D51272 「チビクロ号との思い出」


 唯一の、門鉄デフD51保存機、272号機
世田谷公園  国道246号線三宿(三軒茶屋の少し渋谷より、陸上自衛隊三宿駐屯地の隣)にある大型の公園
 門鉄デフD51唯一の保存機 、272号機の略歴
  1939年(昭和14年)8月7日 川崎車輌製(製造番号2150)。
  広島に新製配置され、その後小郡・柳井と山陽本線西部の機関区を移動。
  1954年(昭和29年)に九州に渡り熊本区を中心に鹿児島本線で活躍、
  1957年(昭和32年)11月に小倉工場にて切取りデフ(門鉄デフKー7型~関分類)を装備。
  1970年(昭和45年)に再び本州に戻り、厚狭区に配置されて美祢線で働く。
  1972年(昭和47年)9月30日同区で廃車、翌年2月19日世田谷公園に静態保存。

 異動の経緯
  
1941年(昭和16年)小郡⇒ 22年 柳井⇒ 30年 熊本⇒ 46年 厚狭⇒ 47年(9.30廃車)

 世田谷区によるD51復活事業
  272号機を静態保存している世田谷区が、今から三十数年前の1982年(昭和57年)
  区制開始50周年の節目となる記念事業として、児童福祉課が中心となり、1分の1の本物は
  ムリでも、5分の1スケールでのD51復活事業が計画されたのであった。

  当時、1975年(昭和50年)北海道での無煙化を最後に国鉄からSLが姿を消して7年、
  静岡の大井川鉄道でのC11復活定期運用開始と、京都の梅小路蒸気機関車館の動態保存機
  によるイベント列車の牽引が時々行われる程度の中で、この世田谷区の試みは、都内で本物の石炭
  (幌内炭鉱の無煙炭)を焚いて、しかも週3日間(水・土・日)+祝日 AM10:00~PM4:00
  (冬季はPM3:00)区が、事業として10分間隔の定期運用を行うと言う、信じがたい企画であった。

 「チビクロ号」誕生の記憶

 1981年(昭和56年)

  記憶がはっきりしないが、この5分の1 D51の話を聴いたのは、
  1982年5月2日開業の半年ほど前のある日のことであった。

  わざわざ児童福祉課の担当の方が、世田谷区内にある大学の学生に運転手
  (アルバイト)を頼みたいということで、私が所属していたN大鉄道研究会へ
  最初に足を運んでくださったことから始まった。
  ※歴史の古い大学から順に話をしようと考えていたようであった。

  その時の話は、翌年の区制50周年の5月2日に、
  世田谷公園内に軌道幅220mm(1067mmのほぼ5分の1)1周270mの楕円
  +転車台、機関庫(下部点検用ピット付)、ホームを整備し、
  総事業費2億円(軌道と付帯設備で1億、機関車+車輌で1億)の一大事業を
  準備中とのことで、耳を疑うような夢話に聴こえたことを思い出す。


 ← 写真「わがまち世田谷(世田谷区のあらまし’83)」表紙から転載
 
主要諸元    札幌交通機械株式会社ホームページから転載  http://www.sakkoki.co.jp/seihin/seihin.html
・ 機関車 
長さ 4m 幅 560mm 高さ 796mm 蒸気圧 5kg/cm2 重量 900kg 軌間220mm
ブレーキ足踏式 注水器2個と手動給水ポンプ 安全弁2個 笛弁1個
ワルシャート式弁装置 最高速度25km/h 客車4両(子供換算40人)牽引
・ 客  車 
4両(10人/両) 長さ 2.5m 幅 500mm 高さ 500mm 2軸ボギー台車
納入先 東京都世田谷区役所    昭和56年10月 (D51)  昭和61年 9月(C57)
東日本旅客鉄道株式会社新潟支社   平成元年 2月 (D51)
   ※上記内容で、3箇所事実と異なるところを以下に示します。
     ①搬入された客車は4両ではなく5両+荷物車の計6両  ②客車定員は、子供で(6人/両)  ③納入日1982年(昭和57年)4月16日

 機関車搬入・操作説明会
 1982年4月16日

 5分の1D51 272号機と、客車5両(子供8人乗り/両)+作業用荷物車1両が、製造元の札幌交通機械株式会社の方々により札幌から陸送搬入され、
 メーカーの担当者より分厚い青写真の取扱説明書(本物のD51の5分の1版という感じ)での、要点説明と車輌の引渡しを受けた。

 次に、始業点検(各部ボルトの緩み確認、注油、車庫からの人力による引き出し等)⇒ 注水⇒ 煙管の掃除⇒ 火入れ⇒ 昇圧⇒ 入線、運転講習⇒
 退線⇒ 火落とし、蒸気抜き、水抜き⇒ 入庫の一通りの手順を実演いただいた。

 その後、開業までの22・27日と運転練習会が計3回設けられたが、確かメーカーの方立会いでの説明は、16日の初回1回だったと記憶している。
 2回目3回目では、機関車の性能把握のため単機での前進後進での最高速チャレンジや、何週走り続けられるかの航続距離確認(当初1.5週が限界)を行ったりした。

 実際の営業運転を想定しての、5両フル編成に関係者(大人)を10人程乗せての牽引距離確認も行い、当初は蒸気圧フル4.5kg/cm2の状態でも1周走らせるのがやっとで、
 ややもすると4分の3周ほどで蒸気圧不足で失速、立ち往生となることもしばしばであった。

 蒸気機関車の運転は、なかなか一筋縄では行かないことを目の当たりにし、私たち学生運転手は、各々が営業運転の中で試行錯誤しながら運転テクニックをあみ出すこととなった。
 
 
  

 開業

 1982年5月2日

  営業運転の体制
  「駅長」1名、チビクロ号運用事業の現場責任者、
  「切符販売、改札、乗降者誘導・安全確認、構内清掃等」3名(内1名障害者参加)、
  「線路保安員」2名(高齢者事業団より派遣)、「機関士」2名(学生)、の計8名。


 ← 写真 札幌交通機械株式会社ホームページから転載

2019 No.71 世田谷ライフ (枻出版社 2019年11月10日発行) から転載