いつも一緒だった叔母…友達から出生にまつわる衝撃の一言

西日本新聞

放送作家・海老原靖芳さん聞き書き連載(9)

 私が幼少期に暮らした大黒町市営第三住宅は老朽化のため取り壊され、大黒団地に生まれ変わりました。

 白いコンクリート造りのアパート。まぶしい。第三住宅時代の6畳一間は、6畳と3畳の二間に。ビューティフル。風呂こそありませんでしたが、くみ取りだったトイレはなんと水洗。よく流れました。ナイス。引き戸だったドアは何と鉄製! 文化的な生活を送ることになりました。

 当時の思い出話には叔母がレギュラー出演します。大黒団地では隣の部屋に住んでいました。戦中の朝鮮半島での生活からずっと同居。家業だった佐世保競輪場内の食堂「みよし乃」でも一緒でした。まさに「海老原家with叔母」。

 叔母は私によく目をかけてくれました。まるで親のように。3人で力を合わせて、私を育てているような印象でした。なんだか不思議な関係でした。違和感を持ちました。それが明らかになったのは小学5年頃の「事件」がきっかけです。それは友達のヒコちゃんの一言でした。

 一緒に銭湯に通う仲で、戦艦のプラモデルをよく浴槽に浮かべていました。その日、私は「大和」を進水。ヒコちゃんに「触らせて」と頼まれても断りました。進水式を終え、着替えていると、ヒコちゃんが私に言いました。「わがのほんとのおかあちゃんは叔母さんたい(おまえの本当のおかあさんはおばさんだ)」。耳を疑いました。

 風呂場での出来事に腹を立て、悔し紛れの一言だったかもしれません。ヒコちゃんがどこでその情報を仕入れたのかは定かでありません。彼の親たちが知っていたのか、それとも私以外、周知のことなのか。今でも脳裏に焼き付いている悲しい出来事でした。

 私は11歳。父は66歳、母は57歳。叔母は49歳。父は還暦を過ぎ、母も白髪が目立っていました。何歳まで子どもを産めるかなんて知識はまだ乏しかったのですが、銭湯での出来事を両親に問いたいと考えました。「ヒコちゃんの話はホントなのか」と。

 ウソ、ホント、ウソ…。ずっと葛藤していました。3人の様子をそれとなくうかがうようになりました。もしかすると、寝ているときに出生の話をしているのかも-。寝たふりをして、親の行動を薄目で見ることもありました。でも、何も普段と変わりません。

 正面から問えないまま時は過ぎ、ホントだったと知ったのは26歳の時でした。

(聞き手は西日本新聞・山上武雄)

………………
 海老原靖芳(えびはら・やすよし) 1953年1月生まれ。「ドリフ大爆笑」や「風雲たけし城」「コメディーお江戸でござる」など人気お笑いテレビ番組のコント台本を書いてきた放送作家。現在は故郷の長崎県佐世保市に戻り、子どもたちに落語を教える。
※記事・写真は2019年06月26日時点のものです

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