来週はサンフランシスコで、IT業界ではかなり大きな展示がある。
そこで、紹介されるので試作機を出す予定。
その試作機を弄っていて、ふと、思い出した。
これは、上場企業で日本でもかなり長い歴史のコンピュータ会社の創業者が、うちが国内で実績が無くて、実績が無いとどこも取引してくれなくて困っている時に、その創業会長がうちから購入してくれたものだ。何百万円もするものだ。
前副社長が開発中の製品(と印鑑)を全て持ち逃げして、コンピュータ開発の会社からオリジナルのコンピュータは一切無くなったのだ。通帳は後ほど返却されたが、売る予定だった製品が一つもなくなった。デモで見せるコンピュータすらないので営業もしようがない。
当時はかなりメンタルに来ていた上に疲労もピーク、布のカーテンを壁だと思ってもたれ掛かったら、顔面から倒れて顔がまだら模様になるという事件も起こった。(ビックリしたのは周囲の人だろう。笑)
その時に、その会長が「深田さん、泣いている場合違うやろ。これ、使えばいいやんか」と以前に納品したうちのコンピュータを貸してくださったのだ。
あの時から、二年弱の月日が過ぎて、そのコンピュータをサンフランシスコで展示するのだ。
そして、「あ」と思った。
二年弱の月日、お世話になった会長に連絡していなかったのだ。(ご存知の通り、更に気が滅入るような事件、FBI、中国国安、IRSに総攻撃されるという事件が発生していたのだ。因みにメンタルは復活した)
半年ほど前にも電話したけど、繋がらなかったので少し心配していた。
年齢が年齢なので、もしかしたら天国に出張してしまったかもしれない。そう、思っていたけど、お元気そうな声が電話越しに聞けたので会いに行ったのだ。
会長に、
「会長が買ってくれたコンピュータ、来週サンフランシスコで展示されるよ」
と胸を張って報告した。喜んでくれると思ったのだ。
マイケルも彼に電話をして御礼を言ったら会長も薄ら涙を浮かべた。
単なる喜びの涙でなくて、もっと複雑なものだったのだ。
会長は、困っている人を助けるのが使命だと思って、色んな人の手助けをするけど、殆どの人は戻ってこないんだと言った。
寂しそうだった。
彼の言葉を聞いて、反省した。
忙しかったとはいえ、お世話になった人に二年間も連絡せずに、うまくいった今更連絡するなんて、自分は人間ができていない。立ち直っていなくても、心配させないように連絡するべきだったと反省したのだ。
会長、ごめんね。頻繁に連絡できるように、うちの会長にもなっておいてね。名刺を送ります。
そう言ったら、会長も笑ってた。
帰り道、反省した。
闘うだけじゃダメだ、深田。
支えてくれている人を忘れたらダメだ、不可だ。
深田が不可だになってしまう。
36歳くらいになるまで、なんでも実力で乗り越えてきたと勘違いしていた。
事件があって色んな方に支えられて、自分の実力だなんてとんでもない慢心だったと気が付いた。
その割には配慮が足りない自分を、さらに反省した38歳。
人間関係でも、いつかは「可」を取れる人間になれ。
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コメント
普通の日本人 嫌在●
2016/08/10 URL 編集
kazzoon
昨日の朝はこのブログを見て、僕もとても良い気分で過ごせました。
2016/08/10 URL 編集