検察官の定年延長を認める検察庁法改正案は検察の独立性を揺るがす。そもそも立法すべき事実が希薄だ。政治が検察人事に介入できる仕組みでは、国民の信頼を失う。法案には重ねて反対する。
検察は一般的な行政機関ではない。起訴できる強い権限を持つ「特別な機関」である。それゆえ準司法機関とも呼ばれる。
憲法には「検察官は、最高裁判所の定める規則に従わなければならない」と定められ、良心に従い独立して、その職権を行うことが求められる。
これが検察の独立性の根源である。同時に定年制も特例的な人事を認めないことで独立性を補完していると考えられてきた。検事総長をトップとした指揮命令系統によって意思統一がなされているため、定年による検察官の交代も業務に支障をきたさない。
「辞めさせられない」規定と「辞めさせる」規定の二つで独立性を担保してきたわけである。だが、今回の検察庁法改正案は「辞めさせる」規定に政治介入できる内容になっている。それが大問題だ。六十三歳の定年を六十五歳にするものの、六十三歳になると検事長や検事正などの役職から降りる「役職定年」を迎える。
だが、内閣や法相が認めた人物だけには、その規定を適用しないばかりか、定年を超えても同じ役職で勤務が可能になる。これでは政治による人事介入の制度化である。政権の意向を人事政策によって検察の捜査などに反映させることも可能になろう。
昨年十月段階で法務省が「定年延長は必要ない」とした理由は「公務運営に支障はない」だった。ところが一転、東京高検検事長の定年延長問題が起きると、「定年延長は必要」に変わり、その理由を法相は「国家公務員法に合わせ考え直した」と述べた。立法事実があまりに乏しい。
東京高検検事長の定年延長を合法化するためではないのか。何しろ国家公務員法の定年延長規定は「検察官には適用されない」とする一九八一年の政府答弁を法相は知らなかった。昨年五月にも同じ内容の通知が人事院から法務省宛てに発出されている。
正反対の規定になるのに十分な理由が存在しない。かつ検察の独立性を脅かす内容になる-。これでは法案に賛成とはなるまい。むしろコロナ禍でのどさくさで成立させてはならない法案だ。
この記事を印刷する