レース後は地獄絵巻のスタート…殺気立つ食堂で知った、世の矛盾

西日本新聞

放送作家・海老原靖芳さん聞き書き連載(7)

 佐賀県方面から車で西九州道佐世保みなとインターチェンジを下りると、左に佐世保港が望めます。海上自衛隊、米海軍の船が停泊しています。佐世保ならではの光景です。

 右側にあるのは佐世保競輪場。父はそこで働いていました。大黒町市営第三住宅から徒歩15分。今でこそ競輪場は家族連れもいてソフト路線ですが、1950~60年代は、それはそれは殺気立っていました。

 拙著「還暦すぎて、陽(ひ)はまた昇る」(牧野出版)に書きましたが、月に2節ほどレースがあり、その6日間の仕事がわが家の収入源です。父が場内で経営していた食堂「みよし乃」は開けっ広げの間口が3メートル、奥行きは8メートル。壁に貼り付けた父直筆のメニューはちゃんぽん、ラーメン、焼きめし、おでん、親子丼…。母や叔母、臨時雇いの女性が料理や配膳を担当し、父は金庫番、会計でした。

 小学生の私も放課後、手伝いをしました。「そがんことぐらい簡単たい(そんなこと簡単よ)」って余裕ぶっていましたが、後々後悔です。「おおごとばい(大変だ)」。1日に12レース。レースが終わるたび鉄火場のよう。最後の1周を告げる「ジャン」が鳴ると緊張感はピークに。レース後は店にとって地獄絵巻のスタートでした。

 レースの合間に腹を満たしたい男たちが店に押し寄せます。料理が少しでも遅れると、語気荒く「遅か(遅いんじゃないか?)」「まだか(待ってるのに)」「早(はよ)う持ってこんか(早めに持ってくださると助かります)」「おいが先ばい(ひょっとして私が先ではないでしょうか)」と罵詈(ばり)雑言の嵐。

 ジュースの栓を抜き、牛乳瓶のふたを千枚通しで開ける私の脇で一銭も払わずに去る人がいました。時計を質草代わりに、父に金を無心する人も見ました。父が断ると悪態をつく。人間の汚い部分を知りました。

 それは身内にもありました。レース結果に不服な客が空き瓶を事務所に投げ付け、警察が出動する騒ぎがありました。程なくアルコール販売は禁止になりましたが、こっそりと酒を提供している人がいました。父です。「酒は料理せんでよかし、もうかるばい」。目にしたくない光景でした。

 でも、振り返るといろいろな考えが巡ります。禁止されていたアルコールを売って、私は参考書や漫画を買えたのです。理性より目の前のパン。生きていくことができたのです。世の中の矛盾を知ったわけです。  (聞き手は西日本新聞・山上武雄)

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 海老原靖芳(えびはら・やすよし) 1953年1月生まれ。「ドリフ大爆笑」や「風雲たけし城」「コメディーお江戸でござる」など人気お笑いテレビ番組のコント台本を書いてきた放送作家。現在は故郷の長崎県佐世保市に戻り、子どもたちに落語を教える。
※記事・写真は2019年06月24日時点のものです

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