちゃいますもんね

30手前って。
時代に合っていないんじゃ

ないかとか。

大和田≫もっとやりたいことも

いっぱいあって
なんで、1つの役ばかり

やらなきゃいけないんだとか
生意気に考えてたんですよ。

船越≫でも、すごいのは
偶然の出会いじゃなくて

ご自身が引き寄せた
出会いですもんね。

大和田≫頑張ってたんだね。
♪~

川村≫お邪魔します!
どうも、たんぽぽ川村です。

よろしくお願いします。
お隣、失礼いたします。

美保≫女子が来た、女子。
川村≫華やいだらいいですけど。

ここからは私が
大和田さんに関する

性格が真っすぐすぎるがゆえに
引き起こしてしまった

うわさの数々を
ご紹介していきたいと思います。

まずは

「息子さんを説教していたのに
自分が泣いてしまった?」。

こちらは?

大和田≫なんで知ってるの
そんなこと。

川村≫すみません。
調査員なもので。

大和田≫子どもをしつけるのに
ふだんは

わりと自由にしてるんですが
一生に1回でいいから

ものすごく悪いことをしたときに

怒って。

それで、庭の物置に

閉じ込めたことがあるんです。
3歳か4歳くらいで。

そして閉じ込めたはいいんですが
しばらくしたら

かわいそうだなと
思うようになって

それで人に言わせると
すぐ開けに行ったと。

しかも、お父さんが
わーわー泣いていたって。

川村≫号泣ですか?

大和田≫号泣してたって
言ってましたね。

川村≫そのとき息子さんは
泣かれていたんですか?

大和田≫けろっとしていた
気がするな。

川村≫息子さんも
びっくりしたでしょうね。

また怒られると思って
開いたと思ったら

お父さん号泣って。

船越≫まだ反省する
手前だったかもしれませんね。

大和田≫だから、これは僕に
合わないと。

それからは、特に
下の弟の健介なんかもそうですが

なるべく
友達として接するというか

友達のつもりで接しようと
方針を変えました。

だから、いまだに健介とは
映画も一緒に行きますね。

お風呂も一緒に入ります。
おじさん2人が。

川村≫こちらのうわさは
本当でした。

まだまだございます。

続いてのうわさは

「真っすぐすぎて痛い目に
partI」。

こちら、何やら映画館で
真っすぐすぎて

痛い目に遭ってしまったと
伺ったんですけども。

大和田≫映画を見ていたらですね

一番いいところに

高下駄を履いた若者が
カランカランと

その当時はやっていたようなのを
履いて

2人が入ってきたんです。
しかも真後ろに。

それで、彼らは
途中から入ってきたから

物語が関係ないから
しゃべってるんですよ。

周りの人たち、みんなが
困ったみたいな顔しているんです。

それはまん前の僕が
何か言わなきゃいけないと

思ったけど
いきなり言うとあれだしと思って

そっと見て
優しくですよ。

すみません、静かにして
いただけますでしょうか?と

下手に出て言ったんですよ。
静かにしなさい!とは言ってない。

そうしたらですね、後ろで
おい、前のおやじ

やってもいいか?って
言ってるんですよ。

どうしようと思ってるうちに
その男が

高下駄を持って
僕の後ろに上がってきて

ガンと頭をたたいたんです。

それで大慌てで逃げようと思って

みんな一生懸命、映画見ているし
大事なところだし。

それで、逃げようと思って
逃げる途中に

映画館を出ちゃったら
追いかけられて捕まってしまうと。

でかい若者だし。だから、探して
一番混んでいそうなところ。

しかも一番大きな体を
している人のところへ

だーっと走っていって
そこに隠れて

ずっと見ていたんです。
そうしたら、2人しゃべりながら

出ていっちゃいました。

船越≫よかったですね。
それ以上襲われても。

大和田≫外に出たら
追いかけられてたからね。

川村≫大丈夫ではあったんですね。
よかったです。

船越≫映画は
ご覧になったんですか?

大和田≫そのあと
すっかり分かりません。

美保≫せっかく
いいところで見たのにね。

川村≫じゃあ、後半は
分からずで?

大和田≫いまだに
「インディペンデンス・デイ」

どうなったかなって
テレビでも

やっていない気がする…。
船越≫何度もやっていますよ。

大和田≫見てないんですよ。
トラウマがあって。

川村≫こちらのうわさも
本当でした。

阿部≫partIということは…。

川村≫まだございます。

「真っすぐすぎて痛い目に
partII」です。

こちらは、何やら街なかで
痛い目に遭ってしまった

ということなんですけれども
こちらは何が?

大和田≫仕事に行く途中に
繁華街を歩いてたんです。

真ん中に高校生らしい
幼い子が5~6人で

座って、なんていうんですか?

美保≫ヤンキー座り?

大和田≫それで

たばこ吸ってたんです。

しかも人がよけて
通らなきゃいけないから

道の真ん中で邪魔だし
当時は僕も

たばこ吸ってましたから
たばこ吸うなというのも

あれだから
なんか言い方ないかなと思って

考えている間に1人と
目が合っちゃったんです。

そうしたらいきなり
なんだこの野郎!

文句あるのか!ときて
いきなりばーっと

殴りかかってきたんです。
それで、血は出るわで

そのときも、こんなに大勢だし
人がいっぱいいるしと思って

かなわないから逃げようとして

逃げたんですよ。

そして、テレビ局行きましたら

血が出たりして、メークさんが
治してくれたんですけど。

眼鏡は壊れるし。

それで、大きいニュースになって
しまったんですけどね。

そのとき、悔しかったのは

自分が殴られたのも
悔しいですけど

周りの大人が遠巻きで見てて
ひと言も、何もしなかったと。

川村≫遠目に見ていたという。
でも、大変でしたよね。

お仕事に行く途中だったのに。
それはやっぱり

真っすぐな気持ちで
注意しなきゃという思いに?

大和田≫なんとかしなきゃ
というのはありましたから

当時、若者がキレるとか

そういう言葉がはやっている
ちょっと

殺伐とした時代だったので。

船越≫ちょうど2000年になる
手前くらいでしたよね。

大和田≫ですから
自分も子ども2人いたし

男の子には特になんか
ひと言注意というよりも

言いたいなと思ったんです。

川村≫真っすぐすぎて
行動することは多いんですか?

大和田≫多いんですよ。

だから、よく息子たちに
言われるんです。

お父さん、気をつけなさいと。

今、若者たちは
いい子多いですけど

でも、いろいろあるから
お父さん、それはだめだと。

ましてや、最近は
この年になりますと

頑固じじいと言われますから。

川村≫言わずには
いられないというか?

大和田≫やっぱり、当時も
ボランティアでなんかされる

青年がいたりして
いい若者はすごく多いんで

話せば分かるという気持ちが
すごく強いんですよね。

それからはなるべく話し合って

すごく仲よくなってから
言いたいことがあったら言おうと

そういうふうに決めました。

船越≫上から目線ではなく。

大和田≫同じような目線に立って
時と場所を選ぶ。

それから相手の状況。

みんなの前で言われちゃったら
相手も恥ずかしいから怒るよね。

そういうことを考えて
やりたいなと

思うようになりました。

川村≫そういう怖い思いをしたら

その後、若者と接するのを
ためらうと思うんですけど

正義感の強い
真っすぐな大和田さんは

行き着いたんです。

「勇気を出して
人と関わっていこう」と。

大和田≫人と関わるというか

例えば、こういう時期でも
チャラチャラと

オートバイに乗った
若者たちの軍団が

やばいかなと思ってると
大和田さん、頑張ってねって

手を振ってくれる若者もいるし
なるべく人と人が関わって。

年齢関係なく。
それが

1つの僕のテーマになりまして
後に自分で

映画を作ることがあるんですが
そのときのテーマでもあって

人に関わっていこう。
そういうふうに思います。

川村≫伝えれば伝わると。
大和田≫それを信じてるんです。

川村≫すてきですね。

船越≫ちなみに、今でも街なかで

そういう若者を見かけたら
話はされるんでしょうか?

大和田≫したくなりますね。
船越≫それがすばらしい。

美保≫言われたくて、ああなって
目立とうとしている子たちって

いるんですよね。
構われたいんですよ。

わざと奥に詰めなかったり。

バスに乗って奥に詰めない子
いるじゃない。

奥が空いているのに。

詰めていかなきゃいけないけど
入り口でおばあちゃんが

乗ってきても、よけないとか。
大和田≫それは関わってほしいと

思ってるの?
美保≫わざといるんですよ。

大和田≫それも
言い方、関わり方をうまくやれば

分かってくれる。
川村≫優しく関わりたいですね。

船越≫無関心が
一番よくないですね。

川村≫ということで
ウワサの真相コーナーでした。

♪~(コーナー音)
船越≫続いて

船越のクエスチョン5!

船越≫振り返らせていただきます。

ブログで失敗したことがある
イエス。

美保≫どんなことなんですか?

大和田≫その当時
まだブログが始まるぐらいで

ブログに、お芝居をやるから
芝居をやったら、皆さん

楽屋に遊びに来てくださいなんて
気楽に書いちゃったんです。

そうしたら、本当に
楽屋に押し寄せちゃって。

美保≫お客さんが?
大和田≫終わってから。

それで皆さんにご迷惑かけて

スタッフはしょうがなく
1部屋、別にとりまして

そこで僕のブログを
見て来た人たちの

集いの場所にしてくれて。
影響力がすごいなと思って

それでブログはやめました。
今、ツイッターやっています。

美保≫またつぶやいちゃうでしょ。

大和田≫いいね!が
2万超えたこともあるの。

それからもう、ツイッターです。

船越≫でも軽はずみなご発言には

気をつけていただきたいと
思います。

そして、子どものころから
役者を目指していた

これは意外ですがノーですね。
子どものころの夢は

なんだったんですか。

大和田≫夢はね、その当時

絵が好きだったり
しゃべったりするのが好きで

放送部にいたりとか
運動部にいたり

いろんなことをやってたの。

全部総合的なものって
なんだろうって思ったら

当時、イタリア映画や
フランス映画が大好きで

映画を作りたいと。
映画監督になりたい。

それが夢でした。

阿部≫ここでご紹介しましょう。
少年のときの夢はかなうんです。

2013年
大和田さんの初監督

「恐竜を掘ろう」。
見事にかないました。

いかがでした?お気持ちは。
大和田≫とにかく

うれしかったのは
松方弘樹さんをはじめ

皆さん駆けつけてくれて
いろんな方が

出ていただいたということと
それから、役者としても

勉強になりましたね。

スタッフというか監督は
こんな苦労があるんだと。

それが分かるようになりまして

例えば、マイク。
胸につけるでしょ。

それから上にもあるでしょ。
なんで2つもいるの?って

いつも思ってたんです。
役者やってるときは。

ところがそれは必要なんです。

音の広がりとかいろいろ。
そういうことが勉強になりました。

美保≫風の音、布の音

ぱさっていうのとか。

大和田≫広がりが出るしね。

美保≫あとロケハンとか
行ったんですよね。

大和田≫もちろん
ロケハン行きました。

美保≫それが一番
大変じゃないですか。

大和田≫それは
楽しくやってました。

ほとんどみんな行ってましたが
そのころ寝てませんでしたと。

でも、生き生きやってましたって。
一生懸命やっていましたって。

楽しかったです。

船越≫1回もお座りにならないで
ずっと走り回っていたそうですね。

そして、怪奇現象に
遭遇したことがある、イエス。

どんな現象だったんですか?

大和田≫これはね
UFOに遭遇してるんです。

小学生のときから始まって

結構、大人まで
7~8回見ています。

いろんなところで。

ただ、この話をしますと
1日かかってしまうと。

美保≫ツイッターが
またすごくくると思います。

大和田≫この続きはツイッターで。

美保≫今日フォローします!

船越≫さわりだけでも。

大和田≫小学校のときに
最初に見たのは

みんなで運動してたら
向こうに小高い山があって

その上空で見たのが始まりでした。

それから調べたんだけど
UFOらしきものを

知ったんですけど。

それから、ことあるごとに見て

東京に出てきてからも
青山通りの上空でも

見ましたし
某局のアンテナがあったり

水があるところに出るらしいです。

一番すごかったのは、大学受験で

悩んでいるときに
小高い山で街を見下ろしてたら

後ろに、何かが。

船越≫それは生物ですか?

大和田≫UFOなんですけど

小屋ぐらいの大きさの
透き通るような。

それが、ばっといて。

後ろ振り返ったら、じーっと。
目があるわけじゃないんですけど

こっちを
見つめているみたいな感じで

じっと見ていて
だんだん怖くなって

目線を外して逃げたんです。
そして、振り返ったら

消えてたんですけど。
その山の一番上には

小さな祠がありまして
そこは山の神様と

みんな言っていて。そこより奥は
入らないようにという

昔から言い伝えがあったりとか

それから戦前、大人たちが
あそこから米軍の飛行機が

飛び立つのを見たことがあるとか
そういううわさがある

ところだったんです。

美保≫チップとか

埋められてないですか。
大和田さん。

大和田≫あれ…?
美保≫あるかもよ。

船越≫実は意識がなくてその間に
危ないことをされてたかも。

大和田≫ただ、その後
人々の平和に

役に立つことをやりたいとか
そういう心にはなりましたね。

船越≫もしかしたら宇宙からの
メッセージを

受け取ったのかもしれない。
川村≫続きはツイッターですね。

船越≫そして

初挑戦をされたことは?

大和田≫これは、オペラに
初めて挑戦したんですけど

日生劇場で。
この間終わったんですけど。

モーツアルトの五大歌劇に
1つだけ、主役というか主な役が

歌わないっていうオペラなんです。

ずっと出ずっぱりなんだけど
なぜかこの人だけ

歌わないという。
おもしろいなと思ってね。

そんな経験ないから、じゃあ
お引き受けしようってことで出て。

美保≫歌おうとすると
邪魔されるんですか?

大和田≫邪魔されるんじゃなくて
言葉で答えるんです。

ただ、ドイツ語だったので。

歌は僕
「アニー」とかミュージカルを

やっていましたけど。
だけど、歌は諦めて。

ドイツ語に挑戦して。

船越≫しかも日生劇場という
スタートの場所。

大和田≫それもあったんで
お引き受けしたんです。

45年ぶりだってなって。
それで行ったら受付のご婦人が

資料を出してくれまして
大和田さん、48年ぶりに

おかえりなさいって言ってくれて。
あのころ、一番広い地下の楽屋に

みんなでいたのが
今回、一番いい部屋に

入れていただいて
これで俺の人生

終わったのかなって。

船越≫また再スタートを切った

ということですね。
そして最後

正義の味方が大好きだ、イエス。
大和田≫「アトム」が好きです。

「アトム」をはじめ
いろいろ好きで。

阿部≫コレクションが
すごいですね。

大和田≫アトムは正義の味方で
大好きな少年なんですが

これはアトムの生まれた年に

1年間放送したやつで
声をあてたんです。

それもあって、集めたんですが。

もう1つ
「ライオンキング」っていう

ムハサの役をやりまして

最近、テレビでも
やっているんですがそのおかげで

「ライオンキング」のグッズを
集めてまして。

川村≫結構たくさんあるんですか。

大和田≫「ライオンキング」も
なかなかないんですけど

大好きなあれですから
もっと増やしたいと思って。

阿部≫大和田さんの
いろいろな面が

見えてまいりましたが
最後の項目は「証言者続出!!

大和田伸也さんの裏の顔」です。
今まで真っすぐな人生を

やってきたんですけど
裏の顔があるんですね。

よく知る方々からの
証言を集めました。

証言してくださったのは
大和田ファミリーです。

皆さんが語る裏の顔というのが

「実は…
ひょうきん者でおちゃめ!」。

大和田≫誰が言っているの?

阿部≫ファミリーの皆さんですよ。
心当たりはおありですよね?

大和田≫どうでしょうか…。

阿部≫まずは
次男の健介さんからの証言。

「先日のハロウィーンで
怖いお面をかぶって

人を驚かせたり
キャンディーを配っていた」と。

イメージしにくいんですが
実際のお写真をお借りしました。

これ、なんのふん装でしょう?

大和田≫これは
なんでもないんですけど

次男の健介とテーマパークとか
しょっちゅう遊び行くんですが

ハロウィーンが行き時なんです。

変装できるからばれないんです。

思い切り楽しめるんです。

あるときは
具体的な格好をしていたんですが

それは声でばれちゃったので。
しゃべるとばれちゃうんです。

今回は、しゃべらないで。
普通の格好なんですけどね。

川村≫このときマナーの悪い人に
注意したりとかは?

美保≫職質されるよね、これ。
黒いマスクやばいもん。

大和田≫どこかに隠れて
座ってるじゃないですか。

子どもたちが遊びに行っていると。

そうすると人が歩いてきて
うわ!ってびっくりするんです。

僕がここの
キャラクターかと思って

その快感はあります。

阿部≫続いては弟の
獏さん、岡江さん夫妻の証言。

「似てないモノマネを披露する」
「親父ギャグをよく言う」という

証言です。

モノマネはどういう
レパートリーが?

大和田≫僕、知らないよ。

ものまねなんて…
したことないよ。

川村≫お茶目!

大和田≫なんてことないですけど
俺は、古いのばっかりだから。

阿部≫例えば?

大和田≫いや…。

美保≫今のパクパクの下は何?

♪丘の上ひなげしの花が

大和田≫これは

お母さんの前でしかやらないです。
船越≫今、全国放送です。

美保≫アニメ声もできるんですね。

大和田≫アニメはいい声ばかり
やっていますけどね。

「ライオンキング」とかでもね。

シンバ、星を見るんだ。

阿部≫そして、親父ギャグも。

冒頭でもありましたが
しんやなのにお昼の生放送と。

では、続いての証言は
岡江さんからです。

「女性の前だと
低く甘い声になる!」。

ちょっと、純さんに向けて

やってみていただいていいですか。

大和田≫そんな声
出したことないよ。

でも、純ちゃんだから。
こんばんは。元気?

美保≫私、ちょっと
手相見てほしいんですけど。

大和田≫手相は見れないけどね
君の顔は見れるよ。

美保≫ありがとう。

なんかぐっときますね。
心にきますね。

大和田≫いい声だからって
昔の話だけど

冗談で、女の子に
そんないい声だって

言うんだったら
じゃあ、枕元で

ささやいてみようかって。
いや、結構です

電話にしてください!って。
親に感謝です。

阿部≫それから
やっぱり誠実だという証言も

いろいろいただいていまして
弟の獏さんからは

プライベートやロケの最中
ファンの方に

律儀に対応していらっしゃって
とてもサービス精神があります

という証言もいただきました。
それから、岡江さんからは

名古屋のお母様に
まめに電話を入れている。

とても親孝行ですという証言も
いただいています。

そして、めいにあたる
美帆さんからは

こんな証言です。
「思いつきで話を脱線させる」。

川村≫どういうことかしら?

大和田≫これは
普通のことをしゃべったら

おもしろくないから
ちょっと脱線させて

おもしろくするという。
最後は軌道修正する。

そこまで言っていませんでした。
軌道修正するって。

阿部≫最終的には
おもしろくなるので

すごい才能だと思うと
おっしゃっています。

美保≫着地がいいと
よかったと思う。

川村≫どこか行ったまま
どこか行ったら困りますからね。

阿部≫いろいろな証言
ありがとうございました。

ここで
今夜のおすすめ番組です。

≫謎に包まれた深海。
極限の環境に

えたいの知れない
生き物があふれる。

阿部≫「LIFE!」が送る
スペシャルドラマ

忍者アクションコメディー
「忍べ!右左エ門」。

右左エ門≫うわー!

阿部≫今夜の「LIFE!」
いつものコントとは違うんです。

初の本格時代劇です。

内村さん演じる右左エ門が
江戸城に潜入して

永野芽郁さん演じる

おことの父を探し出すという
忍者アクションだそうです。

出演者も豪華です。
堤真一さん、古田新太さん

國村隼さん、薬師丸ひろ子さん
永野芽郁さんなどなど。

堤さんは本格的な
たてのシーンを演じている

ということですね。

船越≫コメディーじゃ
ないんですか。

阿部≫一応
「LIFE!」ですから

お笑いも
盛りだくさんということです。

「LIFE!スペシャル
忍べ!右左エ門」は

総合テレビ今夜10時からです。

大和田さんもこういうのに
出ていただきたいなと思います。

大和田≫コメディー
やってみたいですね。

美保≫真っすぐやってもらえたら
笑える。

大和田≫コメディー
大体好きですね。

本当は、ええい!と印籠出すより
コメディーやりたい。

阿部≫お便りをいただいています。
おなじみ、名古屋の

じーこまろさんからイラスト。
川村さんもいらっしゃいますね。

大和田≫あれ僕?ありがとう!

阿部≫印籠の中に
ガンコと書いてあります。

あれ、UFOが後ろにいますよ。

船越≫ちゃんと番組を
ご覧になっていただきながら

描いていただいてるんです。

阿部≫物心ついたころから
祖母と一緒に見ていたのが

大和田さん時代の
「水戸黄門」でした。

いろいろな方が
なさっていますが

私の中での一番です。
先ほどの「控えおろう」

しびれました。
ありがとうございました

ということでした。
それから、富山県20代男性。

弟の獏さんは
お昼の情報番組の

司会をされていましたが
伸也さんも情報番組の司会は

いかがでしょうかと。
大和田≫じゃあ

深夜にしましょうか?

船越≫またまたいただいて。
「よるナマ」。

阿部≫先ほど、渋い声を
披露していただきますが

伸也さんご出演のドラマ

欠かさず見ています。

伸也さんの渋い声に
いつもひかれています。

メッセージ
たくさんいただいております。

今日は真っすぐすぎる人生
ということでお送りしました。

船越≫あっという間で
ございましたね。

時間が足りなかったので
またお越しいただいても

よろしいでしょうか。

阿部≫UFOの話も

続きが気になりますし。
美保≫ツイッターを

見ればいいのね。

船越≫「恐竜を掘ろう」
じゃなくてUFOの話を掘ろう。

今日のお客様
大和田伸也さんでした。

どうもありがとうございました。
阿部≫あすは柄本佑さんです。

それでは「ごごナマ」
このあと2時台の内容について

お願いいたします。


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