大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム http://www.geocities.jp/sashichi2004/ 文法

(飛騨)方言動詞・からかす、の語源に関する一考察

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飛騨方言では動詞連用形に、からかす(他動詞四段)を接続させて、~しまくる、~ふけ(耽)るという 意味になります(例 みからかす->見まくる、見耽る)。 言語圏の大きさから考察しますと、代表的名古屋方言という事になりましょう。 がしかし飛騨方言はじめ東海各地の方言のみならず、全国にみられる言葉のようです。 然しながら語源についてのネット情報は皆無に近く、以下に筆者なりの考察を記載します。

まずは兵庫県豊岡市谷口裕氏のサイト f.他動詞の語尾「~かす」
但馬方言において、他動詞の語尾を「~かす」の形にして、 もとの意味を強める用法が、共通語と比べて多く認められる。 この用法は、もともと平安時代に始まったものであり、 口語的、あるいは俗語的な用法として始まった。 その後、室町時代末期から江戸時代にかけて「~かす」を付ける造語法が流行った。 現在の但馬方言もこの流れがあるように思われる。
に着目しますと、つまりは、からかす、は枯らかす(=枯らす、枯れさせる)の意味に 他なりません。

例えば、たべからかす、という言葉ですが、元々は大いに食べた結果、食べるべきものを無くする・枯れさせる、 つまり食べつくすという意味だったのでしょう。 意味が変遷し、食べつくさないまでもガツガツと大いに食べる事をたべからかす、というようになったのでは と筆者なりに推察します。つまり"からかす"という動詞は物事を執拗に繰り返す、という意味に変化したのです。 もはや枯れるという意味はありません。

こうなりますと、雨がふりからかす、という言葉の意味が理解できましょう。 雨が降り続き、雨の源・天が枯れるほどになる、つまりは雨雲が無くなり遂にはカラッと 晴れるという意味では決してありません。ふりからかす、とはいつまでも土砂降りが続き、 つまり決して枯れない状況をも示す動詞に意味が変遷したのです。

さて飛騨方言の動詞に、とんがらかす、があります。とがらす、という意味です。 ところが尖る、という言葉そのものが先端を究極的に鋭利にする、という意味ですから 何故またさらに、からかす、を付記しなくてはいけないのでしょうか。 あるいはこうも考えられるのです。 砥ぎからかす、つまりは砥ぎまくるとその結果は、とがらす、という事になります。

わざわざ、とんがらかす、を引き合いに出すには理由があります。実は例外的な動詞なのです。 つまりは以下の如く、からかすに接続する動詞連用形はその大半は実は促音便にもなります。例えば・・
四段 書く かきからかす かきっからかす
上二 見る みからかす  みっからかす
下二 寝る ねからかす  ねっからかす
カ変 来る きからかす  きっからかす
サ変 する しからかす  しっからかす
ところがただひとつ、砥ぎからかす、は撥音便という事でしゃみしゃっきり。 とぎっからかす、という別の言い回しはおそらく後代のものでしょう。

以上はあくまでも推察です。完全に外れている可能性はなきにしもあらず。 もしそうなら御免なさい。

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