貧乏だけど買ってくれたドラム 罰当たりな場所で練習し…

西日本新聞

放送作家・海老原靖芳さん聞き書き連載(14)

 私が長崎県立佐世保南高に入学したのは1968年の春でした。佐世保の街を騒然とさせたエンプラ闘争から2カ月余り。高校3年間は人生の中で一番楽しく平穏な時だったかもしれません。平安時代のようでした。青春していました。

 部活動はせず、友人の、もっちゃんに誘われエレキバンドを組んでいました。歌がうまい友人がいないため、ボーカルはなし。私はドラムを担当することになりました。

 父に楽器が欲しいとねだったところ、OKが出ました。あんなに貧乏だった海老原家なのに。普段はつましく生活しているのですが、たまに奮発して大きな買い物をします。第三住宅の住人で初めてテレビを買った例もあるように。

 もう一つ理由がありました。実は中3のとき、バイクに乗っていたことがありました。無免許で。近所の空き地だけでしたが、父にひどく叱られました。それで、バイクに乗らないならという条件でドラムを買ってもらいました。

 ドラムはパール社のバレンシア。佐世保市中心部のアーケード街の楽器店で父と選びました。当時70代の父。そこでも孫が祖父にねだっていると、店の人に思われたかもしれません。

 バンド仲間の自宅だった寺の本堂を借りて練習しました。仏像が鎮座する厳かな空間。そこににぎやかに響くエレキギターにドラムの音。罰当たりものです。仏様が「うるさい」とおっしゃっていたかもしれません。程なく住職に怒られ、退散。今度は同じ団地に住む叔母の家で練習しましたが、なぜか苦情はありませんでした。

 ベンチャーズにローリング・ストーンズ。サイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」は十八番(おはこ)でした。

 だんだんと流行にも敏感になっていきます。発信源は東京。服装は「VAN」のボタンダウンシャツ。髪は整髪料の「バイタリス」で固め、映画「イージー・ライダー」「明日に向(むか)って撃て!」が名画だと知ったのは雑誌でした。雑誌は、今のスマートフォン並みの情報源でした。

 自宅に近い、大宮町の貸本屋「太陽文庫」に通っていました。小学生時代から小銭を手に立ち寄ったそこには、漫画や雑誌があり、私にとってはもう一つの学校でした。

 高校時代に手にした雑誌は「平凡パンチ」。読むたびに東京へ誘われている気がしました。

(聞き手は西日本新聞・山上武雄)

………………

 海老原靖芳(えびはら・やすよし) 1953年1月生まれ。「ドリフ大爆笑」や「風雲たけし城」「コメディーお江戸でござる」など人気お笑いテレビ番組のコント台本を書いてきた放送作家。現在は故郷の長崎県佐世保市に戻り、子どもたちに落語を教える。

※記事・写真は2019年07月02日時点のものです

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