「また逢う日まで」読書漬けのキャンパスライフで芽生えた決意

西日本新聞

放送作家・海老原靖芳さん聞き書き連載(18)

 私が青山学院大に入学した1971年は高度経済成長時代が終わりを迎えようとしていた頃です。

 スポーツでは横綱大鵬が引退、江夏豊がプロ野球のオールスターゲームで9連続奪三振を記録し、巨人がV7。芸能界では「格子戸をくぐりぬけ 見あげる夕焼けの空に」-、と小柳ルミ子のデビュー曲「わたしの城下町」が大ヒットし、太いもみ上げの尾崎紀世彦の「また逢(あ)う日まで」が日本レコード大賞に輝きました。第2次ベビーブームが始まったのもこの頃です。

 69年の東大安田紛争のような激しい学生運動は下火でしたが、青学でも学費値上げを巡り、大学と学生が対立し、やがてロックアウト。授業の多くは中止となりました。私は大学の児童福祉ボランティア団体「青山子ども会」で活動しながら読書漬けの毎日でした。学校に行く必要はほとんどありませんでしたから。

 東京は神田、高田馬場、渋谷に古本店が点在しています。そこを片っ端から巡り、寺山修司、五木寛之の人気作家から、戦中の人肉食事件を題材にした「ひかりごけ」を著した戦後派文学の武田泰淳まで読みあさりました。友人に借りた北杜夫全集も読破しました。

 ある歌手の存在も知りました。小室等。「六文銭」を68年に結成した伝説的なフォーク歌手。「雨が空から降れば」「出発(たびだち)の歌」の作曲で知られ、穏やかな曲調に社会的メッセージを乗せていました。児童養護施設を訪問した折、ギター片手に歌っていました。長髪にひげがトレードマーク。地道な活動を忘れない姿勢は好きでした。

 試験はリポートでOKというキャンパスライフ。キャンパスライフ、なんだかおしゃれな響きですね。田舎者の私は、学年を重ねるにつれ、佐世保弁が消えました。「おいがくっけん。よか」なんて言いません。「俺が行くからさ。いいかい」。キザですね。ああ、すっかり都会にかぶれてしまいました。

 でもこんな生活でいいのかと、疑問が湧いてきました。老いた両親が佐世保競輪場の食堂「みよし乃」で20円のおでん、100円のうどんで稼いだわずかなお金を仕送りしてくれる。授業がほとんどなく暇だから、働いて稼ごう。果たして自分はこの都会でどれだけやっていけるか。おいは、両親と「また逢う日まで」に一人前になろうと「見あげる夕焼けの空に」誓いました。

 月2万5千円の仕送りを断りました。

(聞き手は西日本新聞・山上武雄)

………………

 海老原靖芳(えびはら・やすよし) 1953年1月生まれ。「ドリフ大爆笑」や「風雲たけし城」「コメディーお江戸でござる」など人気お笑いテレビ番組のコント台本を書いてきた放送作家。現在は故郷の長崎県佐世保市に戻り、子どもたちに落語を教える。

※記事・写真は2019年07月06日時点のものです

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