仕事探しは門前払い…「実績はないけど」工夫で見つけた成功への道
放送作家・海老原靖芳さん聞き書き連載(22)
1975年春に大学を卒業した私は就職もせずに妻の収入で暮らす計画でしたが、頼りの妻が病気になり、思案の末にコピーライターをやることにしました。広告の仕事をしていた親戚のつてで、美容室のダイレクトメールやスーパーのチラシなどを手掛けました。
1件当たりの収入は8千円、1万円。横浜で生活するには足りません。前回の「やりたくないノート」に記したように、就職はしたくなかった。でも日銭はいる。目を付けたのは、新聞広告に出ていた広告代理店やプロダクションのコピーライター募集でした。
正社員になるつもりはありません。フリーのコピーライターとして仕事をくれませんか、と数十社に履歴書を送り、面接を受けました。ほとんどの会社は社員にならないなら用はないと門前払いでしたが、中には若い熱意を受け止め、仕事を回してくれるところもありました。
コピーライターを名乗っているとはいえ、見せられるような仕事の実績はありません。そこで面接では一工夫。当時先端を走っていたサントリー、資生堂、パルコといった広告の企業ロゴや商品写真を切り取り、スケッチブックに貼り付けます。そこに自分なりのキャッチコピーとボディーコピー(商品の説明)を書き加えました。
20~30点自作し、スケッチブックを開いて「実績はないけどアイデアはあります」とアピール。「若いのに頑張っている」と気に入ってくれ、受注に成功したこともありました。
就職活動中の人が、面接で自分には何もアピールするものがないと諦めずに、相手に認めてもらうにはどうすればいいか。他の人とは違うアプローチを考える必要があるのではないでしょうか。そんなセルフプロデュースをすれば、成功への道が開かれるかもしれません。何事にも努力も真面目さも必要です。
真面目なんて言葉はお笑い系放送作家には似合わない、と思う読者もいらっしゃるかもしれませんが、私の座右の銘は「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」。コント台本も書いていた作家の井上ひさしさんの言葉です。
コピーライターをなりわいにしていましたが、何か満たされない私がいたのも事実です。それは次回に。
(聞き手は西日本新聞・山上武雄)
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海老原靖芳(えびはら・やすよし) 1953年1月生まれ。「ドリフ大爆笑」や「風雲たけし城」「コメディーお江戸でござる」など人気お笑いテレビ番組のコント台本を書いてきた放送作家。現在は故郷の長崎県佐世保市に戻り、子どもたちに落語を教える。
※記事・写真は2019年07月11日時点のものです