新型コロナウイルスの感染拡大で、JR福知山線脱線事故や中華航空機墜落事故などの追悼慰霊式が相次ぎ中止になった。やむを得ないが、加害企業の責任など事故の教訓を風化させてはならない。
JR福知山線脱線事故は二十五日で十五年。JR西日本の快速電車が制限時速七十キロの右カーブに百十六キロで進入して脱線、マンションに突っ込み、乗客・乗員百七人が犠牲になった。
JR西の歴代四社長が起訴(うち三人は強制起訴)されたが、全員無罪判決が確定。誰も刑事責任を負わなかった。
むろん、事故原因を探る努力は続いた。国土交通省の事故調査報告書は、直接の原因は「ブレーキの遅れ」とし、背景に「考え事で運転への注意がそれた」を挙げ、「運転ミスなどに課される厳しい日勤教育が関与した可能性が考えられる」と述べた。
JR西はこの指摘も受けて日勤教育の内容を見直し、件数も減ってきたという。まだ不十分だ。事故はミスが重なって起き、設備の不備もあった。ハード、ソフト両面でさらに研究を深めてほしい。それこそが風化防止策といえる。
同社には今春、六百四十人余が入社し、事故後に入社した人が初めて過半数になった。「社員の風化」を問われた長谷川一明社長は「事故教育は毎年、全社員に実施している」と話しながらも、教育プログラムをより理解しやすく見直す考えも示した。
昨年暮れ、事故車両七両の恒久保存が固まった。現在は分散保管されているが、大阪府内の社内施設を拡張して一括保存し、社員らが風化防止と安全教育に取り組む。遺族からの「興味本位で見てほしくない」との声もあり、一般公開は慎重に検討してほしい。
一方、名古屋空港で台北発のエアバス機が着陸に失敗して墜落し、二百六十四人が亡くなった事故は二十六日で丸二十六年。この事故でも、刑事責任を誰も問われなかった。事故原因は十二の要素が連鎖したためとされ、そのうち「コンピューター優先が一因」と指摘されたエアバス社は、設計思想を「人間優先」に変更した。事故の教訓であり、忘れずにいたい。
続く大事故の命日。慰霊式がなくても、遺族が抱く悲しみは変わらないだろう。現場に赴く関係者も少なくないと思われる。コロナ禍で右往左往する私たちだが、せめて鉄道や空の安全に思いをいたす機会としたい。
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