憧れのユニフォーム、かけ離れた理想と現実

西日本新聞

放送作家・海老原靖芳さん聞き書き連載(5)

 私が幼少期を過ごした長崎県佐世保市の大黒町市営第三住宅は、改築されて大黒団地となりました。小学4年の時、1962年ごろでしょうか。今で言うアパートのようなものです。

 二間に風呂、トイレ付きで、6畳一間暮らしから、より文化的な生活へグレードアップ。家族で「よか生活ができるばい」と喜び合いました。貧乏から脱出です。筋金入りのビンボー暮らしの話は食傷気味でしょうから、話題を変えましょうか。その前に、思い出をもう一つ。

 佐世保は子どものソフトボールが盛んで、毎年、地域対抗戦がありました。当時の大黒町は経済的に苦しかったので、ユニホームはなく、普段着で試合に出ていました。

 ある日、ユニホームが届くという情報が入ってきました。友達と顔を合わせ「格好良くプレーができるばい!」と気合十分です。

 ナインの前に段ボール箱が届きました。どの子も色めき立っています。もちろん私も。開けてみると黒い帽子。全員にあり「おーっ」と大歓声です。「帽子が黒ならユニホームは…もしかして巨人? 西鉄みたいなカッコいいやつ? サイコー!」「絶対優勝ばい!」「もう貧乏じゃなかばい!」。ますます興奮です。

 段ボール箱の奥の方を探ると、たくさんの布切れが。「1」「2」「3」「4」と数字をかたどったもの、長細い線状のものがありました。それだけです。

 「ユニホームはなかと?」と子どもたちの問いに大人は「なか。親に頼んで、これを普段着に着けて試合ったい」。ガーン。あれほど楽しみにしていたユニホームはありませんでした。

 結局、試合本番は背番号を縫い付けたランニングシャツ。線状の布はズボンの両側に縦に縫い付けるラインでした。せめてユニホームっぽく見せるためだったのでしょうが、恥ずかしくて恥ずかしくて。「格好悪いばい…」「優勝できんばい…」「やっぱり貧乏ばい…」

 開会式で他のチームからくすくすと笑い声。好きな女の子も観戦していました。守りのとき「締まっていこうぜ」と声を上げますが、これじゃ締まりません。1アウトでチェンジにしてくれ。早く帰りたいよ。本気で願っていました。

 喜劇王チャールズ・チャプリンは言いました。「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」。あの夏のグラウンドはまさにそんな光景でした。 (聞き手は西日本新聞・山上武雄)

………………
 海老原靖芳(えびはら・やすよし) 1953年1月生まれ。「ドリフ大爆笑」や「風雲たけし城」「コメディーお江戸でござる」など人気お笑いテレビ番組のコント台本を書いてきた放送作家。現在は故郷の長崎県佐世保市に戻り、子どもたちに落語を教える。
※記事・写真は2019年06月21日時点のものです

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