美人から誘われサークルに そこで出会った2人の小学生

西日本新聞

放送作家・海老原靖芳さん聞き書き連載(17)

 目がちかちかするぐらいに、何もかもがまぶしく映る。故郷のような緑はない。きれいな海もない。空はかすみがかかっている。でも、仰ぎ見るような高層ビル群、満員電車、街の雑踏。はやりのジーンズを格好良く着こなす若者たち。佐世保で読んでいたあの「平凡パンチ」の世界です。

 1971年春。やって来ました、東京です。

 進学先は渋谷にある青山学院大。ファッションの先端、青山通りを歩き、大学の正門をくぐるとクラブやサークルに誘う上級生たちがわんさか。さて、サークルはどこにするかと考えていると、はっとするようなきれいな女性に会いました。ショートカットに大きな瞳が印象的でした。私はめん食いです。豚骨ラーメンも美人も大好きです。目が合うと催眠術にかかったように、ふらふらと誘われるままサークルの部屋へ付いて行きました。

 サークルの名前は、青山こども会。養護施設を訪ねて、子どもたちと交流する児童福祉ボランティア団体でした。その女性がいるのなら、とよこしまな考えで入部しました。

 調布市(東京)と一宮町(千葉)にある養護施設を訪問し、子どもたちを引き連れて歌ったり、キャンプをしたりと楽しみました。一宮町の施設の子どもたちとキャンプに行った房総の養老渓谷。キャンプファイアを囲んだ子どもたちの前に、私が緑色の浮輪を背負って現れました。養老渓谷にはカッパ伝説があるそうで、そのカッパ役をやらされたのです。

 施設への訪問を続けるうちに、小学生の男の子2人と仲良くなり、私はお兄さんのような存在でした。一人っ子の私にとっては弟。でも、会うたびに私の腹を殴ってくる。パンチを何発も。さすがに痛い。施設の人に聞くと「一種の愛情表現。寂しさをぶつけています」と教えてくれました。経済的事情や家庭不和があって、家族と離れて施設で暮らしていた2人。父に飢え、母を恋しがっていた。その反動だったかもしれません。

 ここでも貧困を知りました。佐世保で生まれ育った頃の自分と重なります。貧しかったのは同じ。しかも私は複雑な出生。でも、私には家族がいました。

 彼らは今、50代半ばでしょう。ふと思い出します。その後、どう生き抜いたのか。家庭を築いたのなら、妻や子にどんな愛情を注いでいるのだろうと。

 元気にしてますか。

(聞き手は西日本新聞・山上武雄)

………………

 海老原靖芳(えびはら・やすよし) 1953年1月生まれ。「ドリフ大爆笑」や「風雲たけし城」「コメディーお江戸でござる」など人気お笑いテレビ番組のコント台本を書いてきた放送作家。現在は故郷の長崎県佐世保市に戻り、子どもたちに落語を教える。

※記事・写真は2019年07月05日時点のものです

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