日本は豊かになったはずなのに…貧困の子どもたちに見た光と影
放送作家・海老原靖芳さん聞き書き連載(19)
通っていた東京・青山学院大は学生運動の影響でロックアウト。学費値上げを巡る大学と学生との衝突が要因でした。暇になったキャンパス生活。それならばと、私はさまざまなアルバイトに励みました。1973年、3年生の頃です。
五反田の缶詰工場で午後7時から12時間、夜通しで働きました。銀座のビアガーデンでは同じような年齢の学生たちが女子と合コン。「参加させてくれないかな」と思いながらビールジョッキを運んでいました。
川崎の港の荷役作業では米国から輸入した小麦袋を抱え、倉庫に運びました。重労働でしたが、役得もありました。小麦粉をもらえたのです。それで毎日お好み焼きを作って食べていたら、食費は浮きましたが、ある日突然おなかを下し、一晩中トイレにしゃがんでいたこともありました。
横浜のホテルのレストランではプリンアラモードをせっせとこしらえました。コックの帽子をかぶりながら鏡を見た私。「似合ってるわ」と悦に入りました。
両親からの仕送りは2年で断りました。月2万5千円。これを補って余りあるアルバイトの稼ぎ。コック長に「大学なんかやめちまって、うちに来いよ」と誘われました。
確かに大学にはほとんど通っていませんでした。でも中退したら佐世保の年老いた両親や叔母がどれほど残念がるか。3人にとって一人っ子の私は希望の星。卒業だけはしようと考えました。
暇なキャンパス生活でしたが、ゼミはありました。経済学部の私が選んだのは公害専門のゼミ。児童福祉ボランティア団体に所属し、貧困の子どもたちを見てきました。戦後の奇跡的復興で国民総生産(GNP)は世界第2位になり、豊かになったはずの日本。でも彼らが救われないのはなぜだ。光と影です。それは公害被害者の方にも言えます。
政治を憂え、社会を変革しようと、街では若い人たちのデモが盛んに行われました。参加しませんでしたが、自分はどうすればいいのかと下宿の畳の上で寝転びながら思案しました。同じ社会問題を勉強したい。結論はまずは机上で公害を学ぼう、でした。
公害はなぜ起きるのか。経済の発展も必要だが、そのために公害が発生するならば本末転倒ではないか。学びたいことはたくさんありましたが、残念ながら、期待外れのゼミでした。次回お伝えします。
(聞き手は西日本新聞・山上武雄)
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海老原靖芳(えびはら・やすよし) 1953年1月生まれ。「ドリフ大爆笑」や「風雲たけし城」「コメディーお江戸でござる」など人気お笑いテレビ番組のコント台本を書いてきた放送作家。現在は故郷の長崎県佐世保市に戻り、子どもたちに落語を教える。
※記事・写真は2019年07月08日時点のものです