近年読んだ著者の短編小説の中で最も感銘を受けました。間違いなく秀作です。
①著者の父は国語教師でしたが、京都の浄土宗の住職の息子として生まれ、戦争に徴集され、帰還しました。その隠された理由を読み解くことが、この作品の主眼です。
②激戦地へ召集され、生きては帰れないはずの父が戻されたのはなぜか?真相は語られていませんが、猫が雄弁に語ります、本作品は「猫のメタファー」として読む必要があります。
③著者と父が海辺に飼い猫を棄ててきました。しかし、猫は二人より早く帰宅していました。このメタファーは何を意味するのか?父が戦地からいち早く戻された理由です。日本軍は戦争捕虜を新兵に殺させ、死を怖れない勇気を身に付けさせるために繰り返し虐殺を行っていたことが語られています。
平和主義者の父はこうした虐殺が出来なかったか、あるいはそれに耐えかねて除隊させられたのではないでしょうか?「大学(京都帝国大学文学部)へ戻って学問に励んだ方が良い」と(暗に除隊すべきであるという)上官の発言が記載されています。俳人でもあった父は出征先から母校の同人誌へ「鳥渡るあああの先に故国がある」、「兵にして僧なり月に合掌す」という俳句二作を郵送しています。これらの句からも、父が平和を愛し、望郷への願いを込めて祈っていた様子が伺えます。
④父は朝食前に小さなケースに安置された菩薩(阿弥陀仏)像の前で念仏を称えるのが習慣であったことが述べられています。仏壇というものは死んだ家族の死を悼む為に備えられるものですが、父が菩薩の前で念仏を称えたのは、戦争で死んだ罪もないすべての者の死を悼む鎮魂の祈りでした。自分だけが戻って来たのに対し、多くの者は死を怖れずに戦地で死んでいった事実に対して、父は生涯鎮魂の気持ちを忘れなかったのです。この思いは息子の村上春樹に継承され、『ねじ巻き鳥クロニクル』など多数の村上作品で戦争が取り上げられています。
⑤もう一つの猫のメタファーは飼い猫が突然自宅の庭の高い樹に上ったまま二度と戻らなかった(死んだ)ことです。これは「父の死」の喩えではないかと思います。菩薩像の前で、戦死したすべての者の魂を悼む行為は90歳でガンに冒され、死を前にした父を極楽浄土(天国)へ昇天させました。二度と戻れない高みは極楽浄土を指しています。菩薩は大乗仏教で言うところの、衆生の救済を目的とする修行者です。父の鎮魂が認められ、阿弥陀仏は父を極楽浄土へと導いてくれたのです。戻れないほどの高みとは単なる病死した人間が往く場所ではなく、修行者が往く仏国土です。
⑥こんなふうに、浄土宗をヒントに父の死に対して著者村上春樹が何を思うか、考えて見ました。尤もこれは単なる私感にすぎないものです。著者の「語り」は漱石の『こころ』における先生のKの死についての語りを彷彿とさせます。とても感慨深いものがあります。
⑦齢70歳を過ぎた村上が父を回想すること自体が興味深い。今だから書けた短編小説です。父を亡くした息子は父の死に何を思うのでしょうか?意外にも父の「実像」というものを息子は知らないのではないでしょうか?父は毎日何を考えて生きていたのか、職場ではどのように周囲の人たちから見られていたのか、こうした自分の父の生涯のディティール(細部)を何も知らないという人もいるのではないでしょうか?
老境にさしかかると人は親のことを考えるようになります。
戦争を語る村上春樹の「思い」が何に由来するものなのか、この小説(回想記)が教えてくれます。
お勧めの一冊です。
- 単行本: 104ページ
- 出版社: 文藝春秋 (2020/4/23)
- 言語: 日本語
- ISBN-10: 4163911936
- ISBN-13: 978-4163911939
- 発売日: 2020/4/23
- 梱包サイズ: 17.4 x 11.4 x 1.8 cm
- カスタマーレビュー: 評価の数 5
-
Amazon 売れ筋ランキング:
本 - 4位 (本の売れ筋ランキングを見る)
- 1位 ─ 日本のエッセー・随筆
- 1位 ─ 日本文学(名言・箴言)
- 1位 ─ 日本文学