自腹で出したアルバイト代…受け取った学生の名は「ミタニ」
放送作家・海老原靖芳さん聞き書き連載(34)
大盛況に終わったとんねるずのライブ。予算がほとんどなく、機材はテレビ局から借り受けました。演出と台本担当の私はノーギャラでした。
それでも人は必要です。音響・照明の担当者を誰にしようかと考え、ふと思いついたのは脚本家志望の「ミタニ」です。コント台本が書きたいと、私が所属していた放送作家の事務所「ドデカゴン」に出入りしていました。
彼に頼んだところ、「お手伝いします」と二つ返事でOK。学生で劇団「東京サンシャインボーイズ」に所属していました。本番と4、5回のリハーサルを含め、ただ働きじゃ悪いから自腹を切って1万円のアルバイト代を出しました。
ドデカゴンの代表河野洋さんから「面倒を見てくれ」と頼まれ、ミタニは私に付いていたこともあります。ドリフのコントをやりたいと聞いていたので書かせたところ、これが長い。コント台本の原稿用紙は上に画面の欄があり、そこに動きを書き、下にセリフを書きます。ミタニは「ドリフ大爆笑」の10枚で済みそうなコント(高木ブーさんのコントなら1枚)を20枚も30枚も書いてくる。
「短く書き直してこい」と言っても、まだ長い。ミタニに「それじゃだめだ」と厳しく指導しました。簡単には褒めない、いいことも言わない。叩(たた)かれても叩かれても書いてくるのがこの世界です。怒るたび、悲しそうな顔をしていたのが印象的です。結局、ドリフのコントに使うことはありませんでした。
とはいえ内容は面白かった。彼に「コントは向いていない。でも長い作品は今後、君の核になりそうだから大切にした方がいい」と伝えた覚えがあります。話も合いました。私と同じように米コメディー映画の巨匠ビリー・ワイルダーを尊敬し、クレージーキャッツで笑い、シャボン玉ホリデーが大好き。礼儀正しく、性格も好青年でした。
果たしてミタニは長い脚本が向いていました。田村正和主演の大ヒットドラマ「古畑任三郎」、織田裕二の「振り返れば奴(やつ)がいる」。大河ドラマや映画でもシナリオを書き、大成功を収めました。
以前、私が本を書いたとき「帯」に推薦文を頼みました。超多忙なのに「僕でいいなら」と謙虚に答えるところも好漢です。でも送ってきたのが、また長文。帯に入り切れません。こちらで勝手に短くしました。ごめんね、三谷幸喜先生。
(聞き手は西日本新聞・山上武雄)
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海老原靖芳(えびはら・やすよし) 1953年1月生まれ。「ドリフ大爆笑」や「風雲たけし城」「コメディーお江戸でござる」など人気お笑いテレビ番組のコント台本を書いてきた放送作家。現在は故郷の長崎県佐世保市に戻り、子どもたちに落語を教える。
※記事・写真は2019年07月26日時点のものです