〜神林長平『ラーゼフォン時間調律師』より〜
たとえば加害者が「むしゃくしゃしてやった、今は反省している」と口にして救われる遺族の心情、あるいは加害者が「太陽がまぶしかったから」と語って侵害される被害者の人権とは何だろうか*1。
法廷で語られる動機を拒否する人々を見ていると、、理不尽な死を理不尽なまま受け入れることができず、自身が合理的と思えるような動機を求めているだけではないかという疑問がぬぐえない。そもそも、殺人事件を犯す者の心理に、どれだけ合理性が期待できるのかと思うのだが。それどころか、日常の言動ですら、全ての動機を他人に説明できる人間などなかなかいないだろう。
被害者が納得できる答えをねだるのは当然だろう。
しかし他人が被害者の感情に同調することは、必ずしも被害者を救うことにはならない。納得できる真相を与えられるかわからないし、真相が納得できるものである保証もない。
他人に与えられるのは、せいぜい物語だ。
関連して、buyobuyo氏による、被害者を守るためには厳罰化以外に優先するべきことがあるのでは、という指摘。
http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20070430#p1
もちろん、被告の権利を守ることと、被害者の権利を守ることも基本的に衝突しない。被害者の権利に、被告の権利を侵害することはふくまれないからだ*2。被害者の権利が何なのか、少しは考えてみても良いのではないか。